こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

市政報告懇談会。90歳の母も参加して・・・

2013-10-23 23:49:54 | 父・母のこと
朝から雨。

午前中は定例の相談会で、事務所に。
電話での相談が2件。「明日から留守にしますので・・・」とお断りして、具体的な対応は週明けにさせていただくようお願いしました。

夕方、明日からのソウルへの旅行に同行するために母が来て、雨の降っているので最寄の北助松駅まで迎えに行きました。
横浜から新幹線に乗って、ひとりで来るくらい元気な90歳。明日で91歳になります。

母は、明らかに10年前より元気です。

4年に一度の私の選挙のときは「何も手伝えないけど」と言いながら、やっぱり気になるのか来てくれました。
6年前、10年前は数時間座っているのも辛そうで、よく横になっていました。

きょうは夕方、家に着いて食事をした後、一緒に市政報告懇談会に参加してくれました。

そして、9時過ぎに家に帰ってから私が机の上に置いてあった本を手にとって、「読み出したらやめられない」と言って一冊読んでからお風呂。

母は、介護保険制度が始まってすぐに介護認定を受けました。
リューマチで手に力が入らないので、お風呂やトイレの掃除はヘルパーさんの助けを借り、ディ・サービスも利用してきました。

高齢者共同住宅に住み、夜はみんなと一緒の食事を楽しみます。
自宅で一人で暮らしていたときと違い、「いつも見守られている安心感」が嬉しいと言います。

住環境、医療と介護、毎日自分のやりたいことをする暮らし。
それらが、「10年前より元気な90歳」の母を支えているように思います。

市政報告会の「報告」をするつもりが、つい母の話になってしまいました。

前半は、岩手・陸前高田の報告をさせていただきました。
そして、9月議会の報告です。

次々といろんな意見が出て、皆で怒ったり、励ましあったり・・・。
今夜もなかなか楽しい懇談会になったと思います。
小雨ふるなか、出かけてくださった皆さんに感謝です。









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母の卒寿を祝う

2013-01-02 18:31:52 | 父・母のこと
少し遅れた母の卒寿のお祝いで今日は日帰りで東京です。

子ども3人。孫7人。曾孫7人。そして子ども達と孫達のパートナー。皆が揃うのはお正月の休みしかないということで今日になりました。

一緒に暮らしていた20年ほど前には好んで着物を着ていた母でした。
外出のときも、家にいるときも着物で過ごしていて特に冬は「着物は暖かくていい」と言っていました。

私が子どもの時の母は仕事と家庭と・・・いつも「走っている人」だったので、その母が着物を日常着にしたことは意外でしたが、着物が好きだったのだと思います。
リューマチを患って、自分で着物を着るのが不自由になってまた洋服にもどりました。

きょうは颯爽と(?)パンツスーツで現れたのにはちょっとびっくり。



思わず一枚

90歳の母の足どりはしっかりしていてまだまだ元気。うれしいことです。



長いローソク9本
「ハッピーバスディ おばあちゃん」のみんなの歌声に囲まれて、見事、一息でローソクの灯が消えました。

一番年長の孫のギター伴奏で「ふるさと」の合唱。

参加予定だったけれど急遽、来られなくなった私の長女と三女からも「おめでとうメール」が届いたようです。
私が議員活動始めたころは小学生で、おばあちゃんに一番にお世話になった娘たちです。

帰りの空港で「またね」とメールしたら「私は世界一幸せなおばあちゃん」と返信が返ってきました。

誰もがみんな長く生きたことを心から喜べる社会でなければ・・・と思います。

コメント (2)
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母、まもなく90歳

2012-09-24 23:39:22 | 父・母のこと
昨日は、夕方6時過ぎの飛行機で関空から羽田へ。
そして横浜の母の部屋に泊まりました。

私達が子ども時代をすごした家はすでになく、母は高齢者共同住宅の1室に暮らしています。
6畳の部屋にベッドを置き、対面には仏壇と本棚。
その間に、冬にはこたつになる小さなテーブル。そして座椅子。

それでほとんど、床は見えません。

壁には母が描いた何枚かの絵。
出窓には私が何年も前の母の日に贈った鉢植えが、今も元気です。

私が母の部屋に泊まるときは、このテーブルと座椅子をどけて、そこに布団を敷きます。

この部屋にあるものが母の持ち物の全てです。
四季を通じて着る物も、朝、昼の食事に使う食器も(夜は食堂で、入居者のみなさんと一緒に食事)、読み書きするものも、子や孫の写真、思い出の品も。

絵や、手話コーラス、太極拳などのグループに参加して、毎日のように出かけます。
部屋にいるときは半日かけて新聞を読み、あとは好きな編み物。

母の暮らしのスペースは「畳6枚分+α」でありながら、行動範囲の広さ、心の世界の広さはなかなかたいしたものだと思います。

介護認定は「要支援1」で、週に一度ヘルパーさんに部屋の掃除をしてもらいます。


   
   見はるかす 米軍基地なり 地をゆすり
   嘉手納の空を破りて爆音

   腰かがめ 岩角つかみ濠に入る
   負傷兵看護乙女ら 終焉の跡

   天皇を信じて果てし人々の 
   血を吸いし濠に 我は今立つ

母70歳、沖縄を訪ねたときの歌です。
20年たった今も、平和、憲法について語るときは熱くなります。

そんな母と、11月にソウルにいる私の孫1号、母にとっては曾孫4号に会う旅に出かけることにしました。



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食卓の彩り

2012-04-12 11:32:39 | 父・母のこと
昨夜の夕方、新横浜に着き、そのままバスで生まれ育った家に直行。



この階段を下りたところが、懐かしい「我が家」です。
ここに住んでいた頃は、手すりはありませんでしたが、小学生のときはこの階段で遊びました。
じゃんけんして、勝った方が「グー」なら「グリコ」とか言いながら一段づつ階段を登ります。飽きもせずに、毎日毎日、遊んでました。



私も兄たちも、それぞれに巣立ち、母はこの家で夫と母、私にとっては父と祖母を看取ったあと、大阪に移り住んで私と幼かった子ども達の暮らしを支えてくれました。

再び横浜に戻ってからは自分は近くに建ったばかりの「一部ケア付き高齢者共同住宅」に住まいを移し、その後、住む人のいなくなった自宅に「とものいえ」の看板を掲げました。



おとなも子どもも出入り自由、近所の方が気楽に集う場所をつくるのが、ずっと前からの母の秘かに抱いていた夢だったようです。

おしゃべりしながら編物をしたり 太極拳をしたり・・・・と使っていただいた家もいろいろ不都合が出てきて取り壊すことになりました。

昨日は、子ども時代を過ごした家の見納めです。

夕食は母の暮らす無憂樹で入居者の皆さんと一緒にいただきました。
きんぴらごぼう、胡麻豆腐、白豆の小鉢。お寿司に梅の花が一輪添えられ、マットも桜。あとから揚げたての海老で天ぷらうどん。見た目も味も美味しくいただきました。



食卓に添えられた季節の彩りに、スタッフの皆さんの「毎日の暮らしを楽しく豊か」にという心配りを感じます。
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