解散命令 -解散が「必要でやむを得ない」とはいえない
家庭連合の解散は本当に「必要でやむを得ない」(オウム真理教最高裁、過料事件地裁判決14頁)のでしょうか。
私は以下の5点から、「必要でやむを得ない」とまでは思いません。
なお、解散要件の「著しく公共の福祉に反することが明らかな行為をした」は、要するに「解散に値するほど治安を害した」と解釈できます。
1️⃣ 他の宗教との対比
法友之会は、1990(平成2)年に教祖ら7名が懺悔させると称して信者を溺死させました。
顕正会は、1999(平成11)年から25年で12件の刑事犯(殺人事件を含む)を犯しています。
他に、家庭連合以上に治安を害した宗教はとても多いです。別紙(
こちら)でお示しします。
一方、家庭連合は60年で刑事犯はゼロ件です。
不法行為責任はありますが、これはみな霊感弁連による「信仰辞めた、金返せ」訴訟です。
信仰している間は何も言わないのに(実際、この60年で詐欺・強迫取消しは1件もありません)、脱会して数年経って「献金を返せ」というのは虫が良すぎます。
こういう「背教者=裏切り者」との脱会後のトラブルが、解散に値するほど治安を害した事案でしょうか。
トラブルは全て、脱会して霊感弁連と会った後に「発生」するのです。なお、背教者は極少数で、信者になった人の2,000人に1人くらいです。
さらに、多くの事案で不法行為の消滅時効3年が経過していたのに、裁判例では「霊感弁連に会ってマインド・コントロールされていた(=自由な意思決定を阻害されていた)と指摘されるまでは損害と加害者を知らなかった」と認定され、消滅時効が適用されなかったようです。
強引すぎる認定です。
そもそも「マインド・コントロール」という概念は、欧米では「エセ科学」として裁判所で否定されています。
櫻井義秀教授も指摘していたとおり、責任転嫁の詭弁にすぎません。
オウム真理教の解散時、麻原彰晃や殺人実行犯という「悪人」の顔がイメージできました。今、日本の家庭連合で、誰か「悪人」の顔がイメージできますでしょうか。
「悪人なき解散」となるとすれば、空前にして絶後となるでしょう。
2️⃣ 正体隠し(未証し勧誘)
家庭連合の未証し勧誘が攻撃されています。
裁判例の基準を分かりやすく言うと「帰依するかの決断前に、教義の概要を説明すればいい」のです(平成26年3月24日札幌地裁判決)。
この基準を満たすのは容易なので、最近の裁判例では、家庭連合が霊感弁連に多く勝訴しています(令和になってから4勝2敗)。
全ての宗教で伝道時に「◯◯教です、こんにちは!」と挨拶するわけではありません。
相手の状況に応じて柔軟な伝道をすることが、キリスト教ではパウロ的伝道やカメレオン的伝道と言われて推奨されています(コリント人への第一の手紙 9章19~27節)。
実際、国連の信教の自由特別報告者ハイナー・ビーレフェルト氏も、2012年4月、「強制以外の方法であれば伝道方法は各宗教の自由に委ねられており、強制以外の方法による伝道を違法とするのは国際人権規約18条3項に違反する」という意見を国連に提出しています。
国際法的には、未証し勧誘は違法ではないのです。
最近出版された魚谷俊輔『反証 統一教会』では、未証し勧誘にも拉致監禁を防ぐための必要性と合理性があったと書かれていました。
つまり、「かつては拉致監禁が猖獗を極めており、拉致されぬために偽名を使う信者も多かった。いきなり『統一教会だ』と明かすと、伝道者側が身バレして拉致監禁されるおそれが高かった。その拉致監禁を避けるべく、いきなり統一教会と明かさず、信頼関係が構築されてから明かすという防御戦略だった」そうです。
3️⃣ 拉致監禁
家庭連合信者の拉致監禁が解散請求の一因になっています。
解散請求をすると文科省が宣言した2年前、22件の民事裁判を根拠にしていました。その原告の55.4%は拉致監禁被害者です。
ちょうど符合するように、文科省が解散命令請求の根拠として出している陳述書233通の55.8%は、拉致監禁被害者が書いたものです。
かように、監禁されて信仰を奪われ、「家庭連合を訴えないと監禁を続けるぞ」と脅されて「ヤラセ裁判」をさせられた被害者はとても多いです(小出浩久医師『人さらいからの脱出』)。
こういう「作られた背教者」が虚心坦懐に公正な書面を書けるとは思えません。
「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」という憲法37条2項が示すとおり、長期の身体的拘束は人の認知を歪めるからです。
例えば、多くの文科省提出の陳述書には「地獄に堕ちる」と言われたから…と他責的に書かれています。
しかし、大の大人が、「地獄に堕ちる」と言われたからといって、長年にわたりその意思に反して献金するものでしょうか。
なお、この拉致監禁は文科省書面が表現する単なる「監視」ではありません。後藤徹裁判の高裁判決も「監禁」という言葉を使用しました(同判決14頁)。
4️⃣ 「被害」はあるのか
霊感弁連は「被害者救済」を声高に叫ぶものの、今、家庭連合の献金の「真の被害者」がどれだけいるか、疑問に思っています。
全国統一教会被害対策弁護団(トップに元日弁連会長を据えただけで、実質は霊感弁連)は、194人による57億円の「被害」を主張して東京地裁での「集団交渉」の「調停」を申し立てています。
しかし、「いつ、いくらの被害に遭った」という献金被害の証拠は一つも出していません。
「被害」の3分の2は、20年の除斥期間を経過したり、第三者の権利だったりする無理筋です。
弁護士350人超を誇るこの弁護団は、弁護団結成(令和4年11月24日)から2年も経過したのに、証拠を一つも出さないのはおかしいです。
裁判になったら負けることを見越して、調停・集団交渉により時間稼ぎをして敗訴判決を免れ、仮に家庭連合が解散になった場合に残余財産からの回収を目論むという遅延戦略なのだと思います。
令和4年12月に「被害者」救済新法(不当寄付勧誘防止法)が制定されたものの、施行後1年以上経っても適用実績はゼロです。
この新法は、被害実態を精査して立法事実を吟味した上で定めたというよりは、世論に押された与党が「仕事をしたという国民へのアピール」のために性急に制定した感が強いです。
よしんば献金の「被害」があったとしても、それと解散命令とは別次元の話です。
これは、解散命令請求を出さない文科省に霊感弁連が国賠請求をした事案で、東京地裁が「(解散命令等の規制は)個々の取引関係者が被る具体的な損害の防止、救済を制度の直接的な目的としたものとはにわかに解し難く、かかる損害の救済は一般の不法行為規範等に委ねられている」と判示したとおりです(平成29年2月6日判決)。
「被害」救済すなわち献金の返還のためには、解散をさせない方がむしろ安全とも言えます。
実際、霊感弁連の紀藤正樹弁護士は、オウム真理教の解散には反対していました(週刊現代平成7年7月1日号)。
5️⃣ 家庭連合の活動
たしかに、20~30年ほど前までは、「カリスマ的教祖(文鮮明、平成24年死亡)を喜ばせたい」という気持ちで、信者が競うように献金をした・募ったことはあったようです。
宗教団体特有の強い同調圧力が働いていたのでしょう。規模の割には地上天国という理想の実現を焦りすぎたことが、社会との軋轢を生じせてしまった原因の一つと言えそうです。
しかし、昔の行きすぎを理由に今になって法人格を失わせるべきとは思えません。
「24時間戦えますか」の時代の働きすぎを理由に、今、処罰に値するとは思えません。
オウム真理教は設立後11年でサリン事件を犯し、当時の日本の信者が1万人程度でした。
一方、家庭連合は韓国で設立後70年、世界195か国に広まり、日本だけでも活発な信者が10万人(=国民の1,000人に1人)程度います。
「少数を長く騙せる。多数を短期間騙せる。でも多数を長期間騙すことはできない」というリンカンの言葉があります。
家庭連合の歴史や地理的な広がりだけから見ても、家庭連合にはそれなりの信頼性があるはずです。
私は今年6月、フランスに赴いてCESNUR(新宗教研究センター)という国際会議に出席しました。そこでも家庭連合の教義と活動は国際的にも高い評価を得ていました。
サントメ・プリンシペという大西洋の小国では、国を挙げて家庭連合の教義を応援しています。
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私は今、毎週のように地方に赴き、家庭連合信者の方々に現状を説明するシンポジウムに出ています。
そこで私が多くの信者に接した限りでも、「この人たちが属する宗教団体を解散させた方がいいのではないか」と不安に思わせる信者は一人もいません。
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この解散裁判では、200人強の背教者が「解散せよ」という意見を書いています。
しかし、それに反対し、普通の生活を送っている信者はその500倍の約10万人います。
500分の1の人の意見を聴いて、残り499人の貴重な信仰基盤を奪うようなことにならないかを危惧しています。
私が各地で接する限り、半数以上の信者が信仰を「命よりも大事」と考えているようです。
6️⃣ まとめ -「必要でやむを得ない」とはいえない
以上5点のとおり、家庭連合は解散に値するほど治安を害したとは言えず、解散が「必要でやむを得ない」とは言えません。
そもそも宗教法人法では、行政指導や警告(会社法824条)などのより制限的でない手段(LRA、Less Restrictive Alternative。質問権はこの制限的手段とはいえません)がなく、いきなり「解散」という最も制限的な手段(Most Restrictive Alternative)しか用意されていません。
これは法の不備と思います。
そうであるからこそ、「人権の最後の砦」たる裁判所には、信教の自由の見地から、10万人の信仰基盤を失わしめる解散が本当に「必要でやむを得ない」のかを、慎重かつ厳格に判断していただきたいです。