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ちやの日記~ごめんね、いつも長くてさ。

テレビドラマや今日の夕飯、そして、ちょっと愚痴。なんでもない日々を書きます。

父のこと。

2014-06-14 22:53:47 | 日記・エッセイ・コラム

ひとことで言えば、遊び人。

どんだけ、飲みやでお金を使ったか・・・。

「貯金してたら、家が、もう一軒建ったよ。」と、いつも母が、こぼしていました。

それは、少年時代から青年時代に
妹と弟の親代わりにまじめに地道に節約生活をしてきた反動じゃないかと思われんす。

父は、

戦後に

家業の米屋が、つぶれたショックで父親(父の)が、行方不明となり

母(父の)と妹と弟の4人で母の実家の農業を手伝いながらの少年時代。
母が、亡くなり、
自分は、夜間高校へいきながら、警察事務から消防所に入り

母の実家から、結婚を機に独立。

新婚生活をはじめようとしたら、

ある日、私の母が、仕事の帰り道に妹と弟がまちぶせしていて、

「お義理姉さん、一緒に暮させてください。」と言ってきて、

父と母と父の妹、弟の4人の生活が、はじまったそうです。

妹は、高校から短大?にいかせて幼稚園の先生にさせ、
弟は、高校から大学にいかせて公務員になりました。

学費も大変だっただろうし、

生活費をかせぐために

母も私を保育園に7か月で預けて、妹が生まれるまでの5年間働きつづけました。

あれ?母の話になっちゃうじゃん?

そうそう、父ね・・・。

妹を嫁にだし、弟が働き始めて独立して、
家を買ったら
羽を伸ばして
もう、伸ばしっぱなし。

ここにかききれないくらいいろんなことをやらかしました。

どこかのおねえさんに指輪を買ってあげた月賦の払いこみの紙が、家にきちゃっておおさわぎになったり、

まぁ、
私は、子供ながらに
自分は、家庭的なダンナさんにしようと思ったし、
男なんて、信用ならないなぁと思っていました。

あれ?父の良い話をするんじゃなかったっけ?
それは、また、次回。

おやすみ~♪


私は、私のままで・・・。

2014-05-16 18:15:59 | 日記・エッセイ・コラム

月曜日は、
息子が、幼稚園時代に一緒に役員をしたときの友達2人と
下北沢にご飯をたべに行きました。

ママ友の一人が、下北沢出身でご実家が、レストランをやっているので、
そこにね。

私「なに料理なの?」(勝手にイタリアンの店と思っていたのだが)
友「肉!肉だよ。」

・・・・だ~か~ら~肉をどう料理するのかってぇことを聞きたかったのですが、
もう、行くことになっているので、ま、それ以上は、いっか・・・・。(聞かない・・)

下北沢は、学生時代に
何度か、アングラ劇をみにいったことがあるくらい。

新宿も
渋谷も近くて便利な場所ですな。

もうひとりのママ友(B子としましょう)が、「こんな便利なところから
よく来たね。」

ほんとだね。

別の共通の友人は、東京から、うちらの街のもよりの駅に
降り立ったときに、

・・・・・「泣いた。」

と、言っていた。

かくいう私も隣町から引っ越したのだが、
当時は、1時間にバスが2本しかなくて、「不便なところだなぁ。」と・・・・泣いた。

若かったわね。

ま、うちらの街もすめば都。

ま、それは、おいておいて、
下北沢は、駅の再開発によって、ずいぶん、さまがわりしておりました。

ここは、昔はね~と説明をききながら、肉の店に。

ほんと肉の店。

ステーキどんぶりや、ステーキランチ。
ローストビーフどんぶりやローストビーフ定食。

肉のなんでものお店でありました。

私は、ローストビーフ定食にしましたが、やわらか~
おいしかった。

おしゃべり。

みんなで「もう、20年近くのつきあいになるよね。」

ほんとにね。

あのころ、みんな(息子たち)は、赤ちゃんに毛の生えた程度で、
いろんな事件がありましたな。

なんとか、大人になりまして。

親同士もはげましあい、なんでもはなしてきた。

私「いいすぎて、謝ったこともあったよね。あやまるくらいなら、はじめから言わなきゃいいのにね~。」

友A「いや、こんなに何十年もつきあって、今、ここでご飯をたべにきたりつきあえるって、奇跡だよ!!」

最近Aは、転勤しまして、「仕事が、一山こえたってところ。」
だそうで、
人間関係もいろいろあるのかな・・・・。

私「仕事、大変なんだろうね。でも、私なんて、もう、仕事、みつからないから、うらやましいけどね。」

A「いや、○子(私の名前)は、○子のままでいて!」

私「こんな私でいいんですか?」

A「いいよ。そのままでいい。」

私「お世辞でもうれしいわ。その言葉でしばらく生きていける。」

A「安っ!!」

肉を食べ、おおいにおしゃべりし、
下北沢をねりあるき、良い一日をすごしましたとさ。




日本画とムーミン

2014-05-08 16:50:20 | 日記・エッセイ・コラム

G.W.最終日の6日に
東京は、恵比寿の山種美術館にイテキマシタヨ(なぜか、カタコト・・・)

こないだN○Kの日曜美術館で観た奥村土牛の『醍醐』(桜)を観たくてね。

ええわぁ。
日本画の岩絵の具って、きらきらしてきれい。

同じく土牛さんの『吉野』という吉野の山々と桜の絵が、すてきだった。
ぼかしたふんわりピンクの山。
と、手前に咲いてたんでしょうか、リアルに描かれた1本の桜の木。
夢のような絵で

・・・・絵葉書を買ったよ。(物欲~)

午前10時ちょいにINしたので、小腹が減ったけど、
ダンナは、アメ横の安いお寿司やさんで
1杯飲んで今日は、終了したいそうで。
で、私はというと
せっかく東京さに出てきたんだから
これで上野で終わりは、もったいないと

銀座松屋で本日終了の『ムーミン展』観ましょうと決めたので

ここでお腹が、へったのもがまんして、

銀座にいったのでした。

しんどぃ。

『ムーミン展』30分入り待ち。
階段の踊り場3階に待たされました。・・・・会場は、8階。
3階から8階までを駆け上ったら、もう、心臓やぶれるで。
でも、ゆっくり30分かけて登っていくので、大丈夫w。

やっと入場。
しかし、本の挿絵なので
絵が、小さい。
しかも絵を守るために暗いので近寄らないと見えない。
会場アナウンスでは「非常に混んでいますので、順番に並ばずに空いているところからご覧ください。」
って、言うけど、
見えないし、途中から並ぶと横入り的な空気流れるし、つらかったです。

でも、ムーミン、よかった。
ほとんどがペンで描かれているんだけど、
細かい線が、きれい。
なんで、1本のみだれもないんでしょう。
さすが、トーベヤンソン!!
空想の世界なんだけど、ムーミンって、絶対に存在してるよね~(違う?
そう思わせるような背景とリアルなムーミンの存在感。
あたしもペンで描いてみっか。

で、じっくりみていたもので、
ダンナとはぐれて出てきたときには、
ダ「30分待ったよ!」

ちや「これでも、図録だけ買って、レジの行列にならばないようにグッズは、買わなかったんだよ。」

お腹すいたんでしょうね、めずらしく怒り口調だった・・けど、展覧会で絵をみずになにを観るのさ。

じゃ、上野アメ横…御徒町にいきましょ。

午後3時にやっとお昼ごはんとなりました。

おいしかったな~。

ダンナも1杯のんでご機嫌だったのですが、
帰りにお店の支払いをダンナにしてもらって
私は、お店の外の2階にあるお手洗いにちょっと・・そう、ちょっと行ったつもりが、
ダンナがわからなかったそうで、

私が、お手洗いから戻ったら、いなくなってしまった。

はて、この通りの右にいくべきか、左にいくべきか。

しばらく考えて、帰り路となる駅方面にでる大通りに出たがいない!!
ま、駅まで行ってみっかといったら、駅の手前の信号でダンナを発見。

ダンナ「あなた、いないから!!さがしちゃったよ。」

私「そんなに怒らなくても。
お店から出ていなかったら、しばらく店の前で待っていなさいよ。」(自分勝手?

まぁ、ごめんね。とも、言いました。

ありがたいね、探してくれて。

もう、私には、
お父さんもお母さんもいないから
アメ横でひとさらいにさらわれても誰も探す人はいないんだ。

ダンナしかいないんだ。

なんて、最近、時々、さびしい気持ちになるのです。

・・・・え?お○さんなんて、さらわれねぇよ!?ってか!!




春のお彼岸

2014-03-21 17:01:23 | 日記・エッセイ・コラム

お墓参りに行ってきました。
いつもは、父のところ(墓)だけだけど。

同じ市内にあるおじさんのところと
義理のおじさんのところもおまいり。

「母も逝きましたから、よろしくお願いします。」

と、お願いしてきました。

おじさんたち「もう、来たのか!!」と
驚いていると思います。

なんかね、
やっぱり、お骨になってしまうと
悲しくて、

そして、お墓にはいってしまうと寂しいものですね。

で、
過去にもどって
お葬式の話しを書きたいと思います。

それは、それは、にぎやかで楽しいお葬式でした。

本人は、生前「死んだら、お香典集めみたいなことは、したくないから、

自分は、家にもどさないで病院から葬儀場につれていっちゃって、家族だけで葬式をやって。」

と、申しておりましたが、

実際は、たおれて病院にいき、家で急になくなったので警察で監察医の診断を受けねばならなくて、
なんか、そのまま、葬儀場につれていくのは、しのびなくて
家につれてもどりました。
で、どうする?
親戚も少なくなったので、家でやろうか?と同居していた妹が、言ってくれたので、
「そうしよ!」
ひとが集まるってちょっと大変なのですが、
たまたま、ほんとに近所に大きな公園があり、駐車スペースもかなりある。(すみません、お借りしました。)
父のときも家でやったので、
そのときは、とても大変だったのですが、7年もたっていますので、
まぁ、今度は、もっと来る人も少ないだろうし、
忌中払いの食事もケータリングすれば、OKだし~。

家でやろう、
故人の遺志を尊重して、お香典はいただかないとの由を玄関内に貼紙しました。

友引をはさんだので、金曜日になくなって、土日があり、月曜日にお通夜、火曜日に葬式と
お通夜まで2日あるから、どうなんだろうと思ったのですが、

結果的に

家は、良い。

たぶん、会場を借りていたら、そこにいって疲れていただろうけれど、

母に生前気にっていたミッソーニのバスタオイルをかけて

周りにお花をいっぱいにして、

自動演奏してくれるピアノだったので、母の好きだった石原裕次郎の『粋な別れ』などかけて、

昔からの友人や近所のお友達が、たくさん来てくれて、

あれ?楽しくなってきた?

家に(母が)いると

いろいろしてあげたいことが、できるのは、良かったです。

次の日は、自分のメイクどうぐをもってきて
ちょっと目元のクマをコンシーラーで消して、眉を描いて、ラメ入りの頬紅にメイクしてあげました。

妹が、母の持っている『美空ひばりカラーの口紅』を出してきてくれたので、それをぬってあげて、

メイクは、完璧!!

娘の私がいうのもなんですが、「きれい!」

ご友人方「きれい!生きてるみたい!」

そうね、ラメ入りの頬紅が、ポイントよね♪

母が、うちに泊まったときには、毎晩、おふろあがりにパックしてあげたりしてたな~と懐かしい思い出が、蘇りました(泣)

うちの娘「きれい!このまま、ここに寝かしておきたい。」

ほんと、そうね。

こんなに友達が、きて、にぎやかに昔ばなしをして、お茶など飲んで楽しい会場。
本人が、死んでいるのが、もったいないくらいでした。おかしな話だけど。

近所のおじさんは、「〇〇さん(母)、粋な人でした!」

ありがとう!
そう、ちょっと何年か前までは、
竹をわったような性格で、めんどうみの良い母でした。

近所のおばさん「〇〇さんは、『ボーナスはいったから、おごるよ!ついておいで』と毎回、誘われて、一緒にでかけて、ちょっとしたブラウス買ってもらってごちそうになったのよ。」

そうだったねぇ~私もきいてました。

昔からの友達が、『〇〇さん、天晴れな生き方でした。あの世で、また、カラオケできる日まで待っててね!』

ありがとう!ありがとう!みなさん!!

すごく良い方々に囲まれて、幸せな人だったんだなと改めて思いました。

いろんなことがあったけど、

今は、ただただ、感謝のみ!

私もがんばるね!
カフェのみんな、ありがとう。


女帝!!!!

2014-01-31 18:20:46 | 日記・エッセイ・コラム

先週の木曜日の午後3時、女帝(母)より電話。

女帝「〇〇ちゃん(女帝の次女=私の妹)が、いない!ちょっと来てちょうだい。」

駐車場に車は、あれど、姿が見えない・・・と、いう。

私「2階の自分の部屋で寝てるんじゃない?」

女帝「いないみたいなの。足が、痛いから、2階にあがれないし。」

かけつけるにしても、実家まで、バス10分のり電車で一駅行き、再びバスで13分、乗り継ぎ時間があるので、早くて40分くらいかかる。
女帝に干渉されるからと
日中は、たいてい、妹は、二世帯住宅の2階部分で寝ていると前に言ってたから、
今日も寝てるんじゃないかと言ってみた。

私「倒れたような音でもした?とりあえず、携帯の番号を教えて電話いれてみるから。」

女帝、探して、教えてくれた。

一度、女帝の電話を切って、妹に電話した。

電話にでんわ。

しかたがないから、留守電にいれておいた。

女帝、去年の11月ころから、ちょっと妄想する。レビー小体認知症というそうで、亡くなった父が、あらわれてしまう。

そんなだったから、電話番号もわからないんじゃないかと思ったけど、ちゃんと調べていたから
フツーじゃん?と思って、ホッとした。

私が、再び、電話して、女帝に「〇〇ちゃんに留守電いれておいたから、出かけていれば、電話くると思うよ。
私が、かけつけてもいいんだけど、2階で寝てるだけだと思うから、それだったら、きまずいじゃん?」

女帝「わかった。」

(ここから、愚痴ばなしが、続く)

女帝「机に指輪をおいておくとお父さんが、持っていっちゃうのよ!」

キターーーーッ!これが、妄想か・・・・。

私「お父さん、死んじゃったから、ちがうと思うよ。おかあさんは、きちょうめんだから、どこかにかたづけて、しまいこんじゃったんじゃない?今に出てくるでしょ。」

女帝「そうか。」

私「家にとじこもっていると想像しちゃうから、あったかくなったら、外に出て身体うごかした方がいいよ。すっきりするから。」

女帝「そうだね。」

40分くらい、話して、

女帝「アンタは、人の気をそらさないね~。ちょっと、すっきりした。
△△(うちのダンナ)の身体にきをつけてやりなさいよ。」

と、電話が、切れた。

そして、夕方、また、女帝から電話で「いたわ。2階で寝てたみたい。ごめんね~。」

よかった。やっぱりね。


で、その次の日の10時に
妹にこういう事があったよと電話をした。

妹「そう。今日は、部屋にごはんをもっていったら、布団の中で『お前は~!!』って、怒っていたから、朝からけんかもいやだから、ごはんを机において、放ってある。いいよね?」

私「いいんじゃない?」

なんて、20分、話して、電話きれて、
私、給料日だったので、ATMにいってから、スーパーに行って買い物して、帰ってきたら、
また、妹から電話

「おかあさんが、死んじゃう!!すぐ、来て。」


すぐに病院にかけつけると

救急に寝かされてた。

なにもつけていないので、これから医師に処置されるのだろうと思っていたら、
警察官が、やってきて、
妹に事情を聴くという。

死んじゃったんだ!!!!!!!

指、冷たくないと思ったんだけど、
あらためて、触ったら、冷たかった。

私からの電話を切ったあと、妹が、「お昼は、どうするの?」と部屋をのぞくと
ベッドの横にうずくまっていたので、
死んだふりして、驚かそうと思っているのかと思ったそうで。

声をかけたけど、起きないから、身体を起こすと、もう、意識がなかったそうで。

救急車で、はこんだときには、もう、だめだった。

死因は、虚血性心筋梗塞。

あっけない。

憎まれっ子、世にはばかるっていうじゃないか!まだまだ、イケルと思っていたのに。

本人も前の日の電話で
「早くおむかえが、きてほしい。」と言うので、
私が、「寿命ってものが、あるだから、それまでは、来ないよ。生きてるからには、身体動かして、元気でいないと。」とは、言ったら、そうだねと答えて、

本当におむかえがくるとは、思っていなかったと思います。