夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

川沿いの遊歩道を私たち夫婦は歩き、私は改めて『野に咲く花のように』と思い託して・・。

2011-06-10 13:04:29 | 定年後の思い
昨夜、家内は眼の下まぶたの裏側に吹き出物ができたらしく、
本日の8時半過ぎに、私たち夫婦は駅前の眼科をめざして、自宅を出た。

小田急線の『喜多見』の駅前までは、徒歩で20分前後の道のりであるが、
私は野川の川沿いの遊歩道を独りで散策することが多く、
遊歩道の片側は、この遊歩道に並列するように細長い小公園の樹木、草花があり、
四季折々の情景が観られる。

そして片側は川べりには、私には名に知れぬ数多くの野花が四季折々に咲き、
そして川面に近いところには、春には菜の花、秋には薄(ススキ)の穂が彩(いろど)り、
こうした情景を眺めたりし、
清冽な水の流れを眺めるのが私は好きである。

この野川の遊歩道は、平日は人影も少ないので、
私は家内のボディ・カード兼お供で、共に歩いたりした。

たまたま曇り空で湿度が多い中を歩き、
紫陽花(アジサイ)の美麗な花に見惚(みと)れたりするが、
私は名に知れぬ数多くの野花をときおり眺めたりした。


帰路、再び遊歩道を私たち夫婦は歩き、
川の水辺の近くにカワセミ、鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来して、
私は興味がなかったが、家内は動物、小鳥達が好きだったので歓声をあげていた。

私は少しは少し離れた所の木のベンチ付近で、
野花を眺めながら、煙草を喫ったりした・・。

そして、たんたんと季節に応じて野に咲く花をぼんやりと見たりし、
私が『野に咲く花のように』と深く心に託(たく)し始めた頃を思いだされた・・。


1983(昭和58)年の夏、私が勤めている会社が、
管理体制の総合見直しのひとつとして、コンピュータ処理の委託を廃止し、
自社で開発、運営を命じられた私は、
この後、一年間は死ぬ物狂いで奮闘し、何とか1984(昭和59)年の初夏、
軌道に乗せたが運営上に課題を残していた。

こうした中で、夏季休暇を迎えていた・・。
休暇の初めに出勤していた私は、深夜の3時過ぎに私は退社し、タクシーで帰宅した。
そして、夏季休暇も半分程しか取れなかったので、
近場の熱海の外れにある赤根崎のリゾート・ホテルに2泊3日で予約していた。

そして数時間ばかり寝て起きたのであるが、
徹夜になったり、深夜まで・・連日の過酷な勤務時間が続いたいたので、
朦朧としていた。

そして10時過ぎに、私たち夫婦は自宅を出て、新宿駅に行った。
この後、寿司屋でビールを呑みながら、寿司を頂き、昼食代わりとし、
新宿駅より小田原駅まで特急のロマンスカーで乗り、
JRの小田原駅から下田行きの『踊り子』に乗り、熱海駅で下車した後、
宿泊地の赤根崎リゾートホテルにタクシーで向った。

この当時の赤根崎リゾートホテルとは、昨今はリゾートマンションに大きく変貌している。

この当時は、ホテルの建物の前にゆったりとした庭園があり、
その先は海上を一望できる景観が良い処であった。
そして利用される方は、家族連れで来て、主人は付近のゴルフ場でプレーをし、
若き奥様たちは、幼い子供に海辺の児童プール、或いは海辺の水遊びを楽しんだり、
若き男女はホテルに隣接したプールでゆっくりと過ごせる方が多いかしら、
と私は感じたりした。

そしてロビーなども広く、レストランも数々あり、
食事をしながら、ゆったりと海上の景観も良く、
私達夫婦はビールを呑みながら、イタリアン料理などを頂いたりした。


こうした間の2日目の折、私は休暇前は睡眠不足であったので、よく寝ていた。
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、
支配人のような方から家内が誘われ、私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、
多額な借入となったが、若さの心の勢いとして、家屋の一部に茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
免許状の昇進と共に、礼金も重なる暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。


そして無知な私でも、この茶室の掛け軸、花入、茶花も簡素で、
素朴な茶碗で抹茶を頂いたりし、感銘を受けたのである。

茶室から庭園に出で、家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に云った。

家内は微笑んでいた・・。

庭園は夏の光を受けていたが、
外れにある松林の中に入ると、海上からの風が吹き、肌には心地よかった。


古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私はこの時以来、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。

そして年金生活を始めて数年の年賀状には、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度の目標です、などと付記したりしている。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であるので、
いずれは片割れとなり、おひとりさまの生活となる・・。

それまでの甘味のある私たち夫婦の残された時は、
こればかりは天上の神々の采配によることであるが、
私の心情としては、たんたんと咲く野花にゆだねることしかないだろう、
と改めて感じたりしたのである。


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