年の瀬ってカンジはあまりしないのだが、毎年、12月30日が来ると年を越すんだなあと実感させられる。今日は母の誕生日。毎年、自分の誕生日と母の誕生日には実家に電話する。(つまり、実家には年2回しか電話しない?)
「いくつになったの?」「79?あれ、80になったんじゃあなかったっけ?」
いい加減、両親がこの年になると電話口の会話も「葬儀屋の連絡先を書いたメモを常に目に付くところに置いといてね。銀行の預金通帳は?まさか畳を1枚1枚はぐらないと出てこないようなところに隠してるんじゃあないでしょうね。」なんて
年1、2度の会話がこのようなものかと悲しくなるが、現実問題として親が亡くなったらすべて私が必要な処置をとらなければならない。(一人っ子の宿命)
とりあえず2人とも健在ではあるが、片方が亡くなっていざ、実家に帰ってみると残る片方は痴呆でまともにモノも喋られない、では困る。だから酷な言い方だが、常に葬儀屋の連絡先は目に付くところに、通帳のありかは私に教えるよう、実は年に一度、この日をもって確認している次第である。
「いくつになったの?」「79?あれ、80になったんじゃあなかったっけ?」
いい加減、両親がこの年になると電話口の会話も「葬儀屋の連絡先を書いたメモを常に目に付くところに置いといてね。銀行の預金通帳は?まさか畳を1枚1枚はぐらないと出てこないようなところに隠してるんじゃあないでしょうね。」なんて
年1、2度の会話がこのようなものかと悲しくなるが、現実問題として親が亡くなったらすべて私が必要な処置をとらなければならない。(一人っ子の宿命)
とりあえず2人とも健在ではあるが、片方が亡くなっていざ、実家に帰ってみると残る片方は痴呆でまともにモノも喋られない、では困る。だから酷な言い方だが、常に葬儀屋の連絡先は目に付くところに、通帳のありかは私に教えるよう、実は年に一度、この日をもって確認している次第である。