夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界、私が初めて学んだ頃の思い、その後のささやかな軌跡は・・。

2011-06-28 22:34:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む66歳の年金生活の身であり、
夕食後、玄関の軒下で、日中の熱つさが残る中、煙草を喫いながら、
ぼんやりと私がブログの世界を知り、初めてブログの投稿した頃が想いだされた。

そして、居間に戻り、パソコンを開き、
初恋の人に出逢ったような思いで読んだりしたが、
幼い綴りで恥ずかしい気持ちがあったが、このような心で投稿していたのか、
と微苦笑したのである。


私は2004(平成16)年の秋、民間の中小業の会社を定年退職する数ヶ月前、
自宅で初めてインターネットを開設した・・。

私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、挫折した後、
企業に中途入社する為に、1年間コンピュータの専門学校で学び、
ある大手の企業に何とか中途入社できたのは、1970年(昭和45)年の春であった。

この時からほぼ20年間ぐらい情報部門の専門畑となり、
その後は他部門の管理畑に異動し10年ぐらい奮闘した後、リストラ旋風となり、
最後の5年間は関係先の物流情報センターに出向となり、そして出向先で定年退職時を迎えた。

1990年(平成2)年の初めの頃までは、
ある程度は専門畑として、コンピュータの動向の世界が解かっていたが、
その後は利用者の間接部門となったので、
先端技術は解からず、ただパソコンを利用し、業務に従事していたぐらいであった。


こうした体験で、いざ自宅で個人利用のパソコンにインターネットを連動させた時、
Webの世界の環境には、驚きと溜息を繰り返しながら出遅れた、と感じたりした・・。

そして、定年退職後は、『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いを随筆風に綴り、
公開しょうと思案していたのである。

ホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、
私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。

『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活~政治の分野まで発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。

そして私は、11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』というIDで、発信名は『極楽とんぼ』と命名し投稿をはじめたのである。

私は初めてブログの世界に入り、【アメーバ・ブログ】に加入した時、
タイトル名、発信名は私なりのブログ・サイトで要(かなめ)を成すこと思え、
深く思案したのである。

タイトル名の『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』に於いて、
~団塊世代のひとりとして~、と副題をしたのは、
私が中途入社した25歳の時、職場で机を並んだのは、新卒の人が多く、
彼らは団塊世代の人たちが多く、その後30年ぐらいは、
それぞれの時代の苦楽を共にした心情があったからである。

発信名を『極楽とんぼ』と命名したのは、私の幼年期からの深い想いでがあった。
このことについては、あるサイトで、
【 私の小学生時代の愛唱歌・・♪ 】
と題して、投稿していたので、あえて再掲載をする。

【・・
私が小学校に入学したのは、1951(昭和26)年の春だった。
東京の郊外の調布市であるが、この頃は田畑、雑木林が圧倒的に多く、
緑豊かな町村であった。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた3男坊で、
祖父と父は女の子を期待していたらしく、私は幼児なりに何となく感じていたのか、
いじけた可愛げのない子の上、無口であった。

兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに、
と担任の女の先生がため息まじりに云われたりしていた。


音楽の授業は、先生がオルガンを弾いて、
生徒の我々全員が『春の小川』、『夕やけこやけ』等を唄っていた。

学期末の頃に、ひとりの生徒が教室の1番前にある黒板の近くで、
先生のオルガンの伴奏に合わせて、唄うことが定例であった。
私は人前で他愛ないおしゃべりをすることが苦手であったので、
私の順番になると、ドキドキし、出来たら逃げ出したかった。

結果として、通信簿『2』であった。

私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家の留守番をしている時は、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十  】

私は何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
・・】

この『越後獅子の唄』の名曲の悲しげな歌の裏返しの思考、
そして小説家・山口瞳(やまぐち・ひとみ)・著の『還暦老人極楽蜻蛉』の題名から拝借し、
定年退職後の何かと束縛が多かった現役のサラリーマン時代から解放され、
自由自在に蜻蛉(トンボ)のように、ブログの世界で綴ってみたい、秘かな思いであった・・。


そして【アメーバ・ブログ】に投稿を初め、
コメントを頂き、私なりに喜びであり、コメントをして頂いたお方の日記に、
私も盛んにコメントを書き込みをしたりした。

ただ、【アメーバ・ブログ】の日記投稿欄の書き込み、送信に、
たびたびエラーなどが発生し、初心者として技量もなく、
何度も書き直し投稿をしたりした。

その上、各部門による賞金制度が設置されていたので、困惑し、
私は他ブログ・サイトを探したのである。


まもなくブログに準じたサイト【goo簡単ホームページ】を知り、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、
『kaze-hikari』のID名で、発信名は『風と光』として、入会したのは11月17日であった。

『風のように光のように』とタイトルにしたことに関しては、
【私のタイトル名【風のように光のように】の由来・・♪ 】と題して、
あるサイトに投稿しているが、再掲載をする。

【・・
私は大学中退後、映画青年、文学青年の真似事を20代の前半をしていた。

小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
1980(昭和55)年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋(たちはら・まさあき)氏である。

小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。

詩集『光と風』(角川書店)より、1978(昭和53)年5月に刊行された本である。

亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。

この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹(みき)様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。

特に立原幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、脳裏に長年深く残った。

幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。

私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。

【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったのである。

結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、
いけないと知りながらも、借用したのである。

尚、私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。
・・】
このような想いで、借用したのである。


この後、ブログに準じたサイト【すくすくブログ】を知り、
『極楽とんぼの奮闘記』とタイトルを掲げ、
『yumide』のID名で、発信名は『極楽とんぼ』として、
極楽とんぼシリーズを移管したのは、翌年の2005年1月11日であった。

このように並行として投稿していたが、
私は【すくすくブログ】の加入した短い間、
この当時、初めて人気の漫才コンビに『極楽トンボ』の存在を初めて知り、
1部のお方から誤解されたり、
その後、この人気コンビのひとりが女性に不祥事を起こしたりしたので、
私は『極楽とんぼ』の命名の由来を明示したとおり、
何かしら60数年の心の純潔を汚されたようで、憂鬱な心が、しばらく続いたのである。


結果としては、【すくすくブログ】は投稿を中止し、
大手のブログ・サイトの【gooブログ】に移行したのは、1月19日となった。
そして『続・極楽とんぼ』とタイトルを掲げ、社会、経済、政治の諸問題を無邪気に投稿し、
『yumede-ai』のID名で、発信名は『夢逢人』としての発信名としたのである。

しかし、この分野に専門知識のない素人の私にとっては、ほころびも感じはじめ、
何よりも力量も筆力もない私にとっては、
ふたつのブログ・サイトで全く違った分野を併行に投稿し、
コメントを返信するのは、日常の時間を余りに要したので、
読書の時間も少なくなり、ひとつだけ残すこととしたのである。

そして私の本命の【goo簡単ホームページ】で、2007(平成19)年9月末に閉鎖されるまで持続し、
この後は、『日記』の投稿文が移行できる【OCN Cafe】に加入し、
昨年の2010(平成22)年の7月26日まで継続した。

この間、4年前の5月に【gooブログ】を全面に改定し、
今日の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』タイトルに改題し、今日に至っている。


私はパソコンの故障、国内旅行をしていない限り毎日数通は投稿しているが、
数多くの方の綴られた投稿文を拝読しまして、
それぞれの日常で、このように平素はお過ごしされている、
或いはある出来事に関して、このような思いを感じ受け止めているなど、
私なりに多々ご教示を頂き、ときには励まされたりしている。

私は数年前までは、心の交流としてコメントなどは、盛んにしていたが、
私はその方へのコメントする場合は、少なくともある程度のプロフィールを理解した上で、
最近の数通ぐらいを拝読し、その方の心情を配慮しながら、やっと書き込みができるタイプなので、
たとえ一通でも時間を要する。

こうした楽しき時間をすれば、肝要の読書の時間が減少するので、抑制し、
原則として、これ以降は魅了されるお方、気になるお方の投稿文を拝読するだけとしている。


私が初めてブログで、【アメーバ・ブログ】に加入し、投稿したのは、
【 はじめまして 】と題して、2004(平成16)年11月12日している。

【・・
ブログの世界は、初めて書き出します。
まったくのヨチヨチ歩きですので、よろしくご指導をお願いいたします。
・・】
このような加入の挨拶を投稿した後、

【 Webは若葉マーク【その一】 】
と題して、30分後に投稿している。

【・・
インターネットの環境が整ってから、数ヶ月過ぎました。
この間、色々な未体験の連続で涙と笑いの連続でした。
パソコンは個人的に10数年。
職歴の一部として、コンピュータの専任者として、1971年~1990年経験していましたが、
Webの世界は未知でした。
・・】

このように幼い文体で綴っていたのであり、
今の私としては、微苦笑しながら、懐かしさを感じたりした。


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