川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

最も偉大な者は

2024年12月16日 | 人生
最も偉大な者とは?

アメリカの本居宣長みたいな、宗教家・詩人のラルフ・エマソンが、

最も偉大な天才は、最も恩義を感じている者である
The greatest genius is the most indebted man.

と言った。出典は、『Self-reliance(自己信頼)』って本かな? 私のKindle版の、Shakespeare(シェークスピア)って項にある言葉。

 
2年前くらいからこの言葉が好きになった。

最も偉大な人間は、最も恩義を感じている。最も他者のお陰を被っている。

これを、私は、「より多く、古典から学べば、偉大な人間になれる」って解釈してきた。
後天的な努力を促す文脈で。

今日、別の解釈を、ひらめいた。

最も「恵まれている」って思う者が、最も立派である。
「恵まれている」って感謝している人は、most indebted である。
恩義を感じている。

父母の恩。我が師の恩。環境に対する恩。母校に対する恩。先輩に対する恩。上司に対する恩。地域に対する恩。祖国に対する恩。

そういう「恩」「恩義」を強く感じれば感じるほど、それを還元したいと思い、利他的になり、行動的になる。

恵まれて、恩義を感じるからこそ、主体的に、積極的に、社会貢献できる。

たとえば。

私は23歳のときに、飲酒運転をして死にかけた。顔面が崩壊した。
同じ日に、私の英語塾の教え子の女性が、青信号を渡って、撥ねられて亡くなった。

運命を感じた。宿命を感じた。恩義を感じた。

生に対する恩義。生きていることへの恩。生かされているんだという思い。
造物主に対する敬虔さ。

27年前の、あの事故から、私は、indebted 。恩義を感じている。この生に。

それが私の活力につながっている。生かされたんだから、頑張んなきゃ。

____________

だから分かる。

エマソンが言う The greatest genius is the most indebted man の意味するところが。

恵まれて恩義を強く感じる者が、立派になる。
逆に、この生に恩義を感じていない者、生に感謝しない者は、自己中心的、利己的になる。

自分は恵まれているんだ。

その思いを強く持つ者が、利他的になれる。

____________

これからも、誰よりも、most indebted であり続けたい。

「生かされている」という感謝と恩義の念を忘れずにいたい。 

 参考:こちら(この言葉に出逢った文献)

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イチローと松井秀喜と中田英寿

2024年12月16日 | 人物
イチローと松井秀喜と中田英寿。

一世を風靡した名選手の、引退後の歩みを比較したい。

中田英寿は2006年引退。もう18年前。
松井秀喜は2012年引退。12年前。
イチローは2019年引退。5年前。

中田英寿は、何をしているのだろう。日本酒を世界に広めている。それしか知らない。今でもランニングしたりして、引き締まった顔をしているのは立派。

松井秀喜は、NYヤンキースで仕事をしている。後輩の育成。子ども2人の子育てにも勤しんでいるのだろう。

イチローは、相変わらず、ストイックな生活を続け、ほとんどバリバリの現役選手並に身体を絞って、古巣マリナーズのために粉骨砕身している。
____________

だれが一番美しいか。

ダントツで、イチローである。

身を削って、社会貢献しよう、という意欲が感じられる。

一方、松井や中田英寿には感じられない。
おそらく、彼らなりに、頑張っているんでしょうが、その「懸命さ」は、全く見えない。

____________

だれが一番「恩返し」をしているか。

これも、イチローだろう。

イチローが、古巣マリナーズ・大リーグのために日々奮闘しているほかに、高校野球とか、女子野球とかの、日本野球に、大きく貢献している。地元愛知で「イチロー杯」を立ち上げて少年野球支援もしている。

松井は、星稜高校、石川県、巨人軍、そして日本野球に、どれくらいの恩返しをしたのだろうか。全く見えてこない。

彼の父親は宗教家だから、松井も、「寄付は人に見せない」という美学を持っている可能性もある。「恩返しは名を出さずに」という陰徳を積んでいる可能性もある。

でも、それが見えてこないだけに、「恩知らず」と思っている方も多い。私も含めて。

中田英寿が、Jリーグその他日本のサッカー界に、どれだけの恩返しをしたかは、聞こえてこない。

____________

総じて、引退しても、懸命に「戦って」いるのは、ダントツでイチローである。

いや、別に「戦わなくても」いいんじゃね。

多くの方はそうお思いでしょう。

否。

恵まれた者は戦わなければならない。

恵まれた者は、何かと戦わなければならない。

なぜか。

何かと戦うことができるほど、恵まれた人は、少ない。
メチャ少ない。

100人とか1000人に1人とか?
残り99人とかは、言葉は悪いが、あえてキツめに言えば、日々の生活に汲々とし、地位の保全に汲々とし、家庭人としてのメンツを保つのに汲々としている。

能力的にも、時間的にも、金銭的にも、余裕がない。
戦う余裕がない。自分のことで精一杯。自分の家族のことで精一杯。

戦える者は、限られている。
能力と、時間と、経済的基盤に恵まれ、戦うことができる。

もう、100人に1人とか、1000人に1人。

そういう恵まれた者は、戦わなければならない。
旧弊と。既得権益と。世の不条理と。

恵まれた者が戦ってきたからこそ、文化と文明が発展してきた。
戦える余裕がある者が戦ってきたからこそ、今の我々がある。

そういう、先哲・先人たちの歩みに思いを致せば、恩を感じていれば、戦う余裕がある者には、戦う義務がある。

これが、ノブレス・オブリージュ。高貴なる者の義務。

この高貴なる者の義務を最も果たしているのは、イチローである。

億単位の資産を有する、松井秀喜と中田英寿氏の、今後の健闘に期待します。
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この秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめの田草とるなり 

2024年12月16日 | 唄・詩・都々逸
この秋は雨か嵐か知らねども
 今日のつとめの田草とるなり 

二宮尊徳

____________

いい歌。

アドラー心理学の師匠・岩井俊憲さんのブログ こちら で発見。

何度か見たことはあったけど、覚えていなかった。
これは暗唱するに値する和歌。

意味的には、「事の成敗に超然たれ」という渋沢栄一が『論語と算盤』で説いていたことに似てますね。

未来のことばかり考えすぎるな。
もちろん、過去のことばかり考えすぎるな。

今やることをきちんとやれ。
Seize the day.

きちんとやるどころか、精一杯やれ。

かりそめにもやるに値することは、
きちんとやるに値する。
Anything worth doing is worth doing well.
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拙著『笑って死ねる人生論』にいい書評をいただきました。

2024年12月16日 | 自己紹介
先日刊行した人生論に、早速いい書評をいただきました。

~~~以下引用~~~

この本を読んで著者の中山達樹弁護士について感じたのは、
① 一人で日本を変える情熱を持つ国際弁護士、
② 人と同じことをしたがらない個性派ということである。

◆  白いスーツ、白い靴ー日本の同調圧力と闘っている。留学はシンガポール、人は米英に行くが…。野球も頑張り、勉強も頑張る二刀流ー東大法学部現役合格。

◆ 現在、50歳になってからも毎朝3時起き、5時に職場に着き仕事するほどの仕事師。ランニングとスポーツジム通いも続けている。妻と子供に毛筆で毎朝置き手紙するやさしさがある。

◆ 一年間に500冊の読書量、読んだ本のエキスを毎日ブログで発信、とても興味深い内容が多い。

◆ 知行合一の実践派。世の中を変える前に自分を変える。人を幸せにすることが自分の幸せ。インテグリティの伝道師、出版と同時に、日経新聞に全五段広告を出したそうだ。

◆ 誰が見ていなくてもゴミを見つけたら拾う、頼まれたら断らない、リスクを負う、逃げない。それだけではなく、ユーモアを忘れない。自分のことを曝け出して失敗談もあっさり披露する。とても親しみを持てる人である。

イチローや大谷翔平の本を初めて見つけた時の感動と同じ感動、いやそれ以上のときめきを感じている。自己変革にチャレンジしたい人にチョーお勧めの一冊です。

~~~以下引用~~~

この書評に恥じぬ人生を、まずはそういう一日を、送ります。感謝。

 
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非無点 無点に非ず  ー柳原白蓮

2024年12月16日 | 言葉
柳原白蓮は、歌人。えらい別嬪で、大正の日本三大美人の1人。
 
 こちら(別嬪さん画像)

その白蓮の、芸術に対する考え方を、「非無点」という。「無点に非ず」と読む。

昼の空。

星は見えない。

でも、星がないわけではない。

星はあるけど、明るいから、見えない。

こちらが明るいと、暗がりは、見えない。

こちらが上機嫌で幸せでブイブイいっていると、辛い境遇の人の暗い陰翳は、見えない。

幸せな人には、人生の奥深さは、分からない。

ゲーテが言った有名な「涙とともにパンを齧った者でなければ、人生の味は分からない」

正確には以下らしい。

「悲しみの涙もてパンを食せしことなく、泣きぬれつつ目覚めて夜を明かせしことなき者は、末だ天の力に与るを得ず」
 
 
だいぶ違うけど、この正確な、ロングバージョンの方が、100倍くらい、味わい深い。雅な風韻があるというか。余韻がある。

____________

昼の空に、星は見えないけど、星はないわけではない。

無点にあらず。

無点ってのは、星が無いこと。

見えないからと言って、星がないわけではない。

環境によって、見えていないだけ。

心眼を凝らして見れば、見えないものも、見える。

パッと見て見えないからといって、自分に見えていないからといって、安々と「ない」と断じてはならない。

声なき声に耳を傾けよ。

声なき衆生に心を寄せよ。

声なき草木の悲哀を知れ。

それが「非無点」。無点に非ず。

ーーーーーー 

あの歌に似ていますね。

君看よや双眼の色
語らざれば憂いなきに似たり

白隠禅師
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百折不撓 孫文

2024年12月16日 | 言葉
百折不撓。ひゃくせつふとう。

百回、挫折しても、撓(たわ)まない。くじけない。負けない。不撓不屈。

孫文の革命精神を表す。

孫文から又聞きのそのまた又聞きみたいにして、若き頃の執行草舟さんが聞き及んでいた。

 
私も、百折不撓、何事にも撓まず、くじけず、頑張ります。
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『マンガ 孔子・老荘の思想』 野末陳平

2024年12月16日 | 古典・漢籍
高校生時代に、私を漢籍の世界にいざなった本。

私の自宅の書庫から取り出して来ました。1989年とか1993年の本。

高校時代の漢文の授業で、(相良晴彦という名物の)先生が、このマンガの数頁を、たしかコピーして配っていた(はず)。

 
 
この絵が、とっても洒脱で、美しくって、この本を買った。

これが、私が、古典・漢籍の世界に入るのに、いい入門になった。

ずっと取ってあって、蔵書にしている。30年ぶりに、掘り出してきて、息子たちに示そうかなと。

マンガだから、中学生の長男には、もう読めるのでは。
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【日本語字幕】松岡洋右 国際連盟脱退演説 "我が代表堂々退場す" - Yosuke Matsuoka Speech "Good Bye! League of Nations!"

2024年12月16日 | 歴史
1933年、松岡洋右。

帰国して大喝采を受けた。

世論が間違っていた例。

「アメション」松岡洋右の、実力。

歴史に淘汰された。

【日本語字幕】松岡洋右 国際連盟脱退演説 "我が代表堂々退場す" - Yosuke Matsuoka Speech "Good Bye! League of Nations!"
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松岡洋右は「アメション」だった

2024年12月16日 | 人物
「アメション」とは、「アメリカに行ってションベンしてきた人」を揶揄する言葉。清水克衛さんが使う。

アメリカに行っても、ほんとうに西洋とかアメリカとかキリスト教とかを学んできたのではなく、テキトーに遊んで、ちょっと英語が上手になって、エラソーにしている人々を、侮蔑的に、「アメション」と言うらしい。

ま、「出羽守」と同じですね。アメリカでは、、、、 イギリスでは、、 と「では」を連発する人。要するに自分がない人。

日本と日本文化に対する理解が浅く、とりあえず、とにかく、取ってつけたように、アメリカの文物を輸入する人。

____________

この「アメション」の典型人って、松岡洋右では。

松岡洋右は、思春期をアメリカで過ごした。高校・大学を。だからもっのすごく、英語が上手だった。当時の日本人の会話力からしたら、もう図抜けていた。ダントツで、どえらく、独壇場で、上手だった。ペラペラだった。

だから何だ。

その「英語上手」の松岡洋右が、日本に何をもたらしたか。

日本を幸せにしたのか。日本の役に立ったのか。

松岡洋右のハイライトは、リットン調査団とか満州建国(1931年)とかの後に、国際連盟を「颯爽と」脱退した、有名な、あのシーン。1933年。

 こちら(松岡洋右の大演説)

帰国して、大喝采を受けた。

しかし。

その熱狂が、1936年の日独伊三国同盟につながり、大東亜戦争の敗北につながった。

____________

そんな松岡洋右が出世したのは、抜群の英語力。

20~30年ほど前に読んだ本からの記憶で、ウラは取れませんが、松岡洋右は、アメリカ留学時代の思春期に、アメリカ人の友人と、「マス掻き競争」をしていた。

一緒にマスターベーションをして、どちらが遠くに射精した精子を飛ばすか、って競争。

そんな競争が成り立つのか意味不明ですが、インパクト強烈なので、忘れられない。

多少の脚色があるかもですが、松岡洋右は、こういう、「アメリカ人とマス掻き競争をした」ことが自慢の種だった。これは間違いない。

そんな松岡洋右は、結果論ですが、「アメション」に過ぎなかった。「ションベン」ではなく「マスターベーション」だから、アメションならぬ「アメマス」ですかね、、、


 
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日本脱カルト協会理事・鈴木エイト氏への公開質問

2024年12月16日 | 宗教
鈴木エイト氏は、「日本脱カルト協会」の理事にご就任されている。


この協会では、「カルト」の特徴を

 1️⃣私生活剥奪
 2️⃣集団活動に埋没させる
 3️⃣(メンバーからの批判はもちろんのこと )外部からの批判封鎖
 4️⃣組織やリーダーへ絶対服従を強いる

と掲げている。


この4つのいずれかに家庭連合が当てはまるのだろうか?

つまり、

1 今の家庭連合で、信仰活動を行うため、「私生活が剥奪」されている人がいるのだろうか?

2 今の家庭連合で、信仰活動を行うにあたり、「集団活動に埋没させられている」人がいるのだろうか?

3 今の家庭連合は、情報統制とかをして、「メンバーとか、外部からの批判を封鎖」しているんだろうか?

4 今の家庭連合は、「組織やリーダーへの絶対服従を強いている」のだろうか?

いずれも「否」では、、、

そのため、家庭連合を「カルト」呼ばわりすることはできないのではなかろうか?

鈴木エイト氏は、「日本脱カルト協会」の理事として、この問いに、真摯に対応していただきたい。

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大喜多紀明氏論文『カルトという蔑称と反カルトに内在するカルト性』から抜粋

2024年12月16日 | メディア/SNS
立派な論文『カルトという蔑称と反カルトに内在するカルト性』大喜多紀明 
こちら から、いくつか(多少読みやすく改定して)抜粋:

◆ カルトとは、あくまでも当該宗教団体を批判する立場によって使用されるものであり、価値中立的な概念であるとはいえない

◆ 櫻井義秀は、「要するに、カルト概念は社会問題を惹起する宗教というレッテル貼りである」と述べた。
 (2007『現代宗教』所収 「『カルト』対策としての宗教リテラシー教育」) 

◆ マインド・コントロールによる入信を、法廷(裁判、判例)は認めていない。

◆ 櫻井(義秀氏)が顧問を務める日本脱カルト協会は、「カルト」をどう定義しているかというと、、、 こちら

  Q1 カルトとはどういう団体なのですか? 

  カルトは人権侵害の組織です。(中略)
  ①各メンバーの私生活を剥奪して、
  ②集団活動に埋没させる。そして、
  ③メンバーからの批判はもちろんのこと外部からの批判も封鎖し、
  ④組織やリーダーへの絶対服従を強いる

  といった特徴がみられます。

◆ 櫻井義秀(1996)は、マインド・コントロールと言う行為自体が、「現代社会の一般的な行為と倫理的に異ならない」ものであり、「「カルト宗教への強いられた入信」を証明するために作られた」、つまり恣意的な言説であることを述べた。

◆ 宗教団体には多少なりとも全体主義的な傾向を内在する蓋然性がある

◆ 櫻井義秀(2009)は、次のように述べた。

   「カルトを宗教から分けるものが何であるかを明らかにしてこそ、カルト問題を解明する学術的な貢献になる。」
  
 …櫻井さんは結局「カルトを宗教から分けるもの」を明らかにしていないのでは、、、 だとすると、学術的な貢献をしていないのでは、、、

◆ 石津
  宗教は、死への恐怖を埋める装置である。

◆ カルトはマスメディア由来の蔑称にすぎない。 
  カルト研究の課題は、カルト概念に内在する恣意性にある。
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家庭連合解散命令請求裁判に提出した、私の陳述書(6)

2024年12月16日 | 法律・海外法務
歴史的な勇気を

A half truth is a whole lie.(半分のみの真実は真っ赤な嘘)という言葉があります。

裁判所におかれましては、家庭連合側の意見も平等かつ公平にご理解していただきたいです。

国が原告となった本裁判で、請求が認められない判決を書くのはとても勇気がいることと推察申し上げます。

政治家は「歴史法廷の被告」に立つと中曽根康弘元首相は言いました。本裁判の裁判官も、同様に歴史的な役割を担っていらっしゃいます。

是非とも、歴史的で、国際的な見地に立ち、真の「裁判官の独立」を実現され、「良心に従って」現実を直視する勇気を持っていただきたいです。

以上

(陳述書抜粋は、(1)~(6)で終わり)
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家庭連合解散命令請求裁判に提出した、私の陳述書(5)

2024年12月16日 | 法律・海外法務
解散命令  -解散が「必要でやむを得ない」とはいえない

家庭連合の解散は本当に「必要でやむを得ない」(オウム真理教最高裁、過料事件地裁判決14頁)のでしょうか。

私は以下の5点から、「必要でやむを得ない」とまでは思いません。

なお、解散要件の「著しく公共の福祉に反することが明らかな行為をした」は、要するに「解散に値するほど治安を害した」と解釈できます。

1️⃣ 他の宗教との対比

法友之会は、1990(平成2)年に教祖ら7名が懺悔させると称して信者を溺死させました。

顕正会は、1999(平成11)年から25年で12件の刑事犯(殺人事件を含む)を犯しています。

他に、家庭連合以上に治安を害した宗教はとても多いです。別紙(こちら)でお示しします。

一方、家庭連合は60年で刑事犯はゼロ件です。

不法行為責任はありますが、これはみな霊感弁連による「信仰辞めた、金返せ」訴訟です。

信仰している間は何も言わないのに(実際、この60年で詐欺・強迫取消しは1件もありません)、脱会して数年経って「献金を返せ」というのは虫が良すぎます。

こういう「背教者=裏切り者」との脱会後のトラブルが、解散に値するほど治安を害した事案でしょうか。

トラブルは全て、脱会して霊感弁連と会った後に「発生」するのです。なお、背教者は極少数で、信者になった人の2,000人に1人くらいです。

さらに、多くの事案で不法行為の消滅時効3年が経過していたのに、裁判例では「霊感弁連に会ってマインド・コントロールされていた(=自由な意思決定を阻害されていた)と指摘されるまでは損害と加害者を知らなかった」と認定され、消滅時効が適用されなかったようです。

強引すぎる認定です。

そもそも「マインド・コントロール」という概念は、欧米では「エセ科学」として裁判所で否定されています。

櫻井義秀教授も指摘していたとおり、責任転嫁の詭弁にすぎません。

オウム真理教の解散時、麻原彰晃や殺人実行犯という「悪人」の顔がイメージできました。今、日本の家庭連合で、誰か「悪人」の顔がイメージできますでしょうか。

「悪人なき解散」となるとすれば、空前にして絶後となるでしょう。

2️⃣ 正体隠し(未証し勧誘)

家庭連合の未証し勧誘が攻撃されています。

裁判例の基準を分かりやすく言うと「帰依するかの決断前に、教義の概要を説明すればいい」のです(平成26年3月24日札幌地裁判決)。

この基準を満たすのは容易なので、最近の裁判例では、家庭連合が霊感弁連に多く勝訴しています(令和になってから4勝2敗)。

全ての宗教で伝道時に「◯◯教です、こんにちは!」と挨拶するわけではありません。

相手の状況に応じて柔軟な伝道をすることが、キリスト教ではパウロ的伝道やカメレオン的伝道と言われて推奨されています(コリント人への第一の手紙 9章19~27節)。

実際、国連の信教の自由特別報告者ハイナー・ビーレフェルト氏も、2012年4月、「強制以外の方法であれば伝道方法は各宗教の自由に委ねられており、強制以外の方法による伝道を違法とするのは国際人権規約18条3項に違反する」という意見を国連に提出しています。

国際法的には、未証し勧誘は違法ではないのです。

最近出版された魚谷俊輔『反証 統一教会』では、未証し勧誘にも拉致監禁を防ぐための必要性と合理性があったと書かれていました。

つまり、「かつては拉致監禁が猖獗を極めており、拉致されぬために偽名を使う信者も多かった。いきなり『統一教会だ』と明かすと、伝道者側が身バレして拉致監禁されるおそれが高かった。その拉致監禁を避けるべく、いきなり統一教会と明かさず、信頼関係が構築されてから明かすという防御戦略だった」そうです。

3️⃣ 拉致監禁

家庭連合信者の拉致監禁が解散請求の一因になっています。

解散請求をすると文科省が宣言した2年前、22件の民事裁判を根拠にしていました。その原告の55.4%は拉致監禁被害者です。

ちょうど符合するように、文科省が解散命令請求の根拠として出している陳述書233通の55.8%は、拉致監禁被害者が書いたものです。

かように、監禁されて信仰を奪われ、「家庭連合を訴えないと監禁を続けるぞ」と脅されて「ヤラセ裁判」をさせられた被害者はとても多いです(小出浩久医師『人さらいからの脱出』)。

こういう「作られた背教者」が虚心坦懐に公正な書面を書けるとは思えません。

「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」という憲法37条2項が示すとおり、長期の身体的拘束は人の認知を歪めるからです。

例えば、多くの文科省提出の陳述書には「地獄に堕ちる」と言われたから…と他責的に書かれています。

しかし、大の大人が、「地獄に堕ちる」と言われたからといって、長年にわたりその意思に反して献金するものでしょうか。

なお、この拉致監禁は文科省書面が表現する単なる「監視」ではありません。後藤徹裁判の高裁判決も「監禁」という言葉を使用しました(同判決14頁)。

4️⃣ 「被害」はあるのか

霊感弁連は「被害者救済」を声高に叫ぶものの、今、家庭連合の献金の「真の被害者」がどれだけいるか、疑問に思っています。

全国統一教会被害対策弁護団(トップに元日弁連会長を据えただけで、実質は霊感弁連)は、194人による57億円の「被害」を主張して東京地裁での「集団交渉」の「調停」を申し立てています。

しかし、「いつ、いくらの被害に遭った」という献金被害の証拠は一つも出していません。

「被害」の3分の2は、20年の除斥期間を経過したり、第三者の権利だったりする無理筋です。

弁護士350人超を誇るこの弁護団は、弁護団結成(令和4年11月24日)から2年も経過したのに、証拠を一つも出さないのはおかしいです。

裁判になったら負けることを見越して、調停・集団交渉により時間稼ぎをして敗訴判決を免れ、仮に家庭連合が解散になった場合に残余財産からの回収を目論むという遅延戦略なのだと思います。

令和4年12月に「被害者」救済新法(不当寄付勧誘防止法)が制定されたものの、施行後1年以上経っても適用実績はゼロです。

この新法は、被害実態を精査して立法事実を吟味した上で定めたというよりは、世論に押された与党が「仕事をしたという国民へのアピール」のために性急に制定した感が強いです。

よしんば献金の「被害」があったとしても、それと解散命令とは別次元の話です。

これは、解散命令請求を出さない文科省に霊感弁連が国賠請求をした事案で、東京地裁が「(解散命令等の規制は)個々の取引関係者が被る具体的な損害の防止、救済を制度の直接的な目的としたものとはにわかに解し難く、かかる損害の救済は一般の不法行為規範等に委ねられている」と判示したとおりです(平成29年2月6日判決)。

「被害」救済すなわち献金の返還のためには、解散をさせない方がむしろ安全とも言えます。

実際、霊感弁連の紀藤正樹弁護士は、オウム真理教の解散には反対していました(週刊現代平成7年7月1日号)。

5️⃣ 家庭連合の活動

たしかに、20~30年ほど前までは、「カリスマ的教祖(文鮮明、平成24年死亡)を喜ばせたい」という気持ちで、信者が競うように献金をした・募ったことはあったようです。

宗教団体特有の強い同調圧力が働いていたのでしょう。規模の割には地上天国という理想の実現を焦りすぎたことが、社会との軋轢を生じせてしまった原因の一つと言えそうです。

しかし、昔の行きすぎを理由に今になって法人格を失わせるべきとは思えません。

「24時間戦えますか」の時代の働きすぎを理由に、今、処罰に値するとは思えません。

オウム真理教は設立後11年でサリン事件を犯し、当時の日本の信者が1万人程度でした。

一方、家庭連合は韓国で設立後70年、世界195か国に広まり、日本だけでも活発な信者が10万人(=国民の1,000人に1人)程度います。

「少数を長く騙せる。多数を短期間騙せる。でも多数を長期間騙すことはできない」というリンカンの言葉があります。

家庭連合の歴史や地理的な広がりだけから見ても、家庭連合にはそれなりの信頼性があるはずです。

私は今年6月、フランスに赴いてCESNUR(新宗教研究センター)という国際会議に出席しました。そこでも家庭連合の教義と活動は国際的にも高い評価を得ていました。

サントメ・プリンシペという大西洋の小国では、国を挙げて家庭連合の教義を応援しています。

____________

私は今、毎週のように地方に赴き、家庭連合信者の方々に現状を説明するシンポジウムに出ています。

そこで私が多くの信者に接した限りでも、「この人たちが属する宗教団体を解散させた方がいいのではないか」と不安に思わせる信者は一人もいません。

____________

この解散裁判では、200人強の背教者が「解散せよ」という意見を書いています。

しかし、それに反対し、普通の生活を送っている信者はその500倍の約10万人います。

500分の1の人の意見を聴いて、残り499人の貴重な信仰基盤を奪うようなことにならないかを危惧しています。

私が各地で接する限り、半数以上の信者が信仰を「命よりも大事」と考えているようです。

6️⃣ まとめ  -「必要でやむを得ない」とはいえない  

以上5点のとおり、家庭連合は解散に値するほど治安を害したとは言えず、解散が「必要でやむを得ない」とは言えません。

そもそも宗教法人法では、行政指導や警告(会社法824条)などのより制限的でない手段(LRA、Less Restrictive Alternative。質問権はこの制限的手段とはいえません)がなく、いきなり「解散」という最も制限的な手段(Most Restrictive Alternative)しか用意されていません。

これは法の不備と思います。

そうであるからこそ、「人権の最後の砦」たる裁判所には、信教の自由の見地から、10万人の信仰基盤を失わしめる解散が本当に「必要でやむを得ない」のかを、慎重かつ厳格に判断していただきたいです。

 

 続き(陳述書(6))
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家庭連合解散命令請求裁判に提出した、私の陳述書(4)

2024年12月16日 | 法律・海外法務
 民法は「法令」に含まれない

解散原因の「法令に違反」(宗教法人法81条)については、主に以下3つの理由から、民法の不法行為事例は「法令に違反」とはいえないと思います。

1️⃣ 国際法・国際常識

パトリシア・デュバル仏弁護士が国連に意見書を出しているとおり、抽象的な「法令」「公共の福祉」違反を解散原因とすることは、国際人権規約18条3項に違反します。

諸外国の宗教法人の解散でも、不法行為が原因となるところはありません。

宗教史を紐解いても、政府の恣意的制裁を避けるべく、宗教への制限に予測可能性を担保することは重要です。

「法令」という広い文言だから常に民法も含むわけではありません。

例えば最高裁平成12年7月7日判決は、旧商法266条1項5号(現行会社法423条)の「法令」を「会社を名宛人とし、会社が業務を行うに際して遵守すべき規定」等に限定解釈しています。

2️⃣ 民法709条に「違反」していない

民法が日本で制定されてから128年経ち、法曹が何万人もいましたが、不法行為責任を負う者を「709条に違反する」と表現する法曹は一人もいなかったはずです。

実際、何万件の判例を検索しても、不法行為に基づく損害賠償を709条「違反」の賠償と表現する法曹は見当たりません。

我々法曹は709条に「基づく」賠償請求をしてきたのであり、709条「違反」の賠償請求なんか誰もしません。

709条に基づく賠償義務を果した家庭連合に「違反」はありません。

法曹が128年間も守り続けてきた伝統と表現を、今回の解散命令請求の裁判所が変えるのでしょうか。

3️⃣ オウム高裁は事例判例ではない

家庭連合田中会長に対する過料裁判の地裁判決は、「刑法等の禁止規範…」と判示した平成7年オウム事件高裁判決を、事例判例だとして排斥しています。

これにはびっくりしました。

日本に法曹は5万人いますが、このオウム高裁判例を読んで「事例判例」だと思う法曹は一人もいないはずです。

司法試験に受かった私の事務所のパラリーガルも「これは事例判例とは言えません」とはっきり言っていました。

  
 続き(陳述書(5))
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家庭連合解散命令請求裁判に提出した、私の陳述書(3)

2024年12月16日 | 法律・海外法務
 政府・メディアの頼りなさ

令和4年10月、家庭連合への質問権行使が問題になっている際、当時の岸田首相が一夜で「民法も解散要件の『法令』に含まれる」と解釈変更をしました。

海外に英語で日本の状況を伝える役割を担っていた私は、日本人として「首相の一夜の解釈変更」にはとても恥ずかしい思いをしました。

この岸田首相答弁は、「組織性、悪質性、継続性などが明らかであり、宗教法人法の要件に該当する場合、御指摘の民法の不法行為、これも入り得る。」です(国会議事録)。

これはトートロジーに陥っています。

「法令」に民法が含まれるかという「宗教法人法の要件」の話をしているのに、「要件に該当するなら民法も含まれる」というのは意味不明です。

組織性等の3要件もそもそも宗教法人法の要件ではありません。

要するに、岸田首相は何も分からずに発言していたのでしょう。小西洋之議員に「統一教会の守護神」呼ばわりされるのが怖かったようです。

この歴史に残るトートロジーをメディアでは誰も指摘していないのにはびっくりします。

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また、「宗教二世」が喧しく論じられましたが、家庭連合では親子の伝道率が約2割ですから、8割の二世は信者にすらなりません。宗教二世問題は要するに家庭問題と言えそうです。

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最近は、立憲民主党の野田佳彦党首を家庭連合が応援歌まで作って応援したことが明らかになったものの、どのマスメディアも報じません。

与党と家庭連合との関係のみを「ズブズブ」と批判し、野党との関係については知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいます。

 
 続き(陳述書(4))
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