「辞世の句」を詠む習慣は海外にはない。日本だけの慣行らしい。
その「辞世」の句、字義通りには「世を辞する」際に詠むものと思われがち。
でも、事故で死んだり、病気が旧に重篤になったりするから、イザというときにいい句が詠めるとは限らない。
だから、古来、人々は辞世の句を、死の数年前(人によってはもっと前)から、準備していた。あらかじめ用意していた。老齢の方が遺影写真をあらかじめ撮影しておくが如くに。
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だから、この辞世の句には、「人生のテーマ」が詠み込まれている。死生観が凝縮されている。
オレはこうやって生きて、だから、こうやって死にたい
って心、志、夢、希望、後悔、恨みつらみ、、、 みんな辞世の句に入っている。
これがまた執行草舟好みで、なにか崇高で壮大でとてつもない志に向って、その達成途上で、常に「未完」で死ぬのが人生だと考えている執行草舟は(私もそうですが)、辞世の句こそはその人の人生観を端的に示すものと考えている。
って観点から、いろんな有名人のインパクトある辞世を拾ってみると、、、
◆ つゆとをちつゆときへにしわがみかな
なにわの事もゆめの又ゆめ
豊臣秀吉
◆ 散りぬべき時知りてこそ世の中の
花も花なれ人も人なれ
細川ガラシャ
~~~↑ の2つはいい歌だと思いますが、本当に秀吉・ガラシャが言ったと言う証拠はない。~~~
◆ 願はくば花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ
西行
◆ 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
松尾芭蕉
これも芭蕉が死のだいぶ前から温めていた。
でも、この通りには全くならず、旅どころか、弟子に囲まれて(取り囲まれて、身動き取れなくなって)、功成り名を遂げた俗物みたいな形になって死んだ。
◆ あら楽し思ひは晴るる身は捨つる
浮世の月にかかる雲なし
大石内蔵助
◆ 大山の 峯の岩根に 埋めにけり
わが年月の 大和魂
真木和泉 1864年8月(松蔭より2ヶ月前)
◆ 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置まし大和魂
吉田松陰 1864年10月27日(真木和泉より2ヶ月後。真木和泉のをパクったか?)
◆ おもしろきこともなき世をおもしろく
高杉晋作
…これも晋作の直筆とかが残っているわけではないから、後世の創作の可能性もある。
◆ これでよし百万年の仮寝かな
大西瀧治郎
◆ 大ばくち身ぐるみ脱いですってんてん
甘粕正彦
◆ 大笑い三十年のバカ騒ぎ
石川力夫