ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

児玉明子退団・・・・・

2013-06-19 13:06:49 | 宝塚コラム

 ・・・・という話を、昨日、突如聞いたので、ネットで調べてみたら本当だった

5月31日付けだそうです。

ネットで検索しつつ見てたら、意外と?児玉先生好きだったのにーーという人がいるので驚き。

あの「仮面の男」ですら「好きでした」とか「すごい才能」だとかいう人がいるんだと ネットで批判されない為の書き込み

なのかもしれないけど、宝塚のファンも変わったものだなあと。

なぜ退団に至ったか・・・それは本当の所誰も知らないみたい。辞めたのか辞めさせられたのか。

宝塚における演出家不足は非常に大きな問題で、その中で退団させてしまうという事は、それなりに理由があったのだろうと思います。

 

 児玉明子プロフィール

簡単にプロフィールを言うと、慶應義塾大学法学部卒。

1997年 → 入団

1998年 → 「ENDLESS LOVE」(伊織直加主演・花組)でバウデビュー

1999年 → 「冬物語」(春野寿美礼主演・花組)

2000年 → 「月夜歌聲」(湖月わたる主演・雪組)

2002年 → 「聖なる星の奇蹟」(和央ようか主演・宙組)

2004年 → 「天の鼓」(春野寿美礼主演・花組)

2005年 →「龍星」(安蘭けい主演・星組)

2006年 → 「想夫恋」(北翔海莉主演・月組)

2007年 → 「シークレットハンター」(安蘭けい主演・星組)で大劇場デビュー

2009年 → 「忘れ雪」(音月桂主演・雪組)

2010年 → 文化庁文化部芸術文化課支援でカナダのモントリオールに留学

2011年 → 「メイちゃんの執事」(紅ゆずる主演・星組)

         「仮面の男」(音月桂主演・雪組)

2013年 → 5月31日退団

 児玉明子は男性ばかりの演出家の中で、植田景子と並ぶ「女性演出家」として、入団当時は期待の星だった筈です。

   1998年に植田景子が一足早く入団し、「ICAROS」(安蘭けい主演・雪組)以後、数々の作品をてがけています。

   このあたりとしては、荻田浩一、斉藤吉正、藤井大介、大野拓史、小柳奈緒子らがおり、ちょっと年上だけど木村信司が

   「新人」の筆頭として君臨しておりました。

 宝塚における演出家の劣化は1990年代から始まったと考えられております。

  植田伸爾・柴田侑宏・鴨川清作ら、60年代から70年代を彩った演出家たちの高齢化が第一。

  そしてもう一つは、昭和の「ベルばら」ブームに火がついたファン達の層が平成の「ベルばら」ブームで大きく変わったという事です。

  それまで宝塚歌劇は「清く正しく美しく」の言葉通り、「少女歌劇」の王道を突き進んでおりました。

  それが80年代に入り、小池修一郎や正塚晴彦らの登場により宝塚が女子供の見る大衆演劇から「日本の芸術文化」へと

  段階が上がったわけです

  ショー作家としても草野旦、・石田昌也・三木章雄、岡田敬二等、錚々たるメンバーが作品を送り出します。

  一方で次第に「徒弟制度」が崩れてきたのも事実だったようです。

 植田・柴田両人は思想の違いはあるものの、作品のパターンはいつも同じでした。常にそこに「純愛」「正義」があったわけですが

  小池・正塚の時代には「何が愛か、何が正義か」という疑問形のストーリーを登場させ、観客を評論家にしてしまうという現象を

  引き起こしました。

  主役は常にかっこよく正義であったものが、その正反対のヒーローなりヒロインが登場する。

  平和主義とか自然派思想とか・・・そういう個人の思想が舞台に色濃く反映し始め、「スター」を作り出すための宝塚が

  いつの間にか「演出家の表現の場」でと変貌したのです

 一方で、大御所達の高齢化に伴い、「宝塚」をリードしていく立場の谷正純・石田昌也という2大演出家が、これでもかと

  観客の反感を買う作品ばかりを輩出していきます。

   谷作品の代名詞は「皆殺し」で、石田作品の代名詞は「下品」。

  両名とも、自己の主張を色濃く反映させタカラジェンヌをタカラジェンヌとして扱わないような無謀な事を散々やってしまったので

  次第に観客が離れて行きます

  ショーにおいても三木章雄・草野旦等、どれもこれもワンパターンで出来不出来が大きく、さらに先人達のコピーが多くなったりして

  批判にさらされる事になります。

   小池・正塚らに追従する中村一徳・中村暁等も、今一つ代表作を作る事が出来ないという現象の中、植田伸爾が理事長に就任すると

  さかんに「宝塚らしさ」を連呼し始めます。

  しかし、90年代に入って来ると「何が宝塚らしいのか」と・・・誰もわからなくなってしまったんですよね。

 小池修一郎は「エリザベート」の潤色・演出で一躍有名になり、今や世界に誇る演出家ですが、オリジナル作品では

   「PUCK」以外にいい作品を残しておりません。正塚は出来不出来というか、観客のマニア化を加速させただけですし。

   そういう意味で、90年代中盤以降にデビューした演出家たちには「よき師」がいなかったわけです。

 新人筆頭の木村信司は「扉のこちら」で名をはせましたが、留学し帰国後は自己主張が激しくなり宝塚のスター性を無視するような

   作品を作るようになりました。また脚本家の命である国語力に重大な欠点を持っています。

   斉藤吉正もまたにたようなはちゃめちゃな作品を作る演出家ですが、現在はかなり宝塚色に染まって来ています。

   藤井大介は90年代組の筆頭であり、宝塚の救世主ともいえる存在になり、現在の宝塚がショーにおいて藤井頼みなのは明らか。

   独特なスタイルと鮮やかさが際立った荻田浩一は退団し、その後継ぎともいえる大野拓史は干されているのではないか・・との

   憶測を呼んでいます。

   小柳奈緒子は、デビュー作の「SLAPSTICK」や「アメリカン・パイ」等では、宝塚に向かない作家ではないかと思ったのですが

   「シルバーロズ・クロニクル」あたりから、宝塚の中のロリータ性に着目。大劇場デビュー作「めぐり合いは再び」の大成功で

   続編が作られるという快挙を達成し、現在もっとも「宝塚らしさ」を表現する作家となっています。

   しかし、小柳の先輩格であり、女性作家1号の植田景子は、女版木村信司とでもいいましょうか。

   女性が女性を差別する・・・という作風で、今一つ盛り上がらず。

   そして件の児玉明子になるのですが。

 児玉明子は、デビュー当時から色々物議をかもす作家でありました。

  バウ・デビューの「ENDLEES LOVE」からして酷評を受け「宝塚には向かない作家」と言われてしまいます。

  「冬物語」などに至っては脚本家をやめるべきとまで言われていました。

  児玉の第一の失敗は「月夜歌聲」です。これは湖月わたる・朝海ひかるの夢の共演で好評を博したのですが・・・

  「覇王別記」とそっくりな点が指摘され、ファンから「盗作ではないか」という声が多く寄せられ、歌劇団は認めなかった代わりに

  ビデオ化を見送りました

   この時点で、脚本をチェックする機能がない事にファンは怒りを持っていたのですが。

 「聖なる星の奇蹟」で、花總まりが「児玉せんせいの説明が何度聞いてもよくわからない。でも先生は先生なりの

  思いがあるので自分達は何とかそれを読み取るしかない」というような事を言っていました。

  児玉の文章を読んだり、あるいはスカイステージなどでの話を聞くと、非常にわかりにくい日本語を使う人である事がわかります。

  一言でいうと「小和田雅子風」とでも言いましょうか。

  で、一つの事に拘ると絶対に妥協しない。それはいい事ではあるのですが、路線がずれると大変な事になります。

  ゆえに、出演者らとのコミュニケーションもきちんと図れなかったのではないかと思います。

 比較的評がよかったといわれるものに「龍星」があり、それで大劇場デビューは安蘭けいだったのかなと思うんですが、

   個人的にはこの作品もどこかで見たような・・・・?どうにも「真似っこ」が抜けない人だななと思った記憶があります。

   じゃあ、原作付ならいいのかという話ですが、彼女の唯一のヒット作「メイちゃんの執事」はそもそも原作がありますし、原作

   やドラマファンを取り込むことには成功したかもしれない。

   でも、DVDを買ってまで見たい作品に仕上がっていたかというと嘘になります。

   あれだけきっちりとした原作がありながらもこれか・・・と思った記憶も。

   「忘れ雪」などは、「本当は書きたくなかったのに・・・」という恨み節が聞こえてきた作品でした。

 そして「仮面の男」になるわけですが、これはその昔「ブルボンの封印」で雪組が演じた時も評判がよくなかった作品です。

   今回の舞台化によって児玉が持っている性格的な欠点、技術的な欠点がもろに出てしまい、劇団を巻き込む形になって

   しまったという事ですね。

    留学経験によってシルク・ドソレイユに魅了されたので何が何でもそれ風にしたかった

    ルイ14世が生きた時代をリアルに表現したかった。現在の観客の心情には配慮しない。

   という事ですね。大河ドラマ「平清盛」で当時をリアルい表現したいと散々コーンスターチをたいて画面を見にくくした結果

   視聴者にそっぽを向かれてしまった。さらに日本では暗黙の了解でタブーとされている天皇家を下世話に表現してしまった。

   これが視聴率低下を招いたのと同じです。

   観客というものは、ある意味予定調和を求めるもの。宝塚ならなおさらです。奇をてらったリアルな点と芝居のようなものを

   見たければ日比谷じゃなくて下北沢に行くでしょう。

   でも児玉はその「こだわり」を絶対的に正しいと思って妥協しなかったわけですね。見る側の視線に立たずに作品作りを

  しまったがゆえに最終的に自分の首をしめてしまったのだと思います。

 もっと早く退団すべきだったと思います。「仮面の男」さえなかったら、今も音月は宝塚にいたかもしれないし。

   作家のよしあしがスターの寿命を長くもし短くもするという事を、歌劇団は知って欲しいのです。

  個人的には木村信司も植田景子も同類だと思っていますけど。彼らがいる限り宝塚はオリジナルに自信が持てないまま

  海外作品の垂れ流しをして四季化するんじゃないかと心配になりますしね。

 児玉氏には自分の好みの範囲内で好きな事をやりになればいいと思います。第2の人生はこれからですしね。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」115(恐ろしい程フィクション)

2013-06-19 07:00:00 | 小説「天皇の母」101-120

マサコにとって妊娠など、どうでもいい事だった。

自分のような特別な学歴を持つ人間にとって、その「子供を産む」という誰にでも出来る事はしなくてもいいと思っていた。

優秀なDNAを残したいとは思わなかったのか? 普通の女性はそう考えるものだが、マサコにとって「子供」は

ある意味「トラウマ」になっている。

なぜなら、小さい頃から決してありのままの自分を認められた事がなかったから。

両親、とりわけ父にとって自分が「期待」であると同時に「失望」である事を十分にわかっていた。

まず、男でなかった事。父が考えるような優秀な成績をおさめる事が出来なかったこと。

そして父は「例外」を決して認めない事。

それでも小学校でデンエンフタバに編入したあたりから、自分だって多少は価値がある、父の期待に応えられる人間に

なれるのではないかと思った時期もあった。

自分なりに頑張って無理して、その結果、人間関係がぎくしゃくしてしまった事もあった。

父はある時から、しつこい程自分に寄り添ってくれるようになった。

高校生活に挫折しかかるとアメリカに呼んでくれたし、ハーバードにも入れてくれた。

論文の手伝いもしてくれたし、外務省にも入れてくれた。マスコミに華々しく紹介もしれくれた。

外務省では「オワダの娘」という事で、どれほどの恩恵にあずかったか。

今、自分が輝かしい「皇太子妃」という立場にいるのは全て父のおかげだ。

「将来、女性初の総理大臣になったかもしれない程優秀なマサコさま」というイメージを植え付けてくれたのも父だ。

それでも・・・と、マサコは悩む。

自分は父の「自慢の娘」たりえてない事に。

それはどうしてなんだろう。今も昔も自分はこれほど頑張っているのに、求められるのは次の段階そればかりだ。

気が付くと、一度も褒められていない。

そう。いつも「仕方ないな。任せろ」って言われて、いつのまにかストレスの元が消えているような状態。

それが父の愛し方なのだと思うようにしているけど、どこかで寂しい気がする。

自分が本当に子供を持った時にどのように接したらいいかわからなかった。

「愛する」という事がどんなものなのか、本当はわかっていなかったのだ。

 

マサコにしてみれば、皇太子妃になりたくてなったわけではない。

ナルヒト親王を愛しているか?と聞かれたら絶対に「違う」というだろう。

自分より学歴が下で背も低いしハンサムでもない。全く好みではない。

だけど、外務省時代、付き合う男性達とはどういうわけか「結婚」に至る前に終わってしまう事が多かった。

それが父の差し金であると知った時は、もうどうでもよかったのだけど。

好きで結婚したわけではない。そうしろと言われたから。

そりゃあ、おかげでいい思いもしているのは事実。

「世継ぎ」誕生を優先させて静養ばかりさせてくれる宮内庁。でもその下心が嫌だし、何で日本国内なのか?

自分は海外に行きたいのに。

ちゃんとやる事をやってるんだろうね」と父に睨まれた時、マサコは震えあがってしまった。

叱られてしまう。子供が出来ないと叱られるだけではすまないかも・・・・・

皇太子と寝室を共にする?しかも毎日?・・・・・・・もう生理的に受け付ける相手ではない。

だけど、それではいつまでたっても子供が出来ないのは明確。

 

それで。

仕方なくマサコは不妊検査を受ける事にした。

自然に任せもしていない事がばれたらそれはそれで大問題になりそうだったからだ。

(東宮職は知っていたかもしれないが)

マサコにしてみれば大変な屈辱だったし、敗北でもあった。

しかし、隠さねばならない事もあるのだ。

マサコの不妊検査に皇太子はほっとしたように笑った。彼もまた両親への言い訳探しに悩んでいたのだろう。

 

結果は予想もしていなかった。

「卵管狭窄の疑いが・・・・子宮内膜症などの既往はございませんでしたか」

医師にそう告げられた時、マサコのプライドは一旦めちゃくちゃになった。

卵管狭窄。

つまり不妊の原因は自分にあるというのか?

絶対に皇太子側に原因があると信じていたのに。

嘘よ。私が悪いんじゃないわ。原因はあっちよ。だって皇室って血が濃いんだもの。それで子供が出来にくいって

お父様だって言ってたわよ

マサコは思わず大声をだし、医師はちょっと後ずさる。

「皇太子殿下をお呼びしますか?」

ナースが心配そうに言った。診察室の前で座っている皇太子を呼んでどうするというのだ?

不妊の原因は自分にあるというのか?

「嘘よ。もう一回調べて。私が原因なわけないわよ。悪いのは私じゃない」

「妃殿下、落ち着いて下さい。妃殿下がお悪いのではありませんよ。結果がこうでも色々手をお尽くし致しますから」

手を尽くすってなに?私に不妊治療を受けろっていうの?」

「はい。妃殿下は日本で最高の医療を受ける事が出来ます。妃殿下が不妊を克服され、見事に親王を上げられれば

日本中の不妊に悩む女性たちの希望の星になります」

そんな事どうでもよかった。希望の星になんかなりたくない。

ただ、どんな馬鹿な女でもころころ子供を産む事が出来るのに、自分には出来ないという事実だ。

アキシノノミヤ家を見るがいい。

すでに二人も娘が生まれて、長女のマコは小学生に、次女のカコも幼稚園に入ってしまった。

あの夫婦が最初に子供を産んだのは結婚して1年目だった。

まるで犬や猫のようにあっさりと子供を産んだ・・・・・

それなのに、自分にはそれが・・たったそれだけの事が出来ないというのだろうか。

不妊治療には配偶者である夫の協力が不可欠なのです。皇太子殿下に事情をお話しし、これからの

対策を練りましょう」

ああ。たかが子供。でも皇太子にとって、皇室にとって「子供」は絶対必要条件なのだ。

その絶対必要条件を満たす事の出来ない自分。

努力をしてもどうにもならない体質。

マサコは呆けたように黙り込んだ。深い闇の中に沈んでいくような気がした。

 

本人の気持ちは別として。

結果が出た以上、宮内庁としても黙っているわけにはいかなかった。

すでに非常勤としているツツミにはぎりぎりまで待ってもらい、とりあえずマサコの気に入らない医者を

遠ざけ、独自の排卵誘発剤を使い、何とか妊娠へ持って行こうとしていた。

東宮医師たちは、マサコの逆鱗に触れて辞めて行かざるを得なかった医師の話はとうに伝わっているし

嫌いになると徹底的に意地悪をし、嫌がらせに走る皇太子妃を恐れてもいた。

だから、とにかく妃の機嫌をそこねないように、そっとそっと、秘密裡に事は進んで行ったのだ。

この頃から、マサコのアキシノノミヤ家に対する視線は冷たくなった。

小さなマコや可愛いカコが、天皇や皇后に「おばあさま」と甘える姿を見るのがひどく辛くなったのだ。

あの、小さな娘達は自然体で天皇や皇后に接するし、ノリノミヤを「ねえね」と呼んで全幅の信頼を寄せている。

時々はいたずらをして叱られることもあるが、二人は怯えるでもなく、わめくでもなく、一瞬だけしゅんとするけど

すぐに立ち直り、また笑顔を見せる。

そんな表情を見るのがひどく嫌だったのだ。

あまりにも自分が育って来た過程と違う。両親や祖父母や叔母まで入って、楽しそうに笑いあう・・・これが「家族」

皇太子もまた「伯父」なわけだが、マサコが嫌な顔をするので、そういう時はなるべく子供達に声をかけないように

してくれている。

でも、皇太子の「いいなあ・・・」というつぶやきを耳にした時、マサコの胸は本当に苦しくなった。

憎らしい。自分がこんなに憎らしいと思っている相手をみて、夫は「いいなあ」とつぶやいたのだ。

何がどうして「いいなあ」なのか。

幸せだと言いたいのか?キコ妃が子育てに疲れてやつれている姿が美しいとでもいうのか?

まとわりつく子供がうるさくてしょうがないのに、それが「いいなあ」なのか?

 

マサコの心の中の闇は深くなるばかりだった。

 

 

 

 

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