ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

終戦記念日です

2008-08-15 09:35:03 | つれづれ日記

 体操の内村君、個人で銀ですか・・・すごいっ

結果だけ知ればいい派の私はリアルタイムで繰り広げられる

他の選手のあれやこれやは見れないのですが

中国の楊とかいう選手の「オレサマ」態度は見てみたかったなあ

そういうの、特集してくれないかしら?

 

さて・・・・

本日は63回目の終戦記念日です。

多分63年前の今日もこんな風に晴れ渡って暑くて仕方なかった

んでしょうね。

高校の時、倫理の先生が(彼は今思えばかなり左がかった人で)

「終戦記念日なんて綺麗な名前で呼んでるけどなあ、あれは敗戦

記念日なわけよ。なーにが戦争が終わった日だよ。負けた日なの」

と声を大にして言ってました

言われて見ればそうかも・・・とその時は思ったんですけど。

 

毎年この時期にはテレビ等で戦争に関する様々なドキュメンタリーや

ドラマを放送しますが、風化していく歴史を止める事はどうにも

出来ないようです

かといって中国や韓国みたいに63年も前の事を未だに昨日の事のように

「我々は被害者だ」というのも賛成できません。

やたら冷静になりすぎて風化させていく国と、外側からの視線を全く

受け入れず「被害者である」という事にすがって生きている国

どちらもまだトラウマから抜け出せないような気がします。

 

考えて見れば敗戦国なんですから、多くの人が犠牲になって当然だった

という考え方もあるかもしれません。

原爆を2度も落とされて何十万もの人が死に、南方では玉砕で何万もの

兵士や民間人が死に、沖縄ではアメリカにほとんどの人が殺され、

あるいは自決に追い込まれ、本土では東京を始め、いたる所で

絨毯爆撃されて何十万もの民間人が死に・・・・

兵士が戦場で死ぬのはある意味仕方ないとしても、こんなに丁寧に

民間人が標的にされた国もないんじゃないかと。

 

だけど、やっぱりアメリカからも中国からも韓国からも

「日本は悪い国だからそれだけの事をされてもしょうがない」と

言われてしまうんですねえ

・・・・悪い国だから民間人が何十万人殺されても仕方なかった

・・・・悪い国だから原爆を落とされても仕方なかった

 それゆえ日本は永遠に謝罪し続けなければならない・・・

というのが小和田恒氏の「ハンディキャップ論」なわけです

長い間、日本人はそういう考えに取り込まれて、日の丸に違和感を抱き

国を愛することに躊躇し、戦争に行った兵士達は口をつぐんでいた

わけですよねえ

 

我が家の娘など、アメリカ人が「原爆は戦争を終わらせるために

必要だった」と言う度に「何言ってんだよっ そんなわけないでしょ

と怒りますが、あの時代を全く知らず教えられていない子供の方が

案外正当な意見を言うのかもしれませんね。

 

 靖国神社に誰が参拝するか、公式なのか非公式なのかと

毎年話題になりますけど・・・・

ちょっと考えなくてはならないのは、明治維新後、名もなく散って

行かざるを得ない兵士達の心の拠り所、共通の象徴は

「靖国神社」であったことは事実です。

戦場へ行ったが最期、どこで死ぬかわからないし骨なんて拾って

もらえるかわからない。遺族だってどこで死んだかわからない

父や兄をどう受け入れたらいいかわからないと思うんです。

多分合言葉が「靖国で会おう」というのは、唯一お互いの慰めだったと

思うんですが。

それを「A級戦犯が祭られているから」「侵略戦争の象徴だから」

参拝すべきでない、存在自体を抹殺すべきみたいな異見があるのは

間違ってるんじゃないかと。

戦場で散った多くの命にとってはそんな事、どうでもいいのよね。後から

つけられた理由でしかないし。

それに「教育されたから」とはいえ、国の為に一生懸命に戦ってくれた

人達に「あれは間違いだった。あなたの死は無駄でした」と言えますか?

私は言えません。

 

靖国神社がある一方で「死んだ多くの民間人はどうなるんだよ。

祀られもしない、神様にもなれない」という意見もありますね。

慰霊碑はところどころにあるとはいえ、確かに気持ちはわかるかも。

遺族にしたら何十年たとうが記憶は消える事はない・・・

 

今日は「お慎み」の日です。

風化されつつある戦争の記憶をたどっていきましょう。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする