⑱今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――秀吉は「一の人」と呼ばれる貴人となったのちも、侍臣(じしん)にはかつて信長の草履(ぞうり)取りであった頃の苦心の数々を、隠すことなくあからさまに語って聞かせた。彼は裡(り:衣のうら)に破れ帽子のいでたちで、雨が降れば頭にさんだわらをくくりつけ、空腹をかかえ幾里もの山里を越えて . . . 本文を読む
⑰今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――当時、日本の人口は四千万人に接近していたといわれる。日本の数十倍の国土を有している明国の人口が六千七十万人といわれていたのを考えると、おどろくばかりの稠密(ちゅうみつ:こみあっていること)な人口であったわけである。「信長公記」を著した信長お弓衆・太田牛一がのちに秀吉に仕え、「 . . . 本文を読む
⑯今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――このとき強制移転をさせられた寺院は、浄土、法華、時宗の三派のものがほとんどであった。この三派は町衆とのつながりが深く、秀吉は京都支配を完全たらしめるには、両者の連繋(れんけい)を弱体化させねばならないと見ていた。寺町につらなる寺院の背後には、お土居(どい)が南北につづいている . . . 本文を読む
⑮今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――桑田忠親(くわたただちか:歴史学者)によると、秀吉時代の大坂城の壮観は、このように、文献によって知るほかはないが、徳川氏によって建て直された江戸初期の大坂城のありさまは、黒田家所蔵の「大坂陣屏風絵」(俗に黒田屏風)、東京国立博物館所蔵の「大坂陣屏風絵」などで、うかがうことがで . . . 本文を読む
⑭今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――「当時秀吉は自らの権力を天下に誇示するため、大坂城と並行して聚楽第の大工事を強行していた。聚楽第の工事は、掘、石垣の普請が終った六月頃から、天守、御殿の作事がはじまった。四国、東国の各方面から巨大な材木がおびただしく取り寄せられ、労働に従事する大工、人足の数は大坂城のそれをは . . . 本文を読む