ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

頭を冷やしましょう

2018-12-19 07:00:00 | 皇室報道

花物語さま、ラピスラズリさま、近々のお二人のコメントは反映させません。

何度も申し上げているでしょう?言い合いはしないで欲しいと。

質問した私が悪かったです。あまりにも具体的なお話だったから本当なの?って思っただけです。

だけどこんな言い合いになるのは問題です。

 

そんなことよりもなぜ秋篠宮家がここまで貶められてしまうのか。根本的な原因を考える方が先。

最近の新天皇の新幹線は貸切にしない → やっぱり貸切にする → でも秋篠宮家は皇嗣になっても今まで通りなのか。

皇嗣=皇太子じゃないのですか?厳密にいえばそうじゃないけど、だったらどうしてそんな中途半端な称号を与えるのか。皇位継承者が2人もいる秋篠宮家において。

なんでここまでされるかな・・・よっぽど「両陛下の強いお気持ち」に逆らっているとみなされているんだろうと思います。

肉親だからこそ憎しみが倍増するのかもしれませんけど、あの昭和天皇と貞明皇后の間も微妙な空気が漂っていたというし、秩父宮の即位を望んでいたという話もありますが、ここまでえげつないことはされてません。

マスコミを使って印象操作し、出世してきた美智子皇后がどうしてここまでマスコミを使って秋篠宮家をおとしめるのか。なぜ天皇は庇ってあげなかったのか。

年末にかけておおがかりな「今上・皇后上げ」報道があります。NHKが2週に渡って報道しますし。そうなると本当に「神のごとき今上天皇・皇后」という存在になってしまい、神様には誰も反感をもたないし、何をされても「しょうがない。神様がやることだから」ということになります。

それが嫌だからこうやってブログを書いている私ですが、本当に力足らずで悲しくなります。

集う皆様同士が言い合いなんてもっての外ですよ。

とにかく冷静に頭を冷やしましょう。

せっかく宝塚の話題で和むかなーーと思ったんだけど続きが書けない。ヅカより延々とあっちの話ばかりなんですものね。

おまけにこのマックのマウスときたらっ!使いづらくて書き直しばっかり。

私のウインドウズはいつ戻ってくるの・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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宝塚歌劇にとっての平成とは何だったのか  1

2018-12-18 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

宝塚歌劇が発祥して今年で104年。それも歳が変われば105年目に突入します。

常に西暦とともに語ることの多かった宝塚ですが、大正・昭和・平成と続いてきた歴史を紐解き、宝塚歌劇団にとって平成とはどんな時代だったのか考察してみたいと思います。(壮大や)

 

 国民劇として発祥した宝塚歌劇

創始者の小林一三の理想は「国民劇」としての宝塚でした。

誕生したのは大正3年のこと。小さな宝塚温泉の使い道を考えて作り出したのが「少女歌劇」でした。

大正時代はまだ男役とか女役などの区別はなく、脚本も小林一三が書いたりして結構大変でした。

三越の少年合唱団を見てひらめいた「少女」だけの歌や踊りをみせようと思ったんですね。

大正8年には音楽学校が出来ました。当時としては画期的にモダンだった制服と緑の袴。

でも明治から大正にかけて、女の子が歌ったり踊ったりすることはあまり育ちのいい人がすることではなくて、希望者を募るのが大変。そこで「お嬢様をお預かりして行儀見習いをさせる」とかいう名目を設けて音楽学校は成り立っていったんですね。

小林一三の考える「国民劇」というのは、日本人全てが理解できて楽しむことが出来る演劇のことなのです。

今では当たり前のことですが、江戸時代に隆盛を誇った歌舞伎が高尚なものに変化し、外国からシェイクスピアなど難しい演劇が入ってきて、「一部の人が楽しむもの」になっていきました。

言葉も難しいし、振りもよくわからないし、外国の風俗もさっぱり。

そんな日本人の老若男女全ての人が楽しむことが出来る「国民劇」を小林一三は作りたかったのです。

宝塚歌劇団は少しずつ規模が大きくなり、花組と月組が出来ました。

大正13年には宝塚大劇場が誕生。それと同時に雪組が誕生。着々と基礎が固められていきました。

 昭和の前半は男役スターの誕生

昭和2年、岸田辰彌が本場パリから持ち帰ってきた「モン・パリ」が大ヒット。大階段もどきも誕生。

昭和4年、白井鐡造が「パリ・ゼット」を発表。単なるお遊戯会からヨーロッパのレビューを取り入れることにより日本に歌って踊ることの楽しさを教えました。

昭和5年には「ローズ・パリ」で宝塚ならではの銀橋が誕生。

そして日本には宝塚だけでなく松竹などの歌劇団が次々と登場します。当時のレビューは、私たち日本人にとってはまさにスペクタクルだったでしょう。

ショーもレビューもまさに驚きと喜びで一杯のスペクタクルだったのです。

昭和8年。星組誕生。専科誕生。「花詩集」発表

昭和9年。東京宝塚劇場開場。杮落としは「花詩集」

当時、人気を二分していた男役スターは星組の葦原邦子と月組の小夜福子。

もし私がその当時、宝塚を見ていたらきっと葦原さんのファンになったと思うんですけど。でもフェアリーな小夜福子は今の稔幸に顔の形が似ているなと思います。

私の好きな楠かほるは星組 → 花組で、星組は春日野八千代のために発展していくのです。

後に葦原さんがケンちゃんのおばあちゃんだって知った時はびっくりしたし、小夜さんが「おやじ太鼓」に出演してすごい迫力のおばあちゃんになっていた時も驚きでしたね。

この頃は戦前の最盛期。東京にもファンが増えましたが当時のファン層の半分は男子。彼らがまじめに宝塚に対して「これからの宝塚は少女歌劇を維持していくか、高尚な演劇集団になっていくべきか」と議論していたんです。

それもこれも戦前の小池修一郎こと、中西武夫が「モンテ・クリスト伯」を上演して、それが結構少女歌劇とは一線を画す作品だったんですよね。また戦前の正塚晴彦こと東郷静男が「ゴンドリア」を発表するなど、いわゆる芸術性の高い作品が出てきて、白井先生なんか古いわといわれるようになります。ここらへんが今とよく似ている部分ですね。

違うのは、まじめに宝塚を語っていたのが男子学生だったということ。女性は作品そのものを語るいうより、生徒の技術的な部分を語っていたような気がします。

やがて戦争が始まると、様々な劇団が活動を停止していく中、軍と組むことで昭和19年まで存続したのです。

 関西の劇団から日本の歌劇団に

戦後の宝塚を支えたのは春日野八千代ではないかと思います。また神代錦などの専科陣も充実。

芝居もさることながらショーの分野において新しい試みが色々なされるようになりました。

「ノバ・ボサ・ノバ」「シャンゴ」「華麗なる千拍子」など。

けれど、テレビの登場により次第に低迷期がやってきます。

昭和までの舞台鑑賞の仕方というのは歌舞伎と同様、ほぼ1日を劇場の中ですごすんですね。

芝居も3幕まであったり、お昼はお店を予約して食べてまた鑑賞・・・というような。

とても贅沢な時代です。宝塚の場合は上演日程が好評であれば延長されたり、芝居とショーと別々にチケットが買えたり、おうような時代です。

しかしながら、テレビの普及とともにショーやレビューがすたれていくわけで日劇の終焉は象徴的でした。

そんな中宝塚が生き残ることが出来たのはまさに昭和51年の「ベルサイユのばら」の大ヒットでした。

無論、本拠地では最初から人気だったのかもしれませんがNHKが放送してくれなかったらわたしなどは一生知らなかったんじゃないでしょうか?

NHKの地上波では毎日、本当に色々な芸能を放送してました。文楽・落語・歌舞伎・帝劇・・当時の帝劇は和物が中心で硬くて渋い芝居ばかり放送されていました。

落語などは面白いけど歌舞伎や帝劇などは小学生にはかなり難しかったんですね。z(今、思えばちゃんとみとけばよかったと思いますが)

そんなある日、テレビをつけたらドレスを着た大勢の貴族たちが「まるでニンフのよう」といって、舞台端からドレスのオスカル様が登場したんです。思わず見入った私は最後は感動して大泣き。それからは寝てもさめても「べるばら」の世界に浸り、原作を読み写真集を買い・・そしてテレビの前にテープレコーダーを置いて録音して何度も何度も楽しんだのです。

全国的にそういう人が増えたおかげで宝塚は全盛期を迎えます。

ただ、一言付け加えさせて頂ければ「べるばら」のヒットは植田先生の功績ではなく長谷川一夫の功績でしたが。

それまでは宝塚の序列は完璧に学年順で男役も娘役もありませんでした。が、この頃から次第に男役至上主義になっていきます。つまり世の中が男女雇用均等法の時代になるにつれて、宝塚は真逆の男尊女卑になっていったのです。

それはフィナーレの階段降りに如実に現れましたし、歌が得意な人、ダンスが得意な人、それぞれに見せ場が与えられていたのに、どんどんトップコンビに視線が集中するようになっていきました。

戦後の「ベルばら4強」の榛名由梨・鳳蘭・汀夏子・安奈淳は作品のおかげでスターになりましたけど、10年に一人の逸材と言われた大地真央は劇団がしかけたスターであったと思います。

昭和の時代、栄枯盛衰を経験した宝塚。それでもまだ阪急電鉄のドラ娘の時代はよかった。

どんなにスター不足でもいい作品は生まれたし、お金もかけることが出来たし。普通の演劇集団のように予算に縛られることがなかったので。

でも平成になると歌劇団の運命は大きく変わっていきます。と、同時に歌劇の質も変わっていくのです。

 

 

 

 

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皇室ウイークリー

2018-12-16 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

12月7日・・・両陛下 → 陵墓監区事務所長と会う

             新任外国大使夫妻とお茶

             厚生労働大臣表彰の障害者自立更生者等と会う

             勤労奉仕団に会釈

      天皇陛下 → 通常業務

12月9日・・・両陛下 → 皇太子妃から挨拶を受ける

12月10日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

12月11日・・・天皇陛下 → ガーナ大統領に会う

               通常業務

        両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

12月12日・・・天皇陛下 → 衆議院議長,参議院議長から挨拶をうける

12月13日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

               赴任大使に会う

        両陛下 → 赴任大使夫妻とお茶

 

皇太子同妃両殿下

12月9日・・・両殿下 → 皇太子妃誕生日につき諸行事

12月10日・・・皇太子殿下 → 青年海外協力隊及び日系社会青年ボランティアに会う

12月11日・・・皇太子殿下 → 外国大使と会う

12月12日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

12月13日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

 

秋篠宮家

12月7日・・・両殿下 → 賢所参拝

       眞子内親王 → 第3回外交団鴨場接待

12月9日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 皇太子妃誕生日につき祝賀

12月10日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議

               東京大学総合研究博物館研究会出席

12月12日~15日・・・両殿下 → タイ訪問

 雅子さんは「誕生日の諸行事」のお疲れが出てお休みですか?1日動くのに一体何日間を要するのだか。それでもエステなどには余念がないのかもね。

 多分、「外国大使夫妻とお茶」という公務も新天皇になったらなくなるんじゃないかと思います。元々必要だったかどうか。「外国大使と優雅に紅茶を楽しみながらお喋りをする」のが皇后の皇室外交ですしね。

  新天皇即位後は移動は「貸し切り」にしない 

 皇太子が、天皇即位後は国内移動の新幹線などの貸し切りをやめることを検討

 天皇皇后の移動では警備上の理由から新幹線は全車両を貸切り、飛行機は機体ごと貸し切りとなっていたが、費用がかかることを皇太子が気にしたため。

 これは皇太子の人気取りの一つなのか、「皇嗣とはいえ秋篠宮もやるなよ」というけん制なのか。今まで散々貸し切りしてきておいて、よく言うわーーとしか。

 京都に行った時など散々街に迷惑かけていることは承知ですか?障害者スポーツ大会の時も車いすが止められなくなったって話もありましたよね。そんなことをやってきておいて、天皇になったら貸し切りやめますーなんて無理無理。

 一般車両に宮内庁職員と自分の親戚縁者、愛子内親王の友達家族を乗せて「一般人も乗ってます」ってやるだろうことは明白です。

そんな事より、静養をやめればいいし、ドタ出もやめればいのよ。

 

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秋篠宮殿下 人とニワトリ展に

2018-12-15 12:40:00 | 皇室報道

 14日、タイを訪問中の秋篠宮殿下は北部ピッサヌロークのナレスワン大学で開かれている「人とニワトリ展」を見学されました。

元々家禽(かきん)類の研究をしている秋篠宮さまは、地元コンテストで入賞したニワトリや闘鶏の実演を視察。大学職員の説明を受けながら、熱心にメモを取られました。
 これに先立ち、1989年にも訪れた地元の民俗博物館を見学。

館員によると、魚のわなや牛車に興味を示したという。

案内したタウィー館長(86)は「ご訪問は言葉にできないほどうれしい」と涙ぐんだ。

 この「涙ぐんだ」という一言に今のタイの状況が見えるようです。

かつて殿下は頻繁にタイを訪れていたし、前国王にも可愛がられていたのです。

その当時の思い出が走馬灯のようによみがえったのではないでしょうか?

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宮内庁文化祭とか雅子妃公務状況とか

2018-12-14 07:00:00 | 皇室報道

 毎年恒例の宮内庁文化祭

天皇陛下

皇后陛下

 

皇太子同妃両殿下

秋篠宮殿下

同じ写真なのにどうしてこんなに違うんでしょうか?

単に技術がどうのというより、むしろ心の問題なんでしょうか?

とりとめのない皇太子夫妻の写真。どこか儚げなだけど芸術性に溢れている秋篠宮。

信子妃殿下

彬子女王

久子妃殿下

 愛子内親王

イートンの夏とは・・・よほど楽しかったんですね。

悠仁親王

このリアルなことと言ったら。素晴らしすぎて言葉も出ません。

 週刊誌

女性セブンは相変わらずひどい事ばかり書いてます。これって何とか抗議出来ないものでしょうか?あまりにもひどい。ハラスメントです。絶対。

新潮は皇后陛下がいよいよお怒りで「2月までに」破談を・・・って。「天皇陛下は婚約記者会見に裁可をだしたけど納采の儀には裁可を出してない」って、そんな言い訳きくわけないじゃないの。

ご自分の非をお認め下さいましよ。皇后陛下。

時事通信社が報道した近年の雅子妃の公務出席状況です。

よくわかりませんけど、気まぐれに出たり出なかったり。全然「その気」になっているとは思えませんが。ますます「意欲的」「復活」「でも体調の波」「でも期待しないで」と言い続けることのあほらしさを感じます。

 秋篠宮両殿下タイ訪問

12月13日、秋篠宮殿下は東北部にある国立大学、マハーサーラカーム大学を訪問、メコン川流域のナマズなどに関する研究が評価され、大学から生物学の名誉博士号を贈られることになり、 授与式に出席して学位記などを受け取られました。
「協力して下さった多くの方々の尽力を顕彰し、今後とも両国間の親密な関係を祈念するとの お気持ちからであろうことに思いをいたしています」。

紀子妃殿下は 13日、首都バンコクで開かれた 母子手帳の普及や役割について話し合う国際会議の開会式に、日本の「母子愛育会」の総裁として出席。
この中で、紀子さまは長女の眞子さまの母子手帳を紹介し、英語で「母と子が、世界のどのような場所に住もうと、 どんな状況のもとにあろうと、適切な継続的ケアを可能にするうえで、 母子手帳にはとても重要な役割があると思います」とスピーチ意味深な言葉だなあと思ってしまいました。

 

 12月13日。久子妃殿下は東京・四谷にある在日韓国大使館の文化交流施設「韓国文化院」を訪れ、 名誉総裁を務める高円宮記念日韓交流基金の顕彰式典に出席された。
日本と韓国は、隣国として多くの価値観を共有する大切なパートナーです。
地道な草の根活動によって、日本と韓国の人々の出会いの場が広がり、交流の絆がさらに強くなることを期待しています」とあいさつ。
交流事業に尽力した新潟県南魚沼市の中学校や韓国の民間団体などに高円宮賞が贈られた。 

このご時世に「日韓友好」もないもんだ。そのうち裏切られるんじゃないの?っていうか、逃げがうまい久子妃だから大丈夫でしょうけどね。 

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今年の漢字は「災」

2018-12-13 07:00:00 | 政治

 毎年恒例の今年の漢字ですが、「災」になりました。当然と言えば当然です。日本はどうなってしまうの?というくらいあれこれ災害が起きてしまいました。

ただの2018年ではなく平成最後の年が最悪の年になってしまったんですね。台風だの大地震だの、さぞや皇后陛下からみれば「慈愛」を示すのに格好の材料と思われたでしょう。その通りに、後期高齢者で認知症もはいっていそうな天皇陛下をあっちこっちと連れまわしておられました。

静かだったのは皇后陛下が風邪を引いたときくらいでしょうか?ゆっくり養生すればいいのに、まるで何かに追い立てられるような?存在感を無くさないでーーとでもいうような行いの日々。だから災害が起きたとはいいませんが、古来より、災害が多いのは「天皇に徳がない」という解釈ですから、本来はより祭祀に専念すべきを、皇后陛下は当たり前のように「おつつしみ」と日程に書かせて祭祀をやらない。

そんな背中を見ている雅子さんが真似しないわけがないということで、「災」の字は数年続くのではありませんか?

秋篠宮両殿下がタイに到着されました。嫌な気分で帰国されなければいいと思うのですが。何と言っても現国王とのつながりがほとんどないですしね。前国王に息子のようにかわいがられた殿下ですから、やっかみで何をされるか・・・怖いんです。

さてファーウェイの孟晩舟氏が8億5000万で保釈されました。しばらくカナダの家で静養するらしいですが、この写真は結構若すぎません?テレビでみたらもっと歳をとっていましたけどね。

ファーウェイは中国でもっとも成功した企業なんですってねーーでもファン・ビンビンみたいなことにはならないのね。芸能人と実業家じゃ違うのかしら?

そもそも中国製の携帯なんて恐ろしくて使う気もないけど世界的にはシェアが2位なんですか・・・いやーどんだけデータが盗まれているのかって思います。孟氏は父と前妻の子で、母親の姓を名乗っているんですがそういうのは偏見の対象にならないのね。韓国とは違いますね。

でも、色々と2つ名3つ名があるようで、つまり中国って自分を何と名乗ってもいい国なのかしらね。

孟氏の件の嫌がらせのように拘束されたカナダの外交官は無事なんでしょうか?

実は日本人ももう何人もあっちで拘束されて勝手に懲役刑にされているんですけど、日本は正当な裁判手続きを踏もうとは思わないんでしょうか?

ZTEの方はもう下火らしくて、いよいよ中国の景気も悪くなるんじゃないかと。そsたらよけいに海外に進出して侵略をするんじゃないの?

そう、まさに侵略。中国の究極の目的は宇宙を制することですからね。明日のジオンになるのか・・・それともガトランティスの白色彗星に?

 

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久しぶりにドラマの話

2018-12-12 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 寒い・・・けど暑い。肩が痛い・・・歳のせいですかねえ。

女性週刊誌が気持ち悪くて読めません。あまりにも嘘ばかりじゃないの。

皇室についてなんであそこまで嘘をつけるの?良心がないの?

「KKと眞子さまの件で愛子様を天皇に推す声」ってないよ。そんなもん。

「出なかったからといって休んでいたわけじゃない」とか言い訳がひどすぎる。

テレビでも「公務は去年より少ないけど中身が濃い」とか言われてました。進講を受けたのも14回で去年の倍って・・・秋篠宮家はその3倍以上だよっ

騙されるんじゃないよと思いつつ、騙されるんだろうなあと思います。

様々なドラマも終盤です。この所、宝塚行ったり録画をダビングしたりで忙しく、リアルタイムに今季のドラマを見てないので、感想を書けなかったのですが。

今季で最も面白いのは「今日から俺は!」ですね。最近、特に幅を利かせている福田雄一脚本。彼は井上芳雄とか「今日から俺は」に出てる瀬奈じゅんや愛原実花もファミリーにしている人なんですけど、とにかくコメディが面白い。

WOWOWで月に一度「GREEN&BLACKS」という井上芳雄主演のコメディをやっているんですけど、毎回捧腹絶倒。昔「トライベッカ」という山崎育三郎・浦井健治・井上芳雄の3人でやってたのもあり、とにかく定評がある。

「今日から俺は!」はリアルに80年代を知っている私達世代からすると服装も不良度も甘いの一言なんですね。あんなに清く正しく美しく不良をやってる高校生なんていませんでした・・・(なんせ三原じゅん子議員ですから)でも、いかにも金八先生をオマージュしている学園に賀来賢人と伊藤健太郎の二人が正義の味方の不良をやってて、聖子ちゃんカットの女の子達のかわいらしさが引き立ってます。

でも実は、このドラマで一番光っているのはムロツヨシ・瀬奈じゅん・吉田鋼太郎以下の面々。つまり脇の人達でアドリブの応酬が続いて笑っているシーンなどもあり、一緒になって笑っています。設定の甘さなんかどうでもいいや、面白いからって思えちゃうことがすごいです。本当に。これはDVD買ってもいいくらいです。

賀来賢人はこれで一皮向けてすごい俳優になりそうな雰囲気。正統派の伊藤健太郎は脇に甘んじていますがドラマを掛け持ちしているので、次回が楽しみ。

それから「ハラスメントゲーム」も面白いですね。脚本が井上由美子でしたっけ。唐沢寿明と広瀬アリス、古川雄輝の3人トリオがとってもうまくいってます。唐沢のとっても軽い演技と広瀬・古川の生真面目な演技が功を奏している感じです。

世の中にこんなにハラスメントがあるなんて・・・絶句でした。

勿論「リーガルV」も本当に笑えるし真剣になれるし、ワンパターン米倉涼子だけど、脇が変わるだけでこんなに面白くなるのか?と。そこに向井理の冷たい演技がたまりません。ヒロインが鉄っていうのも魅力の一つなのかもしれませんね。

意外と面白い「僕らは奇跡で生きている」ですが、高橋一生と榮倉奈々、全然合わないと思っていたらそうでもなくてゆったりのんびり見ることが出来るドラマです。

うちの旦那は相変わらず「下町ロケット」を見ながら感動していますけど、今回ばかりは芸人が多すぎだし、せっかくの竹内涼真の活躍するシーンがないっ。人材の無駄遣いですって。菊之助は見てて飽きないし、吉川晃司も杉様も、その顔触れだけでひれふすんですけど、そこにイモトーー?古館ーー?頭が高いっって感じなんですよね。

ぬけまいる~女3人伊勢参り」は本当に面白いです。田中麗奈・ともさかりえ・佐藤エリの3人の息がぴったり合っているし、毎回ストーリーが楽しくて見入ってしまいますね。

 

そうそう、WOWOWで始まった「遠藤憲一の勉強させていただきます」もとっても面白いですよ。クドカンが10分で脚本を書くんです。普通に演じたらこう。そして毎回ゲストが出てくるんですけど、これがまた面白くて笑っています。ぜひぜひ。

 

海外ドラマの「ゲームオブスローン」も一時期ハマって、どこまで行ったかな?だいぶ進んだけど、そのあと見れなくて。ただ、このドラマは子供と一緒に見るわけにはいかないので困っちゃいますよね。最初から見たい気もしますがそれなら一気にみなくちゃいけないし、かといって昼間は・・・・ああ悩ましい。

 

 

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像  14

2018-12-11 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 サンデー毎日 1993年6月20日号

「嫁ぐ日を迎える雅子さん」

 サンデー毎日 1993年6月20日号

宙に浮いた金箔箪笥と謎の人物

 「えらいことになったね。一昔前やったら切腹もの」金沢市内を走るタクシー運転手がつぶやいた。

 金沢にある創業大賞13年の老舗家具店「辰巳屋」が雅子さんの婚礼家具に金箔加工会社などと共同で開発したひとさお1000万円の金ぴかの桐箪笥3さおが5月末小和田家から「注文の品と違う」と突き返されたからだ。

 辰巳社長はその後行方をくらましたままで6月2日になって1通の詫び文をマスコミに配った。その中で

「善意に寄り独断で作らせて頂きました。また、金箔たんすは一部で報道されているような高価なものではありません」

などと釈明している

 金沢では金箔たんす納入の陰に地元選出の大物代議士X氏が介在としきりなのだ。

6月3日夜、金沢市内のホテルで国会議員らも出席して行われた実業家の出版記念パーティでも金箔たんすがもっぱらの話題だった。出席予定名簿に辰巳社長の名前があったからだが、あちこちの人の倭から「X氏が介在しているらしい」と囁きが聞こえた。

 福田内閣時代、X代議士は官房副長官を務めており、丁度その時、小和田恒氏は総理大臣秘書官だった。おまけにX代議士系といわれる地元新聞の幹部の子弟である記者が雅子さんの東大時代の同級生という偶然が重なり噂が噂を呼んでいる。

 辰巳屋は老舗だが3代目になってカフェを作ったりハウスマヌカンのような店員をおいたりするような店。

「そもそも桐には耐久性・難燃性があり木目も細かく水をはじく。金箔なんて張ったら台無しだ。桐を知らないひとがやったにちがいない」

 辰巳屋は市内に約30店ある中でも規模などは中位以下で「元々は家具の修理や小売りの店で自前の工場もない」

「そんなところになぜ小和田家が注文したか」

 小和田家の家具調達方法に疑問が。

「家具の注文はデパートに来るかと期待していたんです。が、今回は問屋も通さずメーカー直ですから異例です」

小和田家の周辺からも「なんであんな所に頼んだんだ」という意見も多い。

 こうした独自の調達が可能なのは政官界に多彩なルートを持つ小和田ファミリーなればこそともいえそうだ。

 要するに代議士のコネ、同級生のコネで安く上げようとした結果、辰巳屋が気を利かせ過ぎたのかもしれないですよね。

 

 週刊女性 1993年22日号

「皇太子さま雅子さまおめでとう」

「独身最後のツーショット」

 

 1993年6月9日

 

 

とにかく土砂降りの雨で・・・小和田家は本当に悲しんでいる様子。お通夜のよう。

朝見の儀へ

 

パレード直前

 

 

生地はいいのにデザイン性の全くないドレス。手袋のボタンが外れている。

雅子妃はすっかりリラックスして背もたれによりかかって・・・

東宮御所についた時には超ご機嫌

アントワネットは結婚証書にサインした時、インクがにじんで「不吉」と言われ、エリザベートは馬車を降りる時に王冠を落とし、雅子妃は立ち位置を間違える。

すでにこの時から主導権は我にあり・・・・そして未来の皇室の不吉な予感は当たってしまったのです。

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時の流れが速すぎて

2018-12-10 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 ファーウエイとZTEが排除されると知ってちょっとほっとしたりしています。

でも何でドコモってわざわざ中韓の携帯を勧めるのかな。こっちは国産がいいって言っているのに。

私達は今から来年の10連休をどうしたらいいか・・なんて考えてしまいます。公務員の方々にとっては嬉しいかもしれないけど、非正規雇用の人達にとっては死活問題。

「10連休だけ働く場所ないかしら」と言っている人もいるし、病院をどうしよう・・・旅行するにしてもめちゃくちゃ高い時期だからどこもいけないだろうし。どうして、そういうことを考えないで無責任に「10連休」って言ってしまうのかな。

テレビだってみないと思うけどね。

それに外国人が増えるからってなんでキャッシュレスにしなくちゃいけないの?

ペイペイなんて全然わからないし。そもそも携帯にそこまでの信頼度があるのか?

私はないなあ。もしもの時、携帯なんて使えなくなるのは震災等で分かっているじゃない?充電なんか出来ないのよ。現金を持っていなかったらまずいでしょ。決済の方法があれもあるよーこれもあるよー便利だよーっていうのはわかる。

わかるけどついていけない人もいるんだよーー

コンビニ決済だけじゃだめですかね・・・貧乏人は還元を受けられないなんておかしい。

それとまた歯の矯正の話ね。生活保護受ける人って歯が綺麗なんですよ。なぜって真っ先に歯医者へ行けーーって言われるから。生活支援課の人達も見た目を整える事の重要性はわかるから、歯がなければ至急歯を入れるように指導します。

でも一般家庭では保険がきくものだったらまあ大丈夫でしょうけど、矯正となると難しいところもあるんじゃないかな。あまり「やって当然」みたいな決めつけは私は好きではありません。雅子さんの場合は出来るのにしなかった。でも世の中にはしたいけどできない人もいます。

なのでもうこの話題はなしにして下さいね。

 

 

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雅子妃55歳に

2018-12-09 13:51:25 | 皇室報道

 今年のキーワードは「25年」です。

 雅子妃誕生日文書全文 

平成の御代最後となる年の暮れが近づきます中、私にとりましては、平成5年に皇室に上がりましてから26回目となる今年の誕生日を、平成最後の誕生日として、深い感慨とともに、ある種の寂しさを感じながら迎えようとしております。

 平成最後の誕生日・・・・・ 思ってても書かないものじゃ。

 26年く前に皇太子殿下との結婚が決まりました時から、天皇皇后両陛下には、私を温かく迎え入れて下さり、今日まで変わることなく、広いお心でお導き、お見守り下さいましたことに、心から感謝申し上げております。

これまで私がご一緒させていただいてまいりましたこの25年余りの日々を振り返りつつ、両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります。

 夫である皇太子への言葉がいつも通り一遍なのは実は全然思ってないからですよね。導く、見守る・・全部美智子皇后のパクリです。そもそも夫婦間で「導く」という言葉が通じるのか、あの皇太子夫妻25周年の記者会見の時に思ったものですが。

 この先の日々に思いを馳せますと、私がどれ程のお役に立てますのか心許ない気持ちも致しますが、これまで両陛下のなさりようをお側で拝見させていただくことができました幸せを心の糧としながら、これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております。

 難しい言葉を使えばそれでいいのか?という・・・導く、仰ぎつつ、研鑽。毎年同じような事を言ってる割には全然ぶれないお妃です。

 皇后陛下には、10月のお誕生日に際しましての宮内記者会からの質問へのご回答の中で、「これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。」と仰って下さいました。

温かい思し召しに心から感謝申し上げます。

 やったーーこれで私の思い通りになるぞ。嬉しい。ありがとーーーって感じ。

これに先立ちまして、今年5月には、15年ぶりに出席が叶いました全国赤十字大会で皇后陛下とご一緒させていただき、その折にも温かいお心遣いをいただきました。また、皇居紅葉山の御養蚕所を皇后陛下のご案内で拝見させていただき、皇后陛下が長年お心を尽くされてお続けになっていらっしゃいましたご養蚕についてお教えいただきましたことも、とてもありがたいことでございました

 15年ぶりに出席が叶った・・・?んじゃなくて「皇太子妃として最後だしでないわけにはいかないよね」じゃなかったの?

 その時に皇后の「次は雅子妃よ」アピールがよほど嬉しかったんでしょうね。

養蚕を教わったからってやるとはいってないけどね。



 両陛下には、これからもお忙しい日々がお続きになりますが、くれぐれもお体を大切になさり、お健やかにお過ごしになりますよう、そして、遠くない将来に、お懐かしい想い出の沢山おありになる現在の東宮御所にて、これまでのお疲れを癒やされ、穏やかな日々をお過ごしになることがおできになりますよう、心からお祈り申し上げております。

 どうぞどうぞ早く隠居してくれや?の気持ち?

 今年一年、日本の国内外で様々な出来事がございました。

2月から3月にかけて平昌で開催されたオリンピック・パラリンピックでは、日本人選手が様々な競技で活躍し、多くの人に感動を与えるとともに、国内を元気づけてくれました。また、この秋、本庶佑京都大学高等研究院副院長・特別教授がノーベル生理学・医学賞を受賞されたことは、日本国民にとっても、世界でがんの病と闘う人々にとっても、希望をもたらす喜ばしい出来事だったのではないかと思います。

 一方で、大変残念なことに、今年も多くの自然災害に見舞われた年でした。国内では、6月に大阪府北部で、そして9月には北海道で、それぞれ大きな地震が発生し、大きな被害が出ましたし、7月に西日本を中心に全国を襲った豪雨では、多くの方が犠牲になり、過去最大規模の被害が生じましたことに、とても心が痛みました。また、台風も次々と上陸し、各地で爪痕を残しました。

 国外でも、インドネシアでの地震津波や、アメリカ、ヨーロッパでの森林火災、洪水などが各地で発生しました。国内外でのこうした災害により、不幸にして命を落とされた方々のご遺族の皆様の悲しみに思いを寄せ、心からお悔やみを申し上げます。また、被災された方々には、様々なご苦労が絶えない状況におられることを案じ、お見舞い申し上げます。

 このような自然災害との関連では、9月に皇太子殿下とご一緒して、昨年7月の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市を訪れ、復興の状況を見せていただきました。

現地では、復興が徐々に進みつつあることについて説明を伺った後、被災された方々が生活の再建に向けて懸命に取り組まれている姿を目の当たりにして、勇気づけられ、また、少し安堵も致しました。一方で、今なお多くの方が、応急仮設住宅で不自由な暮らしを余儀なくされている状況に心が痛みます。被災された方々が一日も早く安心して暮らせる日が来ますよう、復興が順調に進みますことを心から願っております。そして、東日本大震災を含め、各地の被災地域の復興に、殿下とご一緒に永く心を寄せていきたいと思います。

 そんなに心が痛むならどうして広島へ行かないの?北海道に行かないの?

 最近、国内では、子供の虐待や子供の貧困など、困難な状況に置かれている子供たちについてのニュースが増えているように感じており、胸が痛みます。

世界に目を向けても、内戦や紛争の影響が、特に子供を始めとする弱い立場の人々に大きく及んでいる現状を深く憂慮しております。

10月にお会いしたユニセフのフォア事務局長からは、貧困家庭の子供たちに対する教育の拡充の必要性、グランディ国連難民高等弁務官からは、世界各地で難民や国内避難民が増え続けている現状などについて、それぞれお話しを伺い、この問題の抱える深刻さに改めて思いを致しました。

また、他にも、地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています。私たち一人一人がお互いを思いやり、広い心を持って違いを乗り越え、力を合わせることによって、社会的に弱い立場にある人々を含め、全ての人が安心して暮らすことのできる社会を実現していくことや、このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます。

 国の安泰より地球環境かあ・・・壮大でいいわねーーやってることが本当に皇后に似て来たなと。

 来年には日本でラグビーのワールドカップが、2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されますし、この度、2025年に大阪で万博が開催されることも決まりました。このような行事が、日本の社会に新たな活力をもたらし、個々の人々の可能性を一層開花させるとともに、日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております。

 愛子は学習院女子高等科2年生になり、高校生活をとても楽しんでいる様子で、夏にはイートン・カレッジでのサマースクールや、秋には奈良・京都への修学旅行など、新しい経験も色々と積みながら、多くのお友達に囲まれて充実した日々を過ごしているように見受けられます。

私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産となるのではないかと思いますので、愛子も、このように新しく視野を広げられるような機会に恵まれましたことはありがたく、私たちもうれしく思っております。

愛子には、これからも感謝と思いやりの気持ちを大切にしながら、様々な経験を積み重ね、心豊かに成長していってほしいと願っています

両陛下には、日頃より、愛子の成長を温かくお見守りいただいておりますことに、改めて心よりお礼を申し上げます。
 なんというか、愛子内親王への関心が完全に薄れてしまったんですか?不登校について語らないのは当たり前としても「見受けられます」という言葉にちょっと距離を感じるんです。日頃から娘を見守っているというより、回りから報告を受けているだけのような感じが。

 いよいよ内親王が自分の理想通りにいかない事にうんざりして、完全に子育て放棄しちゃったんじゃないの?


 私自身につきましては、今年結婚満25年を迎えることができ、多くの方にお祝いいただきましたことをありがたく、幸せに思いますと同時に、この25年余りの間、本当にたくさんの方に助け、支えていただいてまいりましたことを改めて思い返し、感謝の気持ちを新たにしております。

また、この一年も、皇太子殿下を始め、色々な方のお力添えをいただきながら、体調の快復に努め、少しずつ果たせる務めが増えてきましたことをうれしく思っております。特に地方訪問などの折に、訪問先や沿道で本当に多くの方から笑顔で迎えていただきましたが、皆様からかけていただいた声を身近に感じることも多く、そうした国民の皆様のお気持ちは、私にとりまして大きな支えになっております。

 声掛け隊は頑張るでしょう。どこにいっても「雅子さまーー!素敵―!ありがとー!」って。

また、秋の園遊会で様々な方とお話しをさせていただいた折にも、温かい言葉をおかけいただきましたこともありがたいことでした。

 言葉をかけるのは自分という意識はないのですね。ホスト役なのにお客様扱い。

今後とも、引き続き体調の快復に努めながら、できる限りの公務に力を尽くすことができますよう、努力を続けてまいりたいと思っております。国民の皆様から日頃よりお寄せいただいている温かいお気持ちに、この機会に重ねてお礼を申し上げます。

 国民の皆さまとしてはもういい加減にしろよ・・・と思っているんですけど。あなたは自分が最も不幸な人生を歩んでいると思っているんですよね。もし結婚しなかったら今頃は外務省で外交官で大使になっていたかもしれないし、もっとお父様に褒めて貰っていたかもしれない。

でもお父様のいう通りに結婚したのに女子しか産めず、失望させ、さらにその娘がとてもお父様の孫とは思えないごゆっくりさんだったことにショックを受け、「お前は小和田家の恥さらし」とか言われたんじゃないの?だから皇后になるというのは、父親に対する復讐であり、一方で「これなら褒めてくれる?」って気持ちもあるんでしょうね。

「病気設定」は彼女の「反抗」にすぎず、その娘もまた同じことをやってるだけなんです。

 東宮職医師団の見解 

皇太子妃殿下におかれましては,これまで東宮職医師団として説明して参りました基本的な考え方を踏まえながら,引き続きご治療を継続していただいております。

本年も,ご努力と工夫を重ねてご体調を整えられ,5月の滋賀県行啓,8月の兵庫県行啓,9月の福岡県行啓及び10月の大分県行啓と,4度の地方行啓をお務めになったほか,11月には東京都内で開催された全国育樹祭にも御臨場になりました。

また,本年前半には,園遊会やベトナム国家主席御夫妻の国賓訪日に伴う諸行事といった公的な行事に,引き続きお出ましになったことに加え,5月には15年ぶりに全国赤十字大会に御臨席になり,また,秋の園遊会でも,15年ぶりにお道筋を最後までお進みになり,多くの招待客の方々とお言葉を交わされるなど,様々な行事に意欲的に取り組まれました。

こうしたご活動を一つ一つ着実に積み重ねていらっしゃることが,妃殿下のご自信となり,結果としてご活動の幅の広がりにつながってきていることは,東宮職医師団としても望ましいことと考えております。

また,妃殿下には,学習院女子高等科で楽しく充実した学校生活を送っておられるご様子の愛子内親王殿下を,母親として温かく見守られ,ご成長を支えていらっしゃいます。

一方で,これまでも繰り返し説明して参りましたように,妃殿下には,依然としてご快復の途上にいらっしゃって,ご体調には波がおありです。

大きい行事の後や行事が続かれた場合には,お疲れがしばらくお残りになりご体調が優れないこともおありになります。

こうした中で,過剰な期待を持たれることは,かえって逆効果となり得ることをご理解いただければと思います

また,私的なご活動の部分でも,幅を広げていっていただくことも大切だと考えています。

特に来年は重要な一連の行事もおありでお忙しくなられますが,妃殿下にはご無理をされず,周囲の方々の理解と支援をお受けになりながら,これまで同様ご治療を続けていただくことが大切ですので,引き続き温かくお見守りいただくよう,よろしくお願い申し上げます。

 要するに工夫と努力を重ねてこーんなに公務が出来るようになったし、母としても完璧っ!でも、体調の波があるから優れない時は何もしませーーん。むしろ、好きなことを好きな時にすきなだけやる方がいいと医師団は考えております。皇后になってもそういうスタンスは変わりませんからーーー

 国民の総意として過剰な期待なんて持ってませんから。むしろ、もう全然出てこなくていいし、御所の中で好きなもの食べて一日中寝ててもいいから、中途半端に気分次第で出てくることだけはやめて下さいといってるだけです。

 そもそも治療というのはどんな治療なのか?医師なのに「愛子内親王を見守って支えている」まで書く必要があるの?まるで雅子妃の弁護団みたいよね。医師団の見解というより弁護団の見解じゃないの?

 「意欲的」になる時は何でも出てくるけど、意欲がわかない時はお仕事しない。これは社会人として失格で、もし雅子さんが外務省に残っていたとしてもこんな状態なら首にはならなくても休職でしょう。え?外務省にいたら適応障害にならなかった?いや、断言するけどなっていたと思う。

壁にぶつかる度、父親のサポートである程度までは行けても、そうそう回りがそれを許さなくなるし、父親の立場も危うくなるから娘が引くしかない時が来ます。そしたら家に引きこもってしまうんでしょうね。そういえば双子の片割れ、節子さんはお仕事しているのかしら?

 

 

 

コメント (5)
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