ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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なぜ秋篠宮家だけが叩かれるのか

2014-05-23 08:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ASKAと一緒に覚せい剤とかやってた人、栩内でしたっけ?

彼女は青森出身?けなげでやさしい女子高生がなんで「接待秘書」になるわけ?

しかも野村義男とまで取沙汰されちゃって・・・・迷惑もいい所です。

マスコミが何となくASKA擁護っぽいのは美貌の女性のせい?

今週発売の新潮も文春も「悠仁殿下の運動会公開」について語っています。

両紙とも共通しているのは

 愛子内親王がいいにつけ悪いにつけ、運動会については毎年取材させてきたのに

  悠仁殿下については決して許されなかった。

 今年、方向転換したのは紀子妃の意向。

  これ以上、悠仁殿下の日常を知らせないと国民の理解を得られないのではないか?

 宮内庁が発表した運動会取材に関しての文章。

今般,これまでの経緯と諸要素を踏まえ,学校側において検討を行い,

  生徒のプライバシーには十分配慮すること,限定的な代表取材とすること,

  取材範囲を一部の競技に限ることなどの措置により,本年度については

  取材の機会を設けることとしたものであると理解している」に記者達から疑問の声。

 おそらく、宮家の子供が取材の機会を設けるのは異例である為、宮内庁主導ではなく

 「御茶ノ水から言われて仕方なくOKした」という事にしたいのではないか。

 

まず、「宮家の親王なのに」とか「東宮家より目立ってはいけない」とか、そんな気の使い方を

する皇室になったのは1995年以降の話です

昭和の頃に比べると本当に堅苦しくなったというか、両陛下は「開かれた皇室」の象徴だった

わけで、昭和天皇や香淳皇后の時は何気ない表情を国民は垣間見る事ができたし、

サーヤの運動会に、ご両親が来られないから礼宮が一人で応援に来て叫んでる映像などは

非常に印象的に残っています。

毎年夏の軽井沢でのテニスとか・・・乗馬とか・・・運動会とか・・・あの頃はほのぼのと

見ていられたのになあと思います。

 

1991年に眞子内親王が生まれた時、日本はかなりフィーバーしましたよ

紀子様フィーバーが冷めやらないうちに第一子懐妊、そして内親王誕生。

どんな名前をつけるのかしら?などと色々想像して、

「眞子」と決まった時は「新しいな」って思ったし、識者の方々も

まさこと読ませず、まこと読ませるのが新しい」とか言って色々解説してました。

(本当に「まさこ」と読ませなくてよかったよ・・・・・)

お印のもっこうばらってどんな花?とか。

その後は静養の度に取材が入り、例の有名な「マーク君」にぶつかられ事件も繰り返し

マスコミに報道されたものです。

眞子内親王は秋篠宮家の姫ですが、国民からみたら「陛下の初孫」という事もあるし、

当時は皇太子と秋篠宮の格差などそんなに語られる事もなかったですし。


 

この映像を見て頂ければわかりますが、眞子内親王も佳子内親王も本当に小さい頃には

非常にラフなスタイルで記者達も身近に接して沢山取材を受けていたのです。

その理由は、秋篠宮殿下御自身がそういう風にお育ちになったからだろうと思います。

が・・・・・

東宮家による「産児制限」の影響からか、内親王方の映像は急速に減り

秋篠宮家はマスコミの前から姿を消します。

そんな宮家がもう一度脚光を浴びる事になったのは、悠仁親王誕生の時でした。

本来であれば宮家の男子とはいえ「皇位継承権第3位」であり、確実に将来の天皇になる

立場の肩なのですから、生まれた時には記帳所を設けるべきであったし、両陛下からの

特別の「思し召し」があってもよかったと思います。

(例えばフランツ・ヨーゼフが甥のカール大公とツィタ妃にオットーが生まれた時、

泣いて喜んだ・・とかいうエピがあれば別ですが)

が、悠仁親王はあくまでも「宮家の長男」としての域を超える事はなかった・・・いまだにありません。

ネットの住人達は「和船に乗ったから」「兜を贈られたから」「着袴の儀の装束を贈られたから」

とか様々な理由をつけて悠仁親王が両陛下にとって「特別」であるというように解釈したい

ようですが、私は全くそう思っておりません

雑誌などに「秋篠宮はわかっている」と陛下がおっしゃった・・・だからーー」などと書かれても

私はどうしても陛下のお心を疑ってしまいます。

エリザベス女王が公務の一部をウイリアム王子に譲った事で、将来的にチャールズ皇太子を

すっとばしてウイリアム王子に継がせたいのだろうと言われるようなエピがあれば別ですが)

陛下にとって、秋篠宮殿下と悠仁親王は一体、どんな存在であるのか。

両陛下が「次男である秋篠宮」「宮家の長男である悠仁親王」というくくりからに抜け出ない

のですからマスコミが率先して抜け出すわけにはいかないのでしょう。

そうはいっても、愛子内親王は「将来の皇女」というより「将来の女帝?」的な先走った

扱いをマスコミはとっているのですが)

 

陛下の心臓手術後のお見舞いに、腰を上げない東宮家に業を煮やした秋篠宮家が

お見舞いに行くと伺いを立てた時「順番が違うのではありませんか」と雅子妃はいい、

皇后陛下は「だったら皇太子と秋篠宮で来ればいい」とおっしゃったこと・・・・私の中では

いまだにくすぶり続けている事です。

あの時、皇后にとって(あるいは陛下にとって)紀子妃殿下の存在はあまりにも軽すぎたのでは

ないかと。だって天皇の母になる人ですよ?

こういう時に「あなたは嫁だから遠慮して」と言われたら本当に傷つくなと思いました。

本当は「そんなわがままを言う皇太子夫妻は来なくていい。秋篠宮一家に来て欲しい」と

おっしゃれば非常にすっきりしたわけです。

 

つまり、今の秋篠宮家バッシングの大元には残念ながら両陛下がいるという事。

無論、好きでそうしたわけではないだろうと好意的に見るよう努力しております。

本当のバッシングの根っこは「小和田恒」&「外務省」「学会」にあり、

何をやっても叩かれる材料になってしまう秋篠宮家は、出来るだけ目立たぬように

しなければと、犠牲的覚悟を持って生きて来たはず。

マスコミに大きく取り上げられ、その一つ一つがバッシングの材料にされたり、

「皇太子妃の心が折れた」のって言われるのは耐えがたい事だからです。

お茶の水の運動会を取材させないのだって、もしさせたらさせたで

宮家の長男のくせに・・・・順番が違うのでありませんか」と雅子妃を通じて友納あたりが

どんな風に書くかわからず。

ある事ない事書かれたら御茶ノ水にも迷惑がかかるでしょう?

新潮には「入学式で言葉を発した愛子内親王に感じ入った紀子妃は方向転換した」と

書いてありましたが、それは違うでしょう。

眞子内親王が成年皇族として脚光を浴び始め、今年の12月には佳子内親王が成年皇族に

なられます。

華やかな美しい内親王二人への取材の機会も増えるでしょう。

避けられない事でしょう。

だったら、何を言われても何を書かれても「オープンにする」覚悟を持たれたのだと思います。

しかし、宮内庁はその「覚悟」がない。

東宮家にああだこうだ言われるのは嫌だし・・・・だから「理解している」などという

意味不明な言葉を入れたのではないでしょうか。

 

将来の天皇の両親が、覚悟を持って表に出ようとするとき、宮内庁も両陛下も少しも頼りにならない。

それが今の皇室なのです。

せめて国民だけは「真実」を見たいと思います。

(そうはいっても、悠仁親王とお姉さま方の「萌え」シーンを沢山みたいと思ってるのは

事実ですけど)

 

 

 

コメント (25)
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