“江戸の沢庵は二切れ” と題するエッセイを友人MEさんから頂戴しました。
ブログへの転載にご了解を得ましたので 以下にその一部を掲載させて頂きます。
インゲンは隠元和尚が中国から種を持ち帰ったのでその名が付けられたのですが、たくわんは沢庵和尚が
考案したからではないのです。
たくあんの様な大根漬けは平安時代からあり、江戸時代初期に活躍した沢庵和尚とは時代が合わないのです。
沢庵という呼び名の由来には諸説があり「たくわえ漬け」が転訛したという説や徳川家光が品川・東海寺の
沢庵和尚を訪ねた時に出された大根の漬物がたいそう気に入り「名前が無いのであれば沢庵漬けと呼ぶべし」
と言ったという説、又沢庵和尚の墓石の形が漬物石に似ているからという説、等々が有ります。
(因みに、東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるという考えから、『百本』という呼び名を用いている)
処で江戸時代の食事処では沢庵はおかずに欠かせない定番だったのですが、侍に出すときは一切れや三切れは
絶対にタブー。
一切れを出せば「(一切れ)人を切れと申すのか」と、又三切れを出せば「身を切れ、切腹しろと申すのか」と怒りだす。
その為、江戸で出される沢庵は必ず二切れという習慣が生まれたとの事。
大根は「大根役者」「大根足」などと余り誉め言葉には使われません。しかし大根は生でよし、煮てよし、漬けてよし。
大根おろしはサンマの必須アイテムですし、おでんやぶり大根では他の食材の旨みを全て吸収し自分のものにしてしまう、
大根役者どころか千両役者なのです。でも最近の沢庵はいけません、天日干しをしなくなったからなのでしょうか、・・・
昔懐かしいボリボリと食感の良い旨い沢庵には滅多にお目にかかれなくなり寂しい限りです。
・…後略…・ MEさん、有難うございました。
ブログへの転載にご了解を得ましたので 以下にその一部を掲載させて頂きます。
インゲンは隠元和尚が中国から種を持ち帰ったのでその名が付けられたのですが、たくわんは沢庵和尚が
考案したからではないのです。
たくあんの様な大根漬けは平安時代からあり、江戸時代初期に活躍した沢庵和尚とは時代が合わないのです。
沢庵という呼び名の由来には諸説があり「たくわえ漬け」が転訛したという説や徳川家光が品川・東海寺の
沢庵和尚を訪ねた時に出された大根の漬物がたいそう気に入り「名前が無いのであれば沢庵漬けと呼ぶべし」
と言ったという説、又沢庵和尚の墓石の形が漬物石に似ているからという説、等々が有ります。
(因みに、東海寺では禅師の名を呼び捨てにするのは非礼であるという考えから、『百本』という呼び名を用いている)
処で江戸時代の食事処では沢庵はおかずに欠かせない定番だったのですが、侍に出すときは一切れや三切れは
絶対にタブー。
一切れを出せば「(一切れ)人を切れと申すのか」と、又三切れを出せば「身を切れ、切腹しろと申すのか」と怒りだす。
その為、江戸で出される沢庵は必ず二切れという習慣が生まれたとの事。
大根は「大根役者」「大根足」などと余り誉め言葉には使われません。しかし大根は生でよし、煮てよし、漬けてよし。
大根おろしはサンマの必須アイテムですし、おでんやぶり大根では他の食材の旨みを全て吸収し自分のものにしてしまう、
大根役者どころか千両役者なのです。でも最近の沢庵はいけません、天日干しをしなくなったからなのでしょうか、・・・
昔懐かしいボリボリと食感の良い旨い沢庵には滅多にお目にかかれなくなり寂しい限りです。
・…後略…・ MEさん、有難うございました。