ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇太子夫妻結婚15周年2

2008-06-09 13:48:55 | 皇室報道

 阪神大震災と地下鉄サリン事件

結婚後、皇室に対する関心はそれほどなかったのですが、

いわゆる「皇后バッシング」があって、皇后が文書で抗議し、尚且つ

声を失うという事があり、週刊誌を読みまくった事があります。

当時のバッシングはすさまじかった。

今思えば、何となくこの頃から不穏な動きはあったようですね。

 女性週刊誌を読んでいた主婦層は、多分「雅子様はいつどのように

して皇室外交の手腕を発揮するのだろうか」

と思っていたでしょう

でも一方で、「雅子妃は実は社交下手で学習院の集まりに皇太子と

行った時も途中で気分が悪くなったといって部屋にこもった」という

エピソードもありました。

 皇太子夫妻の最初の外国訪問は中近東

この時は震災直後の訪問だったのでキャンセルすべきと随分言われましたが

結局強行したんですよね。

かの地では・・今じゃ考えられないような弾ける笑顔を見せていた雅子妃。

中々帰りたがらなかったようです。

その後も「地下鉄サリン事件」等が起きて、世の中が不穏になり、

皇族の外国訪問は少なくなったような気がします それは日本だけでは

なく外国の王室もそうでした。それが雅子妃にとっては予想外のこと

だったのかもしれません。

 

 香淳皇后の葬儀を欠席

皇太子妃に対する疑惑の目はこの頃から既にありました

一般でも大姑の葬儀に跡取りの嫁が欠席したら大事ですが、なんと

それが皇室の中で堂々と行われてしまったのです

しかも理由は「夏ばてのようなもの

身分や立場を考えれば欠席なんて出来ないし、周りもさせない筈なのに。

あっさりと出ないんですよね・・・・この後も宮中祭祀は休みがちに

なったといわれています。

「諸君!」には香淳皇后の葬儀の準備の為、両陛下は移動の車の中で

寝込んでしまう程熱心に準備をしていたと書かれていましたが・・・

そんな両陛下の思いを見事に踏みにじった一件でした。

 

 雅子妃は不妊?

結婚当初からヒールの底が低くなったら「妊娠か?」

公務を休めば「妊娠か?」

と騒がれていた雅子妃。確かにうざったい一面もあったかもしれませんが

実は皇太子夫妻はこの頃からすでに公務は鑑賞系ばかりで、あとは

静養のニュースがほとんどで、傍目から見ても「遊んでばかりいる」と

いう風に見えました。

女性週刊誌では

 アトピー治療の為

 環境ホルモンの為

不妊ではないかとも書かれていたようですね。

でも、そんな折、秋篠宮家に佳子様が誕生したのですが、この出来事は

東宮家にとって相当悔しいものだったのでしょう

以後、どんどん秋篠宮家はマスコミに取り上げられることもなくなり、

佳子様の映像もあまり残っていません。

 「ご優秀な雅子様」と言われる割には、そういったエピソードが

何一つなく、公務で居眠りした写真を撮られたりする妃に違和感が

ありました。

 

 流産

この流産事件は「マスコミのせい」と書かれまして、随分新聞が悪者に

されたようですが、実はこの時、ベルギーへの訪問を控えていて

雅子妃は回りに妊娠を隠してベルギーへ行き、ワインを飲んで・・・

といういきさつだったようです

「妊娠・出産よりも外国に行きたい」という思いが強かったんでしょうね。

後にベルギーから「妊娠を知らなくてすみません」とお詫びが来たとか。

 

 愛子内親王誕生

 愛子内親王が誕生した時、何となく「やっぱり女の子か」という

ムードで、「これは女帝問題になりそう」と思ったものでした。

皇太子は雅子妃の定期健診全てに付き添い、出産の時も側にいて

生まれたらお風呂に入れ、オムツを取り替え、外ではおぶって・・・と

「今時のパパ」ぶりを見せ付けてくれました

でも「公園デビュー」には引きました。だって月曜日の真昼間に

夫婦が子連れで公園で遊んでるんですよ?「仕事しないで

何してるの?」みたいな・・・・・

皇太子夫妻は両陛下に「公園デビュー」を反対されたので、公務を

欠席して強行したんです。そしたら案の定野次馬が一杯来て

警備は大変な事に  これも「国民が悪い」のかもしれませんが。

内親王は1歳半まではにこにこ笑って手を振っていましたが、以後、

笑顔が消え、両手をがっちりご両親に繋がれている姿ばかりが撮影

されるようになりました。

 

 「外国に行けない」発言

「私にとりまして・・・」で始まった「外国にいけない生活に慣れるのに

努力がいった」云々発言はその後の「人格否定」発言に向っていく

流れでした。

林田長官の「秋篠宮家に第3子を」発言で雅子妃は倒れた・・・と報道

されましたが、実際には「東宮家に第2子を、秋篠宮家に第3子を」と

発言していたのです。

私は子産みマシーンじゃない」という言葉が女性週刊誌に踊り始め

優秀でキャリア外交官だった雅子様に対して世継ぎのプレッシャーを

かける宮内庁及び両陛下はひどい」的な書かれ方をしていました

 子供を産むより外国に行きたい

 葬儀などで外国に行けて感謝している

などのちょっと支離滅裂発言があったことも・・・・

以後、療養生活に入るのでした。

 

 「人格否定発言」

そして「雅子のキャリアや人格を否定した動きもあった」と皇太子が

発言したのですが・・・

今もって不思議なのは、一体誰がいつどのようにして妃のキャリアや

人格を否定したというのだろう・・・という事。

林田長官の発言がその一つであると週刊誌は書きたてましたが、

私はそうではないと思います。

っていうか・・・どんな家でも次の世代を必要とするのは当然の話で

それを「人格否定」と言うのはいかがなものかと思います。

また、雅子妃のキャリアはわずか2年ちょっと。皇室にいる方が長いのに

いまだに「元外交官」を背負って生きているほうがおかしいと思います。

 

今や

雅子様は皇太子妃としての振る舞いを要求されると具合が悪くなる

とかかれる始末。

結婚15年もたって、皇族らしい立ち居振る舞いの一つも身に着けず

上記のように言われてしまうのは、彼女にとって「結婚」そのものが

実はめちゃくちゃハードルが高かったという事に他ならないのでは?

これからどうするんでしょうね?

一生「国民が、宮内庁が、両陛下が悪い」と週刊誌に書かせて静養

三昧するつもりなんでしょうか。

15年経っても「小和田雅子さん」が一番しっくり来る女性です。 

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皇太子夫妻結婚15周年

2008-06-09 08:18:51 | 皇室報道

 昨日、皇太子一家はメキシコ大使館へ行ったそうですね。

何をしに?愛子内親王は大使館の子供達と一緒に遊んだとか・・・・

さっさと娘と一緒に車から降りて大使館に入っていく皇太子妃に

「相変わらずだなあ」と思ってしまいました。

 

 皇太子夫妻結婚15周年 

 

 日は皇太子夫妻の結婚記念日。結婚して15年になりました。

  記憶だけですが、ちょっと15年を振り返ってみましょうか。

 

 難航していた皇太子妃選び

浩宮の結婚話は宮が20歳になった頃から盛んに話題に取り上げられる

ようになったと思います。

沢山の女性達の名前が浮かんでは消えて行きました。

やっぱり「美智子様が苦労したから」という印象が強くて、中々お妃に

なってもいいという人がいなかったのでは・・・と思います。

平成になって突如、礼宮川嶋紀子さんの婚約が整い、世の中は

紀子さんブーム」になりました

民間から初の皇太子妃で聖心女子大卒」の美智子様に比べて

紀子妃は学習院の教授の娘で自らも学習院の大学に在学中。

これは聖心に東宮妃を取られた常磐会の方々は大喜びした事と

思います。

初々しい記者会見も話題になりましたよね

一方で、「弟の方が兄より先に結婚するいきさつ」について、女性週刊誌

があまり好意的でない書き方をしたのも事実です

昭和天皇の喪中に」

「長幼の序を覆した」

「学生結婚」

「妃殿下になる人の実家が社宅とは・・」

と色々書かれました。実はこの頃から外務省・小和田家の

「東宮妃入内」画策は行われていたのかもしれません。

わがままを通して結婚した礼宮」とそれにまつわる都市伝説が生まれた

のはこの頃

水面下では小和田雅子さん入内で話は進んでいたと思われますが

何分にも彼女はチッソの孫娘。しかも官僚の娘という事で、宮内庁を

始め、両陛下からも反対されていたと思われます。

秋篠宮バッシングはそのような流れの中で意図的に流されたのかも

しれませんね。

 

 「ティファニーであれやこれや買う人は困る」

浩宮の独身時代の言葉で有名なのはこれ。

価値観が同じ人でないと。ティファニーであれやこれや買う人は困る

と言っていた同じ人が15年の後、妻と一緒になって贅沢するように

なるとは・・・・・人ってわからないものですよね

私の印象では、天皇家、東宮家、どちらもかなり質素で、バブルの頃

ですら地味だった印象があり それが当たり前と思っていたんですが。

 

 「私は関係ありませんので」

皇太子のお妃候補として名前があがった人はどれくらいいるんでしょうか?

最終まで残ったのが久邇晃子さんという香淳皇后のご実家筋の方。

小和田雅子さんは家柄がよろしくないというので落ちた筈・・・でも

マスコミは随分追いかけていたようですね

「私は関係ありませんので」と厳しい口調で言い放ち、

どこの社の人?名刺出しなさい」とマスコミに詰め寄った雅子さんを

見た時、「こりゃあ絶対に皇太子妃にはならないだろうなあ」と思いました

天皇家に嫁いで清貧と福祉の精神で生きるより、バリバリ仕事を

した方が楽しいだろうな・・・と思っていましたし

 

 皇太子妃に小和田雅子さん決定

それが一転して「皇太子妃に小和田雅子さん決定」のニュースが

駆け巡った時、正直驚いてしまって・・・

「何で?あの人、関係ないって言ってたじゃないの」と・・・・

 

 家柄と学歴

公式には小和田家は新潟の村上藩の藩士の家柄?

母の優美子さんの父はチッソの元社長。

父の恒氏は外務省勤務。彼の兄弟はみんな東大卒でしたっけ?

そして雅子さんは「ハーバード大卒、東大卒の外交官」という

キラ星のようなキャリアを背中にしょってました。

双子の妹達の学歴もそりゃあすさまじいものがあり・・・

当時29歳という少々とうが立った女性であったとしても、私達は

「さすがに皇太子妃になる人は学歴もキャリアも違う」と思いました。

 でも考えてみれば皇室に学歴は関係なかったんですよね。

美智子妃がたまたま聖心女子大をトップの成績で卒業した実績が

あったから「妃は高学歴じゃないと」という価値観が生まれたのかも。

思えばそれが失敗の元。

 

 記者会見での黄色のスーツと帽子

 あの真黄色のスーツと帽子を見た時は正直言ってびっくり仰天。

色もだけど、帽子っ 妃殿下になる前からああいう帽子を被るのか

と・・・ まあ、雅子さんは色が黒いのでああいうショッキング系の色が

似合っていたのは事実ですが、それにしても大した自信だなあ・・・と。

 

 記者会見語録

私としては、「関係ない」と言っていた人が何で突如結婚を承諾

したのか・・・それが知りたくて記者会見を見ていたんですね。

 チッソの孫という家柄については皇太子が「水俣問題の時、

  彼女のおじいさんは社長じゃなかった」と発言して「問題なし」と

  したのでした。

 第一回目のプロポーズでは「お断りしてもよろしいでしょうか?」

  と聞いた雅子さん。

  でも次には「皇室外交するのも外務省で外交官するのも同じ」と

  説得されてその気になったと

  そんな事言っちゃっていいのーー?殿下ーーと思いました。

 「オーケストラが出来る程には」・・・これは「お子様は何人?」と

  聞かれて雅子さんが答えた言葉。

  紀子さんの「よく殿下と相談して」と比べるとかなり違います。

  要するにこの時は「子供くらいすぐ産める」と思っていたんでしょうね。

  「かなりの自信家」という印象を受けました。

 「一言付け加えさせていただくと

  雅子さんはこの言葉を記者会見で連発。

  これは多分官僚言葉なんでしょう。雅子さんの言葉はとにかく

  回りくどくて分かりにくかったです。

  そしてこの「一言・・・」がかなり生意気に聞こえたのも事実で。

  でも当時はやっぱり「ハーバード大卒は言うことが違う」と思っていた

  んですけどね。

 「雅子さんの事は僕が全力でお守りしますから

  いわば今に至る「雅子妃問題」は全てこの言葉から始まっているのです。

  これは皇太子の発言ではなく、雅子さんの発言です

  本当にそんな事を皇太子が言ったかどうか・・それはわかりませんが

  記者会見「言質を」取った事で

  「あの時、全力で守ると言った筈」という切り返しは今に至るまで有効

  なんですね。

  当時は沢山の女性がこの「全力でお守りします」という言葉に憧れた

  ものでした。

 

 「皇室で外交をしますので」が最後の挨拶

婚約内定後、盛んに流された映像は雅子さんが外務省の通訳と

して活躍する姿でした。でもそれがまさか「最初で最後の花道」で

あったとは・・・・ 要するに実際には通訳を務められる程の能力は

なく、親のコネクション利用しまくりの外務省生活だったようですね。

(事実の一つとしては新人は車通勤は駄目なのにお父さんの駐車場を

使って車通勤していたとか)

外務省への最後の挨拶は「これからは皇室で外交をしてまいります

だったと思いますが、この台詞にはかなり違和感を覚えました。

結婚=仕事に結びつけるおかしな考え方をこの時点で正さなかった

皇太子にはかなり責任があるでしょう。

普通、結婚したら子供を産んで暖かい家庭を築いて・・・となる筈が

「子供よりも外交」を優先しようとした萌芽がすでにこの時から

あったのです。

 

 どしゃぶりの結婚式

15年前の今日はどしゃぶりの雨でした。皇室の慶事にどしゃぶりの

雨とは縁起が悪いと思いました。

でもテレビ等では「結婚の儀」は賢所で行われるから雨が降っても

大丈夫と言ってました。

パレードの時には夕焼けが出ましたしね。

この時、紀子妃が背筋をまっすぐに伸ばして口を真一文字に

結んで前を見据えていたのが印象的でした

結婚からたった2年くらいで「この夫婦、大丈夫か?」と思ったんですが

今考えると、当時、秋篠宮には「タイに愛人がいる」という報道がなされて

いたんですよね

確か公務を休んでタイに行った事もバッシングされていました

皇太子の結婚直後に起きる「皇后バッシング」も含めて、当時から

雅子様は優秀で素晴らしいけど、ほかの方々は・・・」という意図的な

報道がなされていたんですね

少しも知らなかった国民はすっかり騙されて踊らされたわけです。

 

雅子妃のドレスは森英恵さんの作ったもの。アトピーを隠す為に

首周りを隠すようなデザインのものでした

祝宴の時のローブ・モンタントも金色だったかしら?とにかく派手な色

が好きなんだな・・・と思ったものです。

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秋葉原の通り魔事件

2008-06-09 08:18:24 | つれづれ日記

 まずは・・・スピード社の水着で世界新記録を出した

北島選手、おめでとうございます 水着一つでここまで記録が変わるなら

今後、各国の対応がどうなるのか・・・お金がある国は水着を買えるけど

そうじゃない国は・・・・とか こんな所にも格差が?

 

 秋葉原で通り魔事件 

 

 びっくりしました。まさか秋葉原で通り魔事件だなんて。

 8日午後0時35分ごろ、東京都千代田区外神田4の秋葉原電気街の

   交差点で、2トントラックが歩行者数人をはねた。

 運転していた男が車を降り、持っていたサバイバルナイフで

   歩行者らを次々に刺した。7人が死亡し、11人がけがをした。

 男は駆け付けた警察官に現場近くで取り押さえられ、殺人未遂容疑で

  現行犯逮捕された。

 男は、静岡県裾野市に住む加藤智大(ともひろ)容疑者(25)で、

  刺したことを認め、「人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。

  (襲うのは)誰でもよかった」「世の中が嫌になった。

  生活に疲れた」などと供述しているという。

 

 ほんの50メートル先ではAKIBA48がライブをやっていて、大盛況

   だったようですが・・・事件に気づかなかったんですね。

 

 この容疑者は青森出身で、高校まではやたら優秀。その反面

   キレやすい所があった。仕事は「真面目な派遣社員」だそうで。

 

 2ちゃんねるに犯行予告の書き込みがあったようですね。

   単なる劇場型殺人鬼とも言えない・・・いわば「自己破壊型人間」とでも

   いうんでしょうか。

   こういう人は昔からいたけど、大抵、自分ひとりで死にますよ

   でも今は回りを巻き込んで「死刑にしてくれ」って言うんですもんね。

   自分ひとりでは死ねないから誰かに殺してもらうしかない みたいな

   動機で人殺しをするなんてあまりにもおかしいと思います。

 

 やたら成績がよくて世の中が見える人程、今時の世の中には絶望

   すると思うんですよ。それはわかりますが、「生活に疲れたから殺す」

   「世の中が嫌になったから殺す」っていう動機があまりにもお子様すぎて。

   これでは犠牲者はどうしたらいいんですか

   そんな身勝手な人間の為に一瞬で命を奪われるなんて・・・腹が立つを

   通り越して怒り心頭。いますぐその容疑者を殺してやりたいくらいです。

 

 でも社会として考えなくてはならないのは、どうしてこういう殺人が

   起こるのかという事。この間の星島とかいう容疑者も成績優秀な人間

   でしたよね。

   この二人には共通点があるのかもしれません。

 

 犠牲者の一人の奥様、気丈にも「今後はこういう事がないように」と

  おっしゃっていましたが、配偶者が殺されたのだから、そんなに冷静にしなくて

  いいんですよ。泣いてわめいていいんです。

  日本人はこういうときまで冷静さを求められるのかと思うと、悲しくなりました。

 

 この容疑者、犯行前にやたら「飛ぶ」という言葉を使っていますね。

「飛ぶ」=逃げる・・・というような意味に聞こえるのですが。

でもあまり使わない表現で。これがアキバ風なのかな?

ゲームをリセットするのと同じ感覚なのかしら?

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