川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

先割れスプーン

2024年12月22日 | 社会・時事など
昔の、昭和の給食で使われた、先割れスプーン。


第2次世界大戦中の、貧しいドイツで発明された、との都市伝説あり。

効率化を突き詰めると、文化を破壊する。
文明の方向性と、文化の方向性は、ときに相反する。

ってことの、いい代表例かもしれませんね。

平成(後期)とか令和の給食では、もう先割れスプーンは使われていないようです。
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神の弱さは人間より強い

2024年12月22日 | 宗教
アメリカの歴史的な神学者・ラインホールド・ニーバーを深堀りしていたら、「神の弱さは人間よりも強い」って言葉に出逢った。

意味がわからないのでChatGPTに訊いたら:

~~~以下引用~~~

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の神学的思想に関連しています。

これは、ニーバーが神の性質を理解する際に強調した「逆説的な力」の概念を表現しています。特に、キリスト教の神学と倫理における**「力と弱さ」**の関係を説明するために用いられることがあります。

この言葉の意味を理解するためには、以下の点に注目する必要があります:

1. 神の力と弱さの逆説

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神が全能でありながらも、私たちが通常想像するような支配的な力を行使しないという逆説を表しています。

キリスト教の教えによると、神は人間に対して無限の力を持っており、すべてを支配する存在です。しかし、この力がどのように現れるかは、私たちの人間的な理解を超えています。

神が「弱い」とされるのは、例えばイエス・キリストの生涯に見られるように、神が自らを人間の弱さや苦しみに参加させ、権力を行使せず、謙遜と犠牲の中で愛を示すという面です。

このような神の姿勢は、物理的・政治的な力を使うことなく、最も深い形で人々を変え、救いに導く強さを持つという理解に基づいています。

2. 十字架の逆説

キリスト教の中心的な教義である「十字架の死」も、この「神の弱さ」と「人間の強さ」の逆説的な関係を象徴しています。

イエス・キリストが十字架にかかって死ぬことは、当時の目から見ると敗北や弱さの象徴です。

しかし、キリスト教徒にとって、十字架は「神の力」が最も強く現れた瞬間であり、神の愛と犠牲によって人間を救う力を示しています。

すなわち、神が弱さを選び取ることによって、最も強い力が発揮されるという逆説です。

3. ニーバーの倫理と神学

ニーバーは、人間が持つ倫理的な限界や自己中心的な傾向に対して非常に現実的な視点を持っていましたが、同時に「神の弱さ」という概念を通じて、道徳的な力や愛が人間の限界を超えることを示しました。

ニーバーにとって、神の「弱さ」は、力を誇示することなく人々を導く愛や犠牲の力であり、これは人間の力による支配や暴力とは本質的に異なります。

4. 人間と神の関係

この言葉が示すもう一つの重要な側面は、人間が持つ力の限界と、神が示す愛と憐れみの力の違いです。

人間の力はしばしば自己中心的で暴力的な方向に向かいがちですが、神の力は愛と赦しに基づいており、その「弱さ」が人間を変える力となります。

まとめ

「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神の力の本質を表現したもので、神が力を行使する方法が私たちの常識に反しているという逆説的な教義を表しています。

神は物理的・政治的な支配を通じて力を示すのではなく、謙遜と犠牲の中で愛を示すことによって、人間に真の変革と救済をもたらすのです。

この「弱さ」は、実は最も深い強さであり、人間の力では到底成し得ないものです。

~~~引用終わり~~~

いいですね。God works in mysterious ways と同じですね。

ってか、コリント人への手紙1の1:25にまんまあるんですね。

the foolishness of God is wiser than human wisdom, 
and the weakness of God is stronger than human strength

天を怨まず、人を咎めず。

どんな運命に遭っても、それが神のご意思だと思って、なにか意味があるんだと思って、それを受け止めて、前に進んで行かねばですね。

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ラインホールド・ニーバーのImpossible possibility(不可能な可能性)

2024年12月22日 | 宗教
まだ道聴塗説(しったかぶり)ですが、ラインホールド・ニーバーがimpossible possibility (不可能な可能性)ってのを唱えている。

よさげ。

達成不可能なんだけど、そこに可能性を見出す。
絶対に未完な目標に向けて、それでも可能性に掛ける。

一生かけても到達できない崇高な目標に向かって、走り続ける。
不可能だと分かっている壮大な志に向けて、ドン・キホーテのようにチャンジし続ける。

仔細は未調査ですが、そんな意味がありそうだ。

以下はあるサイト キリスト教大磯教会 からの取り急ぎ抜粋。

~~~以下引用~~~

impossible possibilityは次のことを意味する。

歴史においてわれわれのアガペーを達成しようとする努力は、すべて「近似値の領域に止まる」宿命にある。

「理想はその完全なるかたちにおいては人間性の能力を越えるものである。」

その意味においてアガペーは不可能である。

しかし、アガペーは人間の歴史における善の可能性の限界を指摘すると同時に、今まで以上により生産的、創造的、善的なものに近づこうとする意欲と熱意を喚起する。

人間はこれで十分であると思う時自己充足的傲慢に陥るが、自己の可能性をたえず超越する力に目を向けるとき、自己満足的、現状維持的態度から解放され、より大きな可能性に向かって自己変革することができるようになる。

その意味でアガペーは可能性である。

アガペーの弱さは同時に強さであるという逆説がここに成立する。

「神の弱さは人間よりも強い」のである。

すなわち、impossible possibilityとしてのアガペーは、信仰を持つ者にとって、絶望が絶望に終わらずに、神の赦しによって悔い改めへと昇華され、現実の真只中で生き生きと生きることを可能にする力なのだ、とニーバーは言うのである。
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ラインホールド・ニーバーはすごい

2024年12月22日 | 人生
ラインホールド・ニーバー。20世紀のアメリカを代表するプロテスタントの進学者。

あの、アメリカで一番権威のある、大統領自由勲章 こちら も受けている。

ラインホールド・ニーバーといえば、これ。
  • 神よ、
  • 変えられるものについてはそれに立ち向かう勇気を、
  • 変えることのできないものについてはそれを受け入れる落ち着きを、
  • そして両者を見極めるための賢さを、
  • 私に与えたまえ

この「ラインホールド・ニーバーの祈り」以外に、彼のいい言葉に出逢った。

取り組む価値のあることは、一生のうちには成就し得ない。

歴史の流れにおいて、本当のこと、美しいこと、善であることは何一つ、すぐには理解されない

『人間の運命』(原題”The Nature and Destiny of Man”)あたりに書かれているらしい。

 
この本は4000円もするがポチった。

この考えは執行草舟そっくり。

ってか、執行草舟とかラインホールド・ニーバーとかの個人の話ではなく、本当のキリスト教、本当の宗教的な考え、ってのはこういうところで共通する。

改めていいですね、

取り組む価値のあることは、
一生のうちには成就し得ない。

逆に言えば、

一生のうちに成就し得ることは、
取り組む価値がない、

ってこと。

す、すばらしい。私もこういう価値観のもとに生きています。

一生かかっても、成し遂げられないような、崇高で、壮大で、遠大な、志の実現のために生きる。

死ぬときにも未完。憧れたまま、前のめりに死ぬ。斃れて後已む。

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自宅の子供用本棚

2024年12月22日 | 教育・子育て
自宅の、子供3人に共通する、階段脇の本棚をパシャリ。

近隣図書館2つから借りてきた本がぎっしり並んでいます!
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次男が少年野球を卒部しました

2024年12月22日 | 教育・子育て
親バカの記録投稿で失礼します。

次男6年生が少年野球を卒部。

世田谷の等々力グリーンズに1年生から6年生までお世話になりました。

特に4年生以降は、塾ばっかりであまり貢献できなったかな、、

塾優先だったので、次男は公式戦にはほとんど出ていないのでは。

5、6年では、練習試合も一度も出ていないはず。

6年に至っては、春に2回くらい、練習に行っただけ。

年末の今日、卒部ってことで、現役選手と紅白戦。

6年間で、何試合にも出てなくて、何本もヒットも打っていない。

第一打席はあえなく三振。ま、生きたボールを見るのは半年ぶり以上だから仕方ない。

3球とも振ったのは素晴らしい。

第二打席も、フルカウントまで追い込まれて、、、

カキーン。

いや、軟球だから、ドカン。


6年間で、一番いい当たりの、レフトオーバー。

いやホントに、6年間で1番いい当たり。

手のひらと、身体全体に、インパクト時の、「ボールを運ぶ」衝撃と重さが残ると思われる、会心のあたり。

この当たりをしたら、もう野球大好きになっちゃうよね、野球の虜になっちゃうよね、って感じのいい当たり。

本番に強いね。

持ってるね。

運がいいね。

恵まれた星の下に生まれてきたのかと思わせる。



支えてくれる方々がいらっしゃったから、6年、好きな野球をさせていただくことができました。


これからも、野球その他に精一杯打ち込んで、何十年後かは、世間様に何かを還元して、たっくさんの恩返しができる人間に育ってください。




等々力グリーンズの皆さま、6年間お世話になりました!

あまり貢献できませんでしたが、この負い目は一生背負って、どこかで、社会に貢献したいと思っています。


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報道記者の成れの果て

2024年12月22日 | メディア/SNS
日本のメディアは、兵庫知事選以降、特に、「オールドメディア」呼ばわりされて、斜陽産業扱いされている。

日本だけではない。

アメリカも同じ。いや、アメリカの方が「オールドメディアの劣化」は一歩先を進んでいるようだ。

アメリカでも、道徳や倫理が衰えている。利益至上主義に走っている。

だから「コモングッド」(共通の善、公益)が求められている。

例えば。

1972年、ニクソンの時代、国民の72%はメディアを信用していた。



44年後の、2016年のトランプ大統領戦では、マスメディアを信頼できると回答したのは、わずか18%のみ。


44年経って、マスメディアの信頼は、上がるどころか、72%から18%に減った。

なぜか。

メディア・記者が、注目度ばかりを競っているから。

注目度を競い合う「コンテンツ・プロバイダー」に変貌したから。

つまり、「注目されるコンテンツを提供する人」ってこと。

社会のためとか、平和のためとか、正義のためとか、人権のためではなく、「注目されるため」に仕事しているってこと、、、


なぜか。

メディアに倫理がなくなってきたから。

メディア・報道機関が、「利益の最大化のためには何でもする」って精神で働いているから。


なんとなくはわかっていたことですが、こうやって明快に「メディアはコンテンツプロバイダー」って言われると、なるほどと思いますね、、、



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暗殺事件前に「社会的な問題」はなかった

2024年12月22日 | 社会・時事など
安倍元首相の暗殺前、霊感弁連(全国弁連)のことなんか、誰も知りませんでした。

僕も知りませんでした。

私の周りのベテラン弁護士も誰も知りませんでした。

マスメディアの方々もご存知なかったはずです、よっぽどマニアックな方を除いては。

つまり、「社会的な問題」など何もなかったのです。
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今日いち-2024年12月22日

2024年12月22日 | 日記・雑記・独り言
今日の置き手紙

少年野球のコーチをする前に、ちょっと朝事務所で仕事をしてきます!
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巨人の肩の上に乗れ

2024年12月22日 | メディア/SNS
先人の知恵を学ぶことは、巨人の肩の上に乗ること。

Twitter (X)を見ることは、友人におんぶしてもらうこと。

無料で、市井の人のつぶやきから学ぶより、
有料で、先賢たちの叫びから学ぼう。

この「巨人の肩」は、ベルナールという人の言葉を、ニュートンが引用して有名になった。

最近、仕事上で使うTwitter (X)を見る時間を減らそうと腐心している私に、いい戒めとなる言葉。




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