朝から力なく元気なく・・の私ですが
ついついテレビをつけたら「サンデープロジェクト」が始まったので
見てしまいました
私、以前は田原さんの語り口はそんなに気に入らなかったんだけど
最近の「決めつけ風極端な言い回し」にはちょっと引きますね
「簡潔に表現」というのではなく「極端に切り捨てる」ような印象があるので
今日も武部幹事長に「昭和天皇の合祀に関する不快感」の感想を言わせて
「宗教などに対して特定ことは・・」という武部さんに
「じゃあ、昭和天皇の意思はどうでもいい?1億人の一人にすぎない?」
なんて畳み掛けるように言ってましたよね
こういう言い方って「昭和天皇がどう思っていようと関係ない」と
答えれば「不敬の極み」とか「天皇の存在意義がないというのか」って話に
なるし「重く受け止めるべき」と答えれば「じゃあ参拝をやめるのね」という
ことになり・・・
まるでパリサイ人に試されるイエス・キリストの心境?
今回はいわゆる「右派」の櫻井&岡崎VS「左派」の菅&加藤という顔ぶれ。
菅さんや加藤さんが鬼の首でも取ったみたいに
昭和天皇のメモの最後「私の心だ」を強調して
「ああ、やっぱり昭和天皇はそう思われていたのか」と言い
「靖国問題は国内問題であって中国も韓国も関係ありません。歴史に
基づいて議論すべきです」と主張し始めました。
一方櫻井さんは・・・(この方のどこまでも冷静な態度には敬服します)
富田メモは富田長官の私的な思いが入っているのではないか
(言葉の解釈の問題において)メモはあくまでメモであり公式の文書では
ないという点において検証が必要。ゆえにこれをこのまま信じて
「昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だった」と解釈すべきではない。
昭和天皇は東條らには親しみを感じていたが、松岡・白鳥両氏には
不快感を募らせていた。
昭和天皇は「戦争責任は全て私にある」とマッカーサーに言った。
他人の責任にしない人が自分の身代わりになったA級戦犯に対して
不快感を示すのはおかしい。
岡崎氏は
当時としてはたとえメモであっても、天皇は「平和主義者」という
イメージを保たなければならないので、言葉のニュアンスをこのように
解釈して書き残したのではないか。
1988年当時の昭和天皇の判断能力の問題
等を上げています
結局のところ、司会の田原さんもいわゆる「左派」なんでしょうから
櫻井さんや岡崎さんの言葉を遮ったり、すぐに「じゃあ昭和天皇の言葉
なんて何の重みもないって言うんですね」っていう言い返しをして
印象的には菅&加藤の方にちょっと軍配が上がったように思えますが。
(だって・・櫻井さん達が今の時期にこのメモが出てきた事の意義を正そうと
した時点で時間切れよーーー)
小泉さんみたいに「人それぞれ心の問題があるから」と逃げて
民主党の渡辺さんに「思いあがりだ」といわれるのもどうかと思うけど。
皇室ジャーナリストの神田さんが紹介した「入江日記」に書かれている
「松岡・白鳥両氏への非常な不快感」・・は事実だと思います。
私、思うんですけど「私、あれ以来参拝していない」の「あれ」って
A級戦犯合祀じゃなくて「松岡・白鳥」両氏の事なんじゃないですか?
メモだもの、「・・・の上」って書いてても実際には「・・はしょうがないとして」
とか「・・・と一緒に」とかのニュアンスで使う事はよくあるじゃないですか?
私も日経に発表されたメモを読んで感じていた違和感。
戦争当事者として何となく無責任感のある言葉・・
櫻井さんが言ってるように「東條達にはいい感情しか持っていなかった
筈の昭和天皇が合祀に不快感を示すことはありえない」と思うんですよ。
「A級戦犯」にされた理由をよく知っていたのは他ならぬ昭和天皇ですもの。
・・・・でもお歳のせいでもうろくしていたとか?
(きゃーーーっ不敬の極みっ)
私自身の「昭和天皇」のイメージと違うから受け入れられないとか?
自分自身を疑ってしまうような「富田メモ」
どなたか早く検証をお願いしますよーー
そしてやっぱり聞きたい。
なぜ今?誰が?何の為に?