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ナチスからユダヤ人を救った異色の外交官、杉原千畝 (佐高 信)

2015-12-21 22:09:40 | 平和 戦争 自衛隊

ダイヤモンド・オンラインhttp://diamond.jp/articles/-/83427より転載

佐高 信の「一人一話」

ナチスからユダヤ人を救った異色の外交官、杉原千畝

佐高 信 [評論家]
【第36回】 2015年12月21日

ユダヤ人にビザを発給すれば
自らも命を狙われかねない

 ・走り出づる列車の窓に縋りくる
  手に渡さるる命のビザは

 1940年9月1日、リトアニア駐在の領事代理だった杉原千畝の妻、幸子はベルリンへ向けて走り出す列車の窓から夫が身を乗り出してユダヤ人にビザを渡す情景をこう歌った。

 幸子は当時まだ20代である。そのほぼ1ヵ月前の7月27日朝、リトアニアの首都カウナスの日本領事館は、突然、姿を見せたユダヤ人たちに囲まれた。ナチス・ドイツの「ユダヤ人狩り」の手を逃れ、ポーランドからほとんど着のみ着のままやって来た人たちだった。いたいけな子どももいる。

 彼らは、日本通過のビザを発行してほしいと要請した。しかし、日本は4年前の1936年にナチス・ドイツと日独防共協定を結んでいる。日本領事館がユダヤ人にビザを発行したことがわかれば、杉原はゲシュタポに命をねらわれかねなかった。

 けれども、目の前のユダヤ人たちは必死に助けを求めている。

 当時5歳だった長男の弘樹が「あの人たちは何しに来たの?」と幸子に尋ねた。「悪い人に捕まって殺されるので助けて下さいって言ってきたのよ」

 幸子がこう答えると、弘樹はさらに、「パパが助けてあげるの?」と尋ねた。幸子は言葉につまりながらも、「そうですよ」と言い、息子を抱き寄せた。

 しかし、ユダヤ人を「助ける」ことは、この子をも危ない目に遭わせる可能性がある。「そうですよ」という幸子の言葉は、自分の覚悟を定めるためのものでもあった。

 その結論に至るまで、杉原夫妻は悩みに悩んだ。

 ・ビザ交付の決断に迷ひ眠れざる
  夫のベッドの軋むを聞けり

 『白夜』等の歌集をもつ幸子は、こう歌っている。

千畝は、それからほぼ1ヵ月後に日独伊三国軍事同盟を結ぼうとしていた外務大臣の松岡洋右に、ビザ発給の許可を求める電報を打った。外務省きってのロシア通だった千畝は直通のルートを持っていた。

 もちろん、外務省の反応は否である。それでもまた、許可を求めてくる千畝について、外務省の幹部の間では、こんな会話も交わされていた。

 「杉原君は、ユダヤ人を助けようとしているのじゃないだろうな」
 「まさか。彼もそこまではやるまいよ。外務省と軍部の関係は、だれよりも彼がよく知っているはずじゃないか」
 「でも、万一ってことがあるからね」
 「どうかねぇ。リトアニアはドイツの目と鼻の先だ。そんなところでかい?」
 「そうだな。ドイツのあの破竹の勢いを直接感じているのは、われわれより杉原君のほうだからな。何も好んでドイツの癇にさわるようなまねをするわけはない」
 「今は、松岡さんが三国同盟を結ぶためにがんばっておる。彼は外交官なら、そんなことができるわけがないよ」

 杉原のことを書いた篠輝久の子ども向けの本、『約束の国への長い旅』(リブリオ出版)に引いてある会話だが、杉原のことをよく知る人は、しかし、こう言っていた。

 「君たちは、杉原君のことをわかっていないな。彼は、殺されかかっているユダヤ人の子どもを放っておけるような男じゃないよ。ことによると、彼はやるかもしれん……」

とはいえ、杉原夫妻の懊悩は続いた。そして遂に、千畝は外務省の命令に背いてビザを出す決心をする。

 「いいだろう?」と確認する夫に、妻は強く頷いた。「あとで私たちはどうなるかわかりませんが、そうして下さい」

 千畝は外務省をやめさせられることも覚悟していた。

 「いざとなれば、ロシア語で食べていくぐらいはできるだろう」

 不安をまぎらすようにつぶやいた言葉を幸子は聞いている。

 「ここに100人の人がいたとしても、私たちのようにユダヤ人を助けようとは考えないだろうね。それでも、私たちはやろうか」

 幸子が書いた『六千人の命のビザ』(朝日ソノラマ)によれば、千畝はさらに、幸子の顔を正視して、こう念を押したという。

 

「ユダヤ民族の恩人」が日本で受けた仕打ち

 ・ビザを待つ人群に父親の手を握る
  幼な子はいたく顔汚れをり

 千畝は「抗命」してビザを書き続ける。昼食もとらず、睡眠時間も削って、書き続けた。リトアニアを占拠したソ連(現ロシア)からの退去命令も厳しく、本国からも、領事館を閉鎖して直ちにベルリンへ行けという電報が届く中で、千畝はギリギリまでビザを出し続けた。

 それに対して当時は何の咎めもなく、それからチェコの総領事などをやって、戦後、帰国して、千畝は「抗命」の罪を問われる。その間、ソ連軍に捕まり、ラーゲリでの生活も経験した。ロシア語が達者なためにスパイの容疑をかけられ、厳しい取り調べも受けた。

そんな辛い思いをして帰って来た千畝を待っていたのは、外務省の辞職勧告だった。これからは平和のために仕事ができると、外務省に次官の岡崎勝男を訪ねた千畝は、「杉原君、自分がリトアニアで何をしてきたか、わかっているでしょう。命令が聞けない人に外務省にいてもらっては困ります。やめて下さい」と言われる。千畝は、一瞬、声をのんだ後、「わかりました」と答えるしかなかった。

 リトアニアで「命のビザ」を発給されたユダヤ人は、「どんなに月日が経とうとも、私たちは必ず再びあなたの前に立ちます。そして、ユダヤ民族の碑に、あなたの名前を刻みます」と誓い、日本の外務省が杉原千畝について何も消息を教えなかったのに、あきらめずに探して顕彰した。

1991年7月7日、日本テレビの「知ってるつもり!?」で杉原千畝のことが取り上げられ、それを見た中学生が、どうして教科書には杉原さんのことが出てこないのか、東郷平八郎のことを教えるより、杉原さんのことを教えたほうがずっといいのではないか、という手紙を幸子のところによこしたとか。

その6年前にイスラエルの外相シャミルが来日し、歓迎レセプションが開かれた。当時の首相、中曽康弘や外相の安倍晋太郎も出席したが、85歳になっていた千畝もイスラエル大使に招かれて出席した。イスラエル政府は千畝を会場の真ん中に呼び、中曽根と安倍に、「杉原さんはユダヤ民族の恩人です」と紹介した。しかし、この時点で2人とも、千畝について何も知らなかった。

 それから6年後に、外務官僚の反対を押し切って、外務政務次官の鈴木宗男が幸子と弘樹に公式に謝罪し、“和解”を求める。千畝はすでに亡くなっていた。

 「正直言って、今さら何をと思いました」と幸子は私に語った。

 

 

 <追記 2018.1.16>

杉原千畝氏の奥さま杉原幸子さんの投稿ーー

昔の新聞の切り抜き。恐らく1994年3月30日、朝日新聞。このあと和解したと記憶している。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

【画像】参院選まで: 日本が平和を取り戻す反戦と平和へのカウントダウンは、あと202日

2015-12-21 18:34:58 | 政治 選挙 

                                                                   画像by湊 万徳FB憲法九条の会
 
 

女優として映画やテレビまた舞台に歌手など多方面で活躍している大竹しのぶさんも特定秘密保護法の成立により表現の自由を奪われることに強い危機感を表明しています。日本が平和を取り戻す反戦と平和へのカウントダウンは、あと202日となりました。



安倍さんは薄ら笑いで私に…蓮池透氏が著書でも徹底批判! 安倍首相の拉致問題政治利用と冷血ぶり

2015-12-21 16:53:38 | 拉致被害

リテラ  http://lite-ra.com/2015/12/post-1803.htmlより転載

安倍さんは薄ら笑いで私に…元家族会・蓮池透氏が著書でも徹底批判! 安倍首相の拉致問題政治利用と冷血ぶり

2015.12.20
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『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)

「安倍さんは嘘つき」──。先日、本サイトが報じた、北朝鮮による日本人拉致事件被害者である蓮池薫氏の兄・透氏による“安倍首相批判”には大きな反響が寄せられた。安倍首相がこれまでアピールしてきた、拉致問題にかんする“武勇伝”がことごとく嘘にまみれていた……それを拉致被害者家族が直接指摘したことに、衝撃を受けた人が多かったようだ。

 だが、透氏の怒りはおさまらない。じつは先日17日、透氏は著書を上梓。そのタイトルはズバリ、『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)というものだ。

 まず、透氏が暴露した安倍首相の“大ウソ”とはどんなものか。そのひとつが、先日、辻元清美氏のパーティで明かした、2002年、日朝首脳会談時の“武勇伝”だ。

 当時、官房副長官だった安倍氏は小泉純一郎・元首相とともに訪朝したが、安倍氏はそのときのことを「北朝鮮側、金正日総書記から拉致問題について謝罪と経緯の報告がなければ、日朝平壌宣言にサインをせず、席を立って帰るべきだと自分が進言した」と触れ回った。しかし、透氏は「そういうことになっているが、ウソ。それは、みんなの共通認識だったんだから」と、暴露した。つまり、安倍首相は言ってもいないことをでっち上げて、自分のイメージアップに利用したのだ。

 そしてもうひとつ、蓮池氏が語っていたのが、拉致被害者が北朝鮮から一時帰国したときの“大ウソ”だったが、本書では、そのウソの経緯が詳しく書かれている。

 じつに24年振りの帰国となった被害者らだが、あくまで政府は「一時帰国」とし、北朝鮮に戻すつもりでいた。そんななかで透氏は、弟・薫氏を日本に踏みとどまらせようと恩師や旧友たちと再会させたりなど、懸命に尽力した。だが、マスコミは「いつ北朝鮮に戻るのか?」と質問してくるだけ。両親でさえ、戻る日をカレンダーでカウントダウンをする日々だったという。

 なぜなら、安倍氏をはじめとする政府側は北朝鮮に対して戻すと約束してしまっていたからだ。当然ながら、彼らが「弟たちを止めることなどしな」かった。透氏は、国が力を貸してくれない絶望感に襲われながらも踏ん張りつづけ、結果、薫氏らは日本に残るという決断を行ったのだ。

 しかし、薫氏ら拉致被害者5名が日本に留まることを決意し、それが覆せないほどに強い意志だと知ると、安倍氏らは「渋々方針を転換」。にもかかわらず、安倍氏は“体を張って必死に止めた”などと言い出したのだ。

 この大ウソに対して透氏は既報の通り、「これは真っ赤なウソ! 止めたのは、私なんだから! 安倍さんが止めたって言うのであれば、途中で電話をしてくるとかあるはずだけど、そんなのない。あれは、安倍さんが止めたんじゃない、私が止めたんだ!」と怒りを露わにしていた。本書でも、こう述べる。

「あえて強調したい。安倍、中山(恭子、拉致被害者・家族担当、内閣官房参与)両氏は、弟たちを一度たりとも止めようとしなかった。止めたのは私なのだ」
「世間では北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。(中略)安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。弟を筆頭に拉致被害者たちが北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない」

 透氏がこれほどまでに憤慨するのは当然の話だ。安倍首相はこうしてエピソードを捏造し、“拉致問題の立役者”であることをさんざん世間にアピール、支持層を広げてきた。嘘の武勇伝によってかたちづくられた「北朝鮮にはっきり物が言える人物」「情に厚いリーダー」などというイメージによって、結果、総理大臣にまでのし上がったのだ。

 しかも、問題はこの捏造癖だけではなかった。拉致問題をきっかけに多くの人気を得ることができた安倍首相は、今度は北朝鮮を目の敵にしてきた右翼勢力とも連携するかたちで、北朝鮮に対する強硬な姿勢を激化させる。それはまさに、拉致問題の解決とは真逆なものだったという。

 透氏は、安倍首相が第一・二次内閣で北朝鮮に対して「講じた手段」を、「北朝鮮に対する経済制裁と拉致問題対策本部の設置……この二つのみである」と論評し、これを「やみくもな経済制裁」として批判する。

 北朝鮮に対して経済制裁を実行するならば、「被害者の救出に直結する戦略的なものであるべき」だと透氏は訴えてきた。「北朝鮮にどのような反応が生じるか、一方の日本はどのようなシナリオで救出するのか、そうしたことをきちんとシミュレーションしたうえで、具体的に知恵を絞った方策」でなければ意味がないからだ。

 しかし、日本が行なった「やみくもな経済制裁」は「北朝鮮の感情を悪化させ、彼らの結束を固めただけ」。では、なぜ日本政府は効果のない手段にこだわってきたのか。透氏は「拉致問題に対する基本姿勢が「逃げ」であったからだ」と看破する。「勇ましい姿勢」を国民に知らしめるという「日本国内向けのパフォーマンスをしていた」だけだ、と言うのだ。当然、「拉致問題対策本部の設置」にしても、それは「国内向けの拉致問題啓発活動」でしかなく、拉致被害者を帰国させるための外交政策でも何でもない。

 拉致問題を自分の人気を上げるための道具に使う……はたして本気で拉致被害者たちを救う気があったかどうかさえ疑わしいが、透氏が本書で明かしている「拉致被害者支援法」の成立の経緯を読めば、いかに安倍首相が拉致被害者に対して冷酷であるかがよくわかる。

「拉致被害者支援法」は、2002年11月に安倍氏らが中心になって成立させたが、草案では、拉致被害者にひとり当たり月額13万円を支給(収入が発生した場合は減額)すると書かれてあったという。これにはあまりに低すぎないかという指摘もあがったが、自民党議員からは「野党が吊り上げるからこの程度にしておく」と説明がなされた。だが、現実には、委員会審議で金額が高すぎると反発され、法案はそのまま成立されてしまったのだ。

 これでは被害者たちは騙されたようなものだが、この自民党のやり方に対して透氏は「国の不作為を問い国家賠償請求訴訟を起こしますよ」と安倍氏に迫る。そのとき、安倍氏は「薄ら笑いを浮かべながら」こう言い放ったという。

「蓮池さん、国の不作為を立証するのは大変だよ」

 安倍首相本人が流布してきた“拉致問題の解決に心血を注ぐ信念の政治家”像からはまるでかけ離れた、信じがたい態度である。少しでも拉致被害者および家族へ深く思いを寄せていたのなら、このような言葉は出てくるはずがない。

 だが、それでも安倍首相による拉致被害者の政治利用は延々とつづいた。それは昨年の衆院選でも同じだ。

 安倍首相は昨年の衆院選で、自民党候補者の応援のために薫氏の地元である柏崎で演説会を開いた。その際、演説会の出席を薫氏に求めたが、薫氏は多忙を理由に固辞。すると、今度は両親を駆り出したのだ。そして会場では、安倍首相と候補者から「拉致被害者、蓮池薫さんのご両親も来ておられます」と紹介されたのだという。このとき、蓮池氏の母親は「結局、安倍さんのダシにされただけだね」と嘆いていたというが、まさに面張牛皮とは安倍首相のことである。

 それだけではない。昨年5月の日朝合意後、安倍政権はマスコミを利用して「拉致被害者が帰ってくる」と大々的に喧伝したが、実際は、昨年の「夏の終わりから秋の初め」にあると言われていた北朝鮮からの報告もなし。日本側は北朝鮮が報告をしてこなかったと説明していたが、これは北朝鮮の「生存者なし」という回答を日本側が受け入れなかっただけだと指摘されている。さらに、延期した報告期限もとうに過ぎ、またしても膠着状態に陥っている。

 結局、昨年に安倍首相がやったことといえば、「安倍首相が拉致被害者を北朝鮮から連れ帰るかもしれない」とメディアを通じて期待感だけを掻き立て、その後は厳しく追及されることもなく、問題をフェードアウトさせただけ。透氏は、これを「一大茶番劇」と表現する。
 
「安倍首相には、「誠心誠意、協議、交渉をした。あらゆる手段を講じた。だが、また北朝鮮に裏切られた。本当にけしからん」とする逃げ道がある。もしそうなるのだとしたら、二〇一四年の一連の動きは、すべて政権浮揚のためのパフォーマンス、拉致問題の政治利用、換言すれば一大茶番劇であったと見られても仕方がない」

 もちろん、拉致被害者たちを政治的に利用するために近づいてきた輩は安倍首相だけではない。とくに「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(以下「家族会」)を初期から支援した「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(以下「救う会」)の幹部は「右翼的な思想を持つ人ばかり」。「救う会」による勉強会では、憲法9条の改正や核武装の必要性までもが語られたという。そのころの様子を、透氏はこのように振り返る。

「当時の「家族会」メンバーには、政治的信条は特になかった。キャンバスにたとえれば、真っ白だったといえる。それが、「救う会」のいわゆる「オルグ」の連続により、徐々に右翼的な色に染まっていった」

 これは透氏にしても例外ではなかった。テレビ番組では「個別的自衛権を発動して、自衛隊が救出に行ってもいいのではないか」「憲法九条が拉致問題の解決を遅らせている」と発言したこともある。だが、透氏は、当時の自分を「勘違いしていた」「いま考えると非常に恥ずかしい」と言う。

 このままではいけない。右傾化してしまった「家族会」をニュートラルな立場に変える必要がある──。そう考えた透氏は「北朝鮮との対話」を訴えるようになるが、すると今度は、「国賊」「売国奴」とネット上で誹謗中傷を受けるようになり、「家族会」からも「退会」の手続きが取られてしまった。実質上、除名されてしまったわけだ。

 そうした流れはいまも変わらない。被害者のための積極的な交渉を行わない政権の外交には文句はつけず、右翼思想の議員やネトウヨたちは北朝鮮叩きのために拉致問題を利用しつづけている。拉致被害者救出運動のシンボルマークとしてつくった「ブルーリボンバッジ」も、いまでは議員たちの「国内向け選挙民向けのパフォーマンス」になってしまった。そして、こうしたすべての筆頭こそが安倍首相なのだ。透氏は安倍首相をこのように断罪する。

「まず、北朝鮮を悪として偏狭なナショナリズムを盛り上げた。そして右翼的な思想を持つ人々から支持を得てきた。
 アジアの「加害国」であり続けた日本の歴史のなかで、唯一「被害国」と主張できるのが拉致問題。ほかの多くの政治家たちも、その立場を利用してきた。しかし、そうした「愛国者」は、果たして本当に拉致問題が解決したほうがいいと考えているだろうか?」

 拉致問題の解決を望むのであれば、ただ圧力をかければいいというものではないことは、もうすでに明らかになっていることだ。だいたい、透氏の言葉を借りれば、「集団的自衛権の行使容認を閣議決定して北の脅威を煽っている人が、その北との協議を進めている」現実の無茶苦茶さこそが、すべてを物語っているのではないか。

 このほかにも透氏は本書のなかで、「家族会」「救う会」内部の内紛や金銭をめぐるトラブル、政権を忖度するNHKをはじめとするマスコミへの批判など、さまざまな問題を告発している。だが、「私は本書で関係者を断罪することを意図するものではない」と述べているように、透氏は鬱憤晴らしのためにこの本を世に放ったわけではないだろう。拉致問題の進展を阻む元凶が、被害者たちを政治利用しながら総理大臣の座にのさばっている──この重大で深刻な問題を忘れてはいけない。
編集部

 

 


東京オリンピックに1兆8000億円が必要だとわかっていたら招致に賛成しましたか?

2015-12-21 16:32:44 | 報道

弁護士 猪野 亨のブログ http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-1697.htmlより転載

猪野 亨(いのとおる)

東京オリンピックに1兆8000億円が必要だとわかっていたら招致に賛成しましたか?

 先日、ラグビーくじの導入によって、東京オリンピックのための新国立競技場の財源を~、ということはどうなのかなと考えていたら、世の中はもっともっと、ひどい状況のところまで来てしまっていました。
新国立競技場のためのラグビーくじ スポーツは賭け事のためのもの?

 東京オリンピックの開催のための費用の試算で何と1兆8000億円だそうです。
東京五輪の運営費1兆8000億円 当初見込みの6倍」(NHK2015年12月18日)

 スポンサーからの収入の見込みは4500億円程度だそうですが、大幅な赤字です。
 それにしても当初の見込みの6倍にふくれ上がるというのは異常です。
 当初の見込みは3000億円ということなのですが、どうしてそこまで見込みが狂うのかについては、政治家の責任問題としなければならないものです。

 さて、東京オリンピックの招致のとき、この数字を国民が知っていたのであれば賛成したのでしょうか。
 恐らく反対の声が大きくなったと思われますし、招致も実現しなかったのではないかと思います。

 とはいえ、前回のロンドンオリンピックのときも同様の問題があったとされています。
前回、2012年に開催されたロンドン大会でも、準備や運営、それに競技会場の整備などにかかる費用が当初の見込みの3倍近くにあたる2兆1000億円余りに膨らみ、組織委員会が財源不足に陥り、巨額の公的資金が投入されました。ロンドン大会では組織委員会が大会の準備や運営を担当し、宝くじの売り上げやロンドン市などが拠出する公的資金で競技会場やインフラの整備を行う計画でした。しかし、組織委員会がチケット収入やスポンサー企業からの収入などで集めた資金は4300億円余りにとどまりました。」(前掲NHK)
 ダム建設もそうですが、公共事業は最初の見込みは必ずといってよいほど小さめに提示されます。
 しかし、その後、見込み違いなのか、最初からわかっていてなのか、どんどんと工事費がかさんでいきます。
 これを「小さく産んで、大きく育てる」というそうです。
 ところで、招致が決まった当時、招致に反対するのは非国民であるかのような言われ方までしました。
東京オリンピックに賛成しないのは非国民!
 当時の雰囲気は、まさに「熱狂」でした。
 このようなことに多額の公的資金が導入されるのは、もはや常識だと思うのですが、熱狂的な支持者たちは、どのように当時を振り返るのでしょうか。
 公共事業は元々このようなものなのですが、今さら「欺された!」なんて言うのでしょうか。

 この東京オリンピックの招致を具体化していったのは、猪瀬直樹前東京都知事でした。
 猪瀬氏のツイッターが話題になっていますが、「世界一カネのかからない五輪」を標榜していました。
 40年前の神宮の国立競技場を利用するということですが、しかし、いつの間にか莫大な予算をかけて新デザインの新国立競技場になっていました。
猪瀬


 しかし、40年前の神宮の国立競技場の「再利用」では業界にうまみがないということのようです。
 このような東京オリンピックですが、なお今後も莫大な予算を使うことを是としますか。
 自民党政権のもと、高齢者に3万円をばらまくとか、法人税減税だとか、公共事業の予算の増額、米軍に対する思いやり予算の増額が決められてしまいました。
 反面、消費税率は10%に上げることは既定路線、子育て支援のための手当は廃止というのですから、あからさまです。
 大企業のための政治、自らの集票のための予算であって、その同じ世界に東京オリンピックがあります。

 もうこのような利益誘導型政治に終止符を打ちませんか。
 それは即ち、自公政権の退陣です。

 

Author:猪野 亨(いのとおる)
1968年生まれ
1998年弁護士登録(札幌弁護士会所属)