旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

東海道散歩日記 鳴海宿~宮宿

2007-11-11 11:00:16 | 歩き旅

笠寺一里塚 (名古屋市南区笠寺町字下新町)

平成19年4月29日日曜日、「昭和の日」。何やら寺が多いような印象程度で鳴海宿を通過する。8時39分、天白川に架かる天白橋を渡って、緑区から南区に入る。何やらさいたま市のようだが、名古屋市である。南区のある政令指定都市は、札幌市から福岡市まで数多い。8時48分、笠松一里塚に到着。立派な大木が迎えてくれる。日本橋より88里。


天林山笠覆寺 (名古屋市南区笠寺町字上新町)


笠覆寺(笠寺観音)の多宝塔

8時56分、笠寺観音(天林山笠覆寺)の門前へ。朝から参拝者の姿が見られる。笠寺は国鉄・JR東海道本線の駅名にもなっている。最寄り駅は名鉄名古屋本線の本笠寺駅。その本笠寺駅付近を旧東海道は踏切で渡る。山崎川に架かる山崎橋を渡り、南区から瑞穂区に入る。頭上に都市高速の高架橋を見て、国道1号となった東海道を歩く。すっかり都市部となった。すぐに旧道となり、東海道本線を踏切で渡る。新堀川に架かる熱田橋を渡り、瑞穂区から熱田区へ。


一里塚 (名古屋市熱田区伝馬)

中部国際空港へ向かう名鉄常滑線のガードをくぐると、復元された一里塚が。一里1時間以上掛かっている。日本橋より89里。今日のゴールは近い。


東海道道標 (名古屋市熱田区伝馬)

東海道はこの先の宮から海路となるが、陸路である佐屋街道がここで分岐している。


宮宿・七里の渡し (名古屋市熱田区神戸町)

10時09分、七里の渡しに到着。これで今日の旅は終わりです。


桑名宿までは海上七里

現在では渡し船はありません。


東海道・山陽新幹線が走り去る

現在の旅人を乗せた新幹線が見える。東海道、今昔。 


丹波家住宅 (名古屋市熱田区神戸町)

脇本陣格の旅籠で、伊勢久と称した。創建は不明だが、天保12年(1841)の「尾張名所図会・七里渡船着」にこの旅籠屋と思われる建物が描かれているそうだ。建物左に掲げられた案内の受け売り。


国道1号は更に続く

東海道は宮宿と桑名宿との間は前述したとおり、船で渡っていた。桑名までは鉄道で端折ってもいいと思うが、それでは東京から京都まで歩いたとは言い難い。舞阪宿と新居宿との間は、並行する国道を歩いている。歴史的な街道として陸路の佐屋街道が桑名へと続いているが、経路を記した詳しい地図がない。桑名までどうやって行くべきだろうか。 (つづく)

つづくはずだが、平成19年11月11日現在、旅は再開しておらず。

東海道散歩日記 豊明駅~鳴海宿

2007-11-04 10:45:41 | 歩き旅

名古屋鉄道 名古屋本線 豊明駅 (愛知県豊明市阿野町)

平成19年4月29日日曜日、「昭和の日」。今年からの祝日であるが、平成元年から昨年までの「みどりの日」、昭和63年までの「天皇誕生日」である。昭和も遠くなりにけり。昨年10月15日に豊明で中断していた旅を、半年振りに再開する。例によって前夜に快速〔ムーンライトながら〕で東京を出発し、刈谷に今朝到着。コインロッカーに手荷物を預けて身軽になって、名鉄三河線に乗り、知立で名古屋本線に乗り換え、豊明に到着した。駅から国道まで移動して6時25分に旅を再開。パッと見は朝の散歩だな。


東京日本橋からの距離標 (愛知県豊明市阿野町)


阿野一里塚・南側 (愛知県豊明市阿野町)


阿野一里塚・北側 (愛知県豊明市阿野町)

国道から旧道に入る。6時37分、阿野一里塚を通過。距離標(キロポスト)は当世の一里塚と言ったところか。阿野一里塚は道の両側に一対揃っている。江戸日本橋より86里。豊明駅よりも豊明市の中心部の前後駅前を通過して、7時01分に旧道を離れ、国道沿いの牛丼屋に入って朝食。7時13分に旧道に戻って旅を再開。豚丼ももう少し噛んで食べるべきだな。


競馬場入口交差点 (愛知県豊明市栄町)

旧道が再び国道に合流するところが、中京競馬場への入口交差点。ここの競馬場は一度訪れたことがある。道の右側はもう名古屋市である。


伝桶狭間古戦場も近い (愛知県豊明市栄町)

再び旧道を行く。もう完全に名古屋市緑区に入った。ところで緑区は名古屋市のほかにも横浜市、千葉市、さいたま市にもあるが、人口20万人を越える緑区はここだけである。道はやがて歴史を感じさせる地区へ入っていった。


間の宿・有松 (名古屋市緑区有松町大字有松)


竹田家住宅 (名古屋市緑区有松町大字有松)

有松を後にして、名鉄電車の踏切を渡る。頭上には名古屋環状2号線が工事中である。やがて鳴海宿へ。ここも本陣の場所がよく分からなかった。 (つづく)