ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

講演会レポート

2015-08-24 14:30:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 先日は、私の講演会に多数の方が来ていただき、誠にありがとう

ございました。皆さま、お疲れになったのではありませんか?

十分にご休養を。

 古代から現代に至るまでの「お妃」制度

 大正天皇婚約破棄事件

 宮中某重大事件の真相

これらについて話をしました。

そして

 戦前まで「お妃」の条件は「家柄」「血筋」であったこと

 正田美智子さん入内から第一条件が「学歴」になった事

          ↓

結果的にそれが「小和田雅子」入内につながっていくのだという話をしました。

 

 スペシャルゲスト・ナス子さん登場

雅子さま大好き」ブログのナス子さまがゲストとして登場。

なんと、自家製「小皿」帽子をかぶって来て下さいました。

会場は大爆笑。

だって、よく似合っていたんですもの。

ナス子さまには、ブログを始めたきっかけや、最近のブログの傾向などを

お聞きしつつ、ブログのテーマなどについて詳しくお話し頂きました。

とても新鮮で、楽しかったです。

ナス子さまは大変に博識でいらっしゃり、尚且つ茶目っ気もあり、場を和ませる

力をお持ちでした。

そんな彼女の存在がとても大きく、心丈夫で安心してしゃべることが出来ました。

最後の方は、二人のアドリブでの「小芝居」が始まり

「もし、まったく皇室に関心のない人達に出会ったら」どうやって

話を持っていくか・・・・という事について、ロールプレイングですね。

それをやったんです。

あれはすべてその場限りのセリフで、最初から作り上げていたわけではありません。

でも、結構うまくいきましたね。

次回もそんな風にやってみようかしら?

 

午後1時から夕方の6時まで、本当に長い時間を頂いて

お話しさせて頂きました。

なかなかわかりづらい部分もあったかと思いますけど、最後まで

お付き合い下さってありがとうございました。

 

二次会もまたとても盛り上がりました

恐るべし皆さまのパワー。

次回もよろしくお願いします。

 

 

 

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皇室ウイークリー

2015-08-23 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

8月14日・・・両陛下 → 地方行啓について説明を受ける

8月15日・・・両陛下 → 全国戦没者追悼式

 

8月17日・・・両陛下 → 新旧宮内庁総務課長と昼食

                帰朝大使夫妻とお茶

8月19日・・・天皇陛下 → 日本銀行総裁から進講を受ける

         両陛下 → 帰朝大使夫妻とお茶

8月20日・・・・皇后陛下 → 被災地支援音楽交流事業福島青年管弦楽団コンサート鑑賞

 

皇太子一家・・・月11日ー17日 → 須崎御用邸滞在

 

秋篠宮家

8月14日・・・両殿下・佳子内親王 → 宮内庁人事異動者に会釈

8月17日・・・両殿下・佳子内親王・悠仁親王 → 

       沖縄地上戦終結70年・鎮魂と平和への祈り「沖縄地上戦と子どもたち」

 「ストレスが病気に」と言われたら、本当に本当に鑑賞公務が増えちゃって。

  これじゃかえってお疲れになるのでは。

  正直、帰朝大使夫妻とお茶とか昼食とか、そういうのこそ、なくしてもいいんじゃ

  ないかと思うのですが。

  両陛下の時間は皇太子時代で時計の針が止まっているようです

  当時は「すごい事」に見えても、今は「何もそこまでしなくても」って感じになる。

  皇太子のいう「時代に即した公務」というのは「年齢に見合ったお仕事」って

  意味だったのかしら(と好意的に解釈をしてみたりする)

  天皇陛下は国事行為と祭祀。皇后陛下は養蚕と祭祀のみ行うことができれば

  あとは何も望まないのに。

 香淳皇后は日本画を描く事がご趣味で。

  皇后陛下は刺繍とか絵を描いたりはなさらないのかしら?

  ピアノがご趣味のようですが、わざわざ草津までいかなくても、御所に

  お呼びになればよろしいのにね

 週刊誌によると皇后陛下のストレスの元は

  「皇太子夫妻に慰霊を引き継げない事

  とか安倍総理のこととか言われていましたけど、

  先の大戦の慰霊はもういいんじゃないかと思います。

  次の戦後80年には生きてる人がいなくなるし。

  戦没者追悼式も一体いつまでやるんだかなという感じだし。

  同じ慰霊でも「阪神大震災阪神大震災」と「東日本大震災」の慰霊の方が

  重要でしょうに。

  とにもかくにも、天皇や皇后があまり「平和が云々」とか「憲法」とかいう言葉を

  口にすべきではないでしょう。

 私達国民からすると、都合のいい時だけ「体調が整った」として

  のこのこひどい格好で出てくる皇太子妃に関してストレスがたまるというか

  「お手ふりが仕事」と思ってる皇太子夫妻にストレスがたまるというか

  嘘ばかりつく皇太子一家にストレスがたまるというか。

  ・・・・・なんですけど。

 

 

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講演会の予習をしましょう

2015-08-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 講演会出席者でヅカファンの方は

「王家に捧ぐ歌」と「エリザベート」のDVDを見ておくように(笑)

また、韓ドラファンの方はキム・ヘス主演「チャン・ヒビン」を見るように(笑)

そうそう、ボードに漢字を書くとき、ちょこっと迷ってしまうふぶきのために

漢和辞典を持ってきてくれるとうれしいかも。

講演会のテーマは「妃殿下の条件」です。

正田美智子さんが皇太子妃になってからというもの、

皇室における「妃殿下の条件」というものの基準が変わってしまいました。

何がどう変わったのか、それを考えてきてください。

皇室における「女性の役割」とはなんであったのか。

あたりまえですが、それは「世継ぎを産む」という事です。

こんなことを書くと「産めない女性はどうなるんだ」とか

「女性の役割は出産だけではない」とか「男尊女卑の皇室」とか

言われそうですね。

だけど、それらの意見は全て間違っているのです。

 

一つの民族なり種族なりが継続していく為には、「子孫を残す」事が大事です。

これが出来ないと絶滅種になってしまいます。

絶滅の危機は動物だけではありません。人間もまたそうです。

人は本能的に子孫を残そうとする → 女性による出産

ごくごく自然な流れです。

中には不妊の男女がいたでしょう。それもまた自然な流れです。

ただ、今はちょっとその割合が崩れて「産めない」「産まない」人が増えています。

女性の社会進出がーーとか、男性が家事や育児に関わればーとか

言われますけど、本質的には「子供」が「夫婦」のステイタスになってしまった

事が大きな差別意識を産んだのです。

人を上下に分ける意識が「子供がいる人」「いない人」を分けてしまう。

その話はおいといて。

 

皇室においては長い間、一夫多妻制でした。

子供の死亡率が高かったころにはより多数の皇位継承者を確保するために

多くの女性が必要だったのです。

決して「男尊女卑」ではありません。

男尊女卑」という考え方はむしろ、封建時代に定着し、さらに明治以降

強まった制度ではないかと思うのですが。

天皇は祭祀中心、皇族は「祭祀」「学問」「教養」中心。そこに男女の違いは

あまりなかったものと思います。

 

現在もまた同じ役割であれば、男だから女だからという考え方は

皇室にはないはず。

だからこそ愛子様が天皇でいいのだ」と思う向きもあるかと思います。

それがそうでもないのです。

「女帝」が出るという事は

・ 皇位継承者が減るもしくはいなくなる事態

に陥ることだからです。

なぜなら「女帝」は皇族出身で天皇の妻であった者、もしくは天皇の娘

であることが条件。

そして独身であることが最大の条件になるからです。

皇室は「慣例」主義です。

最初はそんなに大仰なことではなかったのだと思います。

推古天皇が誕生した時、他に皇位継承権を持つ男子は複数いました。

ではなぜ彼女だったのか。

それは時の権力者である「蘇我氏」の影響力を大きくするためでした。

その蘇我氏が、推古天皇を誕生させた。

けれど、彼女に再婚はさせなかった・・・・という事です。

例えば用明天皇の妃で聖徳太子の母は「大后」ではあったけど、

天皇の死後、再婚しています。子供も産んでいます。

そういう事が許される時代であったのでしょう。

しかし、天皇となった推古は再婚しませんでした。

彼女が産んだ竹田皇子は早く亡くなっているのに。

それは皇極・斉明、持統、元明、元正、孝謙・称徳もそうでした。

なぜでしょう?

女帝が(他の皇族との間に)子供を産んでしまうと、皇位継承争いが

複雑化するからです。

古代から内親王が結婚できる相手は「皇族」しかいません。

つまり男系男子の子供を産むと、あらかじめ立てようと思っていた

皇子にとって妨げになりますからね。

とはいえ、例えばですけど。

推古女帝&(蘇我腹の皇子)の結びつきでさらに皇子が生まれたら

蘇我氏は喜びそうなものですが、そうはさせなかったって話なのです。

それは藤原氏だってさせなかったこと。

それを・・・いわゆる小和田さんとか、密かな(女系主義者)の皇后さまは

やろうと思っていらっしゃる?

 

今と昔じゃ価値観が違うとおっしゃる向きもあるでしょう。

21世紀の日本では「男女同権」が一般化しており、

両性の合意によってのみ婚姻」するもので「どっちの名字を名乗ってもいい

事になっているし、現在の内親王・女王は結婚したら100%一般人になるし。

愛子内親王を女帝にしたからといって、結婚させないわけにいかないし

それが例え、庶民であろうと、その「恋」を邪魔する権利は

誰にもないんです。

 

徳仁親王が天皇になったら、必ず「愛子内親王を皇太子に」という

動きが出てくるでしょう。

秋篠宮家は筆頭宮家のままです。

皇室典範を改正、もしくは附則をつけない限り「皇太子」にはならないのです。

万が一、愛子皇太子が誕生したら、それなりの年齢で結婚してしまうかも。

今の内親王を見る限り、「自分の意志」というもがあるかどうかわからないし

日本初女帝の夫」になる栄誉を得ようという男性が

いるかもしれない。

人工授精だって何だって子供を授かってしまえばこっちのものと思うかも。

(考えるだに恐ろしい)

私の考えすぎでもない。あと10年もしないうちに、こういう問題が必ず

出てきます。

「民主主義」という名のもとに大事な「柱」を失った日本の姿がそこに

見えるでしょう。

 

過去において、女帝が頻発した為に皇位継承者が極端に減ったという

時代がありました。

藤原氏の専横が皇統の危機を招いたのです。

そしていま、皇統は風前の灯になっています。

皇統が絶えるという事は、一般庶民である「日本人」もこの世から

姿を消すという事です。

そういうことを考えつつ講演会に臨みましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」192(2時間47分のフィクション2)

2015-08-21 07:00:00 | 小説「天皇の母」181-

宮邸の門に着いた時、マコもカコも無言だった、

カコの着物の袖は少し敗れていたし、汚れてもいた。

髪もすっかり乱れてしまい、出迎えた侍女や宮務官は言葉を失った。

連絡は来ていたので、みなは二人を部屋に通すと

さっさと着物を脱がせ、そして食堂に招いた。

今日はお二人だけのご夕食ですからね。おいしいものがたくさんありますよ。

妃殿下は今日はお二人の好きなものばかりご用意するようにと

私、いらない」

カコはぷいっとして、自分の部屋に戻ろうとする。

「カコ、食べなきゃダメ。叱られるわ」

叱られたっていいもん

どうしてそんなこというの。私達、何も悪くないのに」

悪くなくたって叱られるんでしょ

カコ・・・」

マコは泣きそうな目をする。そんな姉の様子を目にしたカコは

それ以上何も言えず、かといって部屋に戻ることもせず、じっと

席に座っている。

私、悪くないもん

わかってる。私はちゃんとわかってる。お父様もお母さまも

おじいさま達も?」

ふとした不信の言葉。マコは何も言えなくなってしまった。

静かに供される黄金のスープ。普段は「音を立ててはいけない」と

言われるけど、スープをすくう音すらしない静かな食事風景だった。

 

皇居では何事もなかったかのように、マサコ以外の全員が

テーブルについていた。

お祝い御前は毎年、内容が決まっている。

老齢の天皇と皇后に合せてあっさりで薄味にできているのだ。

決して豪華というわけではないが、上品な料理が並ぶ正餐だ。

天皇の義務は「長生きをすること」にある。

天皇という存在が健在であれば、国家も安泰。

だから、毎年の天皇誕生日は国民にとっても祝いの一日であるといえる。

国民は、きっと今頃、皇居では皇太子夫妻やアキシノノミヤ夫妻などと

華やかな晩餐会が行われているだろうと思っている。

しかし、実際は。

テーブルの上には、コーヒーか紅茶のみ。

時計の針は正餐開始時刻を遥かに過ぎていた。

侍従がたまらず伺いをたてる。

あの。そろそろおはじめになったほうが

だれもがそのほうがいいと思っている。

だけど、誰もそうは言い出せないでいた。

皇太子妃が戻って来ないのである。

先ほどから、何度東宮御所に連絡をとったかしれやしない。

今日は、内親王付きの女官以外は出払っている。とはいえ

まるっきり人がいなくなったわけではない。

妃殿下は内親王殿下と東宮御所にお戻りになりました。が。

お二人で部屋に閉じこもられて出ていらっしゃらないのです

ありえない女官の声に、千代田側は慌てた。

だって、すぐに戻るとおっしゃられて。一体、何をしているのか

お食事は先ほど、運びました」

じゃあ、こちらの晩餐はキャンセルなのか」

ではないかと」

ではないかとって。ちゃんと確かめないか」

侍従の怒鳴り声が響く。

もちろん、何度もお部屋の前で申し上げました。でもドアが開かないんです。

こっちではドアが開かないともうダメなんです」

もはや女官の悲鳴のような声に千代田側も意味不明に頭を抱える。

携帯だ・・携帯でかけろ」

妃は常に携帯を持っている。そっちにかけたらと思ったのだ。

「電源が入ってないそうです

わかった。じゃあ、妃殿下の晩餐はキャンセルにする」

 

この事はすぐに大膳に伝えられ、侍従は報告をしに食堂へ行った。

陛下、妃殿下はたぶん、お戻りにならないかと存じますので、先に

お食事を始められては」

戻らないって、言ったの?」

天皇は憤懣やるかたないといった風情だ。

さすがに空腹を覚えるし、かといって、皇太子妃のこと、無断で先に

始めたらまた悲劇的な態度で回りを困らせるのだろう。

いえ・・・妃殿下とはまだ連絡が」

どうして連絡が取れないの?電話くらいあるんでしょう?」

珍しく嫌味を言う天皇に侍従は頭を抱える。

ナルちゃん、どういう事なのかしら?」

皇后が水を向ける。

先ほどからまるっきり他人事の顔で

とりとめのない会話をしながら笑っていた皇太子は困ったような表情になった。

さあ。僕にはわかりません

わからないって。自分の妻のことでしょう

いきなりアキシノノミヤが声を荒げたので、一瞬、場が凍り付いた。

皇太子はむっとした顔で宮をにらみつける。

両陛下をお待たせする事自体、ありえないことだのに、さらに連絡が

とれないってどういう事なのか。皇太子殿下が一番よくご存じでは

ないのですか」

そうですよ。今日は陛下のお誕生日ですわ。こんな前代未聞のことが

あっていいのですか」

サヤコも負けてはいなかった。

そもそも、可愛い姪の着物が汚された時から不機嫌極まりないのに

こんなに待たされて。ヨシキは明日も仕事だというのに。

「そうやってマサコを追い詰めるから来ないなんじゃありませんか。

彼女は病気なんですよ」

だったら最初から晩餐は出ないという事でよろしいのでは」

みんなでマサコをのけ者にするのか」

今度は皇太子が怒鳴った。

サーヤ。お兄様に失礼ですよ

皇后の静かながらも厳しい声が飛んだ。

サヤコは何も悪くありません。ただ、このような事態になって、

皇太子殿下が何も知らないではすまされないと言っているのです」

アキシノノミヤはさらに畳みかけた。

両陛下のおからだのこともある。すぐに晩餐を始めるべきです

全員がそう思っているという感じで、皇太子はいたたまれなくなった。

しょうがないので、自ら電話をかけようと部屋を出る。

それから暫く戻って来ない。

皇太子が戻ってこないのに食事を始めるわけにはいかなかった。

みんな、そんなにお腹がすいているの?」

皇后はにっこり笑った。

歳をとるという事はよいこともありますね。あまりお腹が空かないから

そういえば、那須の御用邸に疎開していたとき、食べ物がなくて

みんな腹をすかせていたな。たんぽぽの茎とか、雑草を食べていたりして

私も同じですわ。当時は食べ物がなかったですから」

あんな思いは二度と御免だね。若いときは特に空腹が身に堪えて」

今は平和な世の中ですから」

のんきすぎる天皇と皇后の会話にアキシノノミヤ夫妻もクロダ夫妻も

頭の中で感情が沸点に到達しそうだった。

キコは不安そうな目を宮に向ける。

マコとカコは大丈夫でしょうか)

大人の事情に振り回された娘たちの心を思うといたたまれない。

本当は今すぐに宮邸に帰りたいと思っている。

けれど、それが許されないのだ。

宮はそれをわかっているが、帰るとはさすがに言い出せなかった。

そんな事が表に出たら、どんなバッシングを受けるかわからない。

非常識な態度をしているのはあちらなのに、どうしてこちらが

ここまで気を使わなければならないのか。

 

時間は刻々と過ぎていく。

ヨシキが少し焦ったような表情になった。

皇族と違ってヨシキは地方公務員である。

天皇誕生日は休日であっても、翌日は仕事だ。

ただでさえ、今日は精神的にへとへとなのに。

疲れたような夫の目を見て、サヤコはさらに顔をしかめる。

時計の針はとっくに夜の8時を過ぎている。

 

大膳でも料理長が怒りまくって侍従長や女官長に内線電話で

怒鳴っていた。

食材の味が落ちる!いい加減にしてくれ!」

一体、何人分の用意でいいのか

大膳はすでに大わらわになっている。

人を減らしていいのか、そのまま待機なのか。

しかし、どうしょうもなかった。

 

皇太子が食堂に戻ってきたとき、時計の針は9時になろうとしていた。

マサコが戻って来るそうです。だから先に始めてくださいとのことです

天皇としても、これ以上食事の時間をずらすわけにはいかなかった。

待たせたね。済まなかったね。大膳にはよく謝ってくれ」

天皇の一言で、やっと食事が始まったが、誰も楽しく食べることなど

できるはずがなかった。

ただ一人、皇太子だけがやたらほっとした顔で微笑みながら

食事を始めたことに、宮もキコもサヤコもヨシキも、ただただ

あきれ果てるばかりだった。

しかし、最も悲しかったのは、本来「礼」の最上級にいる天皇と

皇后が皇太子夫妻の無礼な振る舞いに何も言わないことだった。

サヤコなどは(考えてみるといつもお兄様は特別だったのだわ)と

頭の中で昔のことを思い出して、苦い顔をしていたし、

キコは、何とか勇気を出して宮邸と連絡を取りたいと思うばかりだった。

 

「もう、そろそろなんじゃない?皇太子妃が一人で部屋に入って

きたらきっと気まずいわね。私は廊下で待ちますわ。

陛下、みなさんはお食事を続けていらして

皇后がすっと立ち上がったので、慌ててキコも立ち上がった。

陛下、廊下は寒いですわ。お体にさわります。

私が廊下で待ちますから。陛下はどうかお席に」

じゃ、私も廊下で待ちますから

サヤコも立ち上がった。

じゃあ、みんなで行きますか?」

皇太子が笑った。皇后は「いいわね」といいつつ、なおも

廊下に出ようとしたので

キコは「私達だけのほうがよろしいと思います。陛下や東宮様まで

廊下で待っていられたらかえって気を遣われるでしょう」

といい、さっさと部屋を出た。

後ろからサヤコも追いかけてきた。

二人はしんとした廊下を歩いて、玄関へと進む。

慌てふためいた女官たちもついて来る。

ぞろぞろとした行列になってしまったので、キコは何人かは帰した。

 

マコとカコはちゃんとお食事をしているかしらね

ええ・・・」

「お姉さま。どうしてこんな風になっちゃったのかしら。

私、少しもわからないわ。前はこんなんじゃなかったのに。

両陛下のお気持ちが本当にわからない

息が白くなる。

筆頭宮家の妃と、元内親王が、こんな冷たい廊下に立って

待っている。食事もろくにとっていない。

この信じられない立場が。

仕方ないのよ

キコは小さく言った。

今は仕方ないの。サーヤはご自分の幸せだけを考えるのよ。

よろしい?」

お姉さま・・・・・」

 

そこに、車が到着する音がした。

妃殿下のご到着です」

先ぶれの侍従の声とほぼ同時に、コートを着込んだマサコが入ってきた。

マサコはキコ達が廊下で待っているのを見ると、ちょっと嫌な顔をした。

なんでこんな所で待っているのかといいたげな表情だった。

「皇后陛下がご心配でしたよ」

サヤコがそういうと、マサコは「それはどうも」と言い、そのまま

さっさと食堂に入っていく。

唖然としたキコとサヤコは暫く言葉もなく、立ち尽くしてしまった。

そのうちに、とうとう耐え切れなくなったキコの目から大粒の涙が

こぼれ落ちてきた。

笑顔を作ろうと必死に口角を上げているのに、どういうわけか

目からは涙がこぼれて仕方ないのだ。

思わず手で口をおさえる。

驚いたサヤコがキコの肩を抱いた。

お姉さま。ねえ、お姉さま。しっかりして」

必死に慰める義妹の肩にすがってキコは思わず泣きじゃくった。

「どうした」

二人が入ってくるのが遅いので、様子を見に来たアキシノノミヤは

ただならぬ様子に小走りに近寄って来る。

サヤコは戻りなさい」

宮は一瞬で察したように、サヤコを食堂に戻し、キコを抱きしめた。

高い天井に空気が冷たい。

だけど、宮の腕の中はひどく温かくて、そのぬくもりによけい

涙があふれ出てくる。

ごめんなさい。私・・・こんなつもりじゃ

いいんだ。もういい。もういいから」

人目もはばからず、宮はしっかり妻を抱きしめる。

その腕の強さは今までにないものだ。

わかってる。君の気持ちはわかってるから

うっすらと宮の瞳にも涙が光っていた。

 

 

 

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暁千星をちょこっと語る

2015-08-20 10:07:48 | 宝塚コラム

 大劇場では「ガイズ&ガールズ」が、東京では「王家に捧ぐ歌」が上演

されているっていうのに。

バウまで行けないっていうのに。

 

♪ 私は許されぬ罪を犯してしまったの

  夫と子供がいながら あなたを愛してる

  ああ この恋を 葬りされというの ♪

できるわけないわ・・・・・私のARIちゃん。

 

お友達に「ファンクラブに入るべき?」ってメールで聞いたら

「もっといい人いるんじゃない?」

「お勧め」

という意見。結局、結論が出ないまま今に至っています。

姫ちゃんには「いつファンクラブに入るの」と責められ・・・でも、これは許されない愛なの。

母に不倫を勧めるひどい娘っ

 

 暁千星に惹かれた理由

小池先生の策略にはまった

一つはこれだろうと思うんです。

演出家の策略にはまってファンになるなんて私らしくないこと。

しかし フェルゼンはよかったよ。

ちょっとぼやっとしてて、おいおい、さっさと動けよーーとか思ったけど

でも、そのぼやーーがよかったよ。

懐かしいそのムード

メールお友達が「マリコさんタイプでしょ」と。

あ・・・わかっちゃった?

そうなの。きっと麻路さきも下級生の時はこんなんだったかもと思う。

(成績は全然違うけどね)

背が高くて素直で伸び伸びしてる。美貌ってほどではないけど化粧し甲斐がある顔。

歌唱力もダンスも上手。

あとはラブシーンでしょ・・・じゃなくて演技力でしょ。

 

 ファンクラブを躊躇する理由

入り出待ちできないもん

仕事してるし、休日は家族がいるし。若いころなら、それでも通ったかも。

でも今はもう無理。グッズもなかなか買えないしなあ。

私が好きになるとトップになれない・・・かも。

一番の理由はこれですね。

ねったんの時で懲りたよーーって

私がねったんのファンクラブに入ったのは星組に配属されて、破竹の勢いで

いるとき。それからたった1年かそこらでどどどーーっと奈落の底に落ちていく。

あのときの悲しさったらなかったし。

それはゆみこちゃんの時も同じ。

ファンクラブには入らなかったけど、それでもしっかり応援してたしな。

宝塚の場合、だれかのファンになるという事はよい部分も悪い部分も全部

受け入れて喜びも悲しみも共有するってことでしょ。

裏切られるかもしれないし。

彼氏と同じだよね。

たとえ幻滅してもなかなか切ることができなくなる存在。

 

冷静に舞台を見ることができるかどうか・・・という

「ふぶきの部屋」にとっての死活問題にもなるし(大げさやなあ)

でもなあ。お茶会には行きたいしなあ。

毎回、好きじゃないトップさんがいても、月組はちゃんとみなくちゃいけないし。

うーん・・・・

うーん・・・・

と、目下思案中です。

 

 

 

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夏休みの雑談

2015-08-19 17:20:07 | つれづれ日記

 私の夏休みです。一度寝たら一日中目が覚めないような・・・・夏休み。

これはまずい。まずいと思いつつも目が覚めない。

ということで怠けております。すみません。

 

 凛風やまと・獅子の会

8月29日に大阪で「安保法案賛成デモ」やるんだって。

関西のおかみさん達、出番ですよ。

今は一生懸命、安倍総理を応援することが大事。

タイでのテロ。

なんでなのかさっぱりわかりません。

なんでイスラム教に狙われるの?タイは仏教国だよ。

バンコクの繁華街でなんで多くの犠牲を出さなきゃならないの?

「下手に手や口を出すから」って話ですか?

じゃあ、危ないものには近寄らず、自分だけ助かればいいってはなしですか?

 

 戦争関連の番組を見て思ったこと

70年経って。生き残った人達の子孫が考えている事は

あの戦争は全部無駄で無謀でした。日本ってあんなにもこんなにも

無謀なことやって負けたんです。最初から勝つわけないのに

驕り高ぶって、国民は洗脳されたんです。国に騙されたんです。

時代の空気には逆らえなかったんです。

あっちも焼野原、こっちは原爆。ほらほら海を走る日本人めがけて機銃掃射ですよ。

ぱらぱらものすごい勢いで焼夷弾が。

民間の船だそうが輸送船だそうが、あたりかまわず機銃掃射。

洞窟には民間人に交じって兵隊や、未成年で徴用された兵隊さんもどきが

いたのでアメリカは区別をつけずに火炎放射です。当然ですよね。

選んで殺すわけにはいかないんだから。

ああ、ベニヤ板の特攻船。ばからしい。

風船爆弾を作ったばっかりに、それでアメリカの1家族が亡くなったんだって。

当時、勤労奉仕してた少女は今も罪悪感にさいなまれる。

「私のせいでアメリカがーー」

戦争はどっちも悪いの。だからやっちゃいけないの」

瀬戸内寂聴さんにはがっかりだよ。

今は昭和17年みたいな空気なの」ってマジですか?

昭和17年といえば開戦してたよ。日本が今、どこと戦争してるの?

「安保法案反対」それしか頭にないからでしょ。

 お母さんが空襲の時、体の悪いお父さんと一緒に

わたしはもういい」と言って防空壕から出ずに二人で亡くなった事が

印象に残ってて、それを甥は

おばさんはおじさんを一番大事に思っていたから、最後まで離れられなかった

んだろう。家族愛です」といったことを寂聴さんは

そういうとらえ方もあるの?初めて聞いた。私は、こんな日本で生きることはもう

いいという意味だと思った」と。

ひねくれすぎでしょ。

 

戦争体験者の言葉は貴重だと思います。

だけど、そんな人に「自分が人殺しだという自覚はいつありましたか

なんて尋ねるもんじゃないし。

ハワイの戦艦ミズーリの上で「今もこの下にアメリカ兵の遺体が」なんて思いながら

見る必要はないでしょ。

戦争で殺し合いをするというのは、人を殺すも殺さないもない。

殺さなければ殺されるから。

ミッドウェーで勝っていたら変わったかもしれないとはだれも考えないのね。

 

関東軍が満州で民間人を見捨てて逃げたこと、それは本当に許せないことだし

ミッドウェーで負けた事実を正直に伝えなかったこと、それもまたひどい事実。

日本国民が軍部の発表を丸のみにして騙されて、負けるとも思わず

必死に勤労動員されたり、疎開したり、学徒動員されたり。

こうなると単に「お可哀そうな国民」なのか「馬鹿な国民」なのかわかりません。

私には映像の中で必死に弾を作ったり、農地を開墾したりする少女達の

表情は騙されたというより、「国民として自分ができる精一杯のこと」をやってるに

すぎないんだと思いますけど。

こんなに必死に頑張って。騙されているとも知らず」みたいな見方をするの、

やめませんか?

カラー映像で日本中を機銃掃射するのを見るのはつらいわ。

こんなのを延々と見せられながら「日本はこんなにまでされても戦争をやめなかったのです

なんて言われると「それは違うでしょ」と言いたくなるもの。

ねえ、映像に映ってるのは日本の国土なのよ。

ガンカメラを搭載するB29の機能はすごいと自慢されて

ほらーこんな立派な国と戦争をするなんて日本は馬鹿」と言われるのもたまらない。

生き残った人達の言葉を歪曲して伝えるのも嫌だし、

元特攻隊の人々みたいに、バリバリ左翼になって

自分らは国家に殺された」というのも聞きたくない。

こんな報道がいつまで続くんでしょうね。

 

今の日本だってマスコミが反日なお蔭で、嘘の報道ばかりなのよ。

一般庶民は騙されているんだよーー70年前とちっとも変っていない。

集団的自衛権の行使」=「戦争法案」だと思い込まされて、子供を抱っこ

しながら「日本は全然反省してませんよね」とかいいつつデモってる

そこのお母さん、騙されているんだよ。

いざとなったら、煽った人達が最初に私たちに刃を向けるでしょう。

「1000年の恨み」とか言いながら

そしてぽっぽとか村山とか、そういう人たちは「新しい国主」に媚びて

よい地位を確保しようとする。そういう約束なんでしょうね。

あーもう。

ほんと、終戦記念日前後は嫌な気分になるわ。

ま、どこかの皇太子一家はまるっきり「他人事」で遊んでいるんだけどね。

なんせ「心をよせた」「黙とうした」といえば何でも許されるんだもの。

それをいつまでも

皇室のせいで病気になった可哀そうな雅子様」だと思い続けている一般庶民。

騙されていることも知らずにのんきなもんです。

100年後に「当時の日本人は雅子妃の病状について正確な情報を

知らされていませんでした。皇室は嘘をつかないと国民は洗脳されていたのです

なんて書かれるのかしら?

 

 

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講演会 IN 東京

2015-08-16 21:24:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 

 

  ジュゴン様から一斉にメールを差し上げております。

もし届いていない方がいらしたらご連絡下さい。

 

 

 タイトル 「妃殿下の条件」

 日・・・8月23日(日)

   時間・・・お昼から夕方6時くらいまで

 場所・・・・都内

 参加申し込みは  http://blog.goo.ne.jp/as1962k/e/0a89e50b0e16f845497b3db1b61e6588

のコメント欄にお願いします。

 

今回は「皇族の妃になる」という事がどんな事なのかお話したいと思います。

そしてどのような条件が過去にあったか。古代から現代までを網羅します。

私の講演会に来て下さった方はよく御存じですが

私の話はとにかく「古いっ」でしょ?

そんな昔の話?それって今とどう関係あるの?

一瞬、そんな疑問を抱きかねないものですが、温故知新。

過去を知る事で未来が見えてきます。

前回の「11宮家」のおさらいも含めて、皇室の女性達を語ります。

 

 

 

 

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皇室ウイークリー

2015-08-16 20:43:17 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

 

8月7日・・・両陛下 → 人事異動者に会釈

      天皇陛下 → 通常業務

8月9日・・・皇后陛下 → 検査

       天皇陛下 → 検査結果聴取

       両陛下 → 黙とう

8月10日・・・両陛下 → 離任大使に会う

                地方行啓について説明を受ける

8月11日・・・両陛下 → 広島市被爆70周年記念事業 広島交響楽団 平和の夕べコンサート鑑賞

8月13日・・・両陛下 → 新旧外務省儀典長夫妻と昼食

                (「伝説の洋画家たち 二科100年展鑑賞

 

皇太子同妃両殿下 

8月10日・・・両殿下 → 人事異動者に会釈

 

秋篠宮家

8月7日・・・両殿下・佳子内親王・悠仁親王 → 「昭和館」視察

       両殿下 → 在イタリア大使夫妻と会う

       両殿下・佳子内親王 → 皇宮警察本部人事異動者に会釈

       佳子内親王 → 人事異動者に会釈

      紀子妃殿下・佳子内親王 → 「手話スピーチコンテスト」について

                        説明を受ける

 

8月11日・・・両殿下 → 兵庫県訪問

 ・ 神戸市立海外移住と文化の交流センター視察

8月12日・・・両殿下 → 2015年(第26回)福岡アジア文化賞について説明を受ける

8月13日・・・両殿下 → 六ッ美悠紀斎田100周年記念事業実行委員会名誉会長らと会う

                主基斎田100周年記念事業実行委員会会長らと会う

 両陛下にとって「黙とう」「検査」「検査結果を聞く」ということも公務なんでしょうか

   検査を終えて病院を出る皇后陛下の目は尋常ではないと感じました。

   お隣に陛下がいるとついつい本当の顔が出てしまうのかなと。

 

 両陛下 戦没者追悼式に  

 

戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,

全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,

かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,

深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,

発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,

平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,

我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。

戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,

感慨は誠に尽きることがありません。

ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,

今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,

全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,

心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

 マスコミに言わせると「深い反省」という言葉が非常に重いらしいです。

  この場合の「反省」とは何を意味するのか。

  それは書いたご本人じゃないとわからないでしょうけど。

  正直、70年も経つと、もう何をどう語ったらいいのかわからなくなりますよね。

  遺族自体が少なくなってるし、超高齢化しているし。

  悲しみを覚えるとか言われても、現代の人には歴史の一ページにしか見えないし。

  言い方悪いけど、昭和の人が戊辰戦争の追悼式に出るような感覚じゃないかと。

 皇后陛下はやぱりお着物かあ。

  なぜ複雑な心境になるのかな。

 

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70周年談話  2

2015-08-15 07:05:00 | 政治

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、

痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。

その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、

台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、

戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、

戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、

決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、

日本再建の原動力となった事実を。

中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、

再び祖国の土を踏むことができた事実を。

米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、

互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、

日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、

それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、

いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。

戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、

すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 「以徳報恩」を逆手にとりましたか。

 「痛切なお詫び」と「心からのお詫び」も入れました。

  文章のニュアンスでいうと、「そういう気持ちを表明して来たけれど、そんな言葉で

  遺族や戦争体験者の悲しみが癒える筈がない。

  どんな言葉を尽くしても癒せないからこそ、日本は戦後、アジアの復興に援助してきたのだと。

  要するに、「謝れ」と言い続け土下座させても、一時のすっきり感でしかないよ。って話。

  だけど、そういう思いがわかるのは日本人だけで、中・韓は「復讐こそ最大のすっきり」

  だから通じません。

 

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。

あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、

謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から

向き合わなければなりません。

謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、

命をつなぐことができた。

そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。

それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、

米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、

恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。

歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして

世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、

この胸に刻み続けます。

だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、

平和的・外交的に解決すべきである。

この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。

唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、

国際社会でその責任を果たしてまいります。

 そうだよ。私達や若い世代に「罪悪感」を埋め込んではいけないのです。

  そんな事、亡くなった方々が望むでしょうか。

 日本は唯一の被爆国です。原子爆弾を落とされた国。他に比類なき経験を

  してしまった事はより一層「平和」を希求するものでしょう。

 

 「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた

 過去をこの胸に刻み続けます。

 だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。

  二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、

  世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。

 だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、

 自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、

 世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。

 暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、

 医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。

 だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして

 堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、

 「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、

 そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 はい。よく出来ました。

  左翼のプレッシャーの中でここまで言えば十分というしかないでしょう。

戦後70年を迎え、日本の為に戦い、散って行かれた方々に心から哀悼の意を表し

感謝の心を捧げます。

日本は今、とても暑い夏を迎えています。

70年前より約5度か10度は気温が高い夏です。

真夏の日差しをあびる度に「戦争中に生きていなくてよかった」と思ってしまう自分がいます。

もし、あの時代、子供だったら大人だったら、生き延びる事は

出来なかったでしょう。

体力がなく、体がよわい自分など、きっとあっさり死んでいたかもしれません。

戦後の日本の繁栄が私を生かしてくれました。

同じように体が弱く、生死の境をさまよった子供達も、無事に生きています。

全て皆様の犠牲の上にあるのです。

皆さまの働きは、当時、空襲におびえていた国民にとって大きな支えだったと思います。

皆さまの崇高な志を感じ、大人も子供も必死に耐えていけたのだと思います。

しかしながら70年後の現在、皆様の志が歪曲されて伝えられている事は

いなめませn。

あなた方が必死に守った少国民達の次の世代は、戦争を憎むあまり、

皆さまのお働きを正当に評価する事無く、現在に至っています。

そして残念ながら日本国籍を持ちながら日本に憎しみを抱く人達が

増えている事も事実です。

皆さまが生きた時代、価値観、生活様式の全てを否定するような動きがあり

若い世代は正しい歴史を知る事もないのです。

こんな日本になってしまってごめんなさい。

 皆様が心の支えとし、今、共に眠る靖国神社は天皇も総理大臣も参拝できない

「触れてはいけない場所」になってしまいました。

こんな国は他にはないでしょうね。

 どこの国の軍人も最高の栄誉で称えられるべきなのに日本だけは

「過去の罪」の象徴としてしまうのです。

 それでも皆さまには「軍神」としてこの国の行く末を見守って頂きたいのです。

 どうしようもない国になってしまったけれど、それでも見捨てないで欲しいのです。

 いつかきっと・・・・まっとうな国になると・・・導いて欲しいのです。

 

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70周年談話  1

2015-08-15 07:00:00 | 政治

フジテレビでしたっけ?村山元ソーリとか、石原元都知事が出てたの。

村山氏の「戦争はいけない」論法はうるさい。当たり前の事を偉そうに言うな。

憲法9条に守られて来たんじゃない。経済戦争で日本は強かっただけです。

 安倍総理の70年談話 

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、

二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、

未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。

圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。

その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。

アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。

日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、

それまでの植民地化にブレーキがかかりました。

この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。

人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。

戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。

しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、

日本経済は大きな打撃を受けました。

その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、

力の行使によって解決しようと試みました。

国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、

日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 とっても上手な言い回しだなと思いました。

   アジアでは最初に立憲政治を打ち立て・・・・そうですよ。うん。

 有識者会議が好きな「民族自決」もいれました。

 

「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、

国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。

進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、

深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。

祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、

あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。

広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、

沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。

中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、

食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。

戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。

この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、

もう二度と用いてはならない。

植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。

自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、

ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。

七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、

この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 犠牲になったのは中国・韓国・アジアだけではない。日本も、世界も・・・

  何の罪もない人たちが犠牲になった。女性達の尊厳も傷つけられた。

  それは「慰安婦」と呼ばれた人たちだけではない。あっちの国もこっちの国もそう。

   一応「お詫び」してはいるけど、日本人の心を最低限守った言葉であると感じます。

 これほどまでの尊い犠牲の上に現在の平和がある。

  なんと重い言葉であることか。

  思えば、朝鮮戦争で南北双方、それだけの犠牲があったでしょうか。

  思えば文化大革命でどれほどの犠牲があったでしょうか。

  そしてこれほどまでに「自国」が歩んできた道を公平に振り返る国があるでしょうか。

 何でもかんでも「私は被害者」と言い募って「謝れ」と繰り返すより、

   こんな言い方の方がずっとスマートで礼儀正しい。

  情もある。

  だけど、正直、これを英訳するのは大変では?

  まして中国語や韓国語では表現しづらいんじゃないかと。

 「侵略」という言葉もちゃんと使ってるし「民族自決」も二回目。

 

  

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