毎年6月23日は曜日に関係なく、沖縄慰霊の日。この日は、沖縄県民の祈りが一つになる日。
実は、恥ずかしながら、沖縄に来るまでこの事実を知らなかった。そうなのだ。68年前の6月23日は、牛島中将が自決し、側近の部下その他住民もすべて巻き込んで事実上の戦闘が終結した日なのだ。
にもかかわらず、8月15日の終戦まで実に104人が沖縄で亡くなっている。6月23日から8月15日までのこのタイムラグは、いったいなんだろう?
事実上の戦闘が、既に第一線の沖縄では集結していた・・・にもかかわらず、8月15日までの間に沖縄だけでも104人が亡くなっている。もっと事実が早く大本営に到達していたなら、当時のトップが英断を下していたなら亡くならずに済んだ命である・・・
昨日は、朝から平和大行進の方々とは別に、内地から来た師匠とともに、奥武山から摩文仁まで途中、慰霊の塔を経由して約25キロを32度の炎天下、走り歩きしてたどった。
この日初めて、摩文仁の海岸近くの壕に入った。てっぺんの摩文仁の丘から海岸まで砲弾におびえながら水汲みを繰り返していた・・・というのは、おそらくこのあたりだろうか・・・
生まれてくる時代は選べない。残念ながら68年前に生まれてしまった方々の御霊のためにも私たちは自分の人生の倍の人生を生きなければいけない。
決して「生きていてもうしわけない」のではなく、申し訳ないのは「無駄に生きること」であり、だからこそ数倍の価値ある人生を生きるのである。
実は、恥ずかしながら、沖縄に来るまでこの事実を知らなかった。そうなのだ。68年前の6月23日は、牛島中将が自決し、側近の部下その他住民もすべて巻き込んで事実上の戦闘が終結した日なのだ。
にもかかわらず、8月15日の終戦まで実に104人が沖縄で亡くなっている。6月23日から8月15日までのこのタイムラグは、いったいなんだろう?
事実上の戦闘が、既に第一線の沖縄では集結していた・・・にもかかわらず、8月15日までの間に沖縄だけでも104人が亡くなっている。もっと事実が早く大本営に到達していたなら、当時のトップが英断を下していたなら亡くならずに済んだ命である・・・
昨日は、朝から平和大行進の方々とは別に、内地から来た師匠とともに、奥武山から摩文仁まで途中、慰霊の塔を経由して約25キロを32度の炎天下、走り歩きしてたどった。
この日初めて、摩文仁の海岸近くの壕に入った。てっぺんの摩文仁の丘から海岸まで砲弾におびえながら水汲みを繰り返していた・・・というのは、おそらくこのあたりだろうか・・・
生まれてくる時代は選べない。残念ながら68年前に生まれてしまった方々の御霊のためにも私たちは自分の人生の倍の人生を生きなければいけない。
決して「生きていてもうしわけない」のではなく、申し訳ないのは「無駄に生きること」であり、だからこそ数倍の価値ある人生を生きるのである。