つまがリズム

きままな、ひとりごと

自然と人工

2012年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

張りつめるような澄んだ空気と静寂のなか、朝日が自信満々に現れる瞬間。

何とも微妙な色のグラデーション、そしてそれが一刻一刻変化しながら沈む夕日。

濃紺の空にキリリと輝く夜空の星々・・・

人類最高のテノール歌手だって、オーケストラだって、ピカソだって、かなわないと思っていた。 ピラミッドもサクラダファミリアもかなわないと思っていた。 しかも、自然はタダで誰にでも気前よくみせてくれる。 本当に自然は素晴らしいと思っていた。

        

だいぶ前の話になるが、宇宙飛行士の若田さんが、国際宇宙ステーションからみた地球の様子をテレビで語っておられた。 

「青い海やジャングルの緑、砂漠地帯などの自然。 そして夜になると莫大な電気がきらめいている・・・・自然と人工、どちらも美しかった。」 と・・・

若田さんが感じたことは、いわゆる真理だろうな~と思った。 

自然は確かに素晴らしい。 

しかし、人の営みがある以上、生活を向上させることも道理である。 ”どちらが素晴らしいか” ではなくて、 ”どちらもがもっと素晴らしくなるように” というのが今の私の立ち位置です。


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あげたて厚揚げ

2012年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

北陸福井の名物料理の一つに ”厚揚げ” がある。

浄土真宗の門徒たちの報恩講という行事の際の料理だったものが庶民に広まった。 あげたての厚揚げを口に頬張ると、油の香りと厚揚げの触感とジューシーさがあいまって、とてもおいしい、らしい(福井でたべてみたい!)

先日、NHKのためしてがってんで放映していた。 

福井の厚揚げのおいしさを何とか家庭で再現できないかと努力する番組スタッフ。 しかし、別な視点からの答えもあったんですね。 それは、「あなたのおうちの近くの豆腐屋さんで揚げたて厚揚げを作ってもらう」 という方法。

パラダイムシフト!  NHKスタッフさん、すご~い!

電話アンケートをした結果、やってみたいという豆腐屋さんが多かったとのこと。 福井でみられたような、お昼時や夕方に、あげたて厚揚げを求めて豆腐屋さんに行列ができる現象が、全国レベルでみられたらいいなあ~。

地方の小規模豆腐屋さんの活性化にもつながるし、福井の豆腐屋さんはもっともっと有名になると思う。

あげたて厚揚げ・・・・

地方の小規模小売店にとっての、第二、第三の、あげたて厚揚げが、きっとあると思う。


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不思議に思うこと

2012年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

個人レベルでは殺人はいけないのに、国の戦争になったら人を殺して勲章までもらえるのはどうしてだろう。

個人レベルでは法律というルールを遵守しているのに、国のレベルではルール自体が突然変更されるのはどうしてだろう。 強い国に有利なルール変更ってあるよね。

個人レベルではお付き合いは誠意をもってやっているのに、国のレベルでは国益のためならば ’何でもアリ’ になるのはどうしてだろう。 

その瞬間には国益かもしれないけれども、長い目でみたら違うってこともあるのにね。 

・・・・な~んてことを考えています。  


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時代が変わるとき

2012年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

『フラガール』というタイトルの映画ありましたよね。

昭和40年、閉鎖に追い込まれた福島県いわき市の常磐炭鉱を舞台とする、町おこしの物語ですね。炭鉱からハワイアン施設という発想の転換と、それを実現する行動力は素晴らしい限りです。

この映画のなかで印象深く思い出すシーンがあります。

「フラダンスなんて」と反対されるなかを必死に練習する蒼井優さん演じるフラガール、その練習風景をじい~っとみていたお母さん役の富司純子さんの一言。

・・・炭鉱で真っ黒に汚れて働くことしか考えられなかった。 でもこの子たちのように、好きなことをして人に喜んでもらって、そしてお金をもらえる時代になったのかもしれない・・・

パラダイムシフト! 

それに気づくお母さんの感性ってすばらしいなあ、と思いませんか?

        

そして、今。

このところ、私たちは時代の分岐点にいるのではなか、という感じがヒシヒシとするのです。

道はいくつもに分かれていて、どの道を選ぶも自由。

・・・な~んてね、私の勘違いだったらごめんね!


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社会を考える(2)

2012年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

希望をもってがむしゃらに働いて、戦後の日本を経済大国にしてくれた戦後世代。 働いても働いても、経済的にも気持ち的にも楽になれず、でも とりあえず働いている現役世代。 そして、そんな親たちを横目でみながら、労働よりも自分の趣味に重きをおく現役準備世代。

時代のうつりかわりを感じる。

現役準備世代は、仕事そのものに、意味を見出せなくなっているのかもしれないね。

あなたの仕事は人の役にたっていますか?  厳密に 厳密に 突き詰めて考えてみてください。 

例えばお医者さん。

外科手術など、やってもらってありがたいと思う処置は、確かにたくさんある。 けれども、ここまでする必要はあるのだろうか(患者が、もし、あなたのお母さんでも同じように処置しますか?)というような処置もたくさんあるのではないか?

以前、愛犬が、おなかの皮を切ってしまい筋肉のようなものまでが見えていたので 獣医さんに診てもらったことがある。 そのとき 「このままほっといても、処置をしても、治る期間は同じ。 処置をしたら、毎日消毒のため連れてきてもらいますが、どうしますか?」 といわれた。 商売っ気のない正直な獣医さんに感謝しつつも、前者を選び、その後、愛犬は元気になった。 

人間も同じではないだろうか。

お医者さんは、しなくても良い治療を、しない方が良い治療をやっていないだろうか。 私は父を病院で亡くしたときにそう確信した。

けれども、今の経済は、その余分の治療で、成り立っているのも現実だ。

だから、その余分の部分を拡大する必要がある。

ちょっと前は、”ワクチン”、今は、”認知証” のようにね。

        

・・・それが良い、悪い、ではない。 

言いたいのは、実際に、そのような社会になっていますよね? 

若い世代は、それに婉曲にノーサンキューをしているのではありませんか?

ということ。


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