ふぶきの部屋

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皇嗣家の防護服・・・やっと今頃報道

2020-06-04 07:00:00 | 皇室報道

5月22日に済生会HPで明らかになった秋篠宮家がお作りになった防護服。

6月3日になってやっと報道。

だけど、4日の週刊新潮にはまた、誹謗中傷の記事が載るようです。

事実は事実としてなぜ認めない?

天皇が5000万寄付?全部税金だから。お金の額で心が買えると思っているなら、それって完璧に小和田家に洗脳されている証拠。

 

 

済生会の炭谷茂理事長:

「(ガウンなど)医療関係の用具が大変、不足していたわけですね。(500着と)大量の手作りのガウンを贈って頂き、大変、我々励まされました」

さらにネットで読んだFRIDAYによると、

 8都道府県で緊急事態宣言が継続中だった5月15日、東京都済生会中央病院に、秋篠宮家から防護ガウン100着が寄贈された。続く22日には200着、さらに29日にも200着が済生会本部に届けられた。これらのガウンは秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王、紀子妃殿下、眞子内親王、佳子内親王の5方と宮内庁職員の計10名による手作りの品で、市販のビニール袋を使ったものだという。

 当時の済生会の状況は

「5月の連休前後は、いちばん大変な時期でした。附属の乳児院でクラスターが発生し、子どもたち8名が入院。それに伴って濃厚接触者である乳児院の職員は多くが自宅待機になりました」

 「3月の終わり頃から医療資材の納品が遅れ始め、4月初旬には、いつ入ってくるかわからなくなりました。PCR検査も数多くできる体制ではなく、院内には感染症疑いの患者さんが一定数いらっしゃいましたので、早急にガウンを用意する必要がありました。そのようないきさつで、職員たちがゴミ袋を利用してガウンを作り始めたのが4月18日頃だったと思います。

 状況を聞いた殿下は〝それほど物資が足りないのか〟と非常に驚かれたご様子で、医療用のガウンに興味を示された。妃殿下からも〝作り方を教えてもらいたい〟というご要望があったため、翌12日、看護部長が作り方の図面と動画をメールで宮内庁に送った。 「この時点では関わった職員も〝参考までにお知りになりたいのだろうな〟と思っていたようです」 ところが15日、突然宮家から連絡があり、手作りのガウン100着が手書きのメッセージと共に届けられたという。 「受け取ったのは院長と看護部長でした。資料は送ったものの、まさか数日後にガウンが届くとは思ってもおらず、ふたりとも大変感激し、恐縮していました。22日と29日に済生会本部に届いた合計400着は、全国の病院に配ってほしいということで預かったと聞いております」

 それにしても12日にガウンの作り方を送り、15日に届いたということは、なか2日で100着を手作りされたことになる。一刻も早くという秋篠宮家のお気持ちが忍ばれ、そのスピーディーさには心から敬服する。

フライデーの何と感動的な記事でしょうか。普通はこういう報道ですよ。

そこでヤフーのコメント欄です。

どうも

 「宮家+職員10人が作成した防護服とメッセージ」を歪曲して捉え「宮家が作ったんじゃなく職員が作った」と拡散し、「嘘つき」呼ばわりしています。

 

何でこうも嘘に嘘を塗り固めて秋篠宮家を誹謗中傷するのでしょうか?

いや、理由はわかっています。わかっているけれど、宮家の善意をあたかも点数稼ぎのように歪曲して拡散し、嘘を広め、人々の印象操作をする。それが許される行為でしょうか?

いくら何でもひどすぎるではありませんか。これが日本のマスコミの報道の在り方とは。誰も女性週刊誌や新潮や文春を止めることが出来ないとは。

 

コメント (14)
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日本一強い女ー皇嗣妃殿下の肖像19

2020-06-04 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

1993年9月 香川県訪問 国体視察 瀬戸大橋視察など

カヌー競技視察

 

 1993年9月 神奈川県の東京大学大学院理学系研究科付属臨海研究所での研究棟が新しくなった開所式へ

 1993年10月 眞子内親王2歳に

 

 1993年 10月 伊勢神宮式年遷宮に皇族代表として参列した秋篠宮殿下

 1993年10月3日 おぎゃー献金30周年と財団設立15周年式典

 

 1993年10月12日 ロシアのエリツィン大統領訪日 歓迎式典

 

 1993年10月14日 日本動物園水族館協会の種保存委員会全国拡大会議臨席の為、大阪市訪問。

天王寺動物園訪問

 

 1993年10月15日 秋の園遊会

 

 1993年10月 宮崎県訪問(セカイベテランズ陸上競技世界大会出席)

 1993年10月21日 山形県リハビリセンター訪問

 

 1993年11月 沖縄・ひめゆりの塔へ献花

 

 1993年11月 会員制レストラン「メンバーズクラブ ジェットストリーム」でピアノを弾かれる秋篠宮殿下

 

 1993年11月18日 日本PTA創立45周年記念式典

 1993年11月29日 殿下29歳の誕生日を前に夫妻で初めての記者会見

 

 1993年12月8日 赤坂御所から新吹上御所へ引っ越す両陛下をお見送り

 

 1993年12月 日本ろう学校を訪問 子供との鬼ごっこを楽しまれる

 

 1993年12月23日 天皇陛下60歳の誕生日の祝賀会

雅子妃入内後、秋篠宮家の報道は激減。日付すらわからない写真ばかり。扱いも小さくなりました。

それにしても、紀子妃殿下の憂い顔が気になりますよね。

この頃は皇后へのバッシングが始まったり、色々所作事であれこれうるさい事を散々言われていた時期ではないかと思われます。

紀子様はろう学校での笑顔が自然で、こういう時は「自分らしさ」を発揮出来るけど、それ以外はことごとく個性を潰されて行ったんだなあという事がわかります。

眞子さまは、寂しがり屋の泣き虫さんだったんですね。

ご両親が公務でお忙しく、長女でもあり厳しく育てられている最中ですから、なかなか甘える機会がなかったのかなと。

立場が微妙になっていく秋篠宮家の過程がわかりますね。

 

 

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