旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

ぐるり台湾 十分→基隆

2010-11-28 00:00:00 | 台湾日記

平渓線 區間車3234次 [DR1000型車両] (三貂嶺)

十分駅に戻る。記念切符などを売っている傍らに、日本語通訳の方が座っている。高齢の男性で、戦前に教育を受けた世代だろう。特に通訳してもらうような事はないが、ちょっと話をしていけばよかったかもしれない。八堵行が入線する。菁桐行と交換して、十分を出発。四度目となる十分老街を通過して、基隆河を渡り、大華に止まり、右の方から宜蘭線が現れてきて三貂嶺に到着。ここで下車する。

平渓線 區間車3234 十分(13:51)→三貂嶺(14:04) 45DR1031


metro 區間車で三貂嶺站到了symbol6


宜蘭線 三貂嶺車站臺灣省臺北縣瑞芳鎮碩仁里魚寮路

三貂嶺は平渓線の起点であり、東部幹線を構成する宜蘭線から分岐する駅である。三貂嶺を始発終着とする平渓線の列車はなく、瑞芳、八堵など宜蘭線の駅まで乗り入れている。降りる必要はないけれど、分岐駅はなるべく降りておきたいので下車する。他に降りた客がいたか知らない。しかし月台には駅員が立っている。跨線橋がないので、構内踏切を渡り、駅舎へ向かう。特急に相当する自強號なども走る複線電化の宜蘭線なので、緊張して左右確認をして渡る。平渓線一日週遊券で出場する。駅員しかいないだろうと思っていたが、待合室には数名の客がいた。駅舎から外に出たが、周りは何もなさそう。乗り換え時間が僅かなので、散策は出来ない。姿は見えないが、川の方から水遊びをしているのか子供の声が聞こえる。


駅の側を基隆河が流れる!

窓口で切符を買う。「パードゥー」と言うと、窓口氏が平渓線一日週遊券を見せてくれという。それで出場したのを覚えていたのだ。まあ忘れるほど利用客もいない。面倒なので三貂嶺-八堵間の切符(24元)を買うつもりでいたのだが、平渓線一日週遊券は瑞芳まで有効なので、瑞芳-八堵間の切符(15元)を発券してくれたのだ。親切な窓口氏。しかも日本語で応対してくれた。恐るべし臺鐵。ますますファンになってしまう。しかし何故こんな小駅に日本語の出来る駅員がいるのか。台北や高雄などの大駅の窓口・改札で日本語で応対してもらった事はない。


車票
區間車 瑞芳→八堵

入場して、再び「右よし左よし」やって八堵方面の月台に渡る。やはり駅員が一人月台に立つ。先日、太魯閣號で三貂嶺を通過した時も、駅員は立っていたか。往年の国鉄を見るようである。七堵行の列車が入線してきた。大韓民國製の電車である。車内は空いている。ロングシートだが、やっぱり車窓は山陽本線本郷-河内間を思わせる。釣竿を持った若い兄ちゃんが乗っている。この列車は太平洋岸から来ているので海釣りだろうか。今回は主に自強號を利用した旅だったが、區間車でゆっくりした旅もしてみたい。瑞芳に着くと便當の売り子さんが、車内に声を掛けていく。ロングシートで終点も近いこの列車で買う人がいるのか。汽車の中で食わなければならぬ法はないが。山峡を抜け、平地が増えてきて、乗り換える八堵に到着する。

宜蘭線 區間車2726 三貂嶺(14:13)→八堵(14:35) 45ET505


metro 區間車で八堵站到了symbol6


宜蘭線 區間車2726次 [EMU500型車両] (八堵)


縱貫線 八堵車站臺灣省基隆市暖暖區八南里八堵路


車票
區間車 八堵→基隆

日本の旧国鉄・JRと違い、臺鐵では乗車する列車毎に切符を買わなければならない。自動售票機(券売機)で基隆までの切符を買う。別々に切符を買うので割高感があるが仕方がない。乗換駅でいちいち改札を出て買い直すのかというと、台東の窓口で「台東→枋寮」、「枋寮→高雄」の2枚の切符を発券してもらったので、その心配はないようだ。三貂嶺で「八堵→基隆」の切符も買えたのだろう。



【おことわり】
先日、瑞芳にて、八堵で乗換えとなる瑞芳-台北間の區間車の切符が1枚で買えました。上記の瑞芳-基隆間も1枚で購入可能と思われます。誤りがありました事をお詫びします。




また臺鐵では乗車券(運賃)、急行券(料金)といった体系ではなく、列車種別によって値段が違う。JRなら新幹線でも各駅停車でも乗車券は共通(新下関-博多間を除く)で、新幹線・特急など乗る区間に対して特急券を買えばよい。一方臺鐵では、乗る列車毎に別々の切符を買う事になる。単純明快ではある。




metro 縱貫線の月台へase2

先程は宜蘭線の月台に到着したが、今度は地下道を通って縱貫線の月台で列車を待つ。すると宜蘭線の月台に台北方面から〔太魯閣號〕が入ってきた。


東部幹線 自強1063次 〔太魯閣號〕 [TEMU1000型車両] (八堵)


積んである枕木が邪魔なんじゃが… _| ̄|○

基隆行が入線する。後日調べたところ、南アフリカ共和国製の電車という。他に日本製の通勤電車も走っており、小夫(スネ夫)と呼ばれているそうだが、残念ながら今回の旅行で乗る機会はなかった。南阿製電車は基隆河を渡り、隧道を抜け、港町基隆に到着した。縱貫線の起点であり、ゆるゆると大きな構内に入ってゆく様は、青森、下関のような終着駅の風格を漂わせる。

縱貫線 區間車2117A 八堵(14:58)→基隆(15:06) EP401


縱貫線 區間車2117A次 [EMU400型車両] (基隆)


metro 區間車で基隆站到了symbol6


縱貫線 基隆車站臺灣省基隆市仁愛區港西街

初めての台湾旅行で、初めて臺鐵に乗ったのが台北-基隆間だった。清光緒17年(1891)に台湾で最初に鉄道が開業した区間を含む。5年ぶりの基隆駅となる。その時は慌しく折り返しただけだが、今日は基隆近郊にある野柳を訪れる。バスで行く事になるが、基隆市の観光案内所で確認する。担当者の女性に日本語で詳しく教えてもらい助かった。バスは釣り銭が出ないので、隣の7-ELEVENで両替するよう言われていたので、UCC無糖(25元)を買ってゆく。歩道橋を渡り、教えられたバス乗り場へ。港に停泊した大型船が見える。基隆もゆっくり観光したい街だが、またの機会にしよう。 (つづく)


駅前は基隆港 (臺灣省基隆市仁愛區)
いずれも民國99年(2010)8月1日撮影
※切符の画像をのぞく


ぐるり台湾 平渓線

2010-11-14 00:00:00 | 台湾日記

平渓線 區間車3214次 [DR1000型車両] (菁桐)

今度は来た線路を引き返す。せっかく平渓線一日週遊券を持っているので、いくつかの駅で下車するつもりである。自由乗降区間となっているのは下図の通り。




かぶりつきです(;^ω^) (平渓-菁桐)

菁桐を出発する。座席はロングシートなので、運転士の横で前方車窓を楽しむ。席に座っていた子供がやってきて、かぶりついた。台湾にも将来有望な子供さんがいますね。


運転士の傍らにはタブレットが!

平渓線は単線で、十分で菁桐行と交換する。タブレットが使われており、久しぶりに目にした。この後はいよいよ十分老街を通過する。かぶりつきからの写真をご覧ください。


十分老街を行く① (大華-十分)


十分老街を行く② (大華-十分)


十分老街を行く③ (大華-十分)

ここは併用軌道ではありません。普通の列車が(時にはイベントでSLも)走っています。沿線には多くの人がカメラを構えているので、かぶりつきの自分は写っているものと思われ。


基隆河を渡る! (大華-十分)

平渓線一日週遊券に写真が使われている十分瀑布はこの近くらしい。滝のある観光施設の入口は確認できる。線路脇に多くの観光客がいてひやひやする。このまま乗っていては平渓線往復で終わってしまうので、大華という駅で下車する。

平渓線 區間車3214 菁桐(11:50)→大華(12:15) 45DR1022


metro 區間車で大華站到了symbol6

大華は無人駅である。十分瀑布への最寄駅だが、道はないので線路を歩いてゆくのだそう。台湾でも線路を歩くのは御法度。しかし列車の本数が少ないので、歩く人も多いという。同じ列車から降りてきた若い男女二人がいたが、意を決して線路を歩いていった。轢かれるなよ。臺鐵も滝の入口に臨時乗降場でもいいから月台を設ければいいのに。滝へは十分で下車するのが通常のルート。大華から線路を歩くのは人気のルート(?)。何もする事なく菁桐行を待つ。駅の周りは僅かな民家があるだけ。その一軒からテレビの大きな音が聞こえてくる。寂しい駅だが、かき氷か飲み物を売る屋台があったので、十分瀑布の客が利用するのだろう。山峡の駅に一人ぽつりといると、錦川清流線(旧岩日線)でも待っているような気がする。どこからか登山者かハイカーらしい一団がやってきて、月台は賑やかになった。そして何人かは啤酒を飲み始めた。飲食店でも日本ほど台湾の人がお酒を飲んでいるのを見掛けないので、何だか新鮮な感じがする。まあ汗をかいた後のビールはなまら旨いっしょ。


平渓線 區間車3235次 [DR1000型車両] (大華)

列車が現れた。清流線と違って1両ではなく、お客さんも多い。大都市台北の近郊という事もあるが、ローカル線を上手く観光路線にしている。登山者またはハイカーの何人かが、冷房の効いた車内で汗をかいたシャツを着替えて始めた。再び滝の入口を通過し、十分老街を走り抜けて、十分に到着した。

平渓線 區間車3235 大華(12:49)→十分(12:55) 45DR1061


metro 區間車で十分站到了symbol6


平渓線 十分車站臺灣省臺北縣平溪鄉十分村十分街

菁桐発と瑞芳発、双方2本の列車が到着し、駅は賑わう。可部線にもこの賑わいがあれば…


駅構内から見える靜安吊橋


空には天燈が上がっていた!

天燈の起源は三国時代、蜀漢の諸葛亮孔明の発明といわれる。紙製の熱気球で、もとは通信に使われたが、今では願い事を書いて空に飛ばしている。一つだけ、日中ではあるが、実物が飛んでいるのを見る事が出来た。天燈節には無数の天燈が夜空に上がるという。


十分老街を行く④ (臺灣省臺北縣平溪鄉十分村十分街)

駅から先程来何度も列車で通り抜けている十分老街に歩いて行ってみる。「禁止行走軌道」の警告がある。この写真は決して軌道内を歩いているのではなく、たまたま横断している時に撮影したものであって…


この辺りで老街を行く列車を撮影したかったが…

列車の運転間隔は、およそ1時間に1本。ここで列車を撮影するには、あと1時間待たなければならない。それから次の列車に乗るには、もう1時間。撮影は諦める。


十分老街と平渓線は相互依存云々


願い事の書かれた天燈

飛ばす前の天燈を見掛ける。日本だと絵馬にあるような内容が書かれている。願い事は四文字で揃えるものなのか。
学業成就 家内安全 出前迅速 落書無用♪ あれ?


天燈はひとつ100元だそう


牛筍麵、だったかな… pencilメモしてなかった!

線路沿いのお店(全部線路沿い?)で昼食。汁なしの麺が食べたかったが、適当に注文したのは汁ありだった。せめて料理名だけでも学習せねば。写真に収めるのも忘れて食べ始めたので、これは食べ掛けです。結構あっさり味だった。麵と啤酒で80元也。ここで食べてる横を列車が走っていけば一興だが、列車は当分来ない。 (つづく)


いずれも民國99年(2010)8月1日撮影


ぐるり台湾 台北→菁桐

2010-11-07 00:00:00 | 台湾日記

自助早餐

民國99年8月1日星期日、日曜日である。台北の定宿で目覚める。朝食をとりに地下の食堂へ。ご飯に味噌汁。やっぱりこうじゃないと。納豆、生玉子はないけど。おいしい朝ごはんを食べたら今日も出掛ける。連泊なのでホテルに荷物を置いてゆけるので、身軽である。


東呉大飯店 (台北市大同區延平北路)

捷運の駅まで、いつもとは違う道を歩く。朝市なのか、活気のある商店街を通り抜ける。肉も魚も野菜も何でもある。お菓子や雑貨の店もある。何も買わないが、風情だけは味わえた。

台北捷運 淡水線 民權西路(8:53)→台北車站(8:57) 1310
※ダイヤ不明のため、実際の時刻を記す。

台北車站に到着。少し時間があるので、駅構内の郵便局に寄っていく。そうこうするうちに乗る予定の區間快の発車時刻が迫り、慌てて改札前へ。自動券売機で切符を買おうとするが、紙幣が使えない。仕方がないので両替機を探すが見つからない。もう発車時刻になってしまう。改札氏に切符を買えずに乗りたい列車の発車が迫っている事を言ってみる。乗車証明書の様なものを貰い、車内で車掌から切符を買えないかと思っていたが、改札氏はそこの売店で両替、または何か買って釣銭をもらうように言う。そんな暇はない。発車時刻を過ぎてしまい、區間快を諦める。前もって窓口に並んでいたら紙幣も使えたし、時間があれば両替も出来ていただろう。しかし自動券売機で紙幣が使えないのはいただけない。日本の自動券売機は本当に便利である。さて、改札氏に次の列車はと尋ねると、莒光號があるという。區間快は非對號列車(全車自由席)だが、莒光號は對號列車(全車指定席)である。對號列車自動售票機(券売機)なるものが設置されており、こちらは紙幣を使って切符を買う事が出来る。


車票 莒光40次 台北→瑞芳

切符は買えたのだが、何やら但し書きが。「七堵以後餘程無座」とある。文字からして、七堵より後の行程については席は無い、と読める。再び改札氏に確認すると、やはりそうであった。台北から七堵までは表示の席に座れるが、七堵から別の客がこの席に来るから立たなければならない。なかなか芸の細かい切符を発券する。



月台に行くと、すぐに列車が入ってきた。客車には扉がひとつしかなく、乗降に時間が掛かる。発車時間を過ぎてもまだ乗る事が出来ない。やむなく若干空いている隣の車両に乗車して、車内の通路の人をかき分けて指定の車両の席にたどり着いた。列車は遅れて台北を出発。2日前に太魯閣號に乗った時も、先行するこの莒光號は遅れていて、後続の太魯閣號も遅れたのだが、遅れの原因は乗降に時間の掛かるひとつ扉にあったようだ。車内は座席のない無座票の客で通路まで一杯である。若い人が多い。2日前に太魯閣號で快走した線路をゆっくり走る。途中で駅でもない所で止まってしまった。事故でもあったのか。それでなくとも遅れているのに。暫く止まっていて、ようやく動き出した。七堵に到着し席を立つ。これで自分も無座の客である。降車駅の瑞芳に到着。どれだけ遅れたのかと時計を見ると、何と定刻である。事故があって止まっていた訳ではなく、そうゆうダイヤなのか。釈然とせぬまま瑞芳の月台に降り立つ。便當売りの声が響く。

東部幹線 莒光40 台北(9:20)→瑞芳(10:18) 40FP10031(K)T


東部幹線 莒光40次 [E228牽引] (瑞芳)


metro 莒光號で瑞芳站到了symbol6

プラットフォーム上に改札口と切符売場がある。ここで「平渓線一日週遊券」(54元)が買える。瑞芳-(宜蘭線)-三貂嶺-(平渓線)-菁桐間が乗り降り自由である。瑞芳-菁桐間が區間車で片道30元なので、単純往復するだけで元が取れる。莒光號の切符は例によって證明章のハンコを押して持ち帰る。


平渓線一日週遊券(正面)


平渓線一日週遊券(反面)


宜蘭線 瑞芳車站 (臺灣省臺北縣瑞芳鎮龍潭里明燈路)


寂しい駅前…

平渓線の列車まで時間があるので、駅の外に出てみる。人気の観光地、九份への玄関口と聞いていたが、人通りも少ない。それもそのはず。こちらは裏駅だったのだ。


宜蘭線 瑞芳車站 正面 (臺灣省臺北縣瑞芳鎮龍潭里明燈路)


こっちは栄えとる!

地下道を表口の方へ。通路では四重奏か何か(クラシック音楽に疎いので不明)演奏している。やはり休日の観光地なのだ。こちらの駅頭はまずまず賑わっている。裏駅と違い、表口の駅舎には切符売場や待合室、売店も揃っている。


2號坑(月台) 第二ホーム

再び先程の月台へ。階段を上っていると、「おじさん」と呼ぶ声がする。誰がおじさんやねん。まあ、おじさんで間違いはない。振り向けば、自分より年配の女性が、やはり自分より年配の男性に落し物をしたと声を掛けているところだった。二人とも日本人ではなく、日本統治時代に教育を受けた程のお年寄りではない。「おじさん」という日本語の単語が今も使われているのだ。


気動車のメーカーは日本車輌製造!

縦貫線と宜蘭線との分岐駅、八堵発菁桐行の列車が入ってきた。便當の売り子さんは、ロングシートの列車でも立売をしている。乗車する前に車両を確認したら日本製だった。瑞芳を出発した列車は暫く宜蘭線を走る。基隆河に沿っている。三貂嶺を出発すると宜蘭線は基隆河を渡り、隧道へ消えてゆく。菁桐行は尚も基隆河に沿う平渓線を走る。山峡の良いローカル線である。座席がロングシートなのが惜しまれる。沿線の名勝の十分瀑布の入口付近には多くの人が来ている。車窓を見ていたが、滝は判らなかった。十分の駅が近づき、再び車窓に注目する。街の細い通りを列車が走っていくような感じなのだ。街にいる観光客が列車にカメラを向けている。十分で菁桐発の列車と交換する。十分の次の望古では駅に小さな鯉のぼりが泳いでいる。カープとは関係なさそうだが、気分が良い。沿線の中心地、平渓へ。元宵節(旧暦1月15日)に行われる天燈節で有名な町だそうだ。写真や映像を見ると壮観だが、山火事になりはせんかと思う。川沿いの小さな町で、日本なら鮎の塩焼きを食わせる店がありそうなところだ。下車してみたい駅だが、そのまま終点の菁桐へ。これで平渓線の乗りつぶし終了。

平渓線 區間車3213 瑞芳(10:46)→菁桐(11:38) 45DR1021


平渓線 區間車3213次 [DR1000型車両] (菁桐)

お、月台の先端には台湾の鉄道好きの方々が。昭和11年の時刻表を見ると、平渓線は6往復運転されており、225列車は三貂嶺發午後0時05分、菁桐坑著午後0時53分とある。今乗ってきた列車3213次は三貂嶺発11時03分、菁桐着11時38分。現在の気動車の方が幾分早い。


metro 區間車で菁桐站到了symbol6

菁桐の「菁」の字だが、現地での表記と、うちの日本語のPCで表示される字体が異なる。他の文字にも多少の違いがあるのだろうが、これは気になったので両方の字体を載せておく。左が現地の字体。右がうちで表示される字体。




元は石炭輸送の路線 (菁桐)


平渓線 菁桐車站 (臺灣省臺北縣平溪鄉菁桐村菁桐街)

昭和一桁の木造駅舎の残る菁桐駅。元の駅名は菁桐坑で炭鉱街だったが、今はレトロな街並に観光客が溢れる。


駅頭の風景


じゃれあう、たいわんこ(喧嘩ではない)


老街を散策もせずに風情ある木造駅舎に戻るsymbol6


転轍機も見られる! (菁桐)

手に赤い天燈を持った人がいる。元宵節じゃなくてもあるのか。


木造駅舎に椰子の木! (菁桐)

実は駅舎の他にも見所の多い菁桐なのだが、今乗ってきた列車で折り返す。 (つづく)


いずれも民國99年(2010)8月1日撮影
※切符の画像をのぞく