川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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アムンゼンの美しき死

2024年12月07日 | 人物
アムンゼンは美しく死んだ。

『アムンゼンとスコット』で有名なあのノルウェーのアムンゼンは、南極点到達から17年後、北極に飛行船で行こうとして、自分の業績を横取りしようとした元部下のイタリア人ノビレを救出するために、北極に行って死んだ。

ノビレは悪い奴だったようだけど、利害関係や感情を度外視して、アムンゼンは、人道的見地からの勇気を発揮した。

「救難信号を無視したら、自分は探検家ではなくなる」と言い遺して。
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アムンゼンは元部下を救うために北極に行って死んだのですか

ChatGPT

はい、ロアール・アムンゼン(Roald Amundsen)は、元部下であったイタリア人探検家ウンベルト・ノビレを救出するために、北極での捜索活動中に命を落としました。

背景

    1.    アムンゼンとノビレの関係
    •    ノビレは1926年にアムンゼンと共に、飛行船「ノルゲ号」で北極点到達を果たした仲間でした。
    •    その後、二人の関係は悪化し、別々に活動を行うようになりました。
    2.    ノビレの遭難
    •    1928年、ノビレが指揮する飛行船「イタリア号」が北極探検中に墜落しました。
    •    生存者は漂流し、国際的な救助活動が展開されました。

アムンゼンの救助活動

    •    アムンゼンはノビレと意見が対立していましたが、人道的見地から救助活動に参加することを決意しました。
    •    1928年6月18日、アムンゼンはフランス製の水上飛行機「ラタム47」で北極圏へ向かいました。

アムンゼンの最期

    •    アムンゼンが乗った飛行機は北極圏で消息を絶ちました。
    •    機体や遺体は見つかっておらず、飛行機が墜落して死亡したと推測されています。

ノビレの救助

    •    ノビレはその後、ソ連の砕氷船により救出されました。
    •    アムンゼンの救助活動が直接の成功につながったわけではありませんが、彼の行動は高く評価されています。

まとめ

アムンゼンは、個人的な対立を超えて人命救助を優先し、ノビレの救出を試みました。

その過程で命を落とすこととなりましたが、彼の行動は勇気と人道精神の象徴として歴史に刻まれています。

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なお、正式な発音はアムンセンですかね。でも我々の世代にはアムンゼンだなぁ。

リンカーンをリンカン、ルーズベルトをロウズベルトと発音するのが正解で、後者で表記することがあるけど、どういうわけかアムンゼンはまだアムンゼンの方がしっくりくる、、

次回以降はアムンセンにします! 以下の名著でも「アムンセン」なんですね、、

 
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