中さん

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日記(11.21)

2022-11-21 11:54:15 | 日常
11月21日  (月曜日)   

敬老対象者の記念品が届いた。今年は”はちみつ”だ
デパートから請け負った配達貨物便が各自治会長宅に配布される。

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当自治会250軒で、95人が対象者であり、昨日のイベントに参加してくれた11名を除くと
84個。結構な分量で重い。早速、3地区の副会長の届けて回った。
それにしてもが高度成長を支えてきた方々も高齢になってきて
年々対象者が増えていくのを実感する。そういう私も昨年から仲間入りしている。
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昨夕はラグビー日本代表が強豪のフランスに挑戦した。
録画放送が夜中の12時から日テレであったのでそれを早朝から観る。

ランクは2位だが・・流石に今世界一の強豪だと思う、早い!
すごいタックル、走力のあるバックス陣が攻め込んでくる。
見応えは十分だがまだ日本の力が及ばない。
やっぱりフォワードが強くないとラグビーは勝てないなあ~!
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上毛新聞にコラムの事が・・
▼当欄の「三山春秋」をはじめ
 新聞各紙の朝刊1面に掲載されるコラムは「新聞の顔」である。
 全国各地の地方紙にもあり、
 ●栃木県の下野新聞は「雷鳴抄」
 ●山梨日日新聞は「風林火山」。郷土色豊かなタイトルも魅力だ
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▼やや口幅ったいが、各社とも筆力に定評のあるベテラン記者が担当する
 時に世相を鋭く斬り、時には市井の出来事に温かなまなざしを注ぐ。
 名人芸のようなコラムに出合うと、力量の差にため息が出る
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▼この人も相当な腕前だった。
 1964年からハム・ソーセージ業界の専門紙
 「日本加工食品新聞」のコラム「甘味辛味」を担当した
小菅留治さんである。
 後に小説家となり、藤沢周平を名乗った
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山形県鶴岡市の生まれ。師範学校を卒業して中学校の教員となったが、
 結核を患って離職。治癒した後に復職しようとして果たせず、
 東京に出て業界紙の記者になった
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▼コラムを書いたのは編集長を務めた10年ほど。
 隙間のない満員電車に割り込んだ乗客のエピソードを紹介しながら、
 日本の外食業界に相次いで進出する外資系企業の話題を展開したり、もう自由自在である
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▼在職中の73年に『暗殺の年輪』で直木賞を受賞し、専業作家に転じた。
 後に『蟬しぐれ』や『三屋清左衛門残日録』など数々のヒット作を生んだが、
 簡潔にして簡潔にして締まった文体はコラム執筆で鍛えられたのかもしれない。
 新聞業界の偉大な先達の一人である。
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★藤沢周平といえばどんだけのファンがいるのだろう。
 今も凄い人気だ! まげものを読んだらいっぺんにファンになる。
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余禄にあった。
25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった。
 土台となったのが、いわゆる「脳死臨調」が1992年に出した
 「脳死は人の死」と認める答申だ。
 臨調には賛成派と反対派の識者が参加し、激しい議論が展開された。
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▲反対派の急先鋒は哲学者の梅原猛さん。
 賛成派は神経内科医の井形昭弘(いがた)さんが中心となり意見集約を目指した。
 同じ頃、2人は違う場で顔を合わせる。鹿児島県・屋久島に関する懇談会だ
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▲県が91年、自然と共生する「環境文化」を具体化しようと設けた。
 梅原さんは「森と海の国日本」に関心を寄せる立場、
 井形さんは地元の鹿児島大学長として参加した
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▲初会合で、屋久島の世界遺産登録を目指す方針が示された。
 当時、日本は世界遺産条約を批准すらしていなかった。
 梅原さんらは一致団結して政府に批准を迫り、92年に加盟した。
 井形さんは「(臨調と違い)梅原さんと和気あいあいと仲良くなれた」と、
 対立解消を喜んだという
世界遺産条約は、ちょうど50年前の11月に採択された。
 国や思想信条の違いを超えて人類の宝を守る。
 自然、文化、複合を合わせて1154遺産が登録された

 しかし、近年はウクライナで文化財が戦火に巻き込まれるなど、
 人間の対立が宝を危機にさらす
▲梅原さんは、屋久島を日本初の遺産登録に導いた懇談会を振り返り、
 こんな言葉を残した。
「人類は人間中心の自我の原理を共存の原理に代え、
 進歩の理念を循環の理念に代えなければならない」

 遺産からの学びは今に通じる。
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新聞の顔のコラムはある程度知識を持っておかないと
中身を理解するのが難しい。
やっぱり知識を広げておかないと・・と思う。
コメント
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