このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

「和の国」の自由(前編)

2024年09月30日 | 日本
全体主義国家・中国から護るべき我が国の「自由」とは?

(なぜ中国の自由抑圧が「他人事」なのか?)
中国の周辺民族への弾圧が止まりません。2020年9月に米国のジェームスタウン財団が発表した報告書は、チベット自治区で今年の1~7月だけで50万人以上の農民などに対して「労働規律、中国語、労働倫理」の「職業訓練」が強制された、と報じました。

すでにウイグル自治区では最大100万人のウイグル人住民が「再教育」を目的とした強制収容所に収容されている、と国連人種差別撤廃委員会は糾弾しています。

「駐英中国大使、BBC番組でウイグル人の強制収容否定 ビデオを見せられ」

内モンゴル自治区でも、小中学校で「国語」「政治」「歴史」の教科書がモンゴル語から中国語に変更され、多くの保護者は反発して、子供たちに授業ボイコットをさせています。

中国の正体は国民や周辺民族の自由を抑圧する全体主義国家であることが国際社会でも明瞭に認識されるようになりましたが、日本国内では、まだまだ他人事(ひとごと)という認識が一般的です。これには三つの理由があると思われます。

第一に、国内マスコミがこれらの事件をほとんど報道しない。
第二に、日本人は自由を奪われた経験がないので、それがどれほど非道(ひど)いことか、体験的に想像できない。
第三に、自由の概念そのものが西洋からの「輸入品」であり、頭では理解できても、我々の心情に訴えない。

本編では、この三番目の問題をとりあげて、実は我々の先祖が大切にしてきた日本なりの「自由」の理想がある事を論じます。それに共感できれば、全体主義政権からいかに世界を護るか、について、もっと「自分事」として受け止められるでしょう。

(「そのあまりにも素朴な思い込み」)
「自由」という言葉に関して、比較文化から日本思想史まで幅広い研究分野を持つ小堀桂一郎・東京大学名誉教授が、こんな体験談を披露されています。

昭和50年代初めのあるシンポジウムで、高名な国際政治学者が「自由」とは西欧世界に於いて初めて発生し、また西欧世界の近代化の過程に於いてのみ展開し成熟した理念であるとして、日本人が「自由」という言葉を口にするようになったのは、明治以降であろう、と発言しました。他の出席者も、いかにも納得といった表情で、神妙に頷(うなづ)いています。

小堀教授は「そのあまりにも素朴な思い込み」に驚いて、こう批判しました。
__________
自由は立派な古典漢語であり、仏教語である。日本では遅くとも安土桃山時代には現在の含意とほぼ同じ意味で使はれてゐるのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

それから小堀教授は、古典研究で「自由」という語を見つけるたびに記録しておくようにしました。それが集大成されたのが、この353ページにも及ぶ浩瀚(こうかん)な大著『日本人の「自由」の歴史』です。その博引旁証ぶりは、701年の大宝律令から、漢詩、仏典、キリシタン文書、江戸期の国学、蘭学を通覧して、明治15(1882)年の中江兆民の『民約論』まで及ぶ、という驚くべきものです。

これだけの用例を読めば、「遅くとも安土桃山時代」にはわが先人たちが「自由」という言葉を現代と同じ意味合いで使っていた事は明々白々となりますが、この大著でさらに重大な指摘は、我が国においては「自由」が、西洋人の"Liberty"よりは、はるかに深い人生観のもとで使われていた、ということです。以下、この点のみ辿ってみましょう。

(1300年前から使われていた「自由」)
大宝元(701)年に完成した『大宝律令』では、「妻を離縁するには、祖父母と父母の了解が必要であるが、それが居ない場合には、夫の一存で自由に処置してよい」とあります。ここでの「自由」とは、現代の我々が「離婚の自由」などというのとほとんど同じく、「法的に許されている」という意味合いです。

また養老4(720)年に成立した『日本書紀』の第二代綏靖(すいぜい)天皇の記事にも「自由」の用例があります。初代・神武天皇が崩御された後、綏靖天皇の庶兄にあたる手研耳命(たぎしみみのみこと)が、はるかに年長であり、神武天皇を補佐された経験も長く、とかく独断で事を運ばれる傾向があった。そして服喪の期間に、その権力をほしいままにした、云々とあります。

この「権力をほしいままにした」という訳の原文が「威福自由」であり、すなわち、自由とは現代の「自由きまま」とか「自分勝手」というほどの批難を込めた意味で使われています。

良い意味にしろ、悪い意味にしろ、現代の我々が日常的に使う「自由」という言葉は、すでに1300年も前から使われていました。

(西洋社会の苦難の歴史から生まれた"freedom""liberty")
しかし「ほしいまま」や「自由に処置して良い」では、現代日本人が「自由」という言葉から思い浮かべる哲学的な高尚さが感じられません。そういう所からも、「自由」とは「西欧世界に於いて初めて発生し、また西欧世界の近代化の過程に於いてのみ展開し成熟した理念」という説明を聞くと、なるほどと思ってしまうのです。

しかし、この「西欧世界に於いて初めて発生」した「自由」とはどのようなものだったのでしょうか。小堀教授は「自由」の淵源を旧約聖書の「出エジプト記」に求めています。これはユダヤ人たちがエジプトで強制労働の苦役にあった時、神ヤハウェがモーゼに命じて解放させたという物語です。

旧約聖書のこのあたりの一節にヤハウェが「奴隷の釈放」について、こう命じた部分があります。「あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない」。この「自由」が英語では"free"となっています。

要は、奴隷、苦役、懲役、原罪などの拘束から「解放」されることが"freedom"や"liberty"の原義なのです。それも何らかの超越的存在によって。

「超越者による拘束からの解放」という原義を知れば、アメリカ独立宣言で英本国の圧政から解放を求めて「すべての人間は・・・その創造主によって、生命、自由(Liberty)、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という「信念」がどこから来たのか、よく分かります。

また、フランス人権宣言は「人は、自由(Liberty)、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」としていますが、宗教を否定しているので超越者は出てきませんが、同工異曲(違っているようで実は大体同じようなこと)です。

すなわち"liberty"や"freedom"は、奴隷制、専制君主の圧政が日常茶飯事であった西洋社会の苦難の歴史から生まれた理想だったのです。そういう歴史の薄かった日本人には、どうにも実感できないのは当然です。
――(後編に続く)

---owari---
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「三種の神器」が示す「和の... | トップ | 「和の国」の自由(後編) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事