ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

危険なパラリンピック

2021-08-23 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

>普通の日本人さま

話題を変えてはいかがですか?

バッハ会長の再来日に関しては、規定だから外国人だからという理由ではなく、彼がやらかした五輪期間の様々なことが日本国民の怒りを買っているだけなのです。

ふつうの日本人さまのようなコメントに対するコメントが続くと、コメント欄を閉鎖しなくてはなりません。

私も一瞬「閉鎖」を考えたのですが、閉鎖したらしたで「閉鎖したと思って好き勝手書きやがって」と某大型掲示板に書かれたりするので・・それになるべく皆さまの感想が欲しいので開けています。

言い合いしてほしくないし、「それは違う」とご説明なさりたいのであればご自分のブログでやって下さい。あまりにも長すぎる説明コメントは皆さまも読めないと思うので。

日々、ブログは更新され、記事も新しくなっているのでいつまでも古い記事に拘らずとも…と思うのですが。

せっかく新しい記事を書いても、そっちは無視で延々と数日前の記事にばかりこだわられると悲しくなります。

西村大臣はとうとう「企業の休業」にまで言及しました。

当然の流れかなと思います。

企業は本当に休まないし、テレワークも積極的ではない。

若い人達はテレワークさせるのに管理職は出社させたりする。

何で?って思うけど、若い社員のことが信用できない部分があるんでしょうね。

この際、時間内にきっちり仕事してくれたらそれがレジャーランドだろうが、公園だろうが問わないくらいの心の広さが必要なんじゃないか?と思います。

学校に関しても、去年の一斉休校は不評でしたが今年は「2学期からも休校」を望む声が保護者の方から出ています。

若い人達の感染が目立ってきたからではないでしょうか。

「教室で感染しない」と専門家はいうのですが、授業中はそうでも教師がちょっといなくなると、すぐにマスクを外す生徒が意外と多いと思います。

マスク無しで廊下をうろうろしたり、そのまま部活行ったり。

そういう意味では時間差で通うとかそういう措置も必要でしょう。

 

国民がいう事を聞かないと政府は嘆きますが

 五輪の選手は自由に歩く  日本人はテレビで観戦

 外国人はお台場で騒ぐ  日本人は動くな

 パラリンピックの生徒観戦はいい  修学旅行は中止

これでは話にならないのです。

特にパラリンピックの観戦は、子供達の教育にいい影響を与えるといいますが、それは一都三県だけでしょう?地方はどうでもいいのか?

生で観戦しないと障害者に寄り添うことが出来ない筈はないと思います。

特にパラは、もうすでに30人以上感染者がいる状態。これからも増えるでしょう。たった半月で感染者の数が倍増しているわけですから、本当なら中止すべき案件だと思います。

「パラの観戦より修学旅行の方が大事」という人達の意見はすごくわかります。

でも、そういう事をいうと左翼が喜ぶんですよ。

なんでも個人単位で考えるようになったら国はやっていけません。

五輪はある意味、国家行事。そして修学旅行はそうではないという観点に立つと、少しは我慢しやすくなるのではないか?(なわけないですけどね)

子供達の方が冷めていて「しょうがないよなあ」的な雰囲気とも思いますが。

このところ、民放で「ファストドクター」の話題で自宅療養する患者に寄り添う医師の姿を映し出していますが、撮影者はきちんと防護服なり感染対策をしているのでしょうか?本当に大丈夫なんでしょうか?

このところ、芸能界でコロナに感染する人達が増えていますがスタッフの対策はどうなっているのか? 軽く考えていないか?と思います。

出演者がどんなに頑張ってもスタッフが密になったり、足を踏み入れてはいけない所にわざわざ行ったりすればそれだけリスクは高くなると思います。

それにしても自宅療養者に対しても酸素の選別が行われたり、入院先を探して必死になっている様子は見ていられません。

看護をしている親なども当然、濃厚接触者になるわけですが隔離する場所もなく、患者の状態が刻一刻と変わる中で傍につきっきりでいなくてはなりません。

一晩でも一人っきりにされたら怖いですよね。医者も患者も。

だから野戦病院を・・・と言われるわけですが、「野戦病院」という言葉が戦争を思い出させるからダメだとかいうおバカがいます。

そもそも今の「お願いベース」っていうのは、日本が戦後76年経ってもまだ戦前のトラウマから抜け切れていない戦後レジームから脱却し切れていない証拠なのです。

なぜ「戦前」「戦中」を全部否定するのですか?

今より合理的な考え方や方法があり、教育も「国の為」という考え方を押し付けたからダメだと言いますが、今のようになんでも個人単位で考えれば考える程「何で政府に従わなくてはならないのか」と反発されるばかり。

当時の「国の為」というのは、いわゆる「自分達の未来の為」「子供達の未来の為」の我慢だった。ゆえに、貧しさや飢えにも耐えた・・それが当時の日本人の姿です。

戦後に復興が早かったのも、民主主義が浸透したというより「敗戦国と呼ばれる汚名をそそがなければ子供達に未来はない」と思った所以です。

戦時中のお産婆さん達が空襲のさなかでも駆けつけて子供を取り上げる。水がなければ川から、隣から持ってくる。桶もないし、火もつけられない。便箋を燃やすとか、そこらへんにあるものを全部利用してでも懸命に職務に励んだ意思は、それこそ国の為だったのでは?

やれ、「36週以上じゃないと」「うちは産科はあるけどコロナに対応してない」とか色々な理由をつけて断る今の医療とどちらが誠実でしょうか?

野戦病院という名前に拘って作らないとか、消防法がどうのとか言い出したらきりがない。今、必要なのは病床です。

酸素ステーションにあれだけベッドが置けるなら、酸素と同時に点滴をすべき。

点滴の針を刺すことは出来なくても、点滴ボトルの管理と針を抜くことは出来る人達はいると思う。「無資格ではダメ」と平和な時は言えるけど、いざ有事の時は女学生も看護助手として働かざるを得なかった事を思えば、看護学校の生徒などを使って実践をさせるのも一つの手ですし、失業者なども積極的に登用して人材を増やすべきでは?

戦前の軍には「衛生兵」という無資格の兵隊がいましたが、医者の傍で見て聞いて覚えたことが後々役に立つ事もあります。

法を乗り越える、人の壁を乗り越える決断が必要なのです。

 

コメント (9)
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