幸福の科学大学 待望論
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2015年の開学を目指す「幸福の科学大学(※)」。宗教的精神を持ちながら、高度な知識と技術を身につけた人材を育てたいというその理想に、国内外から多くの期待が寄せられている。
(編集部 小川佳世子、河本晴恵、山本慧、冨野勝寛)
※仮称・設置認可申請中
Interview
「人間学」がリーダーをつくる
中国古典の研究者で、「人間学」「帝王学」にかかわる数多くの著作を出版し、講演活動を行っている中国文学者の守屋洋氏に、リーダーを輩出する大学教育の可能性について話を聞いた。
中国文学者

守屋洋
(もりや・ひろし)1960年東京都立大学人文学部中国文学科修士課程修了。中国古典に精通する第一人者として著述・講演に活躍し、現在、SBI大学院大学教授。難解になりがちな中国古典を平易な語り口でわかりやすく説く。『論語の人間学』『中国古典の人間学』(共にプレジデント社)など著書多数。
幸福の科学が大学をつくろうとしているのは、「社会有為の人材を育てよう」という趣旨だと思います。宗教心は心の支えとしても、リーダーの輩出という観点からも、必要です。
私はこれまで、大学教育や講演活動などで人材養成にも関わってきました。極端な言い方をすれば、社会人には2種類あると思います。一つは「社会を支えている人」で、もう一つは「ぶら下がっている人」です。
「社会を支える人」になるために必要なのは、まずは人に対する優しさが大切で、これは宗教的な側面からも出てくることです。もう一つ、困難を物ともせずやり遂げるタフさ、たくましさも必要です。
こうした精神の大切さは中国古典では、『論語』と『孫子』に書かれています。論語からは、信頼される社会人になるためにはどうするか、人に対する優しさを身につけた社会人になるにはどうしたらいいかを学べます。『孫子』では、逆境に強く、戦略・戦術も身につけた人材のあり方を学べます。
リーダーに必要なのは「無私」となる覚悟
ただ、その上でリーダーになるためにはもう一つ必要なものがあります。私の知り合いに、企業弁護士として、何百人もの企業トップと付き合ってきた人がいます。彼は、「トップの条件を一言で言うと『無私』だ」と語っていました。トップが自分のためにやっているということが見えると、危機が訪れた時、人は去っていくというのです。
中国古典にも、「名君というのは、自己犠牲以外の何物でもない」という黄宗羲の言葉があります。トップには権力があり、何でもできる立場なので、いかに私欲を抑えられるかが、名君と凡君の違いなのです。
私心をなくして世のため、人のために尽くすには、自己犠牲に耐える覚悟が必要です。地位が上がるほどその覚悟を持たなければいけない。そうした精神を身につけるためには、宗教の役割も無視できないでしょう。
古典の知恵が日本を支えてきた
こうした覚悟を備えたリーダーが減ってきたのは、日本の戦後の教育で、「修身」や「道徳教育」を押し付けだと毛嫌いしてきたことのつけが回っているのだと思います。しかし本来、「修身」とは、人から押し付けられるものではなく、自分で自分を磨く自覚的努力を促すものだったはずです。
自分を磨く上では優れた人物の生き方や知恵に学ぶことが欠かせません。ハウツー的なものでは、本当に厳しい状況に置かれた時には役に立ちません。
人間の営み自体は、古来からそんなに変わっていないのです。「どうすれば部下にやる気になって頑張ってもらえるのか」という管理職の悩みは、3千年前にもありました。そうした問題と解決の記録が古典であり、歴史の本なのです。自分の人生を自分で切り開く時に、古典の磨き抜かれた知恵は大変参考になります。これらは、今風に言えば、「人間学」になるかもしれません。
実は中国古典は、中国より日本で広く読まれてきました。中国では支配層しか読んでいないのですが、日本では寺子屋でも『論語』くらいは教えていました。しかも先人たちの偉いところは、その知恵を鵜呑みにするのではなく、日本の伝統の中に上手に取り入れたことです。
人間の生き方にも原理・原則はある
未来ある若者が外国に行って活躍する上でも、日本人としての自覚と誇りを持つことが必要です。日本の歴史や偉人について学び、自信を持ってもらいたいと思います。
兵法に原則があるように、人間の生き方にも、あるべき原理や原則というのはあるのです。こうした基本や原則というものを大学の段階で教えておけば、社会人としての経験を積んだときに、その深い意味が分かるようになります。それをどう現実の社会で活かすかは、それぞれの努力にかかってきますが、ここ最近、優れたリーダーが出てきていないのは、リーダーの心得を教えてこなかったからでしょう。
幸福の科学大学では大きな理想を掲げ、しっかりと教育を行い、社会を支えていける人材、リーダーとなれる人材を輩出されることを願っています。 (談)
Interview
原理・原則をつかむことが経営成功への道
現実のビジネス社会を知る人は、大川総裁の「経営成功学」をどう見るか。経営コンサルタントとして企業の経営アドバイスを行っている小宮一慶氏に、宗教系大学で経営を教える意義を聞いた。
株式会社小宮コンサルタンツ
代表取締役

小宮一慶
(こみや・かずよし)経営コンサルタント。1957年、大阪府生まれ。81年に京都大学法学部卒業後、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。在職中の84年から2年間、米ダートマス大学タック経営大学院に留学、MBA取得。96年に小宮コンサルタンツを設立し、現在に至る。著書は、『日経新聞の数字がわかる本』 (日経BP社)『世界のビジネス最前線から見た グローバル時代に勝つ子を育てる実践教育論』(実業之日本社)など多数。
大川総裁の経営論は、ビジネスの本質を突いています。『「実践経営学」入門』には、ビジョンや考え方の大切さということも書いてありますし、二代目経営者について「甘やかされている場合が多い」とあるのは面白い。
「勘が大事」との指摘はさらに本質的なところだと思います。確かに、経験を積んでさらに勉強した人は、勘が冴えています。また、「借入金は必ず返さないといけない」というのも当たり前ですが、「借り入れれば勝ち」と思って忘れてしまう経営者もいるのです。
この本のまえがきに「経営学の教科書を何回読んでも、畳の上の水泳訓練と同じ」とありましたが、その通りです。経営は勉強だけでも、実践だけでもうまくいきません。やはり、両方が大事なのです。
また、『経営が成功するコツ』にも、「仕事に創意工夫をして付加価値を付ける」とあります。私も社員によく言うのですが、仕事というのは、お客様に喜んでもらうことです。工夫すれば、より多くの人に喜んでもらえる仕事が早くできるようになります。
「経営成功学」はある
私は、「経営成功学」はすでに存在すると思っています。経営成功のためのアドバイスを仕事にしていますが、言い回しこそ違えど、私独自の理論は全くありません。ドラッカー、松下幸之助さん、一倉定先生(注)らの理論を学び、どのように実践すればよいかを教えているのです。このように、成功論の根本にはすべて共通したものがあります。
例えば、自分たちの企業を客観的な目で見て、変えていくこと。一倉先生は「お客様第一」と言っているし、ドラッカーは「マーケティングとイノベーション」と言っていて、それはどちらも「社会の変化に合わせる」ということです。
また、社会を豊かにしようという考え方もあります。幸之助さんは、「宇宙の原理は生成発展だ」と言っていますが、世の発展に貢献している限り、ビジネスは自然にうまくいくということです。
幸之助さんは、七転び八起きという言葉が嫌いでした。真剣勝負が大事で、最初から"こける"と思ってはいけないということです。結局、原理・原則を押さえた上で、勝つにはどうすればいいかを考えればいいわけです。
近年、「失敗学」というものも流行っているようですが、失敗する人は何をやってもやはり失敗します。成功するための原理・原則を勉強しなければ成功はできません。
(注)一倉定(1918~1999年)。経営コンサルタントの第一人者として、5000社を超える企業を指導し、倒産寸前の状態から立て直した。
経営は正しさを求める「修行」
経営がうまく行かない理由のほとんどは、「お金を儲けたい」など、顧客にとってはどうでもいいことに集中するからです。
結局はこうした欲との戦いになるので、経営は「修行」のようなものです。そのためには日々の反省によって、「儲けたい」という欲を、「自社の商品やサービスを通じて社会を良くしよう」などという大きな使命感に昇華できるかどうかが重要です。
成功体験がある人は反省しにくくなりますが、反省できないのは、志のレベルが低いからかもしれません。高い志があれば、多少売り上げが伸びるくらいでは満足できないはずです。
経営者がこうした正しい考え方を身につけるための「修行」をし続けることは、長期的な成功につながっていくでしょう。
経営者個人だけでなく、企業レベルでも同じことが言えます。大川総裁の『経営が成功するコツ』にも「ミッション経営」について書かれていますが、経営者は経営理念を練り込み、規模相応の経営をする必要があります。会社が大きくなると仕事が複雑になるので管理業務が増えますが、管理そのものに集中してしまうと「お客様に喜んでもらう」という仕事の本質を忘れがちになります。社員が「正しさ」を見失わないためにも、企業理念が大事になってくるのです。
考え方が浸透している組織は強いです。宗教団体が強いのは、考え方が求心力になっているからであって、幸之助さんも、宗教団体を視察して理念の大切さに気づいた年を創業の年にしているくらいです。
私はアメリカで教育を受けましたが、その根本にはプロテスタンティズムが入っています。アメリカには宗教系の大学がたくさんありますし、宗教観がない教育などというのは、本当はあり得ないことです。正しい経営の本質には、ある意味で宗教的なものがあると思います。宗教系の大学である幸福の科学大学で、成功する経営学を教え、日本を繁栄させる成功者をたくさん育ててください。(談)
Interview
経営の目的は社員を幸せにすることと社会への貢献
数々の講演や企業コンサルティングなどで、顧客から高い満足度を得ている坂上仁志氏に、大学で学ぶべき経営学とは何かについて聞いた。
経営コンサルティング会社「フォスターワン」
代表取締役

坂上仁志
(さかうえ・ひとし)
1962年、埼玉県生まれ。一橋大学卒業後、新日鉄、リクルートなどに勤務後、日本一の会社を立ち上げる。その実績とランチェスターNo.1戦略をもとにNo.1つくりを支援する経営コンサルティング会社フォスターワンを創業。早稲田大学講師(2011年)著書「ランチェスターNo.1理論」「ランチェスター経営戦略」など。
大学で学んでほしい経営に関する内容は3つあると思います。
(1)まず、経営に関する原理原則や基礎となる理論を学ぶことです。私が専門とするランチェスター戦略や、ドラッカー理論がそれに当たります。
(2)次に成功事例を学ぶことです。ハーバード大学では、たくさんの成功事例を学ぶことで、経営で成功する確率を高めています。
(3)さらに、理論だけではなく体験することです。学園祭で焼きそばを売るのでもいいので、実際にやってみることです。何をいくらで仕入れ、いくらで売るか。売上を最大にするためにはどうしたらいいかと工夫する。疑似経営者として、1円でもいいから稼いでみる体験が(1)と(2)の学びをより深くします。
これら3つを身につけておけば、起業する際に必ず役立ちます。
経営の経験がある先生が「経営」を教えて欲しい
本来、泳げる人が水泳を教え、英語が話せる人が英語を人に教えるべきです。しかし、英語が上手に話せない人が英語を教えているのが学校の現状です。そうではなく、自分ができて初めて人に教えて欲しいのです。
しかし、残念なことに大学では、鉛筆1本すら売ったことがない人が、経営学を教えている場合もあります。経営の「け」の字も知らない人が空理空論だけで経営を教えても、授業を受けている学生が本物の経営を学ぶことは難しいでしょう。
経営コンサルタントの中でも、実務を全くしたことがない人のアドバイスは、キレイに聞こえるのですが、実効性が乏しい。実業を通じた実践から学ぶ実学こそが、本物のその人の力となるのです。泳げない人からより、北島康介から平泳ぎを教えてもらうほうがいいのと同じです。
哲学が経営上の判断基準になる
私が経営において大切にしている視点は、「心技体」です。「心」は、経営理念や哲学を意味し、「技」は戦略、そして「体」が実践を指します。
実は最も大切なのは「技」より「心」です。なぜ経営に理念や哲学が必要かと言うと、経営上の判断基準になるからです。
一部の人たちは、経営理念がなくても、経営はできると言います。しかし、会社規模が大きくなり、創業から時間が経てば経つほど、創業者の強い「思い」が込められた理念がなければ、会社はうまくいきません。ある調査によると、理念の有無と業績の良し悪しには明確な関係性がある。つまり、経営理念を持つ企業ほど業績がいいのです。
考えてみれば当たり前のことです。経営は、人間が行うものですから、誰しも良い相手と商売をしたいし、だまされたくない。そうであるならば、自然の摂理に従い、自らが正しい経営をすれば、協力者や顧客は集まってくる。これが経営理念の根幹でしょう。正しい経営理念の上に、戦略と実践が加われば、成果を上げることができます。
経営には「利他」やイノベーションが必要
そもそも、経営は何のためにあるのでしょうか。私が尊敬する京セラの創業者・稲盛和夫氏は「全従業員の物心両面の幸福と、人類社会の進歩・発展に貢献する。これ以外に経営の目的はない」と言い切っています。結局は、人を幸せにすることに尽き、言葉を変えればそれは「利他」といえます。
「利他」は経営で言えば、「マーケティング」に通じます。なぜかというと、自分だけよければいいという「利己」の発想から、相手の立場に立つ「利他」の発想に自分が変わる必要があるからです。マーケティングとは、自分が売りたい商品を売るのではなく、顧客がおのずから欲しがる商品・サービスを提供することだからです。このように、マーケティングを通じて、「人の心とはどのようなものか」を知ることができます。
経営とは人が人を相手に行うものですから、心理学の要素が必要になります。経営学部の中に、販売心理学や価格心理学があってもいいと思います。
変化する消費者のニーズに対応し、実社会で使える学問であるためには、経営学自体がイノベーションをする必要があります。日本を良くするために、変化を恐れず現状を変える、まったく新しい経営学部ができることを期待しています。 (談)
Interview
学問の普遍性を大切に哲学は元来「幸福の科学」
上智大学名誉教授

渡部昇一
(わたなべ・しょういち)1930年山形県生まれ。55年上智大学大学院修士課程修了。ドイツのミュンスター大学、イギリスのオックスフォード大学に留学。哲学博士。フルブライト招聘教授。71年に上智大学教授。94年にミュンスター大学名誉哲学博士号を受ける。専門の英語学のみならず、多岐に渡る分野で言論活動を行う。『人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』(海竜社)など多数の著書があり、訳書に『自助論 上・下』(幸福の科学出版)がある。
古来、哲学の目的は、「幸福を求める」というものであって、哲学はもともと「幸福の科学」だったのです。ですから、「人間幸福学」といえば、それは昔の哲学のことです。
時代が下るにつれ、客観的な要素が分離して独立していったのです。デカルトやカントは、目に見えないもののことは知っていて、尊重しつつも、学問を発達させるためにあえて分離しました。
例えば、神の存在に触れながら『幸福論』を記したヒルティも法学者でした。学問的研究と精神的な高みは両立するのです。こうした歴史的な経緯を踏まえると、幸福の科学大学の教授陣には、客観的で普遍的な学問を積み重ねて来て、それぞれの学界で認められた人材を揃えるという努力の余地があるのではないかと思います。
私も英文学という客観的な学問を修めた立場ですが、目に見えない存在についても尊重しています。
今後、科学技術が進歩して、例えばクローン人間が生み出せるようになれば、生命倫理の問題が出てきます。カズオ・イシグロ氏の小説には、臓器移植のために作られたクローン人間の話がありました。こうした技術の発達とともに、神学や倫理学、哲学において、人間の魂や神の存在について考えを深める必要があるでしょう。科学者であっても、倫理的な素養を身につける機会を持つことは大切だと思います。
学問の「普遍性」を大切にして、新しい大学の設立に尽力してもらいたいと思います。(談)
Interview
愛国者としての国際人材を育てる大学を
外交評論家

加瀬英明
(かせ・ひであき)1936年、東京生まれ。77年から福田・中曽根内閣で首相特別顧問を務めたほか、『ブリタニカ国際大百科事典』初代編集長を経て、現在は国内外での講演・執筆活動を行う。『ユダヤ人の知恵 世界最高の“成功者集団"の秘密』(アスペクト出版)、『加瀬英明のイスラム・ノート』(幸福の科学出版)など著書多数。
幸福の科学大学には、「愛国者を育てる大学」になることを期待しています。そのためには、「国際人になる前に、まず日本人になれ」と言いたい。
日本の神道は多神教ですが、私も一神教よりも普遍的なものだと考えてきました。
日本では、「上に立つ者は徳でもって治め、国民は調和の心を持つ」という絆によって結ばれていますが、これは世界に最も欠けているところです。このような精神を世界に発信することが重要になります。
「幸福の科学教学は新しいので大学で教えられない」というのでしたら、成立してからすぐに教えていた日本国憲法も「新しいから教えてはならない」ことになってしまいますよね(笑)。
自国の歴史を学び、日本人としての自覚を持った上で、世界のいろいろな宗教について学ぶ中で、国際的に活躍できる人材が育つと思います。 (談)
Interview
軍事的脅威に瀕する日本に「幸福学」は当然必要
中国軍事専門家

平松茂雄
(ひらまつ・しげお)1936年生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、防衛庁防衛研究所勤務。同研究室長、杏林大学教授を歴任。専門は現代中国の軍事・外交。著書は『実践・私の中国分析―「毛沢東」と「核」で読み解く国家戦略』(幸福の科学出版)、『日本は中国の属国になる』(海竜社)など多数。
先日、ある埼玉の県立高校の副校長に「私が幸福の科学大学で中国の政治や軍事を教える」と話したら、大賛成してくれました。彼は「日本の教育に欠けているのは宗教だ。政治や経済などを教えていても、人間の生き方を教えていない。だから幸福の科学大学に期待する」と言っていました。精神的な価値を含んだ学問をつくることは非常に大切です。「人間幸福学部」がよくないというなら、「人間不幸学部がいいのか」という話になります。それは単なる屁理屈であって、粗探しをしているだけではないでしょうか。日本が国防的な危機に瀕している今、人々の「幸福」を考えるのは当然です。
自分の国を守るにはどうしたらいいかを学ぶのも当たり前のことです。その国に知恵がないから軍事的に攻められる。日本の大学で「軍事」を学べるところはほとんどありませんが、国民の幸福のためには必要です。
私は中国の軍事を20年、30年と研究し、その戦略と脅威が分かってきました。日本やアジアのために、長期的な視野で人材を養成しなければなりません。(談)
column
「大学設置審議会」の恣意的な判断に困惑する大学
大学を設立するには、「大学設置・学校法人審議会」の審査を経なければならない。だが、その判断は恣意的なものも多い。このコラムでは、文科省による新規参入大学への"いじめ"とも呼ぶべき実態を追跡する。
「大学設置・学校法人審議会(以下、審議会)」は、大学設置の可否を審議する機関だ。新設大学のカリキュラムや経営計画を、専門的な立場からチェックし、認可の最終判断者である文部科学大臣に伝える。
だが、その審査の過程は非公開。審査メンバーの多くは大学関係者で、こちらも非公開だ。すなわち、「密室」で、新設大学にとっては「同業者」にあたる人々が判断しているのだ。
本誌10月号でも指摘したが、こうした審議会の構造的な問題は、「現代の暗黒裁判」とも言うべき、不公平な判断を生む土壌となっている。
大学の規制緩和に反対する審議会
8月、三大予備校の一つ「代々木ゼミナール」が校舎の7割を閉校すると発表し、大学関係者に衝撃を与えた。「帝国データバンク」の2012年調査によると、私立大学約500校のうち、4割が赤字。少子化が経営問題に直結する大学界も、すでに"倒産時代"に突入したと言われている。
その一方、1991年以降の「大学設置基準」の緩和を受け、ここ20年の間に、約220の大学が設立されている。少子化問題に加え、大学の新設を促す規制緩和については、各界から根強い反対論も見受けられる。
当の審議会も、「準備不足の大学申請が多くなった」「申請者の自覚が薄い」などとして、規制緩和によって大学の質が低下していると主張。現在のところ文科省は、表向きには大学の新設を抑制するという方針を取ってはいないが、本音では、「これ以上、大学は必要ない」と考えていてもおかしくはない。
実際、文科省のコントロール下にある審議会は、ここ数年、新たな大学の設置申請に、不認可や厳しい意見を出している。その結果、自主的に申請を取り下げる大学も増えている(右図)。
既存の大学を保護しても質は上がらない
「規制緩和によって、大学の質が落ちた」との意見は、説得力があるようにも見える。しかし、数を減らせば質が高まるわけではない。むしろ、社会・国際問題が複雑化する現代では、それらに対応できる幅広い高等教育へのニーズは高まっている。
また、文科省や審議会は、「教育は公共性が高い」との理由から、大学の倒産は望ましくないと考えている。だが、一度認可されて経営努力をしない大学を保護するために新規参入の障壁を高くするなら、教育力の向上は望むべくもない。審議会は、質を保証するために「大学設置基準」に基づく審査を厳格化しようとしているが、これは結局、新規参入を阻む「規制強化」に他ならない。
以下、大学や学部の設置申請に対し、審議会が下した判断が妥当なものかを検証する。
事例(1)
命名権がない?
文科省のホームページには、「私立大学の自主性や特色を尊重する」と記されている。だが、新設大学・学部についての過去の審議会の判断は、むしろ、私立大学の自主性などをそぎ落とし、画一的な大学をつくり出そうとしているように見える。
例えば、宮崎県の南九州大学は、幼・保教育などを教える「人間発達学科」を申請したが、「学科の目的が分かりにくい」との理由で、「子ども教育学科」に修正させられた。同大学には、「人間発達学部」があることを考えれば理解に苦しむ。
学部や学科の名称は、その大学の理念を示し、他大学との差別化を図る上でも重要なもの。命名を制限されるなら、自主性も何もあったものではない。
事例(2)
地方国立大学の使命は「地域貢献」のみ?
香川大学は、大学改革の柱として、語学や環境知識などを身につけた国際人を輩出する「教養学部」の新設を11年に申請した。
しかし審議会に、「地域貢献は地方国立大学の使命。ニーズに応じた構想にせよ」と指摘され、地域性を重視した学部の構想を"強要"された。
結局、同大学は教養学部の新設を断念し、新しい学部もできなかった。審議会のいう「ニーズ」が本当にあったのかどうかは、特に検証がなされていない。

文科省の恣意的な判断に泣き寝入りする大学
こうした審議会の意見には、何ら法的根拠が弱く、恣意的であると言わざるを得ない。しかし、一日も早く認可をもらいたい大学側は、不条理であっても審議会の意見を無視することができない。
さらに、申請者側を悩ませるのは、認可されなかった時の損害だ。建物の確保や教職員採用の確約も認可の要件なので、申請時には既に多額の先行投資をしている。認可されなかった場合、文科省による補償は一切ない。
もちろん、申請者側による努力は必要だ。だが、文科省や審議会が認めなければ新しいチャレンジができないなら、新しい学問など生まれるはずがない。「現代の暗黒裁判」による弊害は、すでに起きている。
Interview
大学規制緩和は不十分! 市場の判断を重視すべき
内閣府の規制改革会議委員を務め、航空業界の規制緩和に尽力した中条潮氏に、今の大学規制の問題について聞いた。
慶應義塾大学商学部教授

中条潮
(ちゅうじょう・うしお)1950年、京都府生まれ。慶應義塾大学卒業後、英オックスフォード大学客員教授などを経て、現職。内閣府の規制改革会議委員などを務め、特に航空業界の規制緩和に多大な影響を与えた。米誌から「規制緩和の戦士」と紹介されたこともある。著書には、『航空幻想 日本の空は変わったか』(中央経済社)、『規制破壊―公共性の幻想を斬る』(東洋経済新報社)など多数。
教育の規制緩和をテーマに議論すると、「教育は、他の産業と同じには扱えない」と主張する人たちがいます。
しかし、それは幻想に過ぎず、基本的には教育も、他のサービス業と同じ。多様なニーズに対し、必要なサービスを市場に供給し、後は市場の判断に任せるべきです。ただし、義務教育の小中学生は判断能力が十分ではない点もあるので、ある程度の決められたカリキュラムが必要でしょう。
しかし、大学生ともなれば、判断能力が備わっています。そうした人たちに対して、「これを学んだ方がいい」「これは学んではいけない」などと、国家が決める必要はまったくありません。公序良俗に反しない限り、何を教え、何を学ぶかについては大学側と学生側が判断すればいいことです。当然、このような意見には、「いい加減な教育をする大学が出てきたらどうするんだ」と反論する人がいます。しかし、塾と同じように考えればいい。情報化が進んだ現代では、そんな大学は長続きしません。
大学に倒産の自由を与えるべき
さらに、「ずさんな経営をした大学が倒産したら、残された学生が路頭に迷う。そうならないために、規制を強化すべきだ」という議論もあります。しかし、規制を強化すれば、それだけコスト・仕事量が増えて、人件費の高騰・仕事効率の低下を招きます。ただでさえ、右肩上がりになっている授業料も、もっと高くなるでしょう。
学生への救済措置については、あらかじめ大学側に対応策を明確化させて、情報開示を求めれば済む問題です。大学が倒産した場合、別の大学に転校する措置をとる大学もあれば、保険で金銭的補償をする大学もあるかもしれません。参入の自由度を高める代わりに、倒産についても、責任を負わせるべきです。
文科省の逆判断
1990年代以降、大学の規制緩和は進んだとは言え、まだまだ不十分な点があります。踏み込んだ意見を言えば、国立大学への交付金支給はなくすべきです。もちろんそれに合わせて、私立大学への補助金も止める。こうすることで、国立大学と私立大学の競争条件をフェアにする必要があります。その代わり、浮いた予算を、教育目的に限定した補助金の支給に転用する。これにより、低所得の家庭の学生も大学進学できるでしょう。
少々細かい話になりますが、大学は文科省から授業日数も決められています。私は「少人数クラスの方が教育効果は高い」という信条を持っていて、ゼミの授業を既定の倍の回数行っています。ところが、文科省から「大教室の授業日数を増やせ」という指導を受けて、ゼミの授業数を削らざるを得なくなりました。文科省は、大学の質を上げるつもりで指導したのかもしれませんが、教育効果は落ち込みました。
こうした点なども各大学の方針に任せるべきでしょう。
審議会はオープンに
一般的に言って、役所の審議会は、メンバーを選ぶ時点で、すでに方向性は決められており、結論も決まっています。たとえ審議会の中に、清廉潔白な人がいたとしても、その人の価値基準で物事を決めるわけですから、偏った判断を避けることはできません。そうであるならば、審議会を廃止し、市場の判断に委ねる方がフェアです。もし、妥当性がある議論ならば、密室ではなく公開の場で進めればよいでしょう。
「選択の自由」は人間の幸福感を高める
私は、「人間は、『選択の自由』がある社会を望んでいる」と考えます。特定の方向性を他人から押し付けられるのではなく、自分で納得をして判断できる自由な社会が、人々の幸福感を高めるからです。選択肢が多ければ多いほど、その社会は豊かな社会と言えます。
当然、選択にはリスクが付きもの。しかし、そのリスクを取るかどうかも、自分で決めることができます。従って、「選択の自由」を奪う規制は、撤廃していくべきなのです。(談)
一日も早い認可を望んでいます
大学ができて学生が集まると、そこに文化が生まれます。商工会としても、ビジネスのお付き合いだけではなく、交流イベントなどを通して、長生村や近隣に住む人たちの知識や教養が増え、人生が豊かになることを期待しています。
「人間幸福学部」ができると聞きましたが、その学部が村にあることで、住民の心が豊かになり、人生が楽しくなって、健康で長生きできる村になったと評判になれば、大学の一つの成果にもなるのではないでしょうか。今、高齢者の医療費増加が社会問題になっています。そんな中で「長生村に住むと、幸せで人生が楽しく、病気もしないで長生きできる」と評判になればうれしい。それは私の夢でもあります。
最終的には大学開校には文科相の認可が必要で、まだ認可が下りていないそうですが、歯がゆい気持ちです。一日も早い認可を望んでいます。(談)