フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

相撲

2017-03-27 08:04:21 | Weblog

久しぶりにテレビで大相撲を見た。稀勢の里が気になっていたからだ。まるで絵に描いたような逆転劇で優勝を勝ち取ったのだけど13日目の相撲で左肩を負傷。14日目には休場かと取り沙汰されたけど負傷を押して出場。なすすべなく敗れ去り千秋楽も大方の予想では「相撲にならない」「怪我が深刻化しないためにも休場してもらいたい」だった。なんせ北の富士とか舞の海なんかの専門家がそう言ってたんだから僕らも完全にそう思っていた。あとは横綱の責任感って日本人じゃないと分からないだろうなとか相手が勝って当然と言われる相撲をとらなきゃならないというプレッシャーで嫌だろうなとか予想は100%負けになっていた。ただ一部の望みがあったのは相手の照ノ富士が14日の相撲で大関らしからぬ姑息な勝ち方をしたからファンの心証を悪くしていることだ。これで照ノ富士は完全に悪役になってファンの目の厳しさに姑息に勝ちに行けなくなったつまり正攻法でしか作戦が立てられなくなったということだ。本割では大方の予想を裏切って稀勢の里がもつれながらも土俵際で突き落として勝った。そして照ノ富士と優勝決定戦。ここでも、専門家もみんなも二番続けて勝つのは無理だと思っていた。ただ照ノ富士、あいつはいいヤツなんだろうね。悪者になりたくないという思いが見て取れた。オレなら左腕を小手に巻いて潰してやると思うんだけど照ノ富士もそう思ったんだろうけどその作戦は封印してでた。この時点でもう負けてたんだ。土俵に上がったら稀勢の里は鬼だった。体が竦んだ照ノ富士は立ち合いの呼吸すら合わすことが出来なかった。横綱の威厳が壁のように見えたんじゃないかな。ようやく立ったら反対に左腕を小手に巻かれて敗れていた。気持ちの強い方が勝つ。横綱大関なら技術や体力にそれほどの差はないはず。照ノ富士の横綱への道は遠いのかもしれないとテレビを見ながらそう思った。照ノ富士は悪者にならなくてホットしているのかな?

コメント
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