水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑える短編集 -63- 模様

2022年05月18日 00時00分00秒 | #小説

 蛸川(たこかわ)は、天気模様よりも葉模様を気にする・・という盆栽マニアを自負する初老の男だ。今朝も早くから盆栽棚に置かれた盆栽の観察に余念がない。そろそろ春ともなり、植物は一斉(いっせい)に活気を帯び出し、蛸川としては芽吹き出した葉模様が気になるところだった。今日の天気は下り気味か…などと気にする普通人とは一線を画(かく)した。
「花が咲いてきたな…」
 花芽が出る前の1~2月に二度の消毒をしていたから、今年も桃は葉模様を心配する必要はなさそうだ…と思いながら、蛸川は独(ひと)りごちた。蛸川には数年前、消毒を忘れたせいで葉縮病にやられた苦(にが)い経験があった。
 さて、葉が出る前の花づいた梅、桃、桜には、当然ながら花見用の酒やジュース、それにご馳走、弁当、餅などが付きものだ…と蛸川は、なにげなく思った。そう思った途端、蛸川の心の中で葉模様が一斉(いっせい)に食べもの模様へと変化した。
「あなたっ! 洗濯物、取り入れてくれたぁ~!」
 家の奥から手強(てごわ)い妻の鯛子の声がした。蛸川はうっかり、妻模様を見損じていたのである。これは重大な失態だった。一日、いや他のいろいろな模様に影響を与えることが心配視された。これは、葉模様や食べもの模様騒ぎの話ではなかった。蛸川は急いで洗濯物を取り入れ始めた。
 数十分後、なんとか事なきを得て、居間でホッ! と安息の息を吐(つ)く蛸川の姿があった。居間のガラス越しに桃の花がほころんで見える。
 巷(ちまた)は春一色となり、蛸川を含む多くの人々の浮かれ模様が見られる季節が近づいていた。

                    完


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