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安倍首相「今年のトンデモ発言」ランキング(前編)10位〜6位…嘘、ごまかし、逆ギレ、開き直り

2015-12-27 23:32:01 | シェアー

リテラ http://lite-ra.com/2015/12/post-1829.htmlより転載

年末特別企画 リテラの2015年振り返り

嘘、ごまかし、逆ギレ、開き直り…安倍首相「今年のトンデモ発言」ランキング(前編)10位〜6位

2015.12.27
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今年も安倍首相の発言はひどかった(自由民主党HPより)


 ISによる邦人人質殺害事件にはじまり、憲法や民主的手続きを一切無視して行われた安保法制の強行採決、メディアへの圧力、新国立競技場をめぐるドタバタ劇……2015年はまさに憎悪と対立、でたらめ、そして強権政治が日本を支配した1年だった。その中心にいたのは、もちろん安倍晋三首相である。

 2015年、この人はじつにさまざまな耳を疑う発言を繰り返してきた。平気で嘘をつき、話題をすり替え、すぐに逆ギレし、いけしゃあしゃあと話をごまかす……。彼の言葉ほど、日本の危機的状況を示す格好の材料はないだろう。

 そこで今回は、安倍首相はこの1年の発言をトンデモ順にランキング形式でお伝えしよう。ぜひ“反知性主義”の真髄を、とくと味わいいただきたい。

★10位

「第三の矢は的に届いていないとの批判を受けるが、私は大学時代、アーチェリー部だった。私の矢は必ず当たる」

(5月2日、ロサンゼルスでの日米交流関係者との昼食会で)

「デフレからの脱却」と「富の拡大」を実現するというアベノミクスが掲げた「3本の矢」。その3本の矢とやらは国民の生活を悪化させ、格差を拡大させるだけで、恩恵にあずかったのは大企業と富裕層だった。

 だが、経済失策という批判も当人はどこ吹く風。「アーチェリー部だったから必ず当たる」と説得力ゼロの発言を自信満々にひけらかしてしまう。さらに、安保法制の強行採決によるイメージダウンを払拭するために、「これからも経済最優先で『1億総活躍社会』を目指す」などと言って、またしてもまやかしの「新・3本の矢」をぶちあげたのだ。

 ちなみに、ここまで言うからにはさぞや輝かしいアーチェリーの記録を保持しているのだろうと思いきや、成蹊大時代はなんとただの準レギュラー。自慢できそうなのは、テレビ番組の企画で明石家さんまに勝ったことくらいだ。それでも恥ずかしげもなく「私の矢は必ず当たる」なんてドヤ顔で思いあがってしまう自己過信ぶり……さすがの安定感と言うほかない。

★9位

「難民受け入れは人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前にやるべきことがある。それは女性や高齢者の活躍であり、出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手がある」

(9月30日、国連総会の一般討論演説後の記者会見で)

 シリア難民の受け入れが国際問題となっていた9月、海外の記者から「日本がシリア難民を受け入れる可能性は?」と尋ねられた際の安倍首相の返答が、これ。記者は「は?」と思ったことだろう。難民を受け入れるのかと訊いているのに、その回答が「女性と高齢者の活躍と出生率を上げるのが先」とは、まったく会話が噛み合っていない。

 だいたい、安保法制の議論で繰り返し「積極的平和主義に基づく国際貢献ガー」と言っていたのは当の安倍首相だ。難民を受け入れることこそ国際貢献の最たるものだと普通は思うが、この男は他国民なんてただの労働力=奴隷としか考えてないらしい。というか、それ以前にそもそも「難民」と「移民」の違いさえわかっていない頭の悪さ。

 さらに、パリの同時多発テロの発生後は「テロと戦う」と宣言。11月に開かれた国会の閉会中審査では「緊急事態条項」の新設を「極めて重く大切な課題」と言い出した。つまりテロを利用して改憲を進めようというのだ。

 広がる不安にかこつけて改憲にもち込み、「テロの脅威」を煽って難民への排斥感情を増幅させる……。自分の悲願達成のためには人命さえ軽んじる安倍首相の「積極的平和主義」とは、一体何なのだろうか。

★8位

「戦争法案などといった無責任なレッテル貼りはまったくの誤りだ」

(5月14日、安保法案閣議決定後の記者会見で)

 安倍首相おなじみの常套句といえば、この「レッテル貼り」。4月1日の参院予算委員会で社民党・福島瑞穂議員が安保法制を「戦争法案」と表現するや否や、「レッテルを貼って議論を矮小化していくことは、断じて甘受できない」と反論した。

 しかし、多くの国民は「これってレッテルじゃなく、戦争法案そのものなのでは?」と感じた。その結果、「戦争法案」という言葉は広く使われるようになったし、大規模なデモが数多く起こり、世論調査でも反対する声が多数を占めたのだ。

 当然、安倍首相には戦争法案ではないとする理由を説明する責任がある。にもかかわらず、口から出てくるのは「レッテル貼りだ!」の決まり文句だけ。紹介した記者会見の発言のみならず、7月に生出演したネット番組でも「いつかは徴兵制があるのではないかと、野党はずっとキャンペーンを張っている。でも、これは無責任なレッテル貼りだと思います」と、見事なワンパターンで押し通した。これで国民に納得しろというほうがどうかしている。

 しかも、じつは誰よりもレッテル貼りが好きなのは、安倍首相本人だ。代表的なのは、2月の衆院予算委員会で西川公也・農林水産相への献金問題を追及していた民主党議員に対し、安倍首相がニヤニヤしながら飛ばした「日教組!」「日教組どうするの日教組!」というヤジだろう。安倍首相は“民主党は日教組から献金をもらってるだろ?”と主張したわけだが、しかしこれは完全なデマ。後に事実誤認であることを認め、発言を訂正するにいたった。

「レッテル貼りだ!」と相手を攻撃する安倍首相こそが、レッテル貼りの張本人だった……。この茶番芸、全然笑えないんですけど。

★7位

「早く質問しろよ!」

(5月28日、衆院特別委員会で辻元清美議員に向かって)

 というわけで、レッテル貼りの名(迷)手である安倍首相なのだが、もうひとつ得意技とするのが、安倍首相謹製のヤジ。前述した「日教組!」ヤジでは猛批判を喰らったのに、舌の根も乾かぬうちに今度は、機雷掃海のリスクについて指摘する辻元清美議員に「早く質問しろよ!」とイライラした調子で声を張り上げた。

 相手が喋っているのに、話も聞かずに文句を言う……。こんなことをやったら、幼稚園児でも親や先生に叱られる。ましてや一国の総理大臣が、国会でやるような振る舞いでは決してない。そもそも、首相がヤジを飛ばす行為自体が前代未聞。あの口の悪い麻生太郎や「イラ菅」と呼ばれた菅直人でさえ、首相在任時にヤジを飛ばしたことはないのだ。

 しかも唖然とさせられるのは、「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばした前日に安倍首相は、「与党側はこんなに静かに礼儀正しく聞いてるじゃないですか。みなさんも少しは見習ったらどうですか」「議論の妨害はやめていただきたい。学校で習いませんでしたか」などとヤジを批判していたという事実だろう。人には文句をつけるくせに、自分はオッケー。どんだけ自己中マイルールだよ?とヤジりたいのはこっちだ。

 そして、ご存じの通り、この「早く質問しろよ!」発言から約3カ月後にも、安倍首相はまたも「まあいいじゃん、それで」とヤジ。もちろん大きな批判が巻き起こった。この人の場合、懲りないというより「反省する」という行為そのものをしたことがないのだろう。

★6位

「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」

(1月17日、日エジプト経済合同委員会でのスピーチで)

 すべては安倍首相の中東訪問、エジプトでのこの発言がきっかけだった。安倍首相はこのとき「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです」と、はっきり“難民支援ではなくIS打倒のため”と宣言。当然、この発言はISの逆鱗にふれ、湯川遥菜さんと後藤健二さんの殺害予告がなされてしまったのだ。

 しかも悪質なのは、このときすでに後藤さんがISに拘束されているという事実を官邸は掴んでいた、という点だ。

 外務省は昨年11月の時点で後藤さんがシリアで音信不通になっていることを把握、現地ガイドに聞き取りを行っていたが、12月2日、妻のもとにISから身代金要求が届いてしばらく後に、外務省は妻と現地ガイドに対して厳重な“口止め”を行っている。この12月2日とは衆院選の公示日だった。つまり、後藤さんのIS拘束が表沙汰になれば選挙戦に影響するため、口封じを行ったのだ。

 それだけではない。こうした背景から外務省は安倍首相の中東訪問の見直しを迫っていたが、官邸は進言を聞かず中東行きを決行。そして、現地で飛び出した打倒IS発言……。このスピーチも「総理官邸が主導して作成した」と外務省関係者は証言している。

 このようにISを逆撫でする行為を重ねた上、人質解放の交渉もほとんど後藤さんの妻に任せきりにして責任を放り投げた結果、あの悲しい結末を迎えてしまった。それでも安倍首相は、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」と声明を発表するなど、相変わらず対テロ戦争を“演出”することに余念がない。それは前述したように、テロを利用して改憲を進める腹づもりがあるからだ。

 この無責任を、決して忘れてはいけない。

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 一気に10位から6位までをお伝えしたが、つづく後半では、安倍首相のさらなる唖然・騒然発言をお伝えする予定だ。「もうお腹いっぱい!」という人も多いと思うが、ぜひ後編もお付き合いいただきたい。
編集部


安倍首相トンデモ発言ランキング後編) 5位〜1位はこちら

 

 

 


【安保法制反対】福岡 さんばば、今日も街頭に立つ!!/ 「さんばば憲章」紹介

2015-12-27 19:10:07 | 案内 情報 デモ 集会 逮捕

  さんばば、今日も街頭に立つ!!

                          by岡村 輝彦さんFB
2015.12.27
  今日も頑張ってます
  さんばば、福岡・天神コア前アピール
 

毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20151224/ddl/k40/070/303000cより転載

この人!

安保法制反対を訴える、さんばば /福岡

「投票へ」魔女姿で街頭に 「家に籠もるより外へ」活動

 「50%の人が選挙に行っていない、ぜひ投票に行ってください」

  師走の日曜、買い物客らが行き交う天神の交差点で響く拡声器の声の主は、中央区の主婦、寺田翠(みどり)さん(79)▽早良区のピアノ教師、田中靖枝さん(76)▽西区の画家、楯(たて)宏子さん(70)が結成した「さんばば」(三婆)だ。大きな竹ぼうきを手に魔女風のいでたちで街頭に立ち、道行く老若男女に来夏の参院選への投票や安全保障法制への反対を訴える。

 「このままでは三途(さんず)の川を渡れない」。安保関連法が成立した今秋、喫茶店での茶飲み話をきっかけに、田中さんと楯さんが街に出て発言することを決意し、親交のあった寺田さんにも声を掛けた。

 「『終活』や『断捨離』という言葉に、何だか気落ちしていた」という寺田さん。安保法制を巡る国会の議論にも鬱積を募らせていた。テレビで若者のデモの様子を知り、2人に声を掛けられ「家でのんびりお茶を飲んでいていいのか、と思ったんです」。

 寺田さんは画家の夫(故人)を手伝う傍ら地元テレビ局で約20年リポーターを務めた。2007年、飲酒運転の車による事故で造形作家だった長男太郎さん(当時46歳)を亡くした。遺族会の一員として署名運動に参加、飲酒運転の厳罰化につなげた経験を持つ。

 リーダーの田中さんは、子どものころに福岡大空襲を、学生時代に60年安保を経験し、公害や原発を巡る社会運動にも携わったが「結局は政治が決めていることにようやく気がついた。政治は有権者の一票でしか変えられない」と語る。

 東日本大震災を機に反原発集会に参加するようになった楯さんは、身近に政治家のいる家庭で育ったためか、政治との関わりを避け「長く選挙に行ったことがなかった」。

 3人は今、自ら行動するだけでなく、思いを共有する「婆」たちに各地で「さんばば」の結成を求めており、近隣市でその動きがあるという。

 楯さん作成の「さんばば憲章」には、

▽向こう三軒両隣、うるさがられても念仏のように「投票しよう」「選挙に行こう」と言って回ろう
▽街や広場に出かけ黙って立つのもよし、叫んでも練り歩いてもいいのです。腰が痛くて立ち上がれなければ祈りましょう

 −−などの文言が並ぶ。

 楯さんは呼び掛ける。「家に籠もってつぶやくより、外に出てつぶやきを広げよう」と。【林由紀子】

〔福岡都市圏版〕

 

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<再掲載>

http://blog.goo.ne.jp/koube-69/e/c2bfef11fcbb97834b268caa76a37674

『さんばば』登場‼ 福岡に新たな反アベ勢力(安保関連法案の決め方に憤慨する70才以上の女性の集り)

2015-11-16 

福岡に新たな反アベ勢力
安保関連法案の決め方に憤慨している70才以上の女性の集り 『さんばば』登場‼

いきなり初回スタンディングからRKBのテレビ取材入って絶好調
全国でみんなで立ち上がろうo(^_-)O

チラシを拡散して、全国に「さんばば」「さんじじ」に増殖していただきましょう(^O^)/

 

 

≪FBでのコメントから≫

さんばば、素晴らしいアピール力ですね。増殖しますね〜。戦争ホーキに乗って!

もはやマジの魔女っぷりです。o(^_-)O  チラシ熟読を、素晴らしいです!

個性豊かなシニアの活躍に目が離せませんね。

今朝メールで御礼をしたら、1時間のスタンディング後、ぐったりだったそうです。(^^;;
 「さんばば」のローテーションメンバーが必要かも。(^^;;

よんばばになろうかな

立ち上がろうつぎつぎと‼ 全国の「さんばば」さん

 

  じじも頑張らねば。




 


【戦争法反対】 吹雪くなか、今年最後のスタンディング~通算82日

2015-12-27 18:14:07 | 平和 戦争 自衛隊

五十嵐 龍FB憲法九条の会

2015.12.27

吹雪の今年最後のスタンディング
通算82日目?
17人参加
従兄弟の五十嵐学さんも茨城県から参加

...

あいにくの天気にもかかわらず大勢の人が戦争法反対の声を上げた。
吹雪が酷くなり30分程度で切り上げた。
でも、一人一人の平和への気持ちでとても熱くホットなスタンディングとなった。

一人一人マイクを握り戦争法反対の声を上げた。

やはり大人数だと、反応も手振り、頷き沢山あった。

若い方のノボリを持っての参加。そして未来に向けての思いをマイクに乗せて語ってくれた。
真摯で立派なスピーチだった。

何としても 平和な日本を次の世代に引き継がなければならない。

クリスマスは過ぎたが、今日の曲はコレと決めてた。

Simon & Garfunkel
7 O'Clock News / Silent Night
http://youtu.be/WgYFXCUEL4Y

‪#‎鶴岡スタンディング

 
 
 
 
 
 
 

 


悲しみと怒りは消えていない~南京大虐殺の現場を訪ねて (レイバーネット)

2015-12-27 18:13:39 | 南京虐殺

LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2015/1225nankinより転載

悲しみと怒りは消えていない~南京大虐殺の現場を訪ねて

     佐々木有美

  *幸存者(大虐殺で生き残った人)の楊翠英さん

 

動画(太平門虐殺事件のお話 5分)

 12月10日から15日まで、日中労働情報フォーラムが企画する「日中不再戦の誓いの旅」に参加した。主な目的は、12月13日に行われる南京大虐殺犠牲者追悼式典参加と史跡などを訪ねること。北京で国際交流協会や、日中職工対外交流センターとの交流のあと、12日夕方に南京に到着した。現在800万人の人口を擁する南京は、大都市である。駅から市内へバスで向うと、夕闇に包まれた街はあちこちに高層ビルが立ち、夜景が美しい。78年前の大虐殺の面影は、当時街をとりまき、今も一部残る城壁に見られるくらいだ。

 13日朝、追悼式典に向う。活気のある大通りのあちこちに「圆梦中华 勿忘国恥」のパネルがある。意味は「中華の夢をかなえよう 国の恥を忘れるな」。また、「正義必勝 和平必勝 人民必勝」の看板も掲げられていた。昨年から国家行事として行われるようになったせいか、式典の警備は厳重だった。バッグの持ち込みは禁止。金属探知機で一人ひとり検査された。

 式典が行われたのは、虐殺記念館のある巨大なメモリアルパーク。小学生、若者たち、軍人、市民など約1万人が集まった。椅子に座り前列中央にいたのは、30人の幸存者(虐殺で生き残った人たち)だった。日本からも様々なグループが100人くらい参加した。昨年は習近平国家主席が挨拶をしたが、今年は李建国全人代副委員長だった。日本への直接的な批判はなく「いかなる民族、いかなる国家も侵略戦争をしてはいけない」「前のことを忘れず後の戒めとなす。記憶は歴史の教訓だ」と述べた。


 *写真上は「新華社」より

 式典後は、“銘心会 南京”のグループのフィールドワークに合流した。代表の松岡環さん(写真下)は元教員。1980年代末から南京大虐殺の調査活動をすすめるとともに、被害者への「心のケア」として交流会やお見舞いの活動を続けている。生き残ったお年寄りは現在約100人。松岡さんは、日本で大虐殺を否定する人たちがいる今、彼らの願いはただひとつ、「必ず日本の人たちに南京大虐殺の事実を伝えてほしい」ということだと語った。

 最初に訪れたのは太平門の虐殺記念碑。南京市内には、虐殺記念碑が25あるというが、この太平門の虐殺は目撃者が一人も残っていず、研究もされていなかった。97年から松岡さんが始めた日本兵士の聞き取り調査で虐殺の事実が判明し、それをきっかけに唯一人生き残った男性がいたことがわかった。松岡さんの働きかけで2007年この地に虐殺記念碑が建った。

 南京攻防戦では、日本軍は南京城壁を囲み、複数の門の突破を試みた。太平門もそのひとつだった。三重県の歩兵33連隊の第6中隊が太平門に突入したとき、門にはホカホカの饅頭とエンジンをかけたままの車があったという。日本軍は、約400人の男女・こどもを一箇所に集め、最初は地雷でふきとばし、その後はガソリンをかけて火をつけた。それでも生き残った者は、銃剣で喉をついて殺した。「死体の上はグリグリして歩かれんぞ」という元兵士のことばに現実感をもったという松岡さん。400~500人にのぼる捕虜の中国兵は近くの水の枯れた水路に入れて機関銃で一斉に殺した。(松岡さんはドキュメンタリー映画『太平門 消えた1300人』を制作している)。

 南京には、日本軍侵攻時に欧米人により国際安全区(難民区)が作られた。山の手線の内ぐらいの広さで25の建物が避難所として指定された。今の南京大学(当時の金陵大学)もその一つで、約3万人を収容していた。その一角にも、虐殺記念碑がある。90年前後、大学付近にたくさんの遺骨が発見された。96年にここに記念碑を建てようという話が上がったとき、松岡さんたちは支援を申し入れたが断られたという。

 日本人と一緒に追悼したくないという中国の人たちの意思は固く、それは長い間続いていた。1997年、日本人の呼びかけで南京大虐殺の大シンポジウムが南京で開催された。このときも、共同の追悼は拒否されたが、虐殺記念館の館長の「日本人も一生懸命思って追悼をやるのだ。だから、たとえ心のうちは別でも、同じ場所で追悼しようじゃないか」ということばでやっと追悼は実現した。「泣きました。ほんとうに。10年かかりました」と話す松岡さんの目には涙が滲んでいた。

 南京大学で避難していた人たちはどんな生活をしていたのか。建物の中にもいたが、多くが草ぶきの掘っ立て小屋でザコネをしていた。雨が降るとすごく濡れた。昼間日本兵に会うと必ず殺されるので、避難民は日本兵が宿舎にもどる夜、空き家で食べ物を探したり、家族やその遺体を捜したそうだ。日本兵は安全区の大学にも、ずかずか押し入り女性を拉致し強姦をした。他の避難所でも同様だった。そのため多くの女性は、アメリカ人の女性宣教師ミニー・ボートリンのいる金陵女子文理学院なら大丈夫といううわさを聞き、そこに逃げた。しかし金陵女子大もけっして安全ではなかった。

 金陵女子文理学院は、現在南京師範大学になっている。訪れたときはすでに夕闇が迫っていたが、ミニー・ボートリンの笑顔の銅像(写真上)はわたしたちを暖かく迎えてくれた。安全区委員長のジョン・ラーべは「ボートリンは、中国の女の子たちを、親鳥がひな鳥を守るようにして日本兵の魔の手から守ろうとした」と言っている。しかし現実は、彼女自身も日本兵からなぐられるような事態が起こっていた。病気になり、その後米国に帰ったボートリンは、1941年にガス自殺をする。『ザ・レイプ・オブ・南京』(1997年)を書いたアイリス・チャンも、心を病み拳銃自殺をした。非人間的極限を見た人たちの傷の深さを思った。松岡さんは「南京大虐殺にかかわって事実を掘り起こしたり、中国の女性に同情した女の人たちが、日本軍国主義と闘って、なかなかそれを克服できなかったことが、すごく悲しい」と語った。

 13日の夜は、記念館で追悼のキャンドルナイトが開催された。小学生、中高生、軍服を着た若者たち、市民、それに各国の仏教者たちがいた。その中でひときわ脚光を浴びた幸存者の女性(一番上の写真)。もう90歳は超えているかに見えるがしっかりとキャンドルを持ち、厳しい表情で前方を見続けていた。強く射る様な彼女の瞳を見たとき、南京事件から78年の歳月はわたしの中で消滅した。当日と翌朝のTVは、虐殺記念日を特集的に伝えていた。市内各所で行われた慰霊祭、幸存者の話、定刻にいっせいに街中で行われた黙祷、それと合わせて鳴り響くクラクション。悲しみと怒りは消えていない。

 

 

 

 


"公式謝罪・法的賠償が必要"慰安婦被害者たちの声

2015-12-27 13:53:10 | 戦時中性奴隷 慰安婦

 
[앵커]위안부 문제에 대한 한일 회담을 앞두고, 일본 측에...
ytn.co.kr
 

日本政府の姿勢に対する慰安婦被害者たちの反応を韓国メディアが報じています。

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慰安婦被害者"公式謝罪・法的賠償が必要"

...

アンカー:
慰安婦問題に対する韓日会談を控えて、日本側で公式謝罪など核心の争点を回避しようとする態度を見せていることにつき、慰安婦被害者たちが一斉に怒りの意思を表しました。お婆さんたちは、韓国政府側に日本の真正な謝罪を受け、厳重な法的責任を問うという原則を守ってほしいと頼みました。 チャ・ユジョン記者です。

記者:
慰安婦被害者10人が共に居住するナムヌの家です。緊急会議が開かれましたが、お婆さんたちの表情は暗いです。慰安婦問題交渉を控え、メディアから流れ出た日本側の妥結案のためです。日本政府が基金を用意して痛感の意向を手紙で伝えるという線で交渉を終えようとしているという情報に、お婆さんたちは不快感を隠すことが出来ませんでした。

[イ・オクソン、慰安婦被害者]"(総理が)私たちの前に来て、ひざまずいてきちんと話せと言っているの。 そのように謝罪しろということ、私はそれ以外に望むことはないよ。"

お婆さんはまた、日本側に強制動員に対する法的責任と賠償も厳重に問わなければならないと強調しました。そして政府に、外交的成果に重点を置くことより真正なる謝罪を受けるという原則を最後まで守ってほしいと頼みました。

[カン・イルチュル、慰安婦被害者]"法的にしっかりとしなければならない。 韓国国会でも政府と同じように立ち上がって、この問題を私たちとともにきちんと(解決しなければならない。)"

この20ヶ月余りの間、11回決裂した後、いつのまにか今年最後になる慰安婦争点交渉!永らく期待と失望を数えきれない程繰り返してきたお婆さんたちは、今回の交渉だけは日本側の公式謝罪と法的責任がなされることを切実に念願しています。

YTNチャ・ユジョンです。