旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

JR東日本パスの旅 新青森→青森

2011-07-31 00:00:00 | 列車の旅

特急〔スーパー白鳥15号〕 4015M列車 [789系車両] (新青森)

奥羽本線のプラットフォームに降りると、ちょうど特急〔つがる1号〕青森行が出発した後だった。地震で新幹線が遅れたので間に合わないと思っていたが、接続していたようだ。次の青森への列車は、新青森発函館行の特急〔スーパー白鳥15号〕。「JR東日本パス」では特急の普通車自由席が利用出来るが、そもそも特例で奥羽本線新青森-青森間の相互間に限り、乗車券のみで特急の普通車自由席に乗車出来る。列車は津軽新城方より回送で入線する。


「青森経由」の表示!

新幹線からの乗り換え客が、〔つがる1号〕に集中したのか、〔スーパー白鳥15号〕では自由席に座る事が出来た。座席は進行方向とは反対向きとなっている。これは次の青森で進行方向が変わるので、青森-函館間での進行方向に合わせてある。車両はJR北海道の789系。JR北海道の函館行の列車に乗りながらも、北海道に行く事なく、青森で下車する。

特急〔スーパー白鳥15号〕 4015M 新青森(11:35)→青森(11:42) サハ789-102


metro 青森に到着symbol6


特急〔スーパー白鳥15号〕 4015M列車 [789系車両] (青森)


奥羽本線 青森駅 (青森県青森市柳川)

8ヶ月ぶりの青森駅。もう東北本線の駅ではない。青森は思った程涼しくなく、青森の最高気温は摂氏30度1分だったそう。


味の札幌 大西 (青森県青森市古川)

北海道に行きたかったから、昼食は札幌ラーメンのお店、という訳ではなく、こちらのラーメンを食べるために青森までやって来たのだ。


味噌カレー牛乳ラーメン(バター入)(780円)

当初は青森で海鮮を食べるつもりだったが、このラーメンの存在を知り、引き寄せられるようにしてやって来た。味噌、カレー、牛乳…。パッと見は、旨そうな味噌バターラーメンだが。


麵はこんな感じ!

おおっ、これは旨い。これはアリです。札幌ラーメンの麵に、味噌カレー牛乳のスープがよく合う。カレーのせいか、大汗をかきながら、ラーメンを平らげる。ごちそうさま。


青森ベイブリッジ

食後に海の方に行ってみる。観光施設や商業施設があり、ウッドデッキも整備されていて、散策にはよさそう。海からの風が心地よい。


右の建物は、ねぶたの家 ワ・ラッセ (青森県青森市安方)


青森ベイブリッジの歩道・車道

ところで、どうしてこんな立派な斜張橋をここに架けたのか。湾を横断する訳でもないし。橋は歩道まで階段で上れるようになっており、眺めがよさそうなので登ってみる。この橋は一度、歩道で渡った事があるが、こんな階段があったとは。


連絡船の桟橋跡が目の前に!


長大な青森駅のプラットフォーム!


新幹線の高架橋が見える!


青森駅前


日本国有鉄道 青函航路 〔八甲田丸〕 (青森)
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

このまま連絡船に乗って、北海道に行きたい。(青函航路は昭和63年廃止)


ここから車両が船内に!

橋の上から降りてきて、連絡船の周りを散策する。船内は大人500円で見学できるが、この後の列車の時間もあるので、今日は外観だけ撮影する。


青森桟橋記念碑 (青森県青森市柳川)


八甲田丸 青森 HAKKODA MARU AOMORI

青函連絡船には、昭和63年9月に一度だけ乗船している。3月の廃止後の復活運航である。青森で列車を降りて、乗船名簿に記入してから乗船した。乗ったのは〔羊蹄丸〕か〔十和田丸〕で、〔八甲田丸〕ではない。函館に着いて、高校生が冬服だったのに驚いた記憶がある。


船首より望む!


国鉄(JNR)のマークが懐かしい…
いずれも平成23年7月10日撮影

北海道に未練を残しつつ、連絡船に別れを告げ、青森駅に向かう。 (つづく)

JR東日本パスの旅 東京→新青森

2011-07-25 11:00:00 | 列車の旅

㊨ 新幹線〔はやて155号〕 5155B列車 [E2系J72編成] (東京)

乗車する〔はやて155号〕は、新青森方に秋田新幹線〔こまち155号〕を併結しており、東京-盛岡間を共に走る。盛岡で分割して、〔はやて155号〕は東北新幹線の新青森へ、一方の〔こまち155号〕は田沢湖線・奥羽本線を経由して秋田へ向かう。この区間の田沢湖線・奥羽本線は狭軌(1067mm)から標準軌(1435mm)に改軌されているが、新幹線ではなく在来線であって、〔こまち〕のE3系車両は〔はやて〕のE2系と比べて小ぶりな車両である。ミニ新幹線たる所以である。山形・秋田新幹線を新幹線と案内する事については、高速バスも高速道路を降りても高速バスなので、個人的には許容範囲かと思う。


㊧ 新幹線〔こまち155号〕 5155B列車 [E3系R3編成] (東京)
※東京-盛岡間〔はやて155号〕5155B列車と併結。盛岡-秋田間5155M列車。

後に見えるのは、新幹線〔ひかり461号〕461A列車[700系C56編成]岡山行。東京-岡山間の営業キロ732.9で、所要時分は4時間19分。〔はやて155号〕は東京-青森間の営業キロ713.7で、所要時分は4時間13分。〔ひかり〕には〔のぞみ〕の通過待ちがあり、〔はやて〕には震災の影響で徐行区間があり、単純比較は出来ないが、同じくらいの距離を西へ、北へ、同じくらい掛けて走ってゆく新幹線が東京駅で隣り合っている。


clock 出発時刻が近づいてきた!


いよいよ乗車します!


apple 新青森行

定刻に東京を出発する。秋葉原付近で地下にもぐると、次の停車駅の上野に到着する。窓側のA席に座っているのだが、ここで隣のB席、C席に、御婦人二人と切符の要らない子供さん一人が乗車する。この列車は全車指定で、今日は満席との事。上野を出発すると日暮里付近で地上に出る。赤羽付近からは埼京線と並行し、荒川を渡って東京都から埼玉県に入る。列車は速度を上げないが、これは震災の影響による徐行区間ではない。次の停車駅の大宮を出発すると、新幹線らしい走りとなった。上越新幹線が別れてゆく。埼玉県より茨城県に入る。茨城県内に新幹線の駅はないが、猿島郡五霞町、利根川を渡って古河市を通過する。茨城県より栃木県に入る。停車駅はない。上りの〔はやぶさ402号〕(E5系U編成)とすれ違う。

コンビニエンスストアで買ってきたサンドイッチと、車内販売のコーヒーで朝食をとる。車内販売では支払いにSuicaが使える。車内は節電なのか空調が弱くて暑い。コーヒーを飲んでいて汗をかいてきた。東側の席で、窓からの日差しが強いからだけではない。暑くても文句の言える御時世ではなく、もちろん窓も開けられず、車窓を見るのでブラインドは完全に下げられないので、扇子は手放せない。東海道・山陽新幹線のN700系よりも遅い印象だったが、那須塩原付近でいよいよ遅くなった。駅を通過すると速度が戻ったので、震災の影響による徐行区間だろう。栃木県より福島県に入る。忌まわしき電力会社の配電地域を脱する。しかし、最も甚大な被害を被っている県である。福島県も停車駅はない。福島を通過すると再び徐行区間となる。しかし新幹線が通じているだけでもありがたい。福島県より宮城県に入る。大きな街が見えてきて、仙台に到着する。


metro 仙台に到着symbol5

仙台では6分間の停車。随分とダイヤに余裕を持たせてある。ちょっとプラットフォームに降りてみたいが、A席なのでやめておく。仙台で下車する人は多いが、まだまだ乗車率は良い。仙台を出発。大カーブで車窓に長大な編成を目にする。前方に〔こまち〕、後方に〔はやて〕で、ここ2号車から16号車までが見える。宮城郡利府町の車両基地にはE5系車両が留まっている。宮城県より岩手県に入り、一ノ関を通過。長かった徐行区間が終わる。美しい田園風景を眺めているうちに盛岡に到着する。


metro 盛岡に到着symbol5

盛岡では19分間の停車。ここで秋田行の〔こまち155号〕と別れ、〔はやて155号〕単独で新青森を目指す。盛岡での長い停車中、ゆさゆさするのを感じる。後ろの席で子供でも暴れているのかと思ったが、「地震だ」と声が上り、全体が揺れている事に気付く。結構な揺れである。架線が揺れているのが見える。新幹線に乗っていて、地震にあったのは初めてである。車内の照明、空調が切れる。車掌が小山-いわて沼宮内間で停電中と放送する。被害が大きければ、新青森どころか、帰る事が出来るかが心配である。車掌は「車内が一番安全です」と放送し、車内に留まるよう促している。


停電中の車内pika

午前9時57分頃発生した三陸沖を震源とする地震で、盛岡市の震度は4だった。乗客は落ち着いている。安全の確認が取れ次第、運転を再開すると放送がある。手洗いに席を立つ。しかしトイレ内は停電で戸を閉めると真っ暗である。明り取り少し戸をあけて用を足そうかとも思ったが、通路には御婦人方もおられるのでやめておく。車外に出て、駅のトイレに向かう。いつ運転を再開するか分からず、危険な賭けである。同様にトイレに向かう人が数名いる。プラットフォームに戻ると、車内の照明がついており、急いで席に戻る。結局、列車は盛岡を9分遅れで出発した。思ったよりも影響は少ない。盛岡からは各駅停車。トンネルの多い区間となる。いわて沼宮内、二戸と停車し、岩手県より青森県に入って、八戸に到着する。


metro 八戸を出発symbol5

昨年11月に八戸を訪れた時は、ここが東北新幹線の終着駅だった。この先は初めて乗る区間であり、今回の旅の目的でもある。


昨年12月の新開業区間へ (八戸-七戸十和田)

しばらくは旧東北本線(現青い森鉄道線)が見えるくらいのところを走っていたが、やがてトンネルばかりとなり、内陸を行くようになる。


metro 七戸十和田を出発symbol5

七戸十和田は相対式ホームの2面2線で、東海道・山陽新幹線では熱海、新神戸のような感じでホームドアが設置されている。熱海、新神戸は場所がなくて退避線が設けられないのだろうが、東北新幹線の新駅ではよく見られる。在来線との接続はなく、新幹線の単独駅。かつては私鉄の南部縦貫鉄道が、野辺地から七戸まで通じていたが、新幹線の開業を待たずに廃止となっている。東京都中央区と青森県青森市を結ぶ一般国道4号が駅の近くを通っている。ちなみに4号は八戸市、三沢市を経由していない。


新青森まで、あと一駅 (七戸十和田-新青森)

新規開業区間最後の車窓を楽しむ。貫通時では世界最長の陸上鉄道トンネルだった八甲田トンネル(全長26,455m)を筆頭に、こちらもトンネルばかりである。山陽新幹線のようでもある。


apple 青森市街に入った!


青森ベイブリッジが見える!

青森市街地を走る。青森ベイブリッジのあたりに青森駅がある。新青森駅は青森駅から直線で3km以上離れた場所に建設されている。


apple 新青森に到着symbol5

地震の影響で、定刻より7分遅れで新青森到着。これで東北新幹線の全線乗車達成、ならびにJR東日本全線乗車達成(貨物線、渡り線等を除く)となった。駅名標の空白には、奥津軽(仮称)が入るべく、平成27年度の開業に向けて北海道新幹線の建設が進む。新青森以北の北海道新幹線は、JR北海道の管轄となる。

新幹線〔はやて155号〕 5155B 東京(6:56)→新青森(11:09) E226-1122


新幹線〔はやて155号〕 5155B列車 [E2系J72編成] (新青森)


奥羽本線 東北新幹線 新青森駅 (青森県青森市大字石江字高間)


ホームドアが設置されている!


青森から鹿児島まで新幹線がつながった!

東京で線路はつながっておらず、東京から九州新幹線への直通もない。しかし大地震で不通だった区間もあった新幹線は全線で復旧した。復興の一助となる事を期待する。


新幹線プラットフォームから奥羽本線が見える!


乗換口ではなく、新幹線改札口へ!

名残惜しいが、プラットフォームから降りて改札口へ。直接在来線プラットフォームに向かわず、ちょっと外に出てみる。自動改札機を通らず、有人改札を利用。東京→新青森の新幹線指定券に「乗車記念使用済」の印をもらい、記念に持ち帰る。


新幹線改札口付近

新幹線到着とあって賑わう構内。JR東日本パスの効果絶大であろう。新幹線車内で隣りの席だった子供さん連れの御婦人方も、JR東日本パスでの日帰り青森旅行のようであった。別に鉄道好きだけが同切符を利用している訳ではない。


小さなねぶたがお出迎え!

開業前の昨年11月22日に訪れた時と違って華やかである。ゆっくり新青森駅を見てみたいが、この後の予定もあるので、奥羽本線の列車で青森駅に向かう。 (つづく)


在来線改札口付近
いずれも平成23年7月10日撮影

JR東日本パスの旅 東京駅

2011-07-17 12:00:00 | 列車の旅

特別企画乗車券「JR東日本パス」(10,000円)

JR東日本では特別企画乗車券「JR東日本パス」を発売。JR東日本全線の新幹線・特急・急行・普通列車(快速を含む)の普通車自由席が、1日間乗り降り自由。予め座席の指定を受ければ2回まで普通車指定席も利用可能。青い森鉄道線IGRいわて銀河鉄道線および北越急行線の全線もフリーエリアに含まれる。今回、この切符の発売を知り、観光目的で使っていいものかと考えたが、同切符のチラシを見れば、「東日本エリアの観光地を元気にするとともに、復興支援・お見舞い・帰省など、お客さまの様々な目的に応えるきっぷ」と大書してある。観光目的も切符の発売目的に合致すると判断して、JR東日本パスで出掛ける事にした。


㊧ 常磐線(緩行) 普通 504K列車 [209系車両] (松戸)
㊨ 常磐線 快速 580H列車 [E231系車両] (上野)

常磐線緩行 普通 504K 新松戸(5:25)→松戸(5:33) クハ209-1002
常磐線 快速 580H 松戸(5:44)→上野(6:04) クハE230-51

今年は積極的に東北に行く事にしている。今回の旅の目的は、昨年12月に開業した東北新幹線八戸-新青森間の乗りつぶしである。この区間を乗る事で、JR東日本全線乗車(貨物線等を除く)が達成される。東北新幹線は上野から乗車できるが、JR東日本全線乗り降り自由の切符なので、東北新幹線起点の東京から終点の新青森まで乗り通してみようと思う。


山手線 普通 501G列車 [E231系車両] (東京)

山手線 普通 501G 上野(6:10)→東京(6:18) クハE230-528

タフマンの山手線に乗り、東京へ。新幹線に乗り換える。いつもの感じで東海道・山陽新幹線の乗換口に行ってしまいそうだが、今日は東北新幹線の乗換口へ。東京駅のJR東日本の新幹線プラットフォームは久しぶりである。


metro 東北新幹線プラットフォームへkirakira2


隣にはJR東海東海道新幹線プラットフォーム (東京)

東北新幹線(JR東日本)の23番線の隣は、東海道新幹線(JR東海)の14番線。隣り合うのに、23番線の隣はなぜか14番線である。東北新幹線が東京駅に乗り入れた時には、丸の内側から若い番号が振られていた。北陸新幹線(長野新幹線)開業で、新幹線プラットフォームを増やす時、中央本線プラットフォームを新設。旧1番線旧2番線を、京浜東北線(北行)・山手線(内回り)の3番線4番線として使用。1面ずつ丸の内側を利用するようずらしてゆき、空いた旧9番線旧10番線の場所を新幹線プラットフォームにした。JR東日本としては、そこを11番線12番線とし、旧12番線旧13番線を13番線14番線としたかったのだろうが、そのままではJR東海の14番線と番号が重複する。JR東日本JR東海に変更を求めたと思われるが、結局11~13番を欠番とし、JR東日本の新幹線は20番から付番される事となった。


㊧ 東北新幹線東京開業時 ㊨ 北陸新幹線開業時


東海道新幹線の車止めが見える! (東京)

東海道新幹線と東北新幹線との直通運転は行われていない。柵を挟んだ左の東北新幹線23番線、右の東海道新幹線14番15番線の先を見れば、直通する線形であったと思われる。どのくらい需要があるかとか、電源周波数(東海道60Hz、東北50Hz)の違いもあって実現していないが、北陸新幹線(長野新幹線)の列車は、50Hzと60Hzの両エリアを走っているので、技術的には可能。ちなみに東海道新幹線は富士川以東の50Hzのエリアでは、かの忌まわしき電力会社から50Hzの電気を購入し、自社で60Hzに変換してから供給している。



ともかく久しぶりの東京駅・東北新幹線プラットフォームなので、自分が乗る列車の出発まで、動画を含めていろいろ撮影してみる。


新幹線〔Maxやまびこ353号〕 9353B列車 [E4系P20編成] (東京)

今は東海道・山陽新幹線にはいない二階建て車両。


Max Multi Amenity Express

二階の眺めはいいだろうが、上越新幹線大宮-新潟間で、一階席でひたすら壁を眺めさせられたから、Maxには良い印象はない。引退した〔グランドひかり〕(100系V編成)の一階席は2列+2列で、眺めの悪い分、ゆったりした座席でよかった。


㊧ 新幹線〔Maxとき303号〕 1303C列車 [E4系P16編成]
㊨ 新幹線〔あさま503号〕 503E列車 [E2系N13編成](東京)

こちらの並びは、上越と北陸新幹線(長野新幹線)の列車。各新幹線には震災復興のステッカーが貼られている。大地震の後、不通区間のあった新幹線も、全線で復旧している。さあ、そろそろ自分の乗る列車が入線してきた。 (つづく)


「がんばろう日本!がんばろう東北!」「つなげよう、日本。」
いずれも平成23年7月10日撮影(切符の画像を除く)

バスで行く宮城県 牛たん

2011-07-10 00:00:00 | 小さな旅

牛たん定食ランチ(1,200円)

瑞巌寺のお参りを済ませ、昼食にする。牛たんの利久さんに入る。昨夜泊まったホテルの近くにも利久さんがあったのだが、野球が負けたのでお預けにしていた。今日は野球の結果がわかる前に食べてしまう。海の近くだからか、海鮮と牛たんのランチがあったが、利久さんは初めてなので、牛たん定食を注文する。ランチタイムなので少し安くなっている。


浦霞(735円)

お酒も頂戴する。お店のおすすめは塩竈の浦霞。先程、鹽竈神社の門前で見掛けた蔵元さんである。飲みやすくて美味しいお酒である。


テールスープ

牛たん定食には、麦飯、テールスープ、漬物が定番のようである。お好みで胡椒をかけて。ほろほろのお肉が美味しい。


牛たん

メインの牛たんの登場です。お好みで七味をかけて。お肉は柔らかく、且つ牛たんの食感も残っている。実に美味しい。南蛮味噌もいい。お店の方に、もう一杯お酒はどうかと勧められる。そうしたいところだが、昼酒はこのくらいにしておく。実に結構な昼食となった。宮城県に来ないと味わえないと思えば格別だが、家からだと近くにレイクタウン店があったりする。

牛たん炭焼 利久 松島店
宮城県宮城郡松島町松島字町内45 (地図



お店を出て、松島海岸駅へ向かう。国道45号を自衛隊の災害派遣の車両が石巻方面に走っていく。駅に着くと、上り仙台方面あおば通行と、下りの高城町行がもうすぐ来るようだ。単線なので当駅で交換する。まだ仙台に戻るには時間が早い。高城町行に乗車する。偶然にも先程、本塩釜-松島海岸間で乗ったのと同じ車両だった。松島観光をしている間に、松島海岸→高城町→あおば通→松島海岸と一往復したのだろう。松島海岸を出ると、仙石線(単線直流電化)は東北本線(複線交流電化)と並走する。渡り線が見える。そして東北本線と別れる。松島駅が見える。仙石線は川を渡ると、終着の高城町に到着した。

仙石線 快速 3255S 松島海岸(13:34)→高城町(13:37) クハ205-3108


metro 高城町に到着symbol6

東塩釜-高城町間は、5月28日に運転を再開したばかりである。しかし高城町以遠は不通のまま。高城町-矢本間は、線路の流失など津波被害が大きく、再開の目途は立っていないという。矢本-石巻間は、変電設備被災のため、気動車で7月末の運転再開の方針という。


石巻方を望む! (高城町)

地震の日から列車の走らない線路の表面が錆び付いていた。やりきれない。


仙石線 高城町駅 (宮城県宮城郡松島町高城字元釜家)

今は仙台方面へ列車が折り返すのみの高城町駅。昨年はここから下り列車に乗り、野蒜まで行って散策している。そちらの津波被害は甚大であり、心が痛むばかりである。


前進松島

瑞巌寺住職揮毫の「前進松島」の文字は、町のあちこちで見られる。


プラットフォーム側から見た駅舎 (高城町)

高城町駅には、簡易Suica改札機が設置されている。


仙石線 普通 1326S列車 [205系車両] (高城町)

あおば通方の車両には、サイボーグ009のデザインが。


またロボコンの車両に戻る!


うっすらと昔の車番が! サハ205-49 クハ205-3108

かつて首都圏で走っていた車両が、仙石線で活躍している。


車内はこんな感じ!

他の車両は、首都圏を走っていた頃と同じくロングシートなのだが、石巻方のこの車両はクロスシートがある。


車内にもキャラクターが!
いずれも平成23年6月1日撮影

仙石線 普通 1326S 高城町(13:59)→仙台(14:40) クハ205-3108

各駅停車で仙台に戻り、バスの出発までインターネットカフェで時間を過ごす。夕刻、バスで仙台の街を後にする。仙台宮城ICより東北自動車道に流入すると、買ってきたずんだ餅ぷち(336円)を食べて、仙台の余韻に浸る。帰りも吾妻PA大谷PAで休憩。うとうとするうちに、バスは岩槻ICより流出。渋滞もなく、定刻よりも早く帰ってくることが出来た。 (おわり)

日本中央バス 〔ミリオンライナー〕 仙台駅東口(17:50)→武蔵浦和駅入口(23:05)

バスで行く宮城県 松島

2011-07-03 00:00:00 | 小さな旅

仙石線 快速 3121S列車 [205系車両] (本塩釜)

本塩釜駅は昭和55年に利用した事がある。当時の本塩釜駅は地上にあったので、高架駅となってからは初めての利用となる。東塩釜行の普通列車を見送って、高城町行の快速列車に乗車する。先頭車両の車体にはロボコンが。


metro 本塩釜より松島海岸へsymbol6

仙石線 快速 3121S 本塩釜(11:25)→松島海岸(11:34) クハ205-3108

本塩釜を出発。高架線を走る列車から港の方を見ると、明らかに津波の被害を受けているのが判る。東塩釜に到着。先程見送った列車が止まっているのが見える。この先の仙石線は単線となる。海岸沿いに出る。きれいな入り江だが、打ち上げられたような船があったり、瓦礫があったりする。陸前浜田付近で仙石線は東北本線と絡み合うように走り、松島海岸に到着した。ここで下車する。プラットフォームから石巻行の代行バスが見える。


JR東日本 列車代行バス 117便 (松島海岸)


仙石線 松島海岸駅 (宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜)

仙石線は震災の影響で、高城町-石巻間が不通となっている。代行バスへは松島海岸での乗換えとなり、快速列車から降りた人が乗り換えている。券売機で目的地までの乗車券を買ってからバスに乗車するよう案内されている。代行バスの行く先は津波被害が甚大であった地域である。今日はそちらへは向かわず、松島を散策する。


海は何事もなかったかのように美しい…


五大堂が見える!


日本三景碑


陸奥松島 丹後天橋立 安藝嚴嶋 爲三處奇觀
寛永二十年(1643) 日本國事跡考 林 春斎
※一部、字が異なります。ご了承ください。

丹後の天橋立にはまだ行った事がない。


五大堂《重要文化財》 (宮城県宮城郡松島町松島字町内)

足元の踏板の隙間から海が見える、すかし橋を渡って五大堂へ。こちらにも地震の被害が。五大堂は大同2年(807)、坂上田村麻呂の東征の際、毘沙門堂を建立したのが始まりという。現在の建物は伊達政宗公が慶長9年(1604)に創建したそう。五大堂はこれからお参りする瑞巌寺のお堂である。


福浦島と福浦橋 (宮城県松島町松島字仙随)

松島湾に浮かぶ福浦島(右)と本土(左)との間には、朱塗りの福浦橋(252m)が架かり、島内を散策できる。通行料200円が必要。


旅客船〔第三仁王丸〕

やはり松島観光といえば遊覧船でしょう。4月には大型船の運航を再開しています。自分は昭和55年に、塩竈から松島まで小さな船に乗って観光した記憶がある。


国宝 瑞巌寺 総門 (宮城県宮城郡松島町松島字町内)

いよいよ瑞巌寺へ。総門は慶長14年(1609)、伊達政宗公による建立。松島は曾遊の地なのだが、瑞巌寺にお参りしたか記憶が曖昧だったので、旅行前におかんに確認したところ、お参りしたという。門前の土産物店は被災して閉めているところもあるが、開いている店舗もある。


参道の杉木立

このあたりは記憶にある。


鉄道殉職者弔魂碑

鉄道の安全を祈願する。瑞巌寺の裏を、東北本線、仙石線が走っている。さて、この先は拝観料(700円)が必要となる。京都のお寺と比べて少し高い気がするが、今日は瑞巌寺にお参りすると決めていたので、入らせていただく。拝観券は自動販売機での購入となるが、何とSuicaが使える。受付で切符を切ってもらい、パンフレットをもらい中へ。順路に従い、庫裡へ。


庫裡《国宝》

庫裡より、奥に続く大書院へ。修理中の本堂から移されている御本尊、伊達政宗公大位牌、三代開山木造等々、特別公開されている。他にお参りする人も少なく、大書院内で一人で御本尊、聖観世音菩薩様にお会いする。内部は撮影禁止となっており、お見せする事は出来ませんが、今回も無事お参りする事に成功しました。


瑞巌寺には多数の洞窟がある


隧道もある


隧道の内部


本堂《国宝》は文化財保存修理中

瑞巌寺は臨済宗妙心寺派に属し、正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺というそう。天長5年(828)慈覚大師の開創と伝えられる古刹。本堂が修理中なのは残念だったが、宝物館(青龍殿)の興味深い展示物をゆっくりと見せていただいた。実に31年振りの瑞巌寺だったが、今度は本堂が見られる頃になったら再訪したい。 (つづく)


法身窟


総門の外には松島湾
いずれも平成23年6月1日撮影