水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑えるユーモア短編集-11- 取り扱い説明書[取り説]

2017年01月11日 00時00分00秒 | #小説

 消耗品を除くおおよその機器、備品などには取り扱い説明書[取り説]がついている。使用方法や組み立て方法が複雑になればなるほど、取り説の重要性は増す。
「なになにっ! 部品AをCの穴に差し込んだあと、Bと繋(つな)ぎ合わせてDとし、そのDをFに接着するだとっ!!」
 畑石(はたいし)は日曜の朝、昨日、勤め帰りに買った模型を組み立てていた。部品Aを探し始めた畑石だったが、なかなか部品Aが見つからない。畑石は、しばらくの間、箱の中をガサゴソと探し続けた。
「チェッ! これはGじゃないか。AだよA! 俺が探しているのはっ!」
 腹立たしくて口にせずにはいられなくなり、畑石は手にした部品Gを見ながら恨(うら)めしげに思わず独(ひと)りごちた。
 部品Aは、こともあろうに部品Mの裏側に隠れるように付いていた。畑石が発見できたのは、数十分後だった。やっと見つかった晴れやかな喜び・・そのような気分は畑石に浮かばず、それどころか組み立て続ける気力そのものが萎(な)えていた。
「ちょいと、休むか…」
 気分をリフレッシュするため、畑石はコーヒータイムをとることにした。そうして、また作業を再開した畑石だったが、最後の詰めのところで、ふたたび難題に突き当たった。取り説には次のように書かれていた。
「ほどよく接着できた完成品は、太陽光で完全に乾かしてください・・だとっ!」
 生憎(あいにく)、その日は曇(くも)り空で、日射(ひざ)しがなかった。
「どうするんだっ! えっ! どうするんだっ!」
 畑石は窓から見える薄墨(うすずみ)色の空を見ながら、ふたたび恨めしげに独りごちた。作業を中断して二時間ばかりが過ぎ去ったとき、空に晴れ間が覗(のぞ)き始めた。
「おおっ!」
 畑石は慌(あわ)てて模型を手にするとベランダへと走り、日の光に翳(かざ)した。どういう訳か、安らいだ気分に畑石は満たされた。あとは電池を装着し、スイッチをONにすれば模型は始動するはずだったこともある。
 しばらくして模型が完全に乾ききったことを確認した畑石は、電池を模型に装着して散らばった作業場のあと片づけを始めた。そのときである。ふと、取り説の裏面が目に入った。そこには、次のように書かれていた。
 ※ {1}部品Aは部品Mの裏に付いています。
    {2}完成品は必ず太陽光で乾かす必要はありません。
「表に書いておけっ!!」
 畑石は取り説を手にしながら腹立たしさで三度(みたび)、独りごちた。
 自分の判断も重要で、取り扱い説明書に頼り過ぎると畑石のようなことになる。

                           完


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思わず笑えるユーモア短編集-10- 検索

2017年01月10日 00時00分00秒 | #小説

 世の巷(ちまた)にパソコンが蔓延(はびこ)るようになって幾久しい。思えば、1998年、某社のシステム・ソフトが発売されるに及んで、黒山の人だかりが起こり、世界は物流の大きな転換期を迎えた。そして現在、パソコンは人々にとって欠くことの出来ない存在となりつつある。なんといってもパソコンを利用した検索は便利で、情報を容易に得る手段として格好の機能となっている。
「課長、調べときましたっ!」
 市役所、商工観光課の高岩(たかいわ)は、まるで鬼の首を取ったかのような大声で唸(うな)った。課内に響き渡るような声に、課員一同が高岩のデスクへ一斉(いっせい)に視線を走らせた。
「…」
 課長の押花(おしばな)は一瞬、なんのことだ? と、返答できなかった。
「いやだなぁ~、動物園ですよ、動物園」
「あっ! ああ…アレな? そうそう、動物園。アレ、どうだった?」
 新しく市営動物園が開設されることになったのだが、事業展開の予算執行が始まる来年度までに、市の総合開発計画の一環として、商工
観光課はその中心的存在に祭り上げられていた。去年までは、窓際(まどぎわ)族とまではいかない程度の者達が島流しのようにショボく勤めていた職場だった。それが俄然、脚光を浴びるようになったのは市の活性化策を盛り込んだ予算が議会で承認された直後からだった。今や、高岩を含む商業観光課の全員は一躍(いちやく)、英雄的存在だった。
「いやぁ~、維持費、減価償却費、管理費など、どの自治体でも、いりますねぇ~」
「そら、いるだろう…」
 押花は、当たり前のことをいうヤツだな…という顔で高岩を朧(おぼろ)げに見た。
「大都市圏では、それなりに五十歩百歩で潤(うるお)ってるようですよ。まあ、景気がよかった頃に比べると今一みたいですが…」
「その検索、間違いないんだろうな?」
 そのとき、バタバタと音がして、出張から帰った安川が課へ入ってきた。
「課長、甘かったですね。二、三、回りましたが、どの市も採算が…。もう一度、計画は一から見直した方がいいようです。展開してからでは遅(おそ)いですから」
「やはり、そうか…。部長以上にはそう言っておく。安川君、ごくろうさん」
 押花は渋面(しぶづら)を作り、高岩を見ながらそう言った。現実を直視しない電子システムの検索は、時折り、想定外の間違いを結果とするのである。

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-9- 見下(みくだ)す

2017年01月09日 00時00分00秒 | #小説

 世の中で人と対するとき、自分の置かれた立場、例えばこれは地位とか名誉とか裕福な資産がある場合なのだが、対等であるにもかかわらず、知らず知らず相手に対し、いつのまにか見下(みくだ)して話している。そのことを話している当の本人は知らないから、余計に具合が悪い。こうなると相手は、話しているというより、よく語るな…、あるいはよく講釈をたれるな…などと、少なからず腹が立つことになる。
「なかなかいい陽気になりましたが、一昨日(おととい)の季節外れの雪には参りましたよ、ははは…」
 隠居の裾岡(すそおか)は垣根越しで隣りの隠居、向峰(こうみね)と話していた。
「この冬はエルニーニョとかで暖冬でしたからな。ほほほ…北条は侮(あなど)れません」
 向峰は口髭(くちひげ)を指で撫(な)でつけながら、達観したように少し偉(えら)ぶって返した。
「はっ?」
 意味が分からず、裾岡は訝(いぶかし)げな顔つきで向峰を見た。
「いやなに…テレビの大河の話ですよ、ほほほ…あなたには、お分かりにならんようですな」
 相変わらず見下しぎみに話す向峰は、達観したように、また口髭を撫でつけた。裾岡は、この言われように少しカチン! ときた。一体、何さまのつもりだっ! と怒れたのである。
「分かりますよっ! ええ、分かります。太閤殿下の北条攻めで北条は絶えますっ!」
 興奮した裾岡の口は、思わず禁句を発していた。
「絶えはしないでしょうがな、ほほほ…」
 程度の低い人だ…とでも言いたげに、向峰は裾岡を見下した。
「ちょっと、急ぎの用を思い出しましたので…」
 見下された裾岡は、罵声(ばせい)になるのを避けるように、垣根から引っ込んだ。
 見下すような物言いは、どのような場合でもよい結果を生じない。

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-8- うっかりミス

2017年01月08日 00時00分00秒 | #小説

 集中力を欠くと、うっかりミスが起こる。これが度重(たびかさ)なると、ガサツな人…と思われがちで、人の信用は失墜(しっつい)する。このような人物は人の上には立てず、精神の修養が必要となる。会社とかの研修は、こういう場合に備えるためのものだ。対応する相手は所属する組織外の人や世間の事物だから、好印象、好結果となることが組織としては必要不可欠となる。
「底穴君、明日の資料は大丈夫だろうね」
「はあ、それはもう、万事(ばんじ)手抜かりなく!」
「君は、よく手抜かるからねえ…。いや、君を信用しない訳じゃないんだよ。信用しない訳じゃないんだが、一応、私も目を通しておこうと思ってね…」
 部長から役員待遇に昇格目前の我功(がこう)は底穴を部長席から見上げながらそう言った。
「はあ、そういうことでございましたら、お持ちいたします…」
 底穴も課長昇進の時期だったこともあり、胸を張って返すと、急いで係長席へ戻(もど)った。だが、出来た書類には表面上では分からないうっかりミスがあった。ただそれは、書類枚数の末尾近くで、枚数が多い書類では、見逃しがちな程度のものだった。
 書類に目通しし始めた我功だったが、枚数が多かったため、うっかりミスをし、前あたりで目通しをやめた。
「まっ! これなら大丈夫だろう…」
 我功は大丈夫と思ったが、ちっとも大丈夫じゃなかった。だが先方の会社も、そのうっかりミスをうっかりミスで見落とした。双方、1勝1敗で痛み分けとなった。その後、我功にも底穴にも先方の会社にも、…という結果が待っていた。…については、敢(あ)えて吉凶は、さし控(ひか)えたい。^ ^

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-7- ドミノ伝達

2017年01月07日 00時00分00秒 | #小説

 することもなく街に出てみようか…と、太月(たづき)は春の陽気の中、のんびりと商店街へ入った。人通りは多くも少なくもないようで、いつもと変わりがないように思えた。
 しばらく太月が商店街を歩いていると、前方にかなり大きな人だかりが出来ているのが見えた。なんだ? と瞬間、思えた太月は早足で近づいていった。
「なにかあったんですか?」
 人だかりの外側の一人に、太月はそれとなく訊(たず)ねた。
「いや、私もよく分からないんですよ…。あの、なんなんですか?」
 太月が訊ねた男は、背を向けて覗(のぞ)き込む内側の男にもまた訊ねた。
「さあ…なんなんですか?」
 その内側の男は、背を向けて覗き込むそのまた内側の男に訊ねた。
『さあ… …』
 そのまた内側の男は、そのまたまた内側の男に訊ねた。ドミノ伝達である。もはや太月には答える男の声が聞こえなくなっていた。それも当然で、かなり大きな人だかりのガヤガヤした喧騒(けんそう)が、そのまたまた内側の男の声を消したのだ。結局、太月は人だかりの後ろ姿を見るばかりで、その騒ぎが何なのか知り得ず、立ち去ろうとした。そのときだった。人だかりの内側から小さな声がした。その声は徐々に大きくなり太月めがけて近づいてきた。逆ドミノ伝達である。太月は足を止めた。
「ああ、そうですか…。ここで、昨日(きのう)撮(と)られた宇宙人の写真ですか。…だ、そうです」
 前の男は振り返ると、訊ねた後ろの男に返した。
「ここで、昨日撮られた宇宙人らしいです」
「ああ、そうですか…。ここで昨日、捕(と)らえられた宇宙人の写真らしいです」
 その後ろの男は振り返り、そのまた後ろの男に返した。
「ここで捕えられた宇宙人の写真らしいです」
 そのまた後ろの男は振り返り、そのまたまた後ろの男に返した。さのまたまた後ろの男は太月だった。
「ああ、そうですか…」
 太月は宇宙人なんかいるかっ! と馬鹿馬鹿しく思え、その場から立ち去った。
 長いドミノ伝達はそのまま伝わらず、内容を変化させる場合が多い。

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-6- いやだいやだ…

2017年01月06日 00時00分00秒 | #小説

 スーパーでゴチャゴチャと買物をしてお釣りをレジで受け取ったまではよかった田神だったが、そのあとがいけなかった。というのも、買物篭から袋へ入れ替えたとき、手にしていた硬貨を数枚、落としてしまったのである。しまった! と思ったときは、時すでに遅し・・だったが、それでも下に落としたのなら拾えばいい訳だ…と考えることもなく身体を屈(かが)めていた。
 収納台の下の屑篭(くずかご)をずらすと、1円硬貨があった。なおも田神はフロアを探したが、他には見つからなかった。まあ、落としたのはこれだけだったんだろう…と田神は中途半端に納得して、自転車で帰宅した。ところが、である。レシートを見ると、お釣りは8円だった。当然、5円硬貨1枚と1円硬貨が3枚なければならない。だが、5円硬貨がどうしても見つからない。繊細な田神は、ああ、いやだいやだ…と、テンションを下げた。さて、どうしたものか…である。田神は腕を見た。まだ、昼には35分ばかりあった。幸か不幸か、買い忘れた白菜があった。サバ缶と白滝の白菜煮・・これは、まったりと心が和(なご)む和風の一品である。洋食ばかりで、少しそういったものも欲しい頃合いだったから、白菜の買い忘れは主役抜きのようなものでキャスト不足となる。よしっ! もう一度、収納台の下を探すか…と思えた。一石二鳥でもあった。そう閃(ひらめ)いたとき、田神の足はすでに動いていた。
 スーパーへ着くと白菜をまず買った。カードをレジで出そうとすると、「100円以上です…」と言われ、田神は小恥ずかしくお釣りの16円を受け取った。問題はここからだ! と田神は思った。落とした収納台の下に5円が落ちているか・・それが問題なのである。白菜を袋に入れ、さて…と屈んでフロアを探したが、残念なことに見つからなかった。まあ、寄付したことにしよう…と諦(あきら)めかけたとき、老婦人が「どうかされましたか?」と訊(たず)ねた。田神は瞬間、「いえ、いいんです…」と小さく言って立ち去った。よく考えれば。何がいいのか分からないのだが…。少し、いやだいやだ…の気分は解消されたが、少し寂しい思いがした。

                            完

 ※ 田神さんの話によれば、レジに並んでいたとき、何も買わずにレジを通過した者がいた・・という経緯はあったようです。^^ それが関係しているのか? は別として、目に見えない出来事は怖いですね。この世の警察では分かりませんから…。^^


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思わず笑えるユーモア短編集-5- ああしてこうして…

2017年01月05日 00時00分00秒 | #小説

 蒼辺(あおべ)は春の陽気に誘われ、のんびりと自転車を漕(こ)いでいた。ギコギコと走らせていると、ああしてこうして…と、これからの予定が浮かんでくる。まずは、久しぶりに昔からある公園にでも行ってみるか…と蒼辺は思った。長い間、寄っていなかった・・ということもある。記憶に残るのは数十年前で、当時はよく親子連れもいた小奇麗な公園だったが、その後どうなったかまでは知らない蒼辺だった。公園でしばらく時を過ごし、小腹が空(す)いたところで、近くにあるはずの洋食屋、マロンで美味(うま)いステーキを食べる。確か…¥1,600ばかりでブランド牛の安価で柔らかい、舌が蕩(とろ)け落ちそうな絶品味が賞味できるはずだった。そして、腹が満ち足りたところで、その隣(となり)の珈琲専門店、楽園で食後の至福の一杯を味わう。カプチーノがいいか…と蒼辺は思った。そしてそのあとは…。まあ、そのとき考えれぱいい。蒼辺はそんな、ああしてこうして…を頭に思い描き、自転車を漕ぎ続けた。
 公園へ入ると、公園は案に相違して人っ子一人いなかった。そればかりではない。荒廃した佇(たたず)まいは、もはや公園と呼べるものではなかった。座り心地のよかった木製ベンチも足の一本が朽(く)ち果てて折れ、僅(わず)かな傾斜角で傾いていた。しばらく時を過ごすつもりの蒼辺だったが居たたまれず、洋食屋のマロンへ向かった。ところが着くと、店は定休日で閉まっていた。蒼辺が思い描いたああしてこうして…は、二つまでも思いは果たせなかった。仕方がない…と蒼辺は隣の楽園前で自転車を止めた。そのとき、である。
「すみませんねぇ~、今日は臨時休業なもんで…」
 店主らしき男が出てきてシャッターを閉じ始めた。
「ああ、そうですか…」
 仕方なく、蒼辺は元来た道を戻(もど)り始めた。このままかっ! と、蒼辺は無性に腹が立った。いつの間にか知らない道を辿(たど)っていた。すると妙なもので、見たことがない和食の料理屋が目の前に現れた。蒼辺は店に入った。すると、メニューに美味(おい)しそうな写真入りの品書きがあった。蒼辺はそれを注文し、満足げに食べ終えた。すると、オーダーしていないのに、和菓子と抹茶茶碗を盆に載せ、店主が持って現れた。
「初来店のお客様への開店記念のサービスでございます…」
「ああ、そうですか…」
 ああしてこうして…は果たせなかったものの、気分よく蒼辺は帰宅した。それ以降、蒼辺は、ああしてこうして…と考えるのはやめている。
 まあ物事は、考えず動くと失敗して上手(うま)くいかないものだが、ああしてこうして…と考え過ぎるのも上手くいかない場合が多い。

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-4- やりなおし

2017年01月04日 00時00分00秒 | #小説

 物事には、しまった! と気づき、やりなおしになる場合がある。早く気づけばいいが、今一歩のところで…というときに、しまった! と気づくケースは、いただけない。すべてが水泡(すいほう)に帰す・・とは、まさにこのことで、初めからまた始めなければならないからだ。ほんのごく短い時間とか、そんな大して手間取らないならいいが、数年を費やしてやってきたこととか、かなり長期に及ぶ場合だと、投げ出したくなる・・というものである。
 二日の行程で羽崎(はざき)は山を縦走し、下山する帰途を辿(たど)っていた。山小屋を今朝出た計算で行けば、あと小一時間で麓(ふもと)へ着く計算である。そう急ぐ必要もないと、羽崎はのんびりと歩をゆるめていた。ところが、である。さて、この辺りで休憩しようか…と思ったとき、とんでもないミスを犯していることに気づいた。それは、この登山目的の根幹を揺るがしかねない事態で、軽く笑って済むような話ではなかったのだ。こんなポカミスをなぜっ!! と羽崎は自分自身に腹が立った。というのは、このままでは下山できないミスだった。パンフレットに載せる写真を撮ったネガフィルムの袋を今朝、出た山小屋に忘れたことを思い出したのである。さあ、どうする! …と羽崎は冷や汗を流し、うろたえた。締め切りは幸い、三日後だったから、下りてきた道を山小屋まで取って返せば、なんのことはない…と気づいた羽崎は、休憩をやめ、また下りてきた道を逆に登り始めた。今日中には山小屋へ着くから、山小屋で一泊し、明日(あす)の朝、下りればいいさ…と思いなおし、うろたえた気分も消え去った。
「あの…お預けしておいた袋は?」
 山小屋へは昼前に戻(もど)れ、羽崎はさっそく山小屋の従業員に預けたフィルム入り袋を返してくれるよう話した。ところが! である。
「えっ? 朝、お返ししましたよっ。嫌だなぁ~」
 山小屋の従業員は、キョトン! とした顔で羽崎の顔を窺(うかが)った。羽崎としては返してもらった記憶がなかったから当然、従業員の言葉は解(げ)せなかった。
「そんな馬鹿なっ! 返してもらってませんよっ!」
「いやいやいや、下山されるというので、会計をしたとき確かにお返ししました」
 話し合いは数十分に及んだが、水かけ論となり、いっこう消えたフィルム袋は出てこなかったのである。羽崎は、これでは埒(らち)が明かん! と、やりなおしを考え始めた。
「あの…フィルムは売ってますか?」
「ああ、はい…。普通のフィルムなら」
「それで結構ですっ!」
 羽崎は山岳写真家だったから使用しているフィルムは専用フィルムだったが、そんな贅沢(ぜいたく)を言っている場合ではなかった。フィルムを購入したあと、羽崎は撮りながら来たルートを逆縦走し、最初に登り始めた地点へ無事、下山した。締め切りは明日だったが、それでもまあ、間にあうことは間に合ったのである。
 やりなおしにならないよう注意しないと、苦労することになるが、まあ、人が上達するいい薬にはなるようだ。

                            完

 ※ 紛失したフィルム袋は山小屋の前に落ちていたそうで、後日、郵送されたとのことです。しかしそのときは締め切り後で、結局、羽崎さんの苦労は無駄ではなかったということです。よかった、よかった。^^  


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思わず笑えるユーモア短編集-3- 早い

2017年01月03日 00時00分00秒 | #小説

 うっかり、朝寝坊した浅見はカップ麺で、遅(おそ)めの朝食を済ませた。時の流れの、なんと早いことか…と有名な文学者にでもなった気分で思ってみた浅見だったが、よくよく考えれば、寝坊しないよう目覚ましをセットし、○時には起きるぞっ! と意を決して眠ればよかったのだ。単にもうこんな時間か…と寝たものだから、迂闊(うかつ)といえば迂闊だったのだ。そんなことを思っている間に、カップ麺は出来上がっていて、すっかり伸(の)びてしまっていた。浅見は腰のない軟(やわ)い麺をズルズル…と口へ運びながら、ああ、俺の人生もこんなものか…と侘(わ)びしく思った。気づけば、何もない人生の2/3以上が過ぎていた。浅見は、早い…と、また思った。
 ようやく食べ終え、今日は何もすることがなかったな…と巡っていると、昨日(きのう)やり残した修理が残っていたのを、ふと浅見は思い出した。これは急がないとっ! …と腕を見れば、すでに1時を回っていた。慌(あわ)てて浅見は、やり残しの修理に取りかかった。修理は殊(こと)の外(ほか)手間取り、浅見が終わって腕を見ると、すでに5時前になっていた。休憩する間(ま)もなく、楽しみにしていたコーヒーの一杯も飲めない恨(うら)めしい気分で浅見は修理道具を収納し終えた。思わず、時の巡りは早い…と浅見は思った。だがまあ、これからひと息いれればいいか…とインスタント・コーヒーの粉を入れたマグカップに湯を注いだとき、ピンポ~ン! と玄関のチャイムが鳴った。なんだっ! と、浅見は少し怒り気分で玄関へ急ぎ、「はい!」とひと声かけた。するとすぐ、『書留ですっ!』と返ってきた。浅見が以前、受けた入社試験結果の返信の封書だった。結果は合格していた。早いなっ! と思ったが、その早さは浅見にとっては他の早さと違い、いい意味で早かった。
 早い…と感じる場合も、良い悪いと、いろいろある。

                            完


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思わず笑えるユーモア短編集-2- 出たのに、また出た

2017年01月02日 00時00分00秒 | #小説

 行楽の春が近くなると、冬眠を決め込んでいた角吹(つのぶき)も、さすがに家を出たくなった。雲雀(ひばり)の声が賑(にぎ)やかで、早く目覚めた・・ということもあったが、暖気のせいか、いくらか気分が花やいだ・・というのが実のところだ。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山は、珍しそうな顔で角吹に声をかけた。角吹は内心、俺だって出かけることはあるさっ! とムカついたが、そう言う訳にもいかず、思うに留(とど)めた。
 しばらく歩くと、見馴れた山裾(やますそ)の畑が見えた。春先には恒例の野焼きが行われる畑は、枯れ草で茶色っぽかった。枯れ草を焼くことにより、地はアルカリ質の肥料を得(え)、しかも害虫の消毒ともなる一挙両得の策だ。しばらくこの辺(あた)りに足を向けたことがなかった角吹は、ひと巡りしてみるか…と、ふと思った。のんびりと歩くつもりで出た家だったから、とり分けて急ぐ必要もなかった。
 通ったことがある細道を進んでいた角吹だったが、しばらく行っところで見かけない家に出食わした。こんなところに家なんかあったか? と訝(いぶか)しく思った角吹だったが、まあ最近、新しく建ったんだろう…くらいに軽く思い、見過ごすことにした。ただ、家が近づいたとき、その家がそれほど新しい家でもなかったのが少し解(げ)せなかった。ところが、である。またしばらく歩くと、まったく記憶にない光景が展開し出した。そんなことはない! と角吹はまた訝しく思え、一端、足を止めて辺りを見回した。だが、やはり一度も通ったことがないところのように思えた。角吹は道を間違え、知らない土地に迷い込んだか…と思った。そう思うと気も漫(そぞ)ろとなり、のんびり歩いている相場の話ではなくなってきた。角吹は焦(あせ)り始め、当然、足は早くなった。そしてまた、しばらく行くと、ようやく見馴れた光景が開けた。しかしそれは、出たはずの角吹の家だった。一周したのか…と、最初、角吹も合点がいった。ところが、である。
「やあ、角吹さん。お出かけですか?」
「ええ、まあ…」
 隣りの鹿山が珍しげに言葉をかけ、角吹は思わずそう返していた。そのとき、おやっ? と角吹は思った。確かに数時間前、この状況はあったぞ! …と。角吹は慌(あわ)てて腕を見た。不思議なことに朝、出かけた時間だった。出たのに、また出たのである。怪(おか)しい!! と角吹は怖くなった。そのとき、目覚ましの音が祁魂(けたたま)しく角吹を襲い、角吹はハッ! と目覚めた。雲雀の声が賑やかに聞こえ、麗らかな春の朝日が窓から射していた。角吹は夢を見ていたのだった。どう考えても、出たのに、また出るという現実はない。

                            完


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