退蔵院拝観の後、もう一つの拝観場所である壽聖院さんへ移動。
私的にはこちらがメイン。

さて、壽聖院さんは石田三成一族の菩提所で、三成が父の正継のために建てた(正継自身が建てたという説もあるとか)お寺で、三成の長男はこちらのお寺の3代目の住職を務めたのだそうです(ご住職のお話では104歳まで生きられたとか)。
創建当時は現在の敷地の3、4倍はある大きなお寺でしたが、関ヶ原の戦いの後、縮小されて現在に至っていますが、現在の妙心寺の北門と天祥院さんの門は壽聖院の門だったとの事で当時に広さを感じる事ができます。
本堂として使用されている建物は当時の書院の建物で三成一族の肖像画のレプリカが飾られていました。
正継像は重文に指定されている事した。

書院の南側のお庭は狩野永徳の手によるお庭だそうです。

こちらの墓地には三成一族のお墓があり、今回、お参りさせていただきました。
三成のお墓には遺髪が収められているとのご説明でした。

私的にはこちらがメイン。




さて、壽聖院さんは石田三成一族の菩提所で、三成が父の正継のために建てた(正継自身が建てたという説もあるとか)お寺で、三成の長男はこちらのお寺の3代目の住職を務めたのだそうです(ご住職のお話では104歳まで生きられたとか)。
創建当時は現在の敷地の3、4倍はある大きなお寺でしたが、関ヶ原の戦いの後、縮小されて現在に至っていますが、現在の妙心寺の北門と天祥院さんの門は壽聖院の門だったとの事で当時に広さを感じる事ができます。
本堂として使用されている建物は当時の書院の建物で三成一族の肖像画のレプリカが飾られていました。
正継像は重文に指定されている事した。

書院の南側のお庭は狩野永徳の手によるお庭だそうです。

こちらの墓地には三成一族のお墓があり、今回、お参りさせていただきました。
三成のお墓には遺髪が収められているとのご説明でした。