中さん

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日記(4.1)

2023-04-01 08:30:54 | 日常
4月1日 (土曜日)  晴

自分は 裕ちゃん・ひばりさんにあこがれた時代に生きてきた。
舞台も・映画も観るのが夢中な時もあったなあ~。
 新宿コマ劇場でひばり主演の”柔”の舞台で
 小ぶりの女優が大きく見えたのがすごい感動であった。
その方々が尊敬する奈良岡さん、その上の宇野さんとはどれだけ
偉大な方だったんであろうか!
TVの徹子の部屋で時折その素顔に接するくらいだが・・・
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毎日新聞 コラムを転記する。
 新聞で「悲しい酒」を好きな曲にあげたことを機に美空ひばりさんと交流を深めた。
 ★ブランデー持参で自宅を訪れたひばりさんから
 「姉貴として付き合ってほしい」と頼まれた。
  その後は本名で「和枝さん」と呼んだ
 ▲石原裕次郎さんとは1959年に映画で初共演し、兄嫁を演じた。
  撮影中、遅刻した裕次郎さんから「不肖の弟で申し訳ありません」と謝罪され、
  それからも「お姉さん」と呼ばれた
▲93歳で亡くなった俳優の奈良岡朋子さん。
 昭和の大スターに慕われたのは傑出した演技力と人柄ゆえだろう。
 吉永小百合さんとは映画で何度も母子になった。「おっかさんに頼みたい」と請われ、
 結婚の保証人になった。
テレビ世代には朝の連続ドラマ「おしん」など知的で落ち着いた語り口の
 ナレーションも印象深い。

 タクシーの運転手には「奈良岡さんですね。声でわかります」とよく言われたそうだ。
▲15歳で東京大空襲を体験し、52年の映画「原爆の子」で戦争の
 傷痕が残る広島ロケに参加した。
 70歳を過ぎてから戦争の記憶を語り始め、
 晩年は井伏鱒二作「黒い雨」の朗読がライフワークになった。
▲「デコ」の愛称の名付け親は劇団民芸の先輩、宇野重吉さん。
 生前に残したメッセージで「昔のデコじゃないですよ」と新たな旅路での再会を願った。
 「裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます」とも。
 民芸で同期の大滝秀治さんとは「継続は力なり」と芝居を続けることを約束し合ったという。
 その通り、役者の道を貫いた人生だった。たらすぐに宇野さんを訪ねます。
 もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。
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▽奈良岡さんのメッセージ全文は以下の通り
 新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、
 未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。
 向こうへ着いたらすぐに宇野さんを訪ねます。
 もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。
 でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、
 昔のデコじゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と
 言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。
 腕がなります。杉村先生とももう一度同じ舞台を踏みたかった。
 どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。
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両親にあいさつするのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。
それからは裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます。
これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。
それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…                       
(注)宇野さん:宇野重吉さん、デコ:奈良岡さんの愛称、
   杉村先生:文学座の杉村春子さん、裕ちゃん
  :石原裕次郎さん、和枝さん:美空ひばりさん
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コメント
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