旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

ぐるり台湾 小籠包

2010-10-31 00:00:00 | 台湾日記

臺灣鐵路管理局 縱貫線 台北車站
台灣高速鐵路 台北站臺北市中正區北平西路

2日ぶりに台北駅に戻ってきた。巨大な駅舎。こちらは民國78年(1989)からの使用で古くはない。縱貫線の地下化に伴い、現在の駅舎となっている。台湾到着初日に時刻表を入手できなかった台鐵本舗を再訪する。もう時刻表はあきらめたが、絵葉書を買っていこうと思う。地下街にある書店も訪れたが、思ったような意匠のものがない。台鐵本舗なら鉄道がらみのものは入手できる。絵葉書を購入したら、郵票(郵便切手)も買わねば。駅構内には台北火車站郵局(郵便局)もあるが、今日は星期六(土曜日)でお休みである。そういえば近くに大きな郵便局があるのを思い出した。


中華郵政 台北北門郵局台北市中正區忠孝西路

昭和5年落成の台北郵便局。名前は台北北門郵局と変わったが、今も現役の郵便局である。一方日本では、昭和8年築の東京中央郵便局は解体されている。一部は残すらしいが。さて、台北北門郵局だが、建物内も中央郵便局といった趣である。窓口の列に並ぶ。土曜日の夕方とあって、会社関係の人だろうか大量に差し出している。順番が回ってきて、10元の郵票を6枚買う。台湾から日本への葉書の航空便の料金は10元なのだ。日本円にすると約28円と安い。列に並んでいるうちに営業時間が終了し、正面のシャッターは閉められたので、横の方に案内されて外に出る。


台北府城北門「承恩門」(台北市中正區)

北門郵局の前にあるのが、こちらの城門。清光緒10年(1884)落成の台北府城北門である。郵便局側は城内となるが、門の反対側(城外側)に回れば「承恩門」の扁額があるそうだ。しまった、よく見とけばよかった。


metro 捷運で民權西路站到了symbol6

捷運で台北車站から民權西路へ。運賃は20元。到着すると月台には新しい階段・エスカレーターが出来ていた。まだ使用されていないが、エスカレーターは動いており、灯りも見える。今年開業予定の新路線、新莊線への連絡通路と思われる。

台北捷運 淡水線 台北車站(17:01)→民權西路(17:05) 1012
※ダイヤ不明のため、実際の時刻を記す。


禁止進入! (民權西路)


台北捷運 淡水線 民權西路站 (台北市中山區

民國86年(1997)に開業した台北捷運淡水線。以前は臺鐵の淡水線があり、明治34年に開業した古い路線だが、民國77年(1988)に廃止して、捷運となって開業した。臺鐵時代は単線非電化だったが、現在の捷運では複線電化となっている。民權西路站は臺鐵時代には無い。


建設中の出入口!

新線の新莊線は民權西路の地下に建設中で、歩道には新しい出入口が設けられていた。こちらも入ることは出来ない。さて、歩いて台北の定宿へ向かう。新莊線が開業すれば、最寄駅は同線の駅となる。駅が近くて便利になるが、街歩きの楽しみが減ってしまう。


仁安醫院 (台北市大同區延平北路)

ホテル近くにある古い建物。昭和2年築の古い病院が保存されている。かなり凝った意匠である。定宿の東呉大飯店に到着し、チェックインを済ませて部屋に入る。


東呉大飯店 (台北市大同區延平北路)


標準單人房(定價3,000元→1,960元)

一昨日、昨日と泊まったホテルとは全く違う落ち着いた室内。調度品がよいのか、清潔感があるのか、とにかく落ち着く。もちろん料金も前日までのホテルより高い。インターネットで予約すると7折(3割引)となり、1,960元(約5,488円)である。日本と変わらない位の値段ではある。經濟單人房(定價2,800元)で予約したが、そのままの料金で標準單人房(定價3,000元)にしてくれたようだ。ありがたい。部屋の冷蔵庫から(黒松沙士はなかった可口可樂を出して飲みながらテレビを見る。テレビは韓国メーカーのものに変わっていた。このホテルではNHKワールド プレミアムと、BS1、BS2が視聴可能。BSはスピルオーバーだろうけど。


BSニュースでは大変な事故を伝えていた!


アナログ放送!

アナログ放送終了後は、どうなるんだろう。


山本さんの気象情報を見て…

晩御飯を食べに出掛ける。簡単なものでもよかったが、折角円高なので、鼎泰豐で小籠包を食べよう。ホテルから民權西路の駅へ。先程は気付かなかったが、通りの反対側に新駅が見える。ここが開業すればホテルからかなり近い。


台北捷運 新莊線 大橋國小站 (台北市大同區)

なお、「大橋國小站」の駅名は「大橋頭站」に変更となった。立派な駅名のサインも出来ているのに、幻の駅名「大橋國小站」を見た事になる。ちなみに大橋國小は学校の名前。大橋頭は(台北)大橋のたもと。民權西路から2本の路線を乗り継いで忠孝敦化へ。運賃は25元。

台北捷運 淡水線 民權西路(19:54)→台北車站(19:58) 1040
台北捷運 板南線 台北車站(20:04)→忠孝敦化(20:11) 1104
※ダイヤ不明のため、実際の時刻を記す。


metro 捷運で忠孝敦化站到了symbol6


鼎泰豐 忠孝店台北市大安區忠孝東路

有名店の鼎泰豐。本店は行った事はないけど、ここは一度来た事がある。少しだけ待って窓側の席に案内される。両隣のテーブルは日本人。日本人の客が多いのか、日本人でかためてみたのか。まあいいや。小籠包の他に台湾啤酒と蝦仁蛋炒飯(えびチャーハン)を注文する。小籠包は10個入っているのだが、店の人が半分にも出来ますという。じゃあ半分でと注文。啤酒はすぐ運ばれてくる。小菜のワゴンが回ってきたので、豆もやしと油揚げの一品をもらって一杯始める。


beer 小菜をあてに台湾啤酒


小籠包
いずれも民國99年(2010)7月31日撮影

お待ちかねの小籠包。やっぱり旨い。しかし半分の5個では少ない。どうして店の人は半分を勧めたのか。冷めてしまうから2回に分けて注文するようにという事かも知れないが。続いて蝦仁蛋炒飯の登場。写真を撮るのも忘れて食べる。結構な量である。小籠包10個で炒飯半分でいい。通常、炒飯は複数人で取り分けるのだと思う。さて、お勘定は小籠包(5個)、蝦仁蛋炒飯、小菜、台湾啤酒と服務費(10%)で517元(約1,448円)だった。旅行中で一番豪勢な食事となった。

台北捷運 板南線 忠孝敦化(20:58)→台北車站(21:04) 1158
台北捷運 淡水線 台北車站(21:08)→民權西路(21:12) 3329
※ダイヤ不明のため、実際の時刻を記す。

捷運でホテルに帰ると、買ってきた絵葉書を書き、もう寝る事にした。 (つづく)

ぐるり台湾 新竹→台北

2010-10-24 00:00:00 | 台湾日記

聖母聖心主教座堂 (臺灣省新竹市北區中正路)

城隍廟を出て街を歩いていたら、天主堂と書かれた建物があった。カトリックの聖堂で民國46年(1957)落成という。青い空にそびえるようでいい建物だ。道教にもキリスト教にも縁がないけれど。台湾では街で「南無阿彌陀佛」と書いてあるのを見掛けるから、一度どこかのお寺にお参りしてみようか。


バス停留所 (東門市場)

これから新竹を後にして台北に向かう。これで晴れてぐるり台湾一周となるが、バロック建築の新竹駅には戻らない。もうひとつの新竹駅に向かう。台灣高鐵(新幹線)の新竹駅だ。高鐵の駅は新竹市内ではなく、隣の竹北市にあり、新竹市中心部から離れている。そこで高鐵では無料の連絡バスを走らせている。今日はこれを利用してみる。バスは臺鐵の新竹駅からではなく、東門市場から出発する。この時間は1時間あたり2、3本の便がある。バス停前のパン屋に目をひかれるが、炒米粉を食べたばかりであり、隣のお茶屋さんで冷たいジャスミン茶(30元)を買う。バスが来て乗り込む。


bus バス停の目印となるのは、こちらのパン屋とお茶屋さん!

新竹牧場 Moo Bakery (新竹市中正路106號)
天仁茗茶新竹店 (新竹市中正路102號)

停留所の位置の適当な地図と、ちゃんとした地図のリンクをしておく。



Google地圖URL http://maps.google.com.tw/maps?hl=zh-TW&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34683608af7574fd:0x9643333e378eabc8,1,0x34684a77b55ae7f7:0x5e4ce862e2a11ffb&ll=24.805208,120.970121&spn=0.001906,0.002401&z=19&iwloc=lyrftr:m,0x346835c19d889e0f:0x59ad9c784e977ef5,24.80552,120.969461

思ったよりいいバスが来た。國光客運のバスで、高鐵が貸切で走らせているのだろう。車内で買っておいた冷たいお茶を飲む。市街地でいくつかの停留所に止まり、客を拾ってゆく。車内は満席にはならないが、そこそこの乗車率。跨線橋で縦貫線を越えて、東へ進む。沿道には米粉を売る店が見られる。大きな大学も見られる。校門前にはバス会社がそれぞれ立派な停留所を設けている。このバスもここで止まり、学生さんを拾ってゆく。高速のICが現れた。このまま台北に向かいそうな勢いだが、頭前渓を渡り、新竹市から新竹縣竹北市に入ると一般道へ。途中で渋滞もなく、20分あまりで高鐵の新竹駅に到着した。


高鐵快捷公車 (高鐵新竹站)

高鐵快捷公車 東門市場(14:05)→高鐵新竹站


台灣高速鐵路 新竹站臺灣省新竹縣竹北市高鐵七路

民國96年(2007)に開業した台灣高速鐵路(高鐵)。列車に乗るのは4度目、利用する駅は6駅目である。いずれ全駅制覇を目指すかどうかは知らない。ちなみに嘉義、台南の2駅を残すのみである。


自家用車での送迎多し!

新竹の市街地から離れ、竹北の市街地からも離れているので、やはり車での送り迎えが多い。今のところ公共交通機関はバス・タクシーに頼るしかない。暑い屋外から涼しい屋内に入る。ガラスが多用され、明るい駅舎内。さて、自動券売機で切符を買おうかと思ったが、窓側の希望もあるので、窓口の列に並ぶ。列はすぐに進み、希望の席が取れた。新幹線と同じ3人掛け(ABC席)、2人掛け(DE席)の配列で、2人掛けの窓側E席である。


車票 單程票(片道) 新竹→台北(290元・約812円)

對號座(指定席)で812円とは安い。東京-熊谷間、または小倉-博多間くらいの距離となるが、東京-熊谷間の運賃・新幹線特急料金(通常期)の合計は3,610円もする。同区間を自由席でも3,100円。小倉-博多間の運賃・新幹線特急料金(通常期)の合計は、〔のぞみ〕利用で3,500円、〔ひかり〕〔こだま〕利用で3,330円、自由席なら2,050円となる。JRと比べると安い高鐵だが、在来線の臺鐵なら新竹-台北間が自強號でも180元(約504円)と更に安い。


切符の裏面

区間や時刻の書かれた面を上にして自動改札機に投入しそうだが、こちら磁気テープのある裏面を上にして、矢印の方向に投入しなければならない。これは欧州製の改札機を買わざるをえなかったからである。日本製にしておけばこんな事にはならなかったのに。ちなみに臺鐵は日本製の改札機を導入している。7-ELEVEN全家FamilyMartでも高鐵の切符が買えるようだ。


出口4(東口)が逆光だったので、出口2(西口)に回ってみるが…

何にもない。しかしその傍らでは…


臺鐵、連絡線を建設中!

臺鐵の新竹駅からは内灣線という支線が分かれているのだが、その内灣線から分岐して高鐵の新竹まで新線を建設中である。内灣線も民國96年(2007)3月より新竹-竹東間で区間運休して改良中である。営業再開は民國100年(2011)10月の予定。


台灣高鐵 車次203 [700T型車両] (新竹)

切符の向きに注意して檢票關門(自動改札機)から入場し、月台(プラットフォーム)に上がる。高鐵の新竹駅は中央に通過線、待避線に相対式の月台があり、新幹線の静岡駅や三原駅のような構造。しかし待避線と通過線の間には壁があり、月台で通過列車を眺めるには邪魔である。壁が入らない端の方で通過列車を撮影する。


台灣高鐵 車次660 [700T型車両] (新竹)

これから乗車する列車が入線してきた。ご覧のように通過線と待避線との間には壁。先頭車両は汚れている。まめに洗え。停車時間は新幹線より長めにとってある。着席してから出発。隣のD席は終点まで空席だった。新竹から10分程で桃園に到着する。桃園は台湾の玄関口である台灣桃園國際機場(空港)の最寄駅である。高架線だった線路も、航空機の離着陸に支障がないように、この付近では地下線となり、駅も地下駅となっている。下車する客も多い。高鐵の開業で台湾南部から桃園機場への連絡がよくなった。何より、時間が読めるのがいいそうだ。桃園を出発すると、再び線路は高架となる。高速道路の國道2號の大竹交流道(IC)付近を越えてゆく。空港と台北市内とを結ぶバスはここを走る。


高速道路と立体交差! (板橋-桃園)

桃園から10分程で板橋に到着する。臺鐵の縱貫線が並走してきて、地下に入ったところに板橋駅がある。地下線のまま、板橋から終点台北までは7分で到着する。

高鐵660 新竹(15:03)→台北(15:36) 112-08


テーブルの裏には車内の案内!


q どこが新幹線と違うのだろう?


a 冷房の吹き出し口が大きい!

新幹線より空調を強化してあったり、非常脱出用に窓ガラスを割るハンマーがあったり、車内にも違いは見る事が出来る。快適さは新幹線そのものだった。さて、新竹-台北間は臺鐵を利用しなかったので、線路はつながらなかったが、無事に台湾を一周して台北に戻ることが出来た。明日からはローカル線の部に移る。 (つづく)


metro 高鐵で台北站到了symbol5
いずれも民國99年(2010)7月31日撮影

ぐるり台湾 炒米粉

2010-10-17 00:00:00 | 台湾日記

縱貫線 新竹車站臺灣省新竹市東區榮光里中華路二段

新竹駅を出て、表から駅舎を眺めてみる。大正2年築で松崎萬長氏の設計という。重厚なバロック建築である。大正6年落成の台中駅もよかったけれど、新竹駅もまたいい。風城(風の街)の異名どおり、風が強い。いや、単なるビル風かも。駅前には、そごうもあって賑やかである。


竹塹城迎曦門 (臺灣省新竹市東區

駅より中正路を歩いてロータリーに至る。その中心にあるのがこの城門。清道光7年(1827)築の竹塹城の東西南北にそれぞれあった城門のうち、現存する東門にあたる迎曦門である。おや、足場が組まれて修繕中か。残念だ。


新竹市立影像博物館 (臺灣省新竹市東區中正路)

ロータリーを半周して、さらに中正路を歩いていると、また古そうな建物があったので撮影する。ここは昭和8年に出来た新竹市營有樂館という映画館。台湾で最初に冷房のあった劇場という。現在では映像博物館となっている。


新竹市政府 (臺灣省新竹市北區中正路)

その先にあるのは新竹市政府(市役所)。こちらは大正14年より新竹州廳として建築された建物。道路の向かい側から撮影しているのだが、そこは新竹市警察局。別にやましい事は何もないが、おまわりさんが門前に立っているので緊張する。


日本の年号も書いてあります!


さて、今日の目的地へ… (中央路)

新竹で是非行きたいお店があったので、昼食時に合わせてきたのだが、なかなか目的地が見つからない。有名なお廟の側にあるそうだが、そのお廟が見つからない。ガイドブックの地図を見ながら探しているのだが。


ここか!? (中山路)

商店街のアーケードのようで気付かなかったが、よく見ると扁額に「新竹城隍廟」とある。いや、お廟がなければ商店街のアーケードである。門前というか、仲見世というか、お廟がお店に取り囲まれている。


新竹都城隍廟 (臺灣省新竹市北區中山路)

こちらが城隍廟。清乾隆13年(1748)創建の道教の古刹である。参詣者が途切れない。まずはお参りするが、道教の拝み方を知らないので、合掌して拝む。


柳家 (廟口小吃)

お参りを済ませると、お廟のすぐ側(本当にすぐ側)にあるこちらのお店へ。新竹の名物は米粉というので、炒米粉を注文する。風の強い新竹では米粉を乾燥させるのに適しているとの事。ところが主人がご飯の方を差して、こっちか?のようなしぐさをする。発音が悪かったか。米粉の方を指差して注文はとおった。魚丸湯も注文する。


炒米粉(小)(25元)


魚丸湯(35元)
いずれも民國99年(2010)7月31日撮影

この炒米粉が実に旨い。小ではなく大(35元)にすればよかった。魚丸湯もあっさりスープに香菜、魚丸も弾力があって美味しい。なかなかいい昼食となった。しかし後日調べたところ、この店の売りは肉燥飯なのだそう。炒米粉の発音が悪かったんじゃなくて、肉燥飯じゃなくていいの?って事だったのかも知れない。よく写真を見ると、看板に「肉燥飯專賣店」って書いてある。また、魚丸湯を頼んだけど、新竹のもうひとつの名物は貢丸湯という。これは再び新竹に来て、柳家さんの肉燥飯と貢丸湯を食べないといけないな。 (つづく)

ぐるり台湾 高雄→新竹

2010-10-10 09:00:00 | 台湾日記

ホテルの窓から壽山が見える!

民國99年7月31日星期六、高雄のホテルで目覚める。今日のホテルには窓がある。昨日は南迴線に乗っている時に雨が降っていたが、今日は天気が良いようだ。


中西式自助早餐

朝食に出掛ける。朝食会場は混雑しており、少し騒々しい。例によっていわゆるバイキングだが、お茶碗はなく、お皿1枚を渡される。ご飯はないのか。餡の入ってない饅頭とおかずをよそってゆく。焼き飯があったので、これももらう。食べ終えると、コーヒーを飲んで部屋に戻る。


喜悦商務大飯店 (高雄市前金區七賢二路)

今日は9時の列車に乗らなければならない。ホテルから駅まで少し歩く。8時半前にはチェックアウトする。このホテルには大陸からの観光の団体さんが泊まっていたようだ。


高雄捷運 紅線 高雄車站 (高雄市三民區建國二路)

3年前には出来ていなかった捷運が開業している。高雄駅付近は地下を走っているので、地下鉄と考えて差し支えないと思う。台灣高鐵(新幹線)の駅や高雄國際機場へも1本で行く事が可能。今回は乗らなかったが、いずれ乗りつぶしに。


臺灣鐵路管理局 縱貫線 高雄車站高雄市三民區建國二路
以上、民國99年(2010)7月31日撮影

こちらが台湾の国鉄ともいうべき臺鐵の高雄駅。これは仮駅舎だそう。臺鐵の路線を地下線にする計画という。先代の駅舎は昭和15年の建築で、場所を移して「高雄願景館」の名で保存されている。日本だと関西本線奈良駅も移動して保存している。


高雄願景館 (高雄市三民區建國二路)
民國95年(2006)11月27日撮影


西部幹線 自強1010次 [E1000型車両] (高雄)
以下、民國99年(2010)7月31日撮影

入場する前にアイスコーヒーを買いに、高雄駅構内のマクドへ。持ち帰りにすべく、「外帶」と言うと通じた。しかし列車内で商品を見てみると、冰那堤(アイスカフェラテ)だった。まあミルクを入れる手間が省けたと。ちなみに台湾のマクドでもMcCaféをやっている。自動改札から入場して月台へ。1本前の気動車の自強號2052次が停車している。台東発新左營行で、終点で高鐵(新幹線)と接続する。臺鐵と高鐵は競合しており、相手側への乗換えを考慮している事が不思議に思えるが、利用者側とすればこれでいい。2052次の出発した後、屏東発七堵行の自強號1010次が入線してきた。編成の前後に機関車を配置し、間に客車を挟んだプッシュプル方式である。切符に指定された席に行くと、予想通り、進行方向左の窓側の席だった。ちなみに日本の国鉄・JRの車両場合、横4列の席ならA席またはD席が窓側、B席またはC席が通路側と明解だが、臺鐵の車両には数字しか振られておらず、切符をパッと見て分からない。しかし次のような順に席番が振られているようだ。これは自分の観察によるもので、特に資料とか見た訳ではないので、これと違った席番の車両があってもご勘弁願いたい。



通路側には「道」、窓側には「窗」と表示してある。「道」の席には就職活動風のスーツの若い女性が乗ってきた。9時ちょうどに高雄出発。まず列車は西に走る。窓から日が射しこみ、前の席の客はすぐカーテンを閉めてしまう。眺めが悪くなった。愛河を渡ると列車は北に向きを変え、もう日の射す心配はない。しかし前の客はカーテンを開けずにおやすみの様である。左營に続いて、高鐵の乗換駅の新左營も通過する。冰那堤を飲みながら車窓を眺める。何やら新線の建設している。新しい月台も見える。中洲という駅で、高鐵台南站への連絡線となる、臺鐵沙崙線が開業する予定である。高鐵と臺鐵は別組織で競争相手のはずだが、商売敵という訳ではないのかも知れない。JR西日本は新幹線と競合する航空機の発着する広島空港への鉄道建設に前向きでない。高雄から30分間無停車で臺南に到着。度小月擔仔麵を思い出す

昭和11年の時刻表を見てみる。高雄發午前7時30分の急行2列車は各等(1等、2等、3等車)、食堂車も連結。次の停車駅の臺南著は午前8時16分となっている。高雄から新竹までは5時間57分、臺北までは7時間26分を要している。民國99年の自強號は食堂車こそないが、そんなにも時間は掛からない。臺南を出発すると新營、嘉義、斗六と停車する。集集線が近づいてきて二水を通過。今回の旅で集集線に乗る事も考えたが、工事で運休の区間があるそうで、全線乗れるようになってからにしたい。集集線沿線は南投縣になるが、台湾島内でここだけ訪れた事のない縣となった。高雄から2時間で員林に到着した。高雄から乗っていた隣の女性が降りる。すぐに他の女性が乗ってきて席は埋まる。なかなか乗車率は良い。次の彰化を出発すると、車窓に扇形庫が見える。そこに1両の蒸気機関車がおり、見学者らしき人たちが、写真を撮っている。集集線で走っているカマだろうか。彰化の先で線路は二手に分かれる。海沿いを行く海線と、山間を行く山線である。山線は台中線で、台湾第3の都市の台中を経由するが、勾配がきつかった。蒸気機関車の時代、重量のある貨物列車には海線は平坦で有利である。東北本線と常磐線の関係に似ている。この列車は山線を行く。



高鐵との乗換駅、新烏日を通過して、11時27分に臺中に到着する。豐原を出ると山間に向かうが、今では線路は付け替えられており、列車は快走する。長い三義隧道(7,728m)を抜ける。街と水田の繰り返しだった平野部と違って、山間部の車窓となった。それでも山の中に大きな街が現れてきて苗栗に到着。山間を抜けると、彰化で分かれた海線と合流して竹南を通過する。車窓に海が見えてきた。


車窓に風車と台湾海峡 (崎頂-竹南?)

並行する省道台1線に家具屋が目立つようになり、12時29分に新竹に到着した。高雄から3時間29分。今日の目的地である。 (つづく)

西部幹線 自強1010 高雄(9:00)→新竹(12:29) 40PPT2005


metro自強號で新竹站到了symbol6

ぐるり台湾 枋寮→高雄

2010-10-03 00:00:00 | 台湾日記

屏東線 區間車150次 [R133牽引] (枋寮)

枋寮で今日の最後の列車に乗り換える。写真を撮っていると、いいカメラを持った二人組を見掛ける。服装からして、他にも日本から乗りに来ていた人がいたのかと思ったが、地元台湾の鉄道好きの人であった。今度の列車も客車だが、さすがに冷房は付いている。枋寮は昭和16年の屏東線全通より、長らく基隆からの西部幹線の終着駅だったが、南迴線と接続して途中駅となった。なお屏東線も八八水災で橋梁が流出し、不通となっていた。枋寮を出発する。右の車窓には山が連なる。椰子の木のある長閑な車窓を楽しむ。途中で林邊渓という川を渡る。渡っている時は気付かなかったが、ここの橋梁が八八水災で流れたのだ。南州に到着。南州-枋寮間が不通区間だった。

南州はかつて渓州といい、潮州線(現屏東線)の終点だった時期がある。昭和11年の時刻表によると、高雄-渓州間(47.0km)に1時間半程度を要している。今乗っている列車でも高雄まで1時間20分掛かる。なお高雄は昭和16年に駅が移転しており、高雄-南州(旧渓州)間は43.3kmとなっている。単線非電化のままなので今も時間が掛かるのだろう。しかし左の車窓には高架線の工事がみられる。複線電化にする計画だそう。以前訪れた竹田も高架駅となる。客車列車で交換しながらのんびり走る屏東線が好きなのにと思うが、地元の人には本数が多くて速い方がいいだろう。この風情を楽しめるのも今のうち。西勢では南下する區間車と交換待ち。この間に北上する自強號が追い抜いてゆく。屏東からは複線電化。そのままディーゼル機関車が牽引してゆく。ゆっくりのままだが、交換待ちはない。高屏渓を渡り屏東縣から高雄縣に入る。現在の橋梁より下流側に今は使われていない大正2年竣工の鉄橋があるのだが、それを写真に撮っている若い女性がいる。台湾にも鉄子か。同橋梁は國定古蹟(第二級)となっている。車窓も暗くなり、台湾第二の都市、高雄が近づいてきた。ネオン看板の明かりも見える。臺灣省高雄縣から高雄市に入る。高雄市は直轄市で、台北市もそうである。列車は終点の高雄に到着した。

屏東線 區間車150 枋寮(17:08)→高雄(19:00) 40SPK20004T


車票 普快 臺東→枋寮
車票 區間車 枋寮→高雄

台北から東回りで到着した高雄。西回りと違って、長閑な車窓がよかった。しかし明日は西回りで台北に戻る。切符を買う前に台鐵本舖へ。高雄にも店舗がある。台北到着時から時刻表を探しているのだが、高雄も売り切れの由。案内所には非売品の時刻表を持った係員がいたので、1部貰えないかと交渉するが断られる。以前、新左營の窓口氏に時刻表はないかと尋ねたら、快くくれたのに。もう時刻表入手はあきらめる。旅行出発前にPCで列車の時刻を調べておいてよかった。窓口で明日の切符を購入する。例によって窗邊(窓側)でお願いしたが、希望の列車の窗邊の切符を発券してもらう。しかも進行方向左側の席である。午前中に北上する列車なので西側となる。日差しを気にすることなく車窓を楽しめる。


車票 自強1010次 高雄→新竹

駅からは歩いてホテルへ向かう。駅から伸びる中山路を下る。高雄捷運の工事も終り、道路がすっきりしている。途中の橋が工事中。ここにいた乞食はどうしたのかと思ったら、少し離れた場所にいた。以前泊まったことのあるホテルの前を通り過ぎる。今夜の宿は日本の旅行会社サイトから予約している。無事ホテルに到着し、チェックインする。


喜悦商務大飯店高雄市前金區七賢二路


標準商務套房(1,764元)


baseball 千葉マリンスタジアムでの試合を放送!

部屋のテレビをつける。チャンネルを回すが、NHKが映らない。しかし台湾のテレビ局が、ソフトバンク対ロッテ戦を中継している。パ・リーグに詳しくないのだが、台湾の選手がどちらかのチームにいるのだろうか。さて、高雄といえば六合夜市。今夜はそこにご飯を食べに出掛ける。夜市というと、岩国駅前で夏にやっていた土曜夜市を思い出すが、あれは縁日の屋台のようなもの。六合夜市は通年行われており、飲食店が主で規模も大きい。はて、ホテルのあるのが七賢路、夜市があるのが六合路。これらの通りは頭に数字が入っていたのか。北から十全、九如、八徳、七賢、六合、五福、四維、三多、二聖、一心。四度目の高雄でようやく気付いた。


六合張排骨酥湯 (高雄市新興區六合二路

排骨酥湯というのが食べたかったので、こちらのお店に入る。店先の屋外の席もあるけど、冷房の効いた屋内の席へ。「請勿飲酒云々」の文字が見える。こちらのお店ではお酒が飲めないようだ。気を取り直し、次の2品を注文する。伝票に数量を記入し、店頭の調理場で注文して代金を支払う。料理は席まで運んでくれる。


乾麵(小)(35元)


排骨酥湯(45元)


pencil この伝票に記入して注文する!

乾麵は思ったより脂っこい。卓上にあった調味料を入れた方がよかったのかも知れん。チャーシューはいい味付け。これでビールでも飲みたいところだが。排骨酥湯は香菜がいい香り。具の排骨も冬瓜もいい感じ。なかなか台湾らしい夕食でよかった。夜市の中のほかの店などを見てから、全家FamilyMart(ファミリーマート)に立ち寄りホテルに戻る。


台湾啤酒(32元)

ファミマでビールを買ってきました。おつまみはこれ。


得意中華食品 國境の南 原味 柳葉魚(20元)

柳葉魚とはシシャモのこと。アイヌの伝説では、飢饉で人々が苦しんでいたところ、神様が川に柳の葉を落して流すと、それがススハム(シシャモ)となり、飢饉を救ったという。そこで漢字では柳葉魚と書くのだが、北海道を遠く離れた台湾・高雄でこの名前を目にするとは。しかし日本でもシシャモは貴重で、口にした事はない。おそらくこれも代用のカラフトシシャモかなんかだと思う。さて袋を開けてみると…


甘露煮!?
いずれも民國99年(2010)7月30日撮影

シシャモの甘露煮なんて初めて見た。味は普通の和の甘露煮の味付けで、ビールのあてに美味しく戴いた。シャワーを浴びると、NHKも見られないことだし、もう寝る事にした。 (つづく)