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101歳で母、永眠しました

2014年11月26日 09時22分28秒 | 雑関連
昨(2013)年12月30日誕生日の時撮影です(101歳時)。

2014年11月24日8時22分永眠、老衰・自然死でした。
32歳の時爆心地から約1,800mの処で被爆しましたが、生きていてくれたことで、わたしはこの世に生を受けました。

(お袋・増田シズヨの略歴)
1912(大正元)年(月)12月30日誕生。
1928(昭和3)年3月山中高等女學校(第四十回)卒業。
1945(昭和20)年8月6日(月)二葉の里にあった第二総軍司令部で被爆。
  平成7(1995)年に自身で書いた「被爆体験記」(わかったことなど11月28日更新しました) 
  (わたしが編集した)第二総軍司令部跡
2006年7月28日(金)東区戸坂の特別養護老人ホームへさか福寿苑に入苑。
2014年11月24日(月)8時22分その福寿苑で(老衰)自然死でした。
 
お袋が残していた、山中高等女学校の卒業アルバムより、
女学校時のお袋

山中高等女学校の正門付近の学校写真。

11月26日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ→雨


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お袋が、川柳を捻っていたことは知っていましたが、その句々はよくわ知らなかったのです。
広島女性川柳会推奨作品というものに
『孫が来てひとり暮らしに花が咲き』という句が紹介してありました。

お袋には遠く及びませんが、2008年2月にわたしは、
「腰痛で病の老母(はは)に心配かけ」と詠んでいました。
2006年3月には
「介護して育ったこと知る母の愛」
いまさらながら、母の愛に答えられないわたしでした。

(11月28日追記)

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