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「和の国」の自由(後編)

2024年10月01日 | 日本
全体主義国家・中国から護るべき我が国の「自由」とは?

(西洋の"liberty""freedom"に「自由」をあてた誤訳)
この"liberty"や"freedom"の概念が明治期に日本に入ってきた時、我々の先人はどうして「自由」と訳したのでしょうか。鈴木大拙はこう指摘しています。
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…西洋思想の潮のごとく輸入せられたとき、フリーダム(freedom)やリバティ(Liberty)に対する訳語が見つからないので、そのころの学者たちは、いろいろと古典をさがした末、仏教の語である自由を持って来て、それにあてはめた。それが源となって、今では自由をフリーダムやリバティに該当するものときめてしまった。
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しかも、大拙は「元来自由という文字は東洋思想の特産物で西洋的考え方にはないのである」とも言います。要は西洋の"liberty""freedom"は東洋思想にはなく、東洋の「自由」は西洋思想にはない、というのです。

"liberty""freedom"の訳語として、まったく別の概念である「自由」を当ててしまったために、我々は東洋思想における「自由」の本義を忘れ、あたかも「自由」は「西欧世界に於いて初めて発生し、また西欧世界の近代化の過程に於いてのみ展開し成熟した理念」と思い込んでしまったのです。

(「自由」とは自らに由(よ)ること)
それでは東洋思想に於ける「自由」とはどのような意味を持っていたのでしょうか? 大拙はこう語っています。
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松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。・・・

「自由」とは、自らに在り、自らに由り、自らで考え、自らで行為し、自らで作ることである。
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この「自由」とは、もともとは仏教の言葉ですが、「すべては神の分け命」と考える日本的な生命観から見れば、非常に相性の良い考え方でした。一人ひとりの人間の中に神の分け命が息づいている。それは同じ神の分け命ではあるけれども、遺伝子のように個性があり、一人ひとり独特の外見や性格、才能を形成します。

自分の中の個性的な神の分け命を、自分らしく十分に発達させることが、「自らに由る」自由であると考えるのです。小堀教授はこう結論づけます。
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(大拙)翁の説く所に更に聴くとすれば、西洋のリバティやフリーダムには束縛や抑制から解放されるといふ受身的意味しかない、それは否定的消極的発想の所産であって、創造性を本義とする東洋の自由とは大いに違ったものだ、といふのである。
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(「和の国」の自由)
この「自由」の捉え方は、日本の「和の国」ぶりにいかにもふさわしい人間観だということが分かります。

神武天皇は大和の地に辿り着かれて、次のような建国宣言とも言うべき詔(みことのり)を出されます。
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天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか。なんと、楽しくうれしいことだろうか。
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仲の良い大家族では、一人ひとりが祖父、祖母、父、母、長男、次男、長女など、立場も役割も違いますが、それぞれが自分自身の「分け命」を発達させて、お互いに足りないところを補い合いながら、一家を支えていきます。それが人間の「自由」の姿なのです。

また、聖徳太子は十七条憲法の第一条で「和を以(もっ)て貴(たふと)しと為し」と言われましたが、第一条の後半はこう語っています。
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然(しか)れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらむ。

(上の人が和らぎ、下の人も睦んで、議論をし、そこにハーモニーが生まれる(諧う)時は、物事の道理が通って、何事もできない事はない)
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「和」とは全体のために自分を抑えて、皆と同じようにする「同」とは違います。それこそ全体主義です。一人ひとりが自分らしさを出して自由に意見を出せば、オーケストラで様々な楽器がそれぞれの音色を奏でて美しいハーモニーを醸(かも)し出すように、素晴らしい智慧が生まれてくる、というのです。このように聖徳太子の和の理想も、自由な、かつ個性ある人間を前提としているのです。

近代に至って、明治の国作りの方針を定めた五箇条の御誓文では、第一条に「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と議会制民主主義を謳い、第二条に「上下(しょうか)心を一(いつ)にして、盛んに経綸を行うべし」と、自由主義経済を唱えました。

その根底には、明治天皇が国民へのお手紙として発せられた「国威発揚の御宸翰(ごしんかん、天皇の国民へのお手紙)」で、「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」と言われた共同体観があります。

国民が「処を得る」とは、一人ひとりの国民が、自身の才能や性格、志を生かして、自分の置かれた環境で、その人なりの共同体への貢献をする場を得る、ということです。これも国民の自由な生き方を前提とした生き方の理想です。

(中国の脅威から守るべきは「和の国」の民の生き方)
こう考えると、神武天皇、聖徳太子、明治天皇が描かれた「和の国」の理想とは、あくまで国民一人ひとりの自由を前提としたものであることが見てとれるのです。

西洋思想の"liberty""freedom"では「束縛からの解放」というだけで、結局、法律・道徳という束縛と、個人の自由の対立が生じます。その極端な姿が、アメリカ的な弱肉強食の自由か、中国的な全体主義下の自由弾圧か、という選択となってしまいます。

それに対して、「和の国」の自由であれば、国民一人ひとりが自分の自由を発揮しつつ処を得ることで生きがいを味わい、また共同体全体が繁栄します。自由の増進が共同体の発展の原動力となるのです。

そういう国を実現するためにも、まずは日本国民一人ひとりが、「和の国」の自由の在り方をよく理解して、自分の自由をいかに伸ばして処を得ていくのか、という生き方をしなければなりません。中国の脅威から守るべきは、こうした「和の国」の民の自由な生き方なのです。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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