ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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韓国史劇風小説「天皇の母」85(絶対フィクション)

2012-12-15 12:00:00 | 小説「天皇の母」61話ー100話

事実でない報道には強い大きな悲しみと戸惑いを覚えます」

皇后にできる反論はそれが精一杯だった。

目の前が真っ暗になった。今までの努力が全て水の泡だった。

国民こそが味方だった筈。それだけを頼りに皇室に入った自分。

それなのに、国民は自分ではなく雑誌に書かれた事を信じている。

国民にとって自分とは何だったのだろうか。戦後民主主義の象徴。爵位を持たない家から選ばれた妃。

身分違いとののしられようと、生まれがいやしいと悪口を言われても耐えて来た。

自分は身分以上の、血筋以上のものを得ている筈だと信じてきた。

両親が自分に施した教育はどんな身分の高い人たちにだってひけをとらない。それにこたえようと自分は精一杯努力してきた。

天皇はそんな自分を愛して下さったのだ。

ゆえに、自分は日本の歴史の中でもっとも優秀な妃であろうと血のにじむような努力をしてきた。

決して隙を見せず、失敗せず、完璧に見えるように言葉遣いも立ち居振る舞いも本物の皇族方より皇族に見えるように。

そんな自分を国民は愛してくれた。敬ってもくれた。

今や「民間から出た妃」という言葉は死語になったと思っていた。いや、死語になっている。

なのにどうしてバッシングが起きるのだろうか。

贅沢をしてきた?自然林を破壊した?皇太后との仲が悪い?

何の根拠があってそんな事を。幼いヒロノミヤには父親のお古の制服を着せ、えんぴつ一本に至るまで「国民の税金だから」

と徹底倹約をしてきたし、洋服もリフォームして着ている。

自然林を破壊する権限など皇后にあるはずがない。皇太后は自分を嫌っていた。わかっていたけどちゃんと仕えているじゃないか。

なのに・・・・

こういう記事が出るというのは、結果的に軽く見られているからじゃないかしら。皇太后さまならこんな事、書かれないわ」

と言った宮妃がいたとか。

血筋が問題だというのだろうか。皇太子妃もアキシノノミヤ妃も民間出身なのに。

アキシノノミヤ妃は賢い。たった3年で皇族としての地位を築いた。今やセツ君の後ろ盾を得て立派な宮妃になっている。

セツ君は会津出身。それに縁があるキコは特別に可愛がられている。

結核予防会の仕事もキコに引き継がせようとしている。宮邸も与えようとしている。

セツ君がそうであればキク君もユリ君もそれに倣うだろう。

何といってもキコは学習院出身。常盤会が全面的に擁護してくれる立場だ。

アキシノノミヤは学友などの繋がりを深く持ち、旧皇族や華族との付き合いを重要視している。

それが皇后には出来なかった事だった。

学習院出という事で、そんな事が自然にできる嫁に嫉妬したこともあったかもしれない。

だから、皇太子妃には期待した。

そんな派閥などなくても自分と同じように頑張ってくれるものだと。

しかし、聞こえてくるのは苦情ばかり。

礼儀を覚えられない。しきたりを無視する。宮中祭祀を嫌がる。世継ぎに無関心。実家、外務省を後ろ盾にやりたい放題。

あからさまに皇室をばかにしている

そして「何でこんな嫁を?」と皇族方からは批判の嵐が。

「これだから民間出の方は。お妃選びもちゃんと出来ない。こういう嫁を迎えたという事は皇后自らが皇室を軽んじている証拠。

その結果がこのバッシングなのではないか」

その言葉を聞いた時、皇后の頭は真っ白になり、全体が崩れていくような絶望感に襲われたのだった。

 

気付いた時、そばにはノリノミヤがいた。心配そうな顔で。

おたあさま・・・」

宮は今にも泣きそうで、そんな娘の顔を見たら涙が止まらなくなった。

どうしてお泣きになるの。おたあさまを悲しませるものは全部私がやっつけて差し上げる」

やっつけるなんて下品な言葉・・・皇后はちょっとだけ微笑んだ。

ドンマーインよ。おたあさま。おたあさまには私がついているの。だから大丈夫。ドンマーイン」

この時程、娘の存在がありがたいと感じた事はなかった。

よかった・・・ノリノミヤを産んで本当によかった。私は一人じゃないわ。

大丈夫?」

ドアを開ける音と共に天皇がかけつけてきた。

おたあさま、気がついてよ

そうか。脳貧血だというから心配はいらない。でも安静にしないとね。今日の事は何も考えなくていいから」

申し訳ありません…陛下・・・・・と皇后は言おうとした。

え?何?」

天皇が聞きかえす。

申し訳ありません・・・・・陛下・・・・でも声が出なかった。

皇后は蒼白になり、必死に声を出そうと、まるでおぼれた鳥のように口をパクパクと言わせる。

声が出ないのか」

おたあさま。すぐに侍医を呼びます」

天皇の顔色も変わっていた。呆然としている父を後目に娘はすぐに女官と侍医を呼び、診察をさせる。

「失声症」だった。

強い精神的なショックが原因で一時的に声が出なくなる病気。

いつ治るの?」

天皇の声に医師は言葉を濁す。

わかりません。明日かもしれませんし一生かもしれません。ご自分で乗り越えていかれるしか。今の陛下は強い

お悲しみの中で心を閉じていらっしゃるのです。それを癒す事が出来るのはご家族7だけです」

天皇は言葉を失い、ノリノミヤは母の手をとった。

とりあえず、宮内庁病院でCT検査等を受けて頂きます。精神科も呼びましょう。お心を強くおもちになって下さい」

「病院には私が付き添います」

 

皇后の声が出なくなった事はすぐに発表された。

「強い悲しみ」の為と発表されるや否や、不思議な事にあれほどひどかった皇后バッシングがぴたりとやんだ。

病気になる事でバッシングをかわした」

「これでマスコミは何も批判できなくなった」

とも言われた。

「開かれた皇室」という名の元に、積極的にプライバシーを公開し、皇室について自由に語れる世の中になりつつ

あったものが、「雑誌の記事が原因で皇后陛下が倒れた。全てマスコミが悪い」というマスコミバッシングにより

その後、しばらく後まで「持ち上げ記事」に終始する事になる。

 

極秘に参内したハシモトは天皇の学友だった。

天皇がまだ皇太子だった頃・・こっそり夜に皇居を抜け出して銀座を歩いた時も一緒にいた、何でも話せる「悪友」だった。

悪友であるがゆえにズケズケとものをいい、時には喧嘩になるし、宮内庁職員からは

「言い方に気を付けるように」と注意されることもあったけれど、彼は全然気にしなかった。

なぜなら、孤独な皇太子の姿をtぶさに見てきたからだ。

時代の流れの中で培ってきた友情はそんなに簡単に崩れるものではない。

皇后陛下のご容体は」

うん。まあね。そんなに悪いという事でもないんだけど、声がね。出ないから」

いつになく天皇は憔悴していた。妻が病気でも公務は続けなくてはならない。

無表情で粛々と公務を続ける姿はどこまでも立派ではあったが、痛々しい程で・・・職員達は誰もが胸を痛めた。

公務を終えてプライベートな居室に戻れば声を失った皇后が呆然と椅子に座っているのだ。

現実を思い知らされる気分である。

いっその事、皇太子夫妻に公務を代行させてしばらく御用邸に行けばどうかという意見もあったが

結婚したばかりの皇太子夫妻は自分の事で精一杯のようだ。

特に皇太子妃は体調不良で(それがどんなものなのかわからないが)公務を休むことが多く、きがつくといつも静養している。

その度にマスコミは「懐妊ではないか」と騒ぐが残念ながらそのような事実は見受けられない。

常に微熱が・・・体調が・・・とやってる皇太子妃に公務を代行させる事は出来ない。

東宮はなんだってあんなのと結婚したかな」

ぽつりと天皇が言った。悪口など一度も聞いた事ないのに。

ハシモトはびっくりして思わず「そりゃああんまりな。外務省出身のエリート官僚候補ですよ」と言った。

そこが問題なんだよ。なまじエリート意識が強いから自己主張が激しくて」

なるほど」

それはまあおいといて。今日はね、君に頼みがあって呼んだんだ」

何でもおおせの通りに」

まだ何も言ってないよ」

天皇は少し微笑んだ。

全く君は昔から気が早い」

「そうですか?陛下は何でも電光石火だったような気がしますが。女性を誘うのもね」

何だよ。そんな昔の事」

とうとう天皇は声を立てて笑った。かなり気分が和んだようだ。しかし、その表情もすぐにかたくなる。

オオウチタダスについて調べて欲しいんだ」

例のバッシング記事を書いたといわれる人間ですね。実在するのですか」

わからない。元宮内庁の人間という事らしいが、それらしき人間は見当たらない。本当は長官あたりに相談すべき

なのかもしれないが・・・宮内庁にはあちらこちらに目が光っているようなのでね」

それはどういう?」

わからない。けれどこちらの情報が筒抜けになっている事は確かだ。皇太子が結婚してから何かが変わっている。

その何かが何なのかは全くわからないんだ」

雲をつかむような話ですね

「そう。冗談ではなく真面目に言っているんだよ。今回の一連の記事やバッシングが誰かによって仕組まれたものだったら。

皇室解体を望んでの事だったら」

ハシモトは絶句した。

戦後、日教組による左翼教育のせいで日の丸や君が代を嫌悪する勢力が増えた事は知っている。

けれど大多数の国民は皇室に敬意を払っているし先帝のカリスマ性は半端ではなかった。

だが、代替わりし、民主主義時代の天皇制を考える時、長い間避けてきた「皇室」との関わりを復活する事は

並大抵ではないと推察する。

国歌を嫌い、国旗を嫌い、その象徴である皇室を忌避する風潮は避けられない事だった。

それでも皇后の人気、アキシノノミヤ妃の人気で繋いできたものを。

もっと深く、皇室を潰そうとする勢力が動いているとしたらとんでもない事だ。

わかりました。雑誌社には知り合いが何人かいますから。聞いてみましょう」

極秘に頼むよ。くれぐれも極秘にね」

「はい。陛下の御為ならこのハシモト、命にかえても」

大仰な物言いにも関わらず天皇は笑うどころかほっとしたような顔をした。

 

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皇室ウイークリー

2012-12-15 09:10:20 | 皇室ウイークリー

両陛下

ご日程

12月7日・・・両陛下 → ハイチ大統領夫妻と会見

       天皇陛下 → 通常業務

       皇后陛下 → 絲竹會例会

                国際児童図書評議会前会長等に会う

12月9日・・・両陛下 → 皇太子妃殿下・愛子内親王から誕生日の挨拶を受ける

12月10日・・・両陛下 → 鉄道弘済会義肢装具サポートセンター訪問

                  東宮職部課長と昼食

                  陵墓監区事務所長と会う

                  人事院総裁賞受賞者らと会う

                 新任外国大使夫妻らとお茶

                 臨時祭主黒田清子様から挨拶を受ける

12月11日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

         皇后陛下 → ねむの木と子供たちの宮城まり子展鑑賞

          両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

12月12日・・・両陛下 → 信任外国大使夫妻らとお茶

                  皇宮警察音楽隊創設60周年記念演奏会鑑賞

12月13日・・・皇后陛下 → シャルダン展鑑賞

 

皇太子殿下

12月9日・・・雅子妃殿下・愛子内親王 → 誕生日の挨拶の為参内

               両殿下 → 矢印誕生日の諸行事

12月10日・・・海外青年協力隊に会う

12月11日・・・海外青年協力隊に会う

         両殿下 → 赴任大使らに会う

12月13日・・・勤労奉仕団に会釈

 

秋篠宮両殿下

12月7日・・・両殿下 → 京都府訪問

       ・ 平成24年度御寺泉涌寺を護る会定期総会隣席

       ・ 霊殿参拝

12月11日・・・両殿下 → 外務省儀典総括官から進講を受ける

       秋篠宮殿下 → 「コウノトリ湿地ネット」代表者らと懇談

12月12日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議出席

                     生き物文化誌学会常任理事会出席

          両殿下 → 皇宮警察音楽隊創設60周年記念演奏会鑑賞

12月13日・・・両殿下 → 外務省国際法局長から進講を受ける

 両陛下は2週続けて東宮職と昼食。何等かの話があったのかしら?

 女性週刊誌によると、9日の雅子妃と愛子内親王の参内が午後3時になったのは異例で、最終的には両陛下の都合

   だったけれど「朝、飽きる事が出来ず遅刻したら大変」な為の措置ではないかと書かれていました。

   9日の両陛下の予定は何もないので・・・・週刊誌がどう書こうが、結果的に雅子妃は朝、起きる事が出来ないのだと

   思います。あらかじめ参内を午後に設定しなければならない程に

 雅子妃は誕生日に宮内庁長官らの挨拶も受けませんでした。参内しても宮内庁まで行かなかったという事になります。

  単なる面倒くさがり屋でそうなのjか、やんごとなき場所からのお達しなのかわかりませんが、異例といえば異例です。

 12日に行われた皇宮警察音楽隊創立60周年記念演奏会にも皇太子夫妻は欠席しました。

 雅子妃が11日に会った「赴任大使」は中国大使でした。

 

 

 宮内庁職員文化祭 

 毎年恒例の宮内庁職員の文化祭。両陛下は書を、皇太子夫妻は連名で写真を出品。

 皇后陛下が出品された多面体のくす玉には「製作指導 悠仁親王殿下」「制作 皇后様」「製作支援 敬宮殿下」

   「折り紙作り 女官候所」と書かれていました。

 愛子内親王は習字と片口、キャンドルを出品。

 悠仁親王殿下は昆虫の切り絵を出品

 13日、皇太子と愛子内親王、秋篠宮夫妻と悠仁親王がそれぞれ鑑賞。

 悠仁殿下の昆虫の切り絵は非常に精密ですね。そういえば今年のお正月映像でも殿下は折り紙で非常に細かいものを

   作って、それを皇后さまが習っていましたっけ。

   正直、折り紙ならキャンドルや片口よりも製作費が安いよなあ・・・・って。皇后さまのくす玉は女性週刊誌のグラビアだそうですし。

   そういうちょっとした所に工夫と倹約精神が見えると嬉しかったりします。

 13日、先に文化祭を見にきたのは秋篠宮家の方。あとから皇太子と愛子内親王が来たそうですが、皇太子妃はまたも欠席。

   こういう催しがとにかく嫌いなんでしょうね。長い時間じゃないんだし夫婦円満なふりくらいしてあげればいいのにと思うけど

   「やりたいことだけやる」のが治療方針なので、無理なんでしょうね

 

 雅子妃誕生日文書等・皇宮警察音楽隊記念演奏会欠席に関する東宮職の言い訳 

 

 小町大夫の定例記者会見

 12日の皇宮警察創立60周年記念演奏会欠席について

 皇太子夫妻は学習院で行われた「小さな小さな音楽会」に出席。

 12月1日に行われた学習院「小さな音楽会」に愛子内親王は出席できなかった為、この日は絶対・・だった。

そういうこともあって、こちらにお出になったのではないかと私は思っております」


「12月1日が残念ながら、実現しなかったということで…。ご理解いただきたい」

 皇宮警察音楽隊創立60周年記念演奏会は桃華楽堂で行われ、秋篠宮夫妻、常陸宮夫妻、高円宮妃等が出席しました。

  これに皇太子夫妻が出席しなかった事は異常ですが、皇太子夫妻には前科があります。10年前の50周年記念演奏会を

  欠席して、愛子内親王の「公園デビュー」を決行したのです。

 当時、愛子内親王を普通の公園で遊ばせたいという皇太子夫妻の意思は東宮職等から批判されていました。

   そこで式典をブッチして無理やり公園に連れ出した・・・というわけです。

   でも、事前にその事がわかっていたので公園には野次馬が一杯来てしまい、結果的にはそそくさと退散するしかなく。

   その事がかなり頭に来ていたんでしょうね。

   皇宮警察音楽隊の式典と聞くと、その時の敗北感が頭をもたげて嫌になるのではないかと思っています。

   本来、娘の音楽会なんかより(これは私的活動であり、来年も行われるもの)公的な音楽隊の演奏会を重視すべきでした。

   せめて皇太子くらいは

   でも、妻と一緒になって無視した。こういう事が簡単に許される東宮の現状が問題なのです。

  小町大夫の「ご理解頂きたい」が妙に切なくなるのですが、彼としてもこの行動は非常識だとわかっているんでしょうね。

   でも何も言えないという所が・・・・・

   代替わりしても無視?もっとも皇宮警察にお世話になってる身分で。

   宮内庁も両陛下も怒るべきだし、なんらかのペナルティを課すべきではないかと思います。   

 12月9日に発表された東宮職医師団見解について。

 記者 「直接会見を行って欲しい」

  小町 「病気の性格上できませんので私が」

  記者 「状況が前進しているのか後退しているのかよく分からない。私的な活動からやれとか言ってるけど

       10年も同じこと言ってるじゃないか」

 小町 「確かに昔の見解にもあるが、それが十分できているかということや、環境づくりという問題もあるので、

     そこは繰り返し言っても矛盾はないと思う」

 記者 「私的な活動はまだ不十分なんですか」

小町 「何も気にすることなくお出かけになることは、まだ環境面からはできていないと医師団は感じている」

 小町大夫のセリフ・・・全く意味がわかりません。10年経っても環境作りが出来ていません」というのはわかりますが

   じゃあ、どういうのが「よい環境」で「何を持って成功とするか」を聞きたいと言ってるわけよっ

   記者の「私的な活動はまだ不十分なんですか」の裏には「3週間も静養して秋も遊んで、二言目には疲れたと言い続け

   ドタキャン・ドタ出の連続、これでもまだ好き勝手やっていないと言えるのか」という意味が。

   小町大夫のセリフの裏は「去年のイギリス行きは震災の為におじゃんになり、行きたくないのに被災地に行かされ

   陛下へのお見舞いを強要され、3月のスキーも2年連続で行けなかった。これのどこが「私的活動は十分」と言えるのか。

  両親や姉妹を東宮御所に住まわせ、毎日外食して海外旅行できる環境になって初めて「十分」と言えると思う。

  この裏の言葉はフィクションですがあながり嘘とも言えないのではないかと・・・・・・・・・・

 10年前に比べると、朝、起きるのも嫌な状態。子育ては夫に丸投げ。これが病気というならむしろ悪化しているのですが。

   10年経って悪化している事を責めるべきでしょう。記者団は。

 

 9日、雅子妃が風岡宮内庁長官らの祝賀を受けなかった事について

風岡 「お体の具合とか、時間のセットの関係があるので、 そういう取扱いになる事もやむを得ないかと思う」

記者 「静養10年なんですが」

風岡 「「確かに10年は客観的に長い期間だが、 こういう病気については症状によって機関がきわめて長くなったり

    短くなったりという事で、いろんなケースがあるとお聞きしているので、10年という事だけに着目してコメントする事は

    控えたい」

 風岡長官は有名な創価学会信者ですし、いわゆる「小和田派」です。ゆえに雅子妃について批判的な事は一切言わない

  態度を貫き通すでしょうね。

 問題なのは、この「長官らの祝賀」を自ら出なかったのかどうかという事です。

  宮内庁のスケジュールの都合(午後に参内したから)だったとしたらこんな失礼な話はないし、妃が自らそれを拒否った

  としたらこれまた宮内庁を拒否したという事で大問題だと思います。

  妃としては「宮内庁を信用していませんから」のつもりなのかもしれませんけど。

   どちらにしても喧嘩を売った形になりますが、風岡長官はスルーするんでしょうねーー 下の職員達ははらわた煮えくり返る

  思いかもしれませんけど。

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