母の一言を思い出すことはあまりない。「これ」と言った一言を。
あるとすれば、25年くらい前、司法試験に落ちたときに、「今まで読んできた本を活かして、立ち直りなさい」的に言われたこと。
その頃から私は本の虫でして、安岡正篤とかの古典や人生論ばっかりを読んでいた。
本というのは、落ち込んだとき、挫折したとき、浮かばれぬとき、そういうイザというときのためのもの。
当時にそう認識していたわけではないけれど、50歳になって、そう思う。イザと言うときに役に立たぬのでは、何のための読書か、わからない。
私の時代の司法試験の合格率は、2~3%。
受からぬために自裁した友人・先輩を2名は知っている。
厳しい世界でした。
今の私が、合格してなんとか暮らしているのも、読んだ本のお陰であろう。母の一言のお陰であろう。
母には改めて感謝。
80歳になったので、温泉でもお連れしたいと思っているのですが、いつも「仕事があるから」的におっしゃって、息子の申し出を受けようとしない。
80歳になっても、世のため人のために毎日汗をかいている。
頭が上がらぬ。
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ちなみにこの我がたらちねの母は、80歳なのに、今でも、8勤1休くらいで、元旦から、1日中、10時間くらい、座らずに、グループホームの施設長をしている。
80歳だから、介護されてもいい年齢なんですが、毎日、孜々として、介護に勤しんでいる。
私のワーカホリックさは、この母譲りだろう。
ちなみに最近、私の兄を知る方から、「お兄さんも働き過ぎで、、、、 たまには休めって言っているんですがねえ」的に聞いた。
中山家はみな勤勉らしい。私が母の影響だろう。
親の教育は、言葉ではなく、背中でするもの。行動によって感化する。