移動しながら、夕方のニュースでっ聞いた嬉しいニュース。
被団協(日本原水爆被害者団体競技会)がノーベル賞受賞。
核兵器禁止条約について、条約制定の経緯、意義、その内容についてあらためて詳細に伝えてくれたのが嬉しかった。
はじけるような若い人たちの喜びの表情がまぶしかった。
これでも日本の政府が、条約の批准に背を向け続けることが許されるだろうか?
移動しながら、夕方のニュースでっ聞いた嬉しいニュース。
被団協(日本原水爆被害者団体競技会)がノーベル賞受賞。
核兵器禁止条約について、条約制定の経緯、意義、その内容についてあらためて詳細に伝えてくれたのが嬉しかった。
はじけるような若い人たちの喜びの表情がまぶしかった。
これでも日本の政府が、条約の批准に背を向け続けることが許されるだろうか?
岸田政権の在任中に憲法改正を行うことに
「賛成」27%。
「反対」52%。
毎日新聞の世論調査より。
「反対」が「賛成」の倍近く。
これが民意。
全国各地で「憲法を壊すな!」と声があがった今日、5月3日。
大阪は扇町公園。
地元で用事があって参加できなかったが、友人から送られ来るSNSの投稿で、その場の空気を感じることができて嬉しい。
この憲法の字句をただのひとつも変えるべきではないとは思っていない。
けれど、変えるのは「今」ではない。
法を冒して汚れたその手で憲法をさわるな!
嘘が平気でいえるその口で憲法を語るな!
先人が遺してくれた宝の憲法、活かして平和を、命を、人権を守る。
そう誓った私の5月3日。
知らなければならないこと。
忘れてはならないこと。
「とても辛いことは言葉にならない」というセリフがあった。
それでも言葉にしてくれた人達がいた。
10年前の夏、2013年8月、韓国に「ナヌムの家」を訪ねたときのこと、その時の想いを鮮やかに思いおこした2時間だった。
とても悲しく、とても美しく、そして力強いメッセージのあふれる映画。
上映実行委員会の皆さんに感謝で
2024年、残り少なくなりました。
年末の慌ただしい空気の中を歩いていて、ご近所のお寺の前に掲げられたメッセージに出会いました。
なんとシンプルで美しい言葉だろうと思います。
今、この時代に。
戦争の時代を生き方たちの体験談を若い人たちがインタビューした、市の80周年記念事業の一環として残された動画を改めて視聴しました。
7人の方のお話、言葉のひとつひとつを心を刻みます。
YouTubeで配信されていますが、市のホームページから探すのは、なかなか大変です。
トップ画面の「各課のページ」⇒「市長公室」⇒「人権くらしの相談課」⇒「担当業務案内」⇒「非核平和に関すること」⇒「若者に語り継ぐ戦争体験談~」・・・ここで、YouTubeのサイトにリンクされてます。
2022年3月の予算委員会で「直接の戦争体験をお聞きすることは今しかできない」という発言をしたものでした。
その提案を受け止めて、企画してくださった担当課の職員の皆さんや、高齢者のお話に真摯に耳を傾けて、編集してくださった若者会議の皆さんには心から「ありがとう」と申し上げたいと思います。
そして一人でも多くの市民の皆さんに、貴重な映像記録に触れて頂きたい。
お寺の前に掲げられた、メッセージにふれて思ったことでした。
子どもたちと一緒に絵本の世界を楽しむ 絵本の会ぽっかぽかの主催で「夏のおはなし会」が明日8月5日です。
ぽっかぽかは、毎月、テクスピア大阪の地下会議室で「おはなし会」をしています。
7月も、あかちゃんと一緒の若いおかあさんが参加してくれて楽しいひとときでした。
私もずっと仲間に入れていただいてはいましたが、なかなか参加できる機会も少なかったのが今までです。
5月からは、これまではよりは出席率もあがり・・・。
明日も楽しみにしています。
そして8月は「平和」を考える特別バージョン。
夏休み中でもあり、小学生、中学生も参加してくれたら。
もちろん大人の方だけでも。
2時~3時半という暑い時間ですが。
お待ちしています。
絵本の会 ぽっかぽか 夏のおはなし会
絵本と音楽で平和をかんがえよう~
8月5日(土) 14;00~15.30
テクスピア大阪B02会議室
申し込み・参加費不要
国民平和大行進。
東京から西へ、そして8月6日の広島に向かって歩き続ける。
泉大津を通過するのは、毎年7月3日と決まっています。
写真の左でマイクを持っているのは、東京から広島まで歩き通す「通し行進者」の方。「被爆2世」とおっしゃっていました。
別の用事と重なってしまい、今年は和泉市からの行進団を迎え、高石~堺へ向かう泉大津の引き継ぎ集会の参加だけでした。
「歩く」というシンプルな行動をつなぎ、続け、積み重ねて平和の願いを形にする国民運動。
一年に一度、ここでお会いして「久しぶり!元気?!」と声かけあうのも楽しみ。
6年前に股関節の手術をする前は、歩きたくても歩けない時期があり、その前には無理して少しだけ参加していた時期もあり。
歩けることは幸せです。
以下は昨年2022年3月 予算委員会会議録からの引用。
非核平和啓発費について発言した部分です。(省略してますが、それでも長くてスミマセン)
80周年記念平和事業について具体的にご説明をいただきまして、楽しみにしたいと思うんですけれども、しかし、今、80周年ということを考えたときに、市民の方で戦争体験をされた方がそのことを語っていただける、その話を私たちが聞けるということについては、周年事業ということでは、私はこの80周年が最後の機会だというふうに思っているんです。20年後には100周年を迎えるわけですけれども、そのときには、市民の方の戦争体験を聞くということは、恐らくはかなり難しいだろうというふうに思います。
50周年のときに泉大津市が発行した戦争体験記集。全世帯に配られたものではありませんけれども、市民から戦争体験を広く公募していただいた。その中の一つに、私の母が書いた文章をここに載せていただきましたので、それで私の手元にあるんです。 私の母は亡くなりましたけれども、この中でこういうふうに書いてあります。「私は祈りを込めて、孫たちに戦争の体験を話して聞かせます。そして併せてよく見える目、自分で考える心を持った大人になってくれるよう切に願うのです」泉大津市が市制スタートしたその時代、非常に厳しい困難な時代だとは思うんですけれども、そのときの体験を子供として体験した。小学生の自分が戦火の中をくぐっていく、空襲の中を逃げ惑っていく、そういう体験を書いていただいている方もありますし、学童疎開の経験もあります。 今の子供たちに、自分たちと同じ年代だったその当時の子供がどんな子供としての時代を過ごしたのか。そのことを伝えていくということは、私は今しかできないことだというふうに思っておりまして、子供として戦争を見た、戦争という体験をした、そういう世代から、今の子供たちへのメッセージを文字で、そしてできれば映像ででも残して、次世代に残していくというふうなことを考えていただきたいなということを、要望します。
「戦争の時代を生きた市民の体験を、今の子どもたちへのメッセージを、できれば映像で残し、次世代に残していく・・・」という私の提案を、80周年記念事業のなかで具体化していただきました。
広報紙で「戦争体験談」をお話頂ける方を公募し、応えてくださった7人の方の体験談を市のインターンシップで活動している学生さんのインタビューで聞き取り、「若者へ語り継ぐ戦争体験談~戦争体験を風化させないために~」という約50分の動画に編集。近く、ホームページでも公開されるそうです。
昨日は、公開に先立って、体験を語ってくださった方々、編集に携わった方々の視聴の会で、私も参加させていただきました。7人の方のどのお話も、「事実の重み」として言葉のひとつひとつ、胸に響きます。
私の提案を受け止めて企画してくださった職員の皆さん、公募に応じて、お話し頂いた7人の市民の皆さん、そのお話に真摯に耳を傾け、動画編集をしてくださった学生のみなさんに感謝です。
長くなりました。
読んでくださってありがとうございます。
ご案内です。たつみコータローさんの話を、ぜひ聞いてください。
知事候補 たつみコータロー 街頭演説
3月30日(木)泉大津駅東ロータリー
夕方 5時
今問われているのは、カジノという新たなギャンブル場を設けるな、ということです。カジノはパチンコ以上に国民を収奪します。以前国会で取り上げたこともありますが、大阪のパチンコ約800店の利益が約2000億円、大阪のカジノは1店舗で4900億円。つまりそれだけ客が収奪される(=負ける)ということです。またそれだけ依存症が増え、地域経済を落ち込ませます。(たつみコータローさんの訴えより)
市内で様々なイベントが開催されています。
コロナで中止、開催してもリモート・・・が続いていたなかで、リアルで顔を合わせ、言葉を交わせる嬉しさを実感します。
今日は、泉大津9条の会など、市内で「平和」を守る運動を日頃から重ねている団体が集まって、実行委員会をつくり開催を重ねてきた「平和憲法を考えるつどい」。
会場はいつもの勤労青少年ホームではなく、神明町の南冥寺さんの本堂をお借りして。
泉大津の小学校のなかでも最も歴史の古い戎小学校は、ここが創建の地だそうです。
南冥寺20代目の住職、戸次公正さんが「太平洋戦争のころの泉大津」について、お話してくださいました。住職ご自身は、戦後の生まれですが、「泉大津市史」をひもとき、泉大津に寿重工と言う軍需工場があったこと、そこで働く人たちの社宅があったのが、今の寿町・・・など。初めて知ることがありました。
そして、あの時代に非戦の声をあげた宗教者のお話。その勇気と信念を想います。
その想いを、受け継ぎ、地域に根差してたゆまぬ活動を続けてこられたことに感謝と敬意を抱きます。
昨日、テレビの画面で見て、聞いた、広島・平和記念式典。
広島市長の「平和宣言」、子ども代表の「平和への誓い」、国連事務総長のあいさつ、岸田首相のあいさつを、今日は新聞に掲載された活字で読む。
岸田首相の「哀悼の誠」、「心からのお見舞い」、「被爆地広島出身の首相としての誓い」・・・等々の言葉が、空しい。
核兵器禁止条約に一言もふれないで、何を誓うというのか。
是非、参加したいと思っていたイベントでした。
いろんな方に口コミでPRしましたが、私自身は迷った末に、参加は見合わせることにしました。
ごく最近、接触した人がコロナに感染しています。
自宅療養中で、一日も早い回復を願いながら、自分が感染している不安をぬぐえません。
会場は、充分な距離をとって座れるとは思いますが、親しい人に会えば、会話も弾むことだろうとも思います。
「リモートで発信してもらえませんか?」
「後日でもいいので、動画をアップしてもらえませんか?」
担当課に電話して無理なお願いも、あえてしてみましたが、実現しませんでした。
コロナ禍の2年半、ほとんど一つだけ思いつく「よかったこと」は、離れていても、リモートでコミュニケーションをすることが、日常のなかに溶け込んだこと。
何十年もお互いに遠く離れていて、会うことのなかった高校時代のクラブの仲間から、「zoomで話そう」とお誘いがあったりします。
感染の有無にかかわらず、様々なイベントも、リモート併用でしてもらえたら、外出しにくい人でも自宅で参加できるようになるかもしれません。
どこかで提案してみようかと思います。
というわけで、心静かに、自宅のテレビの前で平和式典の時間を過ごしました。
7月3日、この日に今年も平和行進が泉大津にやってきました。
10時から市役所前で引き継ぎ集会。その後、高石へ向かいます。
コロナ以前は、東京から広島へ歩き通す「通し行進者」が紹介されたものでした。
そして、歌いながら、シュプレヒコールを上げながら、みんなで歩いたものでした。
コロナの影響で、制約されなかがらも毎年、続けられてきた市民の平和を願う運動のひとつです。
こういう一つ一つの積み重ねが、38年前の「非核平和都市宣言」を後押しし、5年前の核兵器禁止条約に実り、核廃絶に迎う歩みを創り出しているのだと思います。
戦争が続いている中での「平和行進」。
この歩みを前へ!
ロシアによるウクライナへの本格的な侵略が始まって1ヵ月。
JCPサポーター阪南の皆さんと一緒に、侵略戦争に抗議、ウクライナ支援の募金も訴えました。
お昼前の松之浜駅前。人通りもまばら。
駅前のスーパーのお客さんも駅の乗降も少なく、それでも、何人かの方がウクライナ支援の募金箱に駆け寄ってきてくださいました。
「もうこれ以上、戦争で命をなくす人がないように。どうか一日も早い停戦を」の想いは同じだなあと思います。
2017年に122ヵ国の賛成で採択された核兵器禁止条約。
昨年1月に正式に発効した条約。
「長崎を最後の被爆地に」と、どれほどの人たちが声をあげ、行動し、条約の採択と発効に至ったことか。
その運動の先頭にたった日本の被爆者の方々のこと。
そして広島、長崎の市長の呼びかけに応えて、ほとんどの市長村長が参加している平和首長会議。
一歩、一歩、「核のない平和な世界」に向かって歩みを進めているのが今だということ。
だから「核共有」などと、時代逆行は論外だということ。
平和を創る。そのために小さな力でも、今、できることをしたいと思っています。
泉大津市が市民の戦争体験を集めて発行した「戦後50周年記念誌」が手元にある。
1995年、戦後50年の年に市民に呼びかけ、翌年、1996年2月の発行。
今年は、泉大津の市政施行80周年。
80年前といえば、1942年。
太平洋戦争のさなかに、大阪府下で7番目の市として誕生した。
80周年の記念行事についての報告を聞くなかで、「この街で暮らした人々の戦争の体験を、肉声で聴くことができるのは、今をおいてないかもしれない。」と思いいたった。
「50周年記念誌」には、当時、一緒に暮らしていた母が寄せた一文がある。
「私は、祈りをこめて孫達に戦争の体験を話して聞かせます。・・・・
命を捨てることが国を護る道と信じて逝った人達。
それに疑いを抱きながらも、なす術なく無言で散っていった人達。
私と同年代のそれらの若者達の声が、無念の想いが、50年を経た今、
私の胸の奥に鳴り響くのです。」
市民の「戦争体験集」は泉大津図書館シープラの書庫に保存してくれてありました。
貸し出しもしてくれます。読んでほしいなあと思います。
母が私の娘たちに折にふれて話してくれたように、あの頃、子どもだった方たち、まだお元気な方々がおられる今、私たちに、今の子ども達に「戦争」の話をして欲しい。
そして、未来に生きる人達に残して欲しい。
予算委員会の総務費の質疑のなかで、非核平和啓発費に関連して、そんな提案をした。
予算委員会第一目。一般会計歳出の、議会費、総務費質疑が終わりました。
明日は、民生費、衛生費です。
今日のお弁当。
かぼちゃは、水と調味料を入れて炊くより、電子レンジで適当な時間、チンとするのが一番簡単かつおいしいことに、最近、気が付きました。ふわっとラップをかけて、バターと醤油で味付け。
昨日、土曜日。
春の日差しが嬉しい、暖かい日でした。
近くのスーパー前で。
ウクライナの国旗、上のブルーは青い空を、下の黄色は畑の実りを表しているのだとか。
「ロシアによるウクライナへの侵略に抗議します」
若々しい声が響きます。
日本共産党を応援するJCPサポーターの皆さんでした。
「こんなところで言っても、ロシアに届かないよ」と言いながら、通りすぎる方もありました。
ここだけではなく、日本中の、世界中の、いたるところで声をあげればきっと届く。
たくさんの人たちが今、立ち上がっていることを知っているから、私たちがここで、訴え続ける。
FBで「ウクライナの友人から」と言って投稿された、街が燃えている映像。
確かに人の暮らしがあったところ、人の影がなく、ビルが、木々が、崩れた瓦礫が燃えている。
深い悲しみと憤りをもってシェアした。
「平和憲法を考える市民のつどい」、昨年はコロナ禍で開催できず2年ぶり。
九条の会の呼びかけ人の一人、2010年に亡くなった井上ひさしさんの講演のDVDを視聴。
よびかけに応えて、泉大津九条の会を立ち上げた頃のことを思い起こす。
こうして集まって話し合うことができるは、やっぱり嬉しいことだ。