年の暮れに娘たちの家族がみんな揃う日を、「今年はいつに?」と、パートナーの仕事の都合もあって、みんなで相談して決めたものでした。
今年はそれもあきらめました。
2021年、新しい年が間もなく明けます。
コロナの向こうに希望が見える年にしたいもの。
待っていてはやってこない「政治の転換」を。
除夜の鐘を聞きながら、一人でものを思うひとときです。
時間の余裕ができた分、積み上げた資料の整理から始まる新年になりそうです。
みなさん、よいお年をお迎えください。
年の暮れに娘たちの家族がみんな揃う日を、「今年はいつに?」と、パートナーの仕事の都合もあって、みんなで相談して決めたものでした。
今年はそれもあきらめました。
2021年、新しい年が間もなく明けます。
コロナの向こうに希望が見える年にしたいもの。
待っていてはやってこない「政治の転換」を。
除夜の鐘を聞きながら、一人でものを思うひとときです。
時間の余裕ができた分、積み上げた資料の整理から始まる新年になりそうです。
みなさん、よいお年をお迎えください。
気象庁は生物季節観測を大幅に縮小するという。
とても残念。
1953年から70年近く続けてきた観測を来年の1月から動物は全て廃止。植物も6種目だけ残して廃止。
動物や植物、ともに生きる命が私達に教えてくれていること。
謙虚にまじめに耳を傾けなくていいのだろうか。
車の車検と修理で、「車のない生活」が1週間と少し。
その間、移動は徒歩と自転車、そして電車。
車で通りすぎていたお店が気になったり、市外に用事があれば、電車の駅を降りてから目的地までの商店街がめずらしかったり・・・。
車のない生活も、なかなか新鮮でした。
代車を利用しないで得したような気分です。
何年か前にパソコンの修理で、しばらく「パソコンのない暮らし」をしてみて、おんなじような気持ちになったことを思い出します。
「あってあたりまえ」のものから、あえて離れてみると、「見えていなかった景色」が見えるのかもしれません。
今年も残り少なくなりました。
まだまだやり残したことがいっぱいですが。
衆議院、参議院での「弁明」を終わって、安倍前首相は記者に問われて「説明責任を果たした」と答えたという。
昨日、24日の記者会見の「納得度」、yahooニュースの投票で21万3053人中、82.9%が「納得度0」=「全く納得していない」に投票。(25日22:00)
今度こそ、徹底解明を!
昨日は「総合教育会議」を傍聴しました。
傍聴者は私と同会派委の森下議員を含めて3人でした。
公開で行われている各種の審議会などの日程、会場は市役所の1階の受付横のボードに掲示してくれています。
市役所に用事で行かれたときは足を止めてみてください。
「総合教育会議」は2014年の教育基本法改正の時に新たに設置されたもの。
首長と教育委員会の2者からなる「協議」、「調整」の場です。
昨日の議題は「GIGAスクール構想」と「学校給食」。
ふたつのテーマで約1時間半の会議でした。
「GIGAスクール構想の実現へ」という文部科学省の文書を引用しています。
その中に「・・・特別な支援を必要とする子どもを含め、多様な子どもたちを誰ひとり取り残すことなく・・・」とあります。
これからの時代に生きていく子どもたちが生まれ育った家庭環境に関わらず、ICTを活用することを学び、身につけるために「一人一台端末」は必要なのだろうと思う。
けれども・・・莫大な投資をしてタブレットを配布したからと言って、それが特効薬のように「誰ひとり取り残すことのない教育の実現」の力になるのではない。
「不登校の児童生徒への支援にも活用」ともいう。
なぜ学校へ行けないのか?
なぜ行きたくないのか?
言葉にできないモヤモヤを抱えて苦しむ子どもの一人と今日も向かい合って、開かない心の扉に呼びかける先生たちの暖かさにもふれた。
やっぱり先生と子どもたちがリアルにふれあう時間のゆとりこそ、何より大切なのだと思う。
「泉大津市高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画推進委員会」という会議が開かれ、傍聴した。
3年ごとに「計画」を作り、65歳以上の保険料も決める「介護保険事業計画」。
来年度からの「第8期計画」の素案が確認された。
「高齢者の孤立死防止の推進」と言う項目がある。
「高齢者の生活実態の把握」「孤立死防止の取り組み」・・・。
帰宅して、手にした夕刊の一面に「都会の闇 最期は13円」の記事。
大阪市内のマンションの一室で、餓死した68歳の母と娘。
水道、ガスが止められた部屋で、気づかれることなく数カ月。
新聞の購読料、水道代の滞納、給水停止・・・どこかで困窮のSOSをキャッチすることはできなかったのだろうか?
夏に私たちが取り組んだ「市民アンケート」でも、匿名で追うことはできないがとても心配ないくつかの書き込みがあった。
どうか、SOSの声をあげて欲しい。
市役所の窓口は「来てよかった」と思える対応をして欲しい。
すでに65以上の高齢者は25%、「4人に一人」以上となっている。
あたたかく支えあうまちへの希望を。
「計画」素案へのパブリックコメントは12月25日から、年末年始をはさんで1月25日まで実施とのこと。
~「介助される側」と「介助する側」~
井上吉郎さんは、京都市長選挙の候補者として私の記憶のなかにもある。
FBで毎週月曜日の「無言宣伝」の姿をよく拝見していた。
61歳の誕生日を前に脳幹梗塞で倒れ、14年。
井上さんが「連れ合い」と呼ぶ池添 素さん。
池添さんが「相方」と呼ぶ井上さん。
14年間を綴る二人の二重唱のような一冊。
「人間らしく生きるとはどういうことか?」
答えは、そんなに遠くないところにあるような気がする。
私の大切な人、私がいろんな話をしたい人、いろんなことを一緒にしたい人・・・そんな人たちにぜひ「読んで」とお勧めしたい1冊です。
著者;井上吉郎
池添 素
発行所 ウィンかもがわ
学校給食のことを11月25日の一般質問でとりあげました。
「最近、おかずが少ないと思う」「カレーに肉が入ってなかった」と言う子どもたちの声。
1食あたりの単価は、「5年前に決めた220円」。しかし、9月213.9円。10月は216.4円。さらに下回っている現状でした。
子ども達の嘆きが裏付けられたように思い、「必要な栄養素の基準は充足しているのか?」と尋ねました。
「満たしていると聞いている」という答えでしたが・・・。
他の自治体に比べても、単価は低いようです。堺市の場合、小学校高学年では255円など。
単価を引き上げれば、保護者負担があがるという、今の仕組みを見直す必要があるだろうと思います。
小学生のお子さんがいる保護者に配布されたプリント。
小さい字で読みにくいとは思いますが、「食材の価格が高騰。給食費の範囲内でのやりくりが困難なために、米飯給食の日の牛乳をやめて、その分給食内容の充実にあてる」と。
「苦肉の策」かもしれませんが、寂しい話です。
子ども医療費の助成に続いて、子育て支援策として、独自に給食費の無償化、または一部補助に取り組む自治体が広がっています。
コロナ対策でわずか3ヵ月だけの無償化、それも学校再開直後は「簡易給食」でした。
無償化の継続を求め、財政負担からそれが今すぐは困難でも、せめて今の1食あたり食材費を引き上げ、そのことによって保護者負担が増えないように、公費の負担を求めました。
40年間変わらなかった小中学校の学級編成が、ようやく動こうとしている。
長い間、毎年どれほどの署名を積み上げてきたことだろうか。
「来年度から5年間かけて小学校の35人学級」という。
現在、小学校の1年生だけが2011年の法改正で35人学級。
2年生は法改正をせずに「予算措置」で35人学級になっている。
つまり、「5年かけて35人学級」では、来年度は今と変わらない。
今の「35人学級」の2年生は、来年度3年生になったとき、1クラスの人数が急増する場合がこれまでと同様にあるということ。
そして今の3年生以上は、卒業するまで40人学級のまま。
文部科学省は来年度予算で「小中学校の30人学級」と言っていたことからすると大幅な後退。
コロナ対策の中で、少人数学級に光があたったことからすれば、「5年かけて」という悠長なペースも、中学、高校が対象になっていないことも、問題ありすぎでは?
再選された現職市長は「段階的に市独自に35人学級」と「活動通信」に書いていた。
スピードアップを求めていきたいと思う。
またまた「????」。
現職市長のマイクでの訴えが、たまたま通りかかって耳に入った。
「現病院は小児・周産期に特化して、今よりリスクの高い出産を受け入れることができる」
何を根拠にしてそう言えるのだろう。
泉大津市立病院のHPにも、そして連携するという府中病院のHPにも、「総合病院だからこそ、安心」とある。
総合病院であるが故の緊急時(帝王切開など)の対応が万全です。(府中病院HPより)
当院は総合病院である利点として、合併症妊娠について他科へのコンサルトが容易に行えます。(泉大津市立病院HPより)
その「安心」を、あえてなくして「なぜリスクの高い出産に備える」ことができるのか?
明日は市長選挙投票日。
畠田ひろし候補が21年間、務めた泉大津高校の卒業生の皆さん、今日もたくさん応援に駆けつけてくださいました。
畠田ひろしのシンボルカラーはオレンジ。
明るく暖かいオレンジが街を染めました。
人の輪が広がって、暖かく、やさしく・・・。
そんな楽しい選挙の1週間でした。
「共産党を隠して“無所属”で立候補」と言う現職候補を応援するFBの書き込みが目につきました。
日本共産党が推薦していることは事実であり、隠してはいません。
推薦したものの責任として、当選のために力をつくすのは当然。
隠れて活動したわけでもありません。
そして私たち同様に、隠れることなく顔も名前も出して、応援してくださった方々の幅広さ。
「名前は出せないけれど・・・」と言って、心からのエールを送ってくださった方々、そこからつながった方々の大きな広がり。
多様な意見、異なる考え方の人がいて議論をする議会の議員の選挙ではなく、自治体の一人のリーダーを選ぶのですから、選ばれたリーダーは、不偏不党、全方位で「聴く耳をもつ」人でなければなりません。
反対意見にこそ、真摯に耳を傾けるのがリーダーの度量です。
「不偏不党」の宣言が「無所属」です。
政党支持や立場を超えて、期待の声、応援の声をたくさん、たくさん・・・・いただきました。
そしてなんと言っても、「市立病院は今の場所で存続・充実」が多くの市民の願いであることを実感した1週間でした。
その願い、明日は1票に託してください。
広げたいのは希望と安心。
つくりたいのは市民の声を聴く市長。
現職市長の候補者カーからのアナウンスで、「共産党候補の唱えているのは・・・・」と言う声が聞こえました。
私だけではなく何人もが聞いたということです。
「共産党は推薦していますが、公認ではありません。無所属です」と選管に申し入れ、「ウソ」を言わないようにご注意いただくことを申し入れました。
政治的な立場を超えて、幅広い応援が広がっていてありがたいことです。
聞いていて、違和感を覚えたのは「共産党候補・・・」に後に続くフレーズで「風邪や腹痛などしか救急が受け入れられない旧態依然とした昔ながらの病院継続です」といっていることです。
私は4歳の時に、慢性腎炎で入院し、小学校に入するまでベッドの上で一日を過ごしました。入学してからも低学年のときは運動や食事の制限がありました。
「風邪気味なのにお墓参りに連れて行ったのが悪かった」と母から聞かされて育ちました。
長女が1歳のとき、可能性髄膜炎になったときも、発熱して最初の診断は「風邪」でした。
「風邪」を、あなどってはいけないということを、私は母親の「風邪は万病のもと」という言葉から教えられました。
とてもお世話になった方が、腹痛が続いて、診断を受けたときには大腸がんが進行し腸閉塞をおこしていました。
土曜日の午後でしたが、市立病院で診てもらうことができ、即入院、手術でした。
「腹痛」も、命に関わる事態の前触れでした。
「風邪」や「腹痛」で、かかりつけ医で診察を受け、「なかなか治らない」「どうも不安」と思ったときに、総合病院としての市立病院へ行くということがあるだろうと思います。
それは「病院がある街」で暮らす市民の、安心・安全のひとつになっています。
「一番大きな投票判断は、病院が近い・遠いということではありません」というアナウンスもありましたが、勝手にお決めにならない方がいいと思います。
「投票判断」は、それぞれがすることですから。
「車で5分」と言われても、それは「あなた」の感覚であって、「タクシーを呼んでも、なかなか来てもらえない」「自転車で行けるところに病院があって安心」という人もおられます。
「バスを回すと言っているが、予約の時間に間に合うように迎えに来てくれるの?」と言う声もあります。
さらに、「南出プランは脳外科や心臓病などの循環器の高度集中医療を受けられる病院です」というフレーズも、ひっかりかります。
何度聴いても「診療科目は未定。生長会と協議中」と言う答弁でしたので。
新病院設計業者の募集の際、「新病院建設の基本計画は?」と問われていたことを特別委員会で質問し、「基本計画はない」「今後も作る予定はない」とのことでした。
「診療科目未定」「基本計画なし」で、何を根拠に、「この20年間、泉大津ができなかった命を守るための救急医療。高度治療ができる」と言うのでしようか?
それとも、どこかでいつのまにか診療科目や「基本計画」が決まったのでしょうか?
「旧態依然とした昔ながらの病院」と言う言い方には、コロナ禍のなかで、今日もおそらくは心折れそうになりながら、命を守る最前線で働いている市立病院のスタッフの皆さんへのリスペクトが感じられないのです。
「立たせるだけ15億円使っている」という言い方は、南出市政の3年間は9億円の繰り入れにとどめたことからも、今年度は「立たせるため」ではなく「新病院建設の120億円の借金をするために10億の追加繰り入れ、年間19億円のかつてない繰り入れを決めたことからも、きわめて不可解です。
昨日の続きのお話です。
現職市長は「今の病院を存続、充実すれば、泉大津は“夕張”になる。」と断言します。
夕張は、かつて炭鉱の街として栄え、当時の国策のもと炭鉱が次々と閉山に追い込まれ、人口激減。国策が招いた財政破綻といえます。
自治体財政破綻の象徴のようになっている“夕張”を持ち出して、コロナ禍で医療崩壊の危機が現実のものとなり、公立病院の役割が注目されているときに、「市立病院のこれから」について、真剣に考えている議論にふたをするのはどうなんでしょうか?
市長は(病院経営についての)「市の負担を大幅に減らす」と言います。
そこに「国の交付税措置」についての「悪徳商法」ばりのフェイク、ごまかしがあることを昨日、書きました。
もう一つの問題、「生長会が半分の60億を負担する」ことを前提にしていることです。
「公の施設」の管理・運営を民間に委ねる「指定管理者の指定」は、慎重に審議して議会で議決することです。
議会の議題に「指定管理制度の導入」「指定管理者の指定」が議題になるときには、すでに新病院ができあがっています。
だから、真剣に考えるべきは「今」。今なら、まだ引き返すことが可能です。
「官民連携で新病院建設」をバラ色に描くのが市長の「再編計画」です。
「官民連携」自体を否定はしませんが、なぜ連携の相手が生長会オンリーなのか?
府中病院を運営する社会医療法人生長会の直近3年間の営業利益率は平均でマイナス0.4%です。
果たして、新病院建設で投資した120億円の半分、60億円、毎年度2億円を30年間にわったて負担し続ける保障があるのか?
それができるとしたら、新病院の運営は「利益に優先」になっていくのではないか?
その時、病院の設置者である市は、患者と市民の立場にたってコントロールすることができるのか?
生長会と一体ですすめる「再編計画」が、「市の財政負担を激減させ、今より飛躍的に良い医療を提供する」確かな保障はありません。
その一方で、「再建計画」の裏付けとして示されている「収支計画案」の破綻は明白です。6月3日、9月25日の市立病院整備特別委員会で検証してきました。
「収支計画案」については、「一言でいえば、数値の使い方が大変粗い。このような中長期計画(「120億円規模)を民間医療法人がメガバンク融資審査部に提出すれば、門前払いは確実」(立命館大学授業担当講師 医療経済論専攻 大松美樹雄さん)というコメントもありますが、専門家の指南を仰ぐまでもないほどのずさんな「計画」です。
今なら止められる。引き返すのは今。
畠田ひろし市長候補の訴えに、政治的立場を超えた共感が広がっています。