見事な石垣は残るのだろうか・・?
豪邸のお庭の植木は残るのだろうか・・・?
こちらは別の豪邸跡地、再開発工事が既に始まっていた。
ゴルフ仲間からの投稿です。
ホールインワンを出した時に詠んだ俳句を「伊藤園新俳句」に投稿したところ、見事に入選されたそうです!
因みに、ホールインワンを出された時、幸いにも私も一緒でして、ハイタッチをさせてもらいましたもんネ!!
一緒に周れて良かった~~、改めて、おめでとうございましたヽ(^o^)丿
京都の友人でカメラの名手、「ともちゃん」からの投稿です。
祇園祭の山鉾巡行の写真を撮って来ました。
撮影の人気スポットはスタートの「しめ縄切り」と「辻回し」ですが、
今年は「しめ縄切り」のスポットで撮って来ました。
長刀鉾 しめ縄切りのしめ縄↑が見えますか?
しめ縄を切って巡行がスタート
占出(ウラデ)山
孟宗(モウソウ)山
霰天神(アラレテンジン)山
函谷(カンコ)鉾
伯牙(ハクガ)山
四条傘山
芦刈山
月鉾
山伏山
油天神山
太子山
鶏山
木賊(トグサ)山
綾傘山
蟷螂(トウロウ)山
菊水鉾
白楽天山
郭巨(カッキョ)山
放昌(ホウショウ)山
放下(ホウカ)鉾
岩戸山
ともちゃん 猛暑の中、人気スポットでの見事なショットの投稿 有難うございました。
山や鉾の名前も丁寧に教えてもらって良く分かりました!
熱中症に気を付けて、ますますのご活躍を祈っております。
とにかく「治ったと思っても最低1か月は気を抜かないことが肝要」だそうだ。
↑画像はTV撮りです↑
さっきまで日が照っていたのに、一気に天候が急変、雷雨となった。
夕立と言うよりは猛烈な雷雨、約1時間ほどで小雨にはなったが、東京では雹(ヒョウ)も降ったそうだ・・・
尊敬する日野原重明先生が亡くなられた。 105歳 見事なご生涯でした。
「『死とは生き方の最後の挑戦』『最後にああ生まれてよかったと思いたい』など印象深い言葉を残された。望ましい人の生き方、人生の終え方を提唱してきた先生が、まさにそのことを実践した生を終えられたと思う」
わが庭の みどりしたたる 静かさよ
色濃くなる緑、ベゴニアやバラが咲くお気に入りの庭を眺めながら、療養中にそんな句を詠んだという。
思えば、八年ほど前の秋口に大磯ロングビーチホテルでお会いしたのが最後になりました。
「『死とは生き方の最後の挑戦』『最後にああ生まれてよかったと思いたい』など印象深い言葉を残された。望ましい人の生き方、人生の終え方を提唱してきた先生が、まさにそのことを実践した生を終えられたと思う」
日野原さんが名誉院長だった聖路加国際病院(東京都中央区)の福井次矢院長(66)は18日に院内で開いた会見で、そう話した。
会見や関係者によると、日野原さんは3月中旬、「脱水症状だと思う」と自ら訴え、同病院に入院。「延命治療は望まない」と1週間後には退院し、人工呼吸器や胃ろうをつけることも拒んだ。
当初は口からものを食べられない状態だったが、徐々に回復。5月ごろには体調がよくなり、好物のバナナやブロッコリーのほか、おかゆなども口にしていたという。海外からの来客と面会し、新刊本の打ち合わせなどもこなしていた。
わが庭の みどりしたたる 静かさよ
色濃くなる緑、ベゴニアやバラが咲くお気に入りの庭を眺めながら、療養中にそんな句を詠んだという。
亡くなる2日前まで会話ができた。17日に面会した福井さんが「何かつらいことはございませんか」と尋ねると日野原さんは顔をしっかり横に振ったという。
福井さんは「改めてすごい人だなと思った。『年をとること自体が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんなに楽しい冒険はない』という言葉を残されている。命が亡くなるプロセスを客観的に眺める余裕を持たれていたのだと思った」と述べた。
東京都世田谷区の自宅で次男直明さん(69)とその妻の真紀さん(70)に見守られ、息を引き取った。子どもや孫にメッセージも託していたという。
直明さんは「やり残したことはないと思う。自分がかかわった患者さんや、(著した)本を愛読する大勢のファンの方々に『ありがとう』と感謝しているはずです」と話した。
長寿と健康をテーマに、日野原さんが75歳以上の高齢者に呼びかけた「新老人の会」の活動は、全国に広がった。小学校への「いのちの授業」の出前も10年以上に及んだ。平和への思いも強く、著書などで日本国憲法、中でも9条の掲げる理念の重要性を説いた。
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日野原さんの葬儀は29日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。31日~8月4日の午前9時~午後3時、東京都中央区明石町10の1の聖路加国際大学旧館2階聖ルカ礼拝堂で、献花を受け付ける。 (朝日ネットより拝借)
謹んで合掌・礼拝