ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

講演会の予習をしましょう

2015-08-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 講演会出席者でヅカファンの方は

「王家に捧ぐ歌」と「エリザベート」のDVDを見ておくように(笑)

また、韓ドラファンの方はキム・ヘス主演「チャン・ヒビン」を見るように(笑)

そうそう、ボードに漢字を書くとき、ちょこっと迷ってしまうふぶきのために

漢和辞典を持ってきてくれるとうれしいかも。

講演会のテーマは「妃殿下の条件」です。

正田美智子さんが皇太子妃になってからというもの、

皇室における「妃殿下の条件」というものの基準が変わってしまいました。

何がどう変わったのか、それを考えてきてください。

皇室における「女性の役割」とはなんであったのか。

あたりまえですが、それは「世継ぎを産む」という事です。

こんなことを書くと「産めない女性はどうなるんだ」とか

「女性の役割は出産だけではない」とか「男尊女卑の皇室」とか

言われそうですね。

だけど、それらの意見は全て間違っているのです。

 

一つの民族なり種族なりが継続していく為には、「子孫を残す」事が大事です。

これが出来ないと絶滅種になってしまいます。

絶滅の危機は動物だけではありません。人間もまたそうです。

人は本能的に子孫を残そうとする → 女性による出産

ごくごく自然な流れです。

中には不妊の男女がいたでしょう。それもまた自然な流れです。

ただ、今はちょっとその割合が崩れて「産めない」「産まない」人が増えています。

女性の社会進出がーーとか、男性が家事や育児に関わればーとか

言われますけど、本質的には「子供」が「夫婦」のステイタスになってしまった

事が大きな差別意識を産んだのです。

人を上下に分ける意識が「子供がいる人」「いない人」を分けてしまう。

その話はおいといて。

 

皇室においては長い間、一夫多妻制でした。

子供の死亡率が高かったころにはより多数の皇位継承者を確保するために

多くの女性が必要だったのです。

決して「男尊女卑」ではありません。

男尊女卑」という考え方はむしろ、封建時代に定着し、さらに明治以降

強まった制度ではないかと思うのですが。

天皇は祭祀中心、皇族は「祭祀」「学問」「教養」中心。そこに男女の違いは

あまりなかったものと思います。

 

現在もまた同じ役割であれば、男だから女だからという考え方は

皇室にはないはず。

だからこそ愛子様が天皇でいいのだ」と思う向きもあるかと思います。

それがそうでもないのです。

「女帝」が出るという事は

・ 皇位継承者が減るもしくはいなくなる事態

に陥ることだからです。

なぜなら「女帝」は皇族出身で天皇の妻であった者、もしくは天皇の娘

であることが条件。

そして独身であることが最大の条件になるからです。

皇室は「慣例」主義です。

最初はそんなに大仰なことではなかったのだと思います。

推古天皇が誕生した時、他に皇位継承権を持つ男子は複数いました。

ではなぜ彼女だったのか。

それは時の権力者である「蘇我氏」の影響力を大きくするためでした。

その蘇我氏が、推古天皇を誕生させた。

けれど、彼女に再婚はさせなかった・・・・という事です。

例えば用明天皇の妃で聖徳太子の母は「大后」ではあったけど、

天皇の死後、再婚しています。子供も産んでいます。

そういう事が許される時代であったのでしょう。

しかし、天皇となった推古は再婚しませんでした。

彼女が産んだ竹田皇子は早く亡くなっているのに。

それは皇極・斉明、持統、元明、元正、孝謙・称徳もそうでした。

なぜでしょう?

女帝が(他の皇族との間に)子供を産んでしまうと、皇位継承争いが

複雑化するからです。

古代から内親王が結婚できる相手は「皇族」しかいません。

つまり男系男子の子供を産むと、あらかじめ立てようと思っていた

皇子にとって妨げになりますからね。

とはいえ、例えばですけど。

推古女帝&(蘇我腹の皇子)の結びつきでさらに皇子が生まれたら

蘇我氏は喜びそうなものですが、そうはさせなかったって話なのです。

それは藤原氏だってさせなかったこと。

それを・・・いわゆる小和田さんとか、密かな(女系主義者)の皇后さまは

やろうと思っていらっしゃる?

 

今と昔じゃ価値観が違うとおっしゃる向きもあるでしょう。

21世紀の日本では「男女同権」が一般化しており、

両性の合意によってのみ婚姻」するもので「どっちの名字を名乗ってもいい

事になっているし、現在の内親王・女王は結婚したら100%一般人になるし。

愛子内親王を女帝にしたからといって、結婚させないわけにいかないし

それが例え、庶民であろうと、その「恋」を邪魔する権利は

誰にもないんです。

 

徳仁親王が天皇になったら、必ず「愛子内親王を皇太子に」という

動きが出てくるでしょう。

秋篠宮家は筆頭宮家のままです。

皇室典範を改正、もしくは附則をつけない限り「皇太子」にはならないのです。

万が一、愛子皇太子が誕生したら、それなりの年齢で結婚してしまうかも。

今の内親王を見る限り、「自分の意志」というもがあるかどうかわからないし

日本初女帝の夫」になる栄誉を得ようという男性が

いるかもしれない。

人工授精だって何だって子供を授かってしまえばこっちのものと思うかも。

(考えるだに恐ろしい)

私の考えすぎでもない。あと10年もしないうちに、こういう問題が必ず

出てきます。

「民主主義」という名のもとに大事な「柱」を失った日本の姿がそこに

見えるでしょう。

 

過去において、女帝が頻発した為に皇位継承者が極端に減ったという

時代がありました。

藤原氏の専横が皇統の危機を招いたのです。

そしていま、皇統は風前の灯になっています。

皇統が絶えるという事は、一般庶民である「日本人」もこの世から

姿を消すという事です。

そういうことを考えつつ講演会に臨みましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (5)
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