ふぶきの部屋

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悠仁親王と蜂子皇子

2024-05-01 07:00:00 | 皇室報道

 もうX始め色々なブログで拡散されているので、今更な話題ですが、改めて「ふぶきの部屋」風にお知らせしますね。

 2023年6月18日 悠仁親王は山形県の出羽三山をお参りした

 この神社の開祖は「蜂子皇子」という人で崇峻天皇の皇子

 殿下はご自分で歴史を調べ予定をたて、6月18日(その日は祭礼の日)に恐ろしく困難な山を登り、神社にお参りした

 宮司の話「悠仁親王が参拝されると急に雲が現れ、風が吹き雨が降りだした。このような事は70年生きていて初めてのこと。恐らく風神雷神八百万の神々が悠仁親王を歓迎したものと思われる。

 宮内庁の日程にはなく、お忍び中のお忍び行動。

 崇峻天皇って誰?

天皇になる前の名前は泊瀬部皇子。

この頃、敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇→推古天皇となります。

敏達天皇と推古天皇は夫婦で、二人には竹田皇子がいました。が、蘇我・物部戦争で負傷し死去。

用明天皇は2年程で病気で亡くなりました。長男である聖徳太子はまだ10代。

天皇にふさわしいと言われる年齢は30歳すぎ

なので聖徳太子では若すぎる。

用明天皇には弟が何人かいましたが、そこで生き残り、蘇我氏を母とする崇峻天皇が擁立されました。

しかし、崇峻天皇と蘇我馬子は対立していきます。

一番それがわかるのは、彼の正式な妃に蘇我氏が入っていない事です。

蘇我馬子は正室との娘を聖徳太子と結婚させ、側室の娘を崇峻に嫁がせました。

で、崇峻が後ろ盾としたのが大伴糠手で蘇我氏でなかった事もわだかまりの原因。

ある日、イノシシが献上され、崇峻は「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と言ってしまい、それが馬子に伝わって「イノシシは自分の事」と思った馬子は崇峻天皇を暗殺したのです。

結局、蘇我腹の有力な皇子がいなかったため、推古天皇を立てて「中継ぎ」としました。

 蜂子皇子って誰?

伝承として「崇峻天皇の3男」となってますけど、「日出ずる処の天子」では、初めての子のような扱いでしたね。

大伴小手子から生まれ、ゆくゆくは大伴氏を母に持つ天皇誕生という所で、蘇我氏からすると危機感があったのだと思います。

崇峻天皇暗殺時、聖徳太子がこの蜂子皇子を助け京都から船で日本海を渡って山形まで行き着いた・・という話は、東北出身の私も聞いた事がありません。

聖徳太子は、歴史上「暗殺」された唯一の天皇に対する思いがあったと同時に、蘇我氏への怒りを感じたのでしょうね。

ゆえに従兄弟の蜂子皇子を助けたと思います。

蜂子皇子は山形で出羽三山の開祖となり、人々から信仰を集めました。

顔が怖いのは人々の悩みや苦しみを聞いたのでこのような顔になったと伝承。

いやいや、「処天」に出てきたちょい役皇子が実は東北ゆかりの方とは驚きました。

そういえば、悠仁親王が生まれた時、出羽三山に龍雲が出たと話題になりました。

ですから、ご自分で「蜂子皇子」に興味をお持ちになり、自ら調べその地へ行かれたというのは、まるで導かれたかのように思われます。

悠仁殿下といえば理系を想像しますが、このように歴史も大変造詣が深く、またご自分で探求していこうというお気持ちがある。つまりこれが「帝王学」であるという事ですね。

(死ぬ前に一度行ってみたい)

そして悠仁親王参拝の折の八百万の神々の祝福が心に刺さります。

こういう感覚ってわかる人しかわからないというか。ほんの気づきなんですが。

明治神宮へ行った時に、本殿にさわやかな風が風が吹き渡り「ああ、神様がいる」と私は思いました。また、清正の井戸への道々は人が沢山歩いているのに、なぜか静でそこに自然界の偉大さを感じました。

そういう「天候」を感じたのは昭和天皇の大葬の礼の時です。

あの日は、朝から雪が降ってそれが幻想的で、日本中が悲しみを感じていた。

明治神宮ミュージアムで見た明治天皇大葬の礼の車列の模型。

私は高校の時に図書室にあった「大葬の礼の写真帖」を何度も見ました。

車列が何ページにも渡って写真になってて。正直、その時は退屈でそこは見飛ばし、

大正天皇、貞明皇后や昭憲皇太后の写真ばかり見てたんですけど、日本における天皇の「大葬」もやっぱり伝統行事であり、簡単に「簡略すべきものではない」と私は思っています。

あの模型が目の前で繰り広げられたら、どこの国の人だって「荘厳」としか言いようがないだろうと思うので。ゆえに私は上皇陛下の「大葬の礼はしないで」には反対です。

で、昭和天皇の大葬の時にテレビでそれを見る事が出来、やはり荘厳さを感じました。

ではなぜ悠仁親王は蜂子皇子に興味を持ったのでしょうか。

私は単純に「名前」だと思います。

「蜂子皇子」は「はちのこのおうじ」とも読みます。つまり蜂の幼虫ですね。

何でこんな名前を付けたのだろう。

私も「処天」で変な名前と思った口で。

っていうか、古代の皇族・豪族の名前は現代では理解しがたい名前が多々あります。

よく子供が「小野妹子」は男なのに「子」がついていると言って笑いますが、「子」という文字は中国では非常に身分が高い、あるいは「学識」が高い名前です。

中国では「子」を「ズ」と発音し、名前の上に持って来ます。「子○」って。

 

馬子も同様ですね。舒明天皇以降、皇子皇女の名は生まれた地名や乳母の氏由来になっていきますが、この時代は恐らくですが

 子を入れる

 蜂や馬、貴重なものの漢字を入れる

 唐とか漢とか、ちょっと外国人っぽい名前をつける

 漢字の意味より音を重視する

 地名を羅列した名前

があったのかなと思っています。

例えば聖徳太子は「厩戸皇子」ですが、当時の漢字の意味と今の漢字の意味では違っているかもしれないし、もしかすると発音が違うのかもしれないと感じます。

さらに「桜井皇子」「桜井弓張皇子」「星河女王」とか、非常にロマンチックな名前もあります。

また聖徳太子の子の名前で「馬屋古女王」という姫がいますが、これは「古」は「子」に繋がり、「馬屋」は「厩戸」に繋がるのではないかと思います。

要するに末っ子で最も愛された姫だったんじゃないかな。(漫画では恐ろしい姫ですが)

そんな想像をすると楽しいのですが、なんせ学者じゃないので論文にするわけにもいかず。

 

だから「蜂子皇子」は「蜂」という蜜もとれれば針もある強くて魅力的な昆虫のような強く生きてという願いがあったと。

ちなみに蜂子皇子の妹に「錦代皇女」という方がいて、これこそ皇女にふさわしい名前ですね。小手子と錦代皇女もまた聖徳太子に助けられて福島県まで逃れたのですが、皇女は途中で亡くなり、結果的に母と息子の再会はなかったようです。

 

悠仁親王のおかげで私達はものすごい歴史を知る事が出来ました。

北関東や東北というのは、なかなかこのような伝承が大げさに語られる事がない土地です。なぜなら「隠れ里」の意味もあり、大っぴらにすれば殺される危険性があったからでしょう。

でも今は21世紀ですから、このような東北と皇族の関りをもっともっと広めてもいいのではないかと思います。

 

 

 


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5 コメント

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Unknown (彩夏)
2024-05-01 08:32:04
おはようございます。
たしか今上天皇は史学科卒業でしたよね。あまりこういう歴史には興味がなかったのでしょうか、国内のことについて話された記憶がありません〜イギリス、イギリス、あとは祭祀ではなく妻子の話ばかりで…上皇さまたちヘの思いやりある言葉も行動もないような。
悠仁さまの記事はいくつか読ませていただきましたが、皆さまのお話を読ませていただきいろんなことが勉強になりました。日出処の天子、また読み返したい!
今月もよろしくお願いいたします。
Unknown (ちびた)
2024-05-01 10:21:13
ふぶき様こんにちは。
悠仁さまのニュースとても嬉しかったです。時間がなくて動画はまだ見ていませんが早く見ないと。
私は「日出処の天子」の大ファンで一番好きな漫画です。全編暗記してるぐらいです。漫画の中では崇峻天皇は愚鈍な人物として描かれていますが、その御子の蜂子王子が立派な人物だったとはちょっと驚きました。崇峻天皇に馬子の側室の娘が入内するのも上手く描かれてました。ふぶき様の今日の記事はとても勉強になりました。ありがとうございます。
Unknown (山芙蓉)
2024-05-01 11:52:24
悠仁さまの出羽三山詣では、動画をなぞった投稿が出回っていますね。
ですが、蜂子皇子の周辺の歴史を詳しく紐解いた話はあまりなく、流石「ふぶきの部屋」!と感じました。
ありがとうございます!

彩夏さんもおっしゃる通り、今上さんはあまり歴史的な話はされませんね。
記憶にあるのは唐突な「壬申の乱」というワードくらいか。
あれは何だったのか?弟への牽制?
天智天皇のように弟外しをしたいなぁ。皇位継承権のない我が子への継承という掟破りをしたいなぁ。でも、弟が大海人皇子のように抵抗するかも。マスゴミ&愛子ファンの皆さん、愛子の応援と弟の監視をよろしく!と?
Unknown (ハーモニカ)
2024-05-03 07:32:31
必ずや立派な天皇陛下になられると期待申し上げております。心無い報道ばかりですが、飄々と受け流す器も兼ね備えていらっしゃるとと信じています。
Unknown (Unknown)
2024-05-10 10:25:24
某動画で、安倍元首相の事件があったので、アンチ秋篠宮家や愛子さまを天皇に運動の動画を発信しているユーチューバーやブロガー達は公安がチェックしていると話していたので、それはそうだろうなと思いまhした。よかった。

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