ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

終わりにみた町

2005-12-05 18:05:22 | ドラマ・ワイドショー

土曜日の「山田太一スペシャル 終わりに見た町」を見ました。

私、結構山田太一さん、好きです

あの紋きり型のセリフがいいんですよーー

ひところは影を潜めたような感じがしましたけど、やっぱり

言いたいことを最初に言っちゃう」形式のセリフは健在でした。

とはいえ、この作品は過去にもドラマ化されていたので、今回は

ご本人によるリメイクと言ったところでしょうか

 

うーん・・・まあ、最終的にSFドラマとしてみる分にはまあ

納得も出来るのですが、どうしても「山田太一とSF」っていうのが

結びつかないので、ラストの唐突さが異様です

(まるで少年ドラマシリーズを見ているような気が・・・・

夕ばえ作戦」とか「幕末未来人」とかねーー

タイム・トラベラー」的な要素も多々ありましたよねーー)

それに・・・

現代の家族が昭和19年にタイムスリップして、そこから何を

学んだのかが不明確だったような・・・・?

最初はおろおろして逃げ回り、それから環境に適応して・・・

でも自分達だけは未来がわかるので、それをみんなに教えようとする

でも大きい子供2人は何時の間にか「戦時中の思想」に染まってて

言い争いをしている間に空襲警報

そんな筈ないと思って逃げ回ってたら、今度は未来に飛んで

そこで「終わりにみた町」は原爆を落とされた未来の東京。

 

それだったら家族でタイムスリップする必要もなかったのでは?

やっぱり、家族の会話がなく、引きこもりやゲーム依存の子供が

戦時中の思想に触れてどう変化していくか、大人達もどのように

同化していくかを細かく描いて欲しかったと思います

(柳沢真吾の適応性は同化というのと違うし)

特に引きこもり少年(窪塚俊介)が、どういう過程を経て

「軍国少年」になっていったのか・・・・そこが一番知りたかったです

それに、こういうタイムスリップものでは不文律になっている

未来の人間は過去を変えてはいけない」という事を

あっさり無視して「昭和20年3月10日の東京大空襲」を

教えようとする行為・・・・・これはタブーですよねーーー

まあ、空襲警報がなっているのに

「この辺りは絶対に空襲されない」と言い張っている未来人の

「おごり」みたいなものが見えて面白かったですけど・・・・・

 

ドラえもんを出す気持はわかりましたけど、ちょっと番宣にみえなくも

なかったしなーー

(でも今時の子供って本当に日本がアメリカと戦った事実を

知らないんですよねーー

あちらさんは絶対に忘れないっていうのに、負けた日本が忘れて

しまっていいんでしょうか・・・ちょっと恥ずかしいよねーー)

 

あーーーっ「俺たちの大和」始まってる?

チケットあるんだった・・・・・見に行かなくちゃーーー

 

コメント (6)
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トニー流 幸せを栽培する方法

2005-12-05 17:47:02 | つれづれ日記

最近すっかりトニー&左多里ブックがブームのようで。

 トニー流 幸せを栽培する方法 

(トニー・ラズロ著  ソフトバンククリエイティブ)

今までは「左多里の旦那さんのトニー」だったんですけど、

初めて「トニー・ラズロ」単独書き下ろしエッセイ

というわけですね

(でもイラストは奥さんだしねーー)

この本は一種の「哲学書」として読むのがいいでしょう

でも、カントやデカルトのような、あるいはヘーゲル弁証法のような

そんな小難しいものではなく、

ちょっと「頭が退屈してきたなー」という時に読んで欲しいわ

 

項目がいくつも分かれています。

「芽のl章」・・・「嫌いは禁止」

            「ほどほどに」等

「樹の章」・・・「躁と鬱のまんなかで」

            「我よいこと思う、ゆえによい我あり」等

「美の章」・・・「こっそり一日一善」

           「私の幸せ、あなたの幸せ」等

 

こんな風なサブタイトルで、その都度ちょっとした格言つきで

語ってくれるのです

トニーは語学オタクというだけあって、どこの国の格言もすーらすら。

こんなの日本人でも知らないよってな事までご存知。

学者さんだったんだなーーと。

このエッセイの中で特に心を打ったのが

自立してから結ばれよう」という項。

「人」という文字が支えあって一人前という意味ではなく

「自立している人間同士のつながり」として捉えるということ。

夫婦もまたそうでなければならないということですねねーー

トニーのはちょっと理想論でしかないような部分もあるとは

思うのですが、これから結婚しようという方にはぜひ読んで頂きたい

 

でもそろそろご夫婦の面白おかしい日常も読みたいな:--

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オジャマモンを育てた風土

2005-12-05 11:21:31 | つれづれ日記

ご本人にとってははなはだ迷惑な話だと思います

何だか「身の危険」を感じて雲隠れしちゃったようですけど

「全力で」と言ったわりにはあっさり逃げ腰になるさまは

彼の性格が「弱気」である事を証明しているようです

弱気っていうか・・虚勢を張ってるだけ?

 

オジャマモンを見ていると、ある意味では

東北人だなーー」と思う部分も多いです

わりと「権威主義」っていうか、「男の沽券」みたいなものに拘るし

(それはどこの地方でも同じかな)

故郷に錦を飾りたい」気持が大きくて、

色々寄付したりして自慢し

地元の有力者」になり、なおかつ「尊敬」されたいわけね

(鈴木宗男さんも同じタイプだと思います)

本当に名家の出身ならわざわざそんな「権威付け」をしなくてもいいのですが

東北地方では

「お金持ち」である事よりも「お墓が古くて立派で家柄も

古い(武士階級の出)」という事の方が重要視されるので、

本来ですと、いくら地元にお金をばらまいても、本質的な「尊敬」を

受けるには至らないんですけどねーー

(むしろ「お金に汚い」とか言われて陰では嫌われるタイプ)

 

野村のサッチーなんかは、昔は貧乏だったので一旦お金を得ると

どうしてもそれを減らしたくない衝動にかられてしまい、贅沢三昧で

しかも田舎での屈辱的な思いを引きずっているので、ついつい

悪さをしてしまう・・・・という性格でしょう

(あら・・・決め付けちゃった)

オジャマモンも多分そういう気質は大いにあるんですよ

つまり

「田舎での負け組」からのリベンジ→急激な出世→

自尊心の満足→地位を失いたくないので

利益だけを重視する・・・

そんな感じでしょうかねーー

 

オジャマモンが生まれた宮城県色麻町

非常に歴史が古い町です。

どれくらい古いかというと、天平時代まで遡ってしまうくらい

つまり、「蝦夷の軍事拠点」の一つだった町です

(大河ドラマ「炎立つ」の時代かな?

坂上田村麻呂なら知ってる?

それと・・・多賀城は知ってる?)

要するに伊達政宗が支配する以前から、そういう人達がたくさんいた

町という事ですねーー

「反骨精神」の町とでも言うんでしょうか・・・・・・

 

でも今は隣りの古川と一緒で、「ササニシキ」を始めとする

宮城県の大きな米どころになっています。

旧家(大農家)もたくさんあるし、閉鎖的な風土を持っていたのでは?

彼が出た「古川高校」は県内随一の進学校らしいですねーー

 

古川といえば「民本主義」を唱えた吉野作造の出身地だそうです。

(色麻町は「かっぱの町」なんですって・・・何だか可愛いっ

 

ここらへんで多い苗字といえば「伊藤」「伊東」「佐々木」「木村」「佐藤」

かな・・・小嶋っていう苗字は珍しいんじゃない?

もしかしたら元々は土地の人ではないのかも・・・・・

 

彼はいわゆる進学校に入学しながら「一刻も早く稼ぎたい」といって

大学にいかなかった口ですよね

そこらへんの学歴コンプレックスも非常に大きな影響を落として

いるのではないかと思います

地元の同窓会には必ず出席して多額の寄付をしてみたり、

母校に「小嶋図書館」を寄贈したり、自分が歌ったカセットテープを

配ってみたり・・・・

なんていうか、ある意味涙ぐましい「地元回帰」への努力をしているんです。

私もそうなんですけど、田舎から上京すると、必ず一度は

「故郷に錦を飾りたい」「故郷の人を見返したい

と思うもので、それは「ちょっとお金持ち」に

なったような振りをする事だったりします

(小さいけどいいコートを着ていったり、ブランド品を持ってみたりね)

なんと言っても田舎では

「上京した」=「金持ち」みたいに思っている人が多く、

それでいて何年も実家に帰らないと

「あそこの○○は親不孝者」のレッテルを

貼るようなのが多いんです

(上京するしかない人とか、仕事が忙しくて帰れない人もいるんですけど、

そういう人達は田舎の人からみると「家を捨てた」とか言われたりするの。

どんなドラ息子でも地元に残って農業を継いでくれれば親孝行)

 

だからオジャマモンは同窓会には必ず出席して存在感をアピールし

お金をばらまくことで「成功した小嶋」を印象付けたかったのでしょう。

なんたってお金持ちで帰ってくれば「小嶋の息子は親孝行」って

言ってもらえるし両親の株は上がるし、帰る度に上座に座らせてもらえる

んですもんね

(たとえ陰では「たいした家でもないのに威張り腐って」って言われても

気にしな――い)

 

彼には「コンプレックス」を打破し、田舎で馬鹿にされないだけの

「財力」を得る必要性があったということ。

その為には一日でも早く「出世」し、故郷に錦を飾らねば・・・・・

絶対に見返してやる・・・くらいの気概はあったでしょうね。

 

実のところ、彼の地元での人間関係がどうだったかなんて

わかりません

変わり者」程度に思われていたのは事実でしょうが、

それ以上の事はわからない

でも、多分その「変わり者」っていうか、「枠にはまらない性格」が

故郷で浮いていたのは事実で、それを本人も感じていたんだろうと

思うんです。

そしてそんな「閉鎖的」な部分を持つ故郷が嫌いだったのでは?

嫌いなんだけど「さすが」とも言わせたい・・・・・・

この合反する感情が、結局は自分の会社を窮地に陥れる事に

なったのではないかなーー

 

もし彼が完全に「故郷」と決別していて、

いいさ、俺は俺なりに地道にやるさ」くらいに思っていたら、

こつこつとした事業展開になった筈ですもんね

基本的に東北の人は金儲けは下手だけど、

ばかみたいに真面目でお人よしで臆病な部分を持っています。

雪国の人は「耐える事」に生き甲斐を見出すし・・

(おしんの両親がいい例ですよね)

でも「くやしさ」をばねにすると、大きなちからを発揮するんですね。

オジャマモンには、もう一度「真面目で辛抱強い」東北人気質

取り戻して欲しいです

歴史と伝統に彩られた色麻町と古川の名を汚すことのないように。

コメント (2)
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