今年、勤め始めた川岡は、出勤前の朝から腹が減っていた。朝食はしっかり食べたのに、である。若いから・・ということもあったが、それにしても…と自分でも感心、いや驚愕(きょうがく)するほどの空(す)きっぷりだった。両親とも、「あんたは、よく食べるわね」とか、「お前、よく食うなぁ。食い過ぎなんじゃないかっ?」と言って呆(あき)れていた。当然ながら昼の弁当は3個分、常備された。母親の美也子としては、3つも作るのだから、それだけでも大変である。惣菜はいいとしても、ご飯の量が3倍は必要になるのだから、それが大変なのだ。それでもまあ、息子の勤め用の弁当だから文句も言わずコツコツと作り続けた。これには、給料を稼いでいる・・ということも関係していた。川岡が学生の頃は、「我慢しなさいっ!」と一蹴(いっしゅう)したものが、今は出来なくなっていた。今のお弁当は美也子にとって[金のなる木]だったのである。
川岡は最初の弁当を、まず仕事前に1個、デスクで食べた。ザワザワと同僚が出勤し出す前に、である。2個目と3個目は昼どきである。それでもまだ腹が減る川岡のデスクの中には、カップ麺が必ず数個、常備されている・・というのが日常だった。
川岡はある日ふと、弁当というものの歴史を調べてみたくなった。すると戦国時代では行厨(こうちゅう)という言葉があった。
『なるほど…只今より、行厨を使うによって、半時ばかり休むといたそう・・などとなる訳だ』
川岡は専門書を見ながら、カップ麺を啜(すす)った。そのとき、川岡は背後に人の気配を感じた。
「よく食うな、君はっ! それはいいが、仕事もキチンとしてくれよっ!」
課長の海野だった。海野は小食な痩せ細で、ほとんどの昼は麺類だけで済ませていた。海野の視線の先には、川岡のデスクに積まれた3個の弁当があった。海野は3個も弁当を食べる川岡が羨(うらや)ましかったのだ。
完