夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

69歳の私、殆ど毎日ひたすら自宅周辺を散策するのは、認知症を回避したく・・。

2014-03-10 15:27:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅であり、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

そして現役サラリーマン時代の時は、更に利便性の良い『成城学園前』駅を最寄駅と活用し、
年金生活の今でも、都心に買物に行く時、或いは国内旅行に行ったりする時は活用している。

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
          

このような地域でも、私の自宅周辺は住宅が密集しているが、数分歩けば、
野川が流れ、この両岸には遊歩道があり、小公園もあり、住宅地としては緑が豊かである。
          

このような辺鄙な処に住み、私の生家に近くあり、
この地域に結婚前後の5年を除き、早や63年が過ぎている・・。

私は2004年(平成16年)の秋に定年した直後から自主的に平素の買物担当となった私は、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
       

私はこれまでの60代の9年半の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、認知症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしている。

そしてせめて私が75歳、家内が70歳を迎えるまで、五体満足で生かして頂きたいと切望するが、
しかしこればかりは天上の神々の采配に寄ることである。
          

今朝、澄み切った青空が拡がり、ぼんやりと最寄駅のひとつの京王線の『仙川』駅周辺で、
買物に行こうと、思ったりした。

やがて10時半過ぎに私は自宅を出て、あれぇ雲が七つぐらい出てきた、
と微苦笑しながら歩いたりした。
          

この後、小学校の下校時に歩いた旧街道を10分ばかり歩くと、
音楽専門学校の桐朋学園仙川キャンパスの脇道に出た。
          

そして校門のひとつから、早咲きの桜かしら、と思いながら、撮らせ貰ったりした。
          
しかし今年は30何年ぶりの寒い冬だったので、莟〈つぼみ〉であった。
やがて一週間過ぎれば開花するだろう、と微笑んだりした。

そして商店街を抜け、駅ビル内の本屋で、3冊ばかり買い求めた後、
家内のお気に入りのパン専門店『ANDERSEN(アンデルセン)』で、
フランスパンとケーキのような菓子パンを購入した後、
帰路に向った。

この周辺も関東大震災で焼失した東京の下町一帯にあった寺院が、
この地帯に移転して数多くある。
          
そしてある寺院には山門の前に、格言が掲げられたりしている。
          

          
私は足を止めて、精読すると、私は齢ばかり重ね、つたない身だ、と実感させられた。

やがて私は自宅に向かい、長い坂を下っていると、ひとつのことを思い馳せたりした。


私は定年の5年前に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

もとより高齢者の方は齢を重ねれば、認知症とも称される痴呆症、寝たきりなどの確立は増すし、
私自身は衰えた体力で日常生活のふるまいの中で、確かな言葉を発言しているうちに、
いつの日にかポックリと死ねたらと念願している。

まして自身が意識なく植物人間のようになって、
生き続けるぐらい当人はもとより、家族の人たちまでが不幸であると思っている。

そして私は寝たきりになった場合は、三ヶ月過ぎたら、
意識のあるうちに自裁する、と決意しているひとりである。

このような私自身の人生の中の健康に対する思い、そして死生観の思考があるが、
昨今の会社時代の懇親会などで、
こうした思いを少し上の先輩の方、同僚たちに一部を発言すると、
困惑する方、或いは嫌な顔をされる方が多く、
私は世間からかけ離れているのかしら、と思ったりしてきた・・。
                                    
このような私なりの深い思い根底にあったが、
偶然に2010年8月下旬の頃に、帯津良一(おびつ・りょういち)氏の雑誌での発言が、
新聞の出版広告で偶然に読み、
この雑誌が女性専用誌の『婦人公論』と知り、私は買い求めて精読した。

この医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)氏の発言された概要を記載させて頂く。
《・・(略)
私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」
と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、
さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。
          

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのはせいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、
どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」
という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。
(略)・・》

このような秘伝を、この後に6つばかり披露して下さったのである。
          
そして私は、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、深く感じて、
これ以降、氏に注視して、信愛を重ねている。

このようなことを思い重ねて坂道の歩道を下り、やがて自宅が視えたりした。

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コメント (4)
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