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my diary

真実は?

2025年01月30日 | 日記
 中居・フジテレビ問題について、徐々にその真相が見えつつあるような感じがしてきた。この問題についての文春の第一報の一部に間違いがあるということを橋下弁護士が指摘して、文春も訂正記事を出したが、確かに、当日のパーティーへの誘いが、編成幹部のAからのものか、中居から直接なされたかは、フジテレビ幹部の直接的関与の度合いを想像する目安になると考えることも出来る。そうであるからこそ、この文春の記事が出るやいなや、フジテレビを応援したり、文春に反感を持っている人々から反撃の投稿がネットに溢れるようになった。でも、このことを持って、Aの関与が全く無く、女性社員に対するフジテレビ側の安全配慮義務が全うされていたとは言い難いものがある。普通の常識ある会社であれば、芸能人のような人達と接触する立場にある若い女性社員に対しては、「もし、芸能人から誘いがあったとしても、上司を盾にして断るように」との注意喚起を常日頃から行っていることだろう。ところが、文春のこれまでの記事によると、Aからは、別の日にだったかも知れないが、「仕事にも役立つから」と有力タレントとの接触の機会を勧めるかのような言葉があったとのこと。もちろん、証拠となるもの録音等がある訳で無ければ、Aが否認すれば被害に遭った女性アナウンサーの単なる思い込みとされるかもしれない。
 渡邊渚さんのフォトエッセー等によると、6月の大雨の日、精神的に打撃となった深刻なトラブルに遭ったものの、それからも数日は、食事もろくに取れないままに仕事をしていて、ついに、心身の不調を訴えて入院に至ることとなり、当初は職場復帰の希望を持っていたものの、一年数か月にもわたり入院生活を送ったとのこと。
 その間、いつの段階で、上司に対して、中居とのトラブルによって打撃を受けていると打ち明けたかは、今の段階では明らかになっていない。しかし、少なくとも7月には、Aを通じて中居から見舞いが届けられようとしたとのことであり、その段階で、少なくともフジテレビの少数の幹部は知っていたと思われる。問題の一つは、女性が、それほど深刻な打撃を受けているトラブルなのに、フジテレビ側が中居に厳しく問いただそうともせず、単なる男女間のトラブルであるとした中居の言い訳を信じて、漫然と中居の番組起用を続け、コンプライアンス専門部署等への報告を怠っていたことにある。
 週刊誌報道によれば、これ以外にも、中居とA、被害者他の社員が参加した複数の飲み会があったとのこと。また、中居は、問題となった高級ホテルでの松本とのパーティにも参加していたとも報じられている。Aと中居との間にどれだけの交遊があったかは知らないが、フジテレビ関係者の間では、女子アナウンサーを交えた有力タレントとの飲み会が常態化していたとも想像される。
 これを、そのような会合を持つことが、女性アナウンサーの業務の一環なのか、それとも、自由参加での単なる飲み会であると言えるのかによって、フジテレビの企業風土の是非が問われるだろう。
 渡邊渚さんが、エッセーに書いていることが、全て真実であるかは分からないし、彼女にも、良い仕事に就きたいという思いと、Aの意向に逆らっては仕事を干されるのではないかという危惧もあっただろう。また、幾ら仕事の為とは言え、有力タレントが一人でいる部屋を女性ひとりで訪れた場合の危険性を予想出来なかったという油断も彼女にあったことも確かだろう。しかし、日本は法治国家であり、例え、男女が同じ部屋にいたとしても、襲っても良いという常識は無い。しかし、それでもなお、自らの性欲の為に相手の意思も確認せずに行為に及んだとすれば、特に30歳近くも年の離れた男性の行うべき行為ではないだろう。
 橋本弁護士が、何の意図で、この段階で、文春に第一報の誤りを指摘したのかはわからないし、巨大なメディアコングロマリットの意向も判らない。しかし、どのような状況あっても、自社の社員よりも取引先への忖度が優先するという企業が、もし存在していたとすれば、厳しく断罪されるべきだろう。第三者委員会の公正な調査と報告が行われることを期待している。

 
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日本人の心の中にあるいじめ体質の怖さ

2025年01月29日 | 日記
 日本人は、農耕民族であったせいか、少しでも自分達とは異なると見える者を、よってたかって排除しようとする傾向がある。人より目立っている者に対して、集団の中に入らず孤立しているように見える者に対して、日本の学校で未だに「いじめ」が無くならないのはそれが原因だろう。「いじめ」を主導的に行う者、見ていても知らない振りをしている多くの者、どちらも「いじめ」に加担しているのに差は無い。
 今、世間の関心を集めている中居・フジテレビ問題については、週刊誌の記事が火を点けて、ネットで様々な噂が拡散されることによって、多くの関心を集めるに至った。一時期はテレビメディアの一翼を担っていたフジテレビ、ジャニーズに所属してSMAPのリーダーとして人気を集めていた中居正広氏にあっても、この急速な批判の高まりムードに抗しきれず、フジテレビでは社長を含む取締役が退陣表明をし、好感度の高かった中居氏の人気は地に落ちて引退表明をすることになった。移り変わりの激しい世論の高まりによって、真実があいまいのままで急速に事態が進んでいる。ヒロミ氏などは、件のA氏やXさんと一緒に中居氏宅でバーベキューをしたというだけで、自分も誹謗中傷に晒されるのではないかとの恐怖も抱いているそうだ。
 一方、一方の当事者で被害を受けたとされるXさんであるとネットで特定されている渡邊渚さんについては、PTSDで辛い闘病生活を送った後、幾分か回復して、昨年末から週刊誌のグラビアに出ている他、自身のフォトエッセイを出版するという。精神的なトラウマがある人については、心理的に浮き沈みの波が繰り返されると言われており、この大規模な騒動の起因となった一方の当事者として見られ、その上に、フォトエッセイ出版で更に注目を集めたとき、彼女の精神の安定が保たれるものか心配してしまう。
 折悪しく、元大阪府知事で弁護士の橋下氏の指摘によって、文春は、最初の記事の中にあった、A氏の働きかけによって渡邊さんが中居氏のマンションに出向いて被害に遭ったということを、中居氏から渡邊さんに直接連絡があってマンションに出向いて被害に遭ったということに訂正した記事を配信している。この訂正記事によって、一部の者の中には、渡邊さんが中居氏しかいないのを承知の上でマンションに出むいたのだから個人間のトラブルであって、フジテレビを巻き込むのはおかしいということを言い出している者もいるようだ。しかし、考えてみるが良い。男性の部屋に女性が訪れたとしても、それが性的接触もOKしているのと同じではないし、そんなことは、法的にも通用しない。フジテレビにしても、有名タレントでフジテレビの取引先でもあった中居氏から被害を受けたと上司に相談したのに、恰も、男女間の個人的な問題であると矮小化して考えたかったのか、中居氏や、切っ掛けを作ったかもわからない編成幹部のAに対しての十分な調査もせず、この情報を幹部数人と産業医の間だけに留めて、専務から社長に報告したのも2か月後ということだったとのこと。社長や専務にしても、トラブルの当事者である中居氏を一年半も使い続けたのは、被害者のプライバシーの保護というよりも中居氏に忖度したとしか考えることは出来ない。
 これらの状況からして、文春が訂正記事を出したからと言って、中居氏の責任やフジテレビが社員の人権を軽視していたという事実は変わらない。したがって、ここにおいて、被害者である渡邊さんを非難・中傷したり、フジテレビの責任を軽く言ったりしようとするネット民は、全て間違っていると言える。このことは、目立つ者、他の者とは少し違う者を「いじめ」の対象とする、いじめ文化が一部に根強く残っていることを証明していると捉えることも出来る。
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今朝は眠い

2025年01月28日 | 日記
 昨日午後4時から始まったフジテレビの記者会見の10時間を超える中継を見ていて、いつもは、午後9時過ぎまでに眠ることにしている私にとっては、眠くて仕方がない。
 見ていての印象としては、まず、途中でAC広告がやたらと入るのが気になった。どうせAC広告であるならカットして、例えばマクドの広告の分のみを流せば良いのにと思った。次に、何故、被害に遭ったと訴えた女性について、それほど精神的に大きなダメージがあると見受けられた時点で、女性から相談を受けた幹部社員は、何らかの被害(刑事事件となる被害かもわからない)を受けたと察することが、どうして出来なかったのだろうかということであり、そのように察すれば、その時点で中居氏に対して何が起こったのかを問いただすべきであったという所で、フジテレビ幹部による、女性のケアとプライバシーの保護を優先しているという言い訳には大きな矛盾を感じた。
 そもそも、中居氏や編集局幹部のAに聞いても、自らに有利な事を述べても意図的に中居氏の為に女性アナウンサーを交際させようとしたということは白状しないだろう。仮に、彼らが、独身者同士をくっつけようとした行為の何が悪いと弁解しても、中居氏と女性との間には30歳近くも年齢差があり、女性の意識の中には、自らの仕事に有利になるかもしれないという理由以外に、過去に女子アナウンサー好きとして知られ、何度も別の女性との交際と破綻を繰り替えしていることで知られている、中高年タレントの中居氏について、決して好意の感情で見ていなかったのが本当のことだろう。
 フジテレビの二回にわたる記者会見の内容には、一部の役員の交代はともかく、今後の同様事案の防止に対する具体的な取り組みとか、同局が女性アナウンサーを、キャスター候補としてではなく、「〇〇パン」と称して、まるでタレントのように扱ってきたという風潮をどう改善して、女性の地位向上を目指すとかの姿勢が感じられなかった。また、有力タレントとか芸能事務所への過剰な忖度の改善という姿勢も見えなかったのは残念であった。
 フジテレビについては、同局制作のドラマなどには優れたものもあったと思えるし、今回の騒動が大事になった後での同局報道部の真摯な取り組み姿勢にも好感するものがある。しかし、高齢の役員が記者会見の壇上に並んで、昭和の雰囲気の漂うやり取りを見せている現状では、視聴者からの信頼回復のためには大きな溝があるように思える。
 バブルの頃は、一般に給料も毎年大きく上がっていて、人々が享楽的な生活感の中にいて、全般に緩く、セクハラ・パワハラも普通に行われていた時代であった。ところが、令和の今の時代は、人口減少もあり、一人ひとりの国民が、限られた資源と経済状況の中で自分の人生をいかに豊かに過ごすかということが重視される時代に変化している。女性の地位の向上や弱者の保護ということも、単なる理念だけでは無く、政府や企業が如何に取り組んでいるかが厳しく問われる時代となっている。今回のフジテレビの騒動は、フジテレビの、有力タレントに忖度して自社の女性社員を守ろうとしないという前時代的な体質を、スポンサー企業も見抜いているからこそ、これほど多数の広告停止という行動に出ているのではなかろうか。
 第三者委員会がどのような報告を出すかはわからないが、それよりも、フジテレビ自身が自浄能力をどのように発揮するかにフジテレビの将来がかかっていると言っても過言では無かろう。
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隠したいものは何なのか。

2025年01月27日 | 日記
 JR長野駅前で男女3人が刃物で刺され死傷した事件の容疑者が逮捕されたが、捜査の決めてとなったのは防犯カメラやドライブレコーダーの追跡捜査だったとのこと。都会はともかく地方では、未だに防犯カメラを設置している所も多くないが、最近のこの種の捜査には防犯カメラ等の活用が欠かせない。ところが、一昔前には、警察などが防犯カメラの設置を自治体等に要望すると、個人情報が洩れる等の理由で反対をする者がおり、マスコミの一部などにも反対する声があった。マイナンバーカードの普及においても同様に反対する声がある。思うに、反対する人々については、個人情報の漏洩を恐れるということもあるかもしれないが、むしろ、警察や税務署などの公的機関に個人情報を管理されることを懸念しているものもあると考えられる。しかし、何を恐れているのだろうか。かって社会主義を国是としていた中華人民共和国においては、厳格な監視社会の国になり、監視カメラの設置個数は一億個を超えるとも言われている。誰がどこにいて、どんな買い物をしたのか、誰とスマホで通話したかも、公権力が必要とすれば直ちに抽出できるような状況にあるようだ。
 かって、ジョージオーエルが小説「1984年」で描いたディストピア世界が、中華人民共和国で実現したかのようでもある。おそらく、防犯カメラやマイナンバーカードに反対する人々は、そのような世の中になるのが嫌なんだろうと想像しているが、でも、共産党の一党独裁で普通選挙も無いような中華人民共和国と、一応は、選挙によって曲がりなりにも国民の意志が示される国とは違っていないだろうか。確かに、我が国でも政官財と大手マスメディアの一部が癒着していて、政権が、マスメディアや広告業者を利用することによって世論誘導をしている可能性もあるが、それでもSNSでの情報の拡散もあって、裏金問題や庶民を苦しめている物価高などで世論が沸騰することによって、政権交代する可能性もある。そこが、一党独裁国家と民主主義国の違いでもある。
 防犯カメラの問題について言えば、もちろん、多少の功罪もあるだろうが、犯罪が凶悪化・広域化していて、都市化が進んで、核家族化して地域の連帯も薄れ、孤立世帯も多くなっている現状では、防犯カメラを多く設置して、犯罪捜査や防犯効果に期待することが急務ではなかろうか。何も後ろ暗いことが無ければ、防犯カメラに写されていても何等恐れる必要もないし、マイナンバーで所得を把握されるようになっても、別に後ろ暗いことが無ければ何等問題はないだろう。

 今日、フジテレビ社長の再度の記者会見がある予定であるが、前の会見でフジテレビが被害者のプライバシーの保護等を言い訳にして言っていないことは、フジテレビの番組制作局幹部プロデューサーが、以前から、有力タレントなどと被害者を含む女性社員などとの会食をセッティングしたことがあったのか、女性から相談を受けて社長まで報告すべき重要事案と判断したのに、何故、コンプライアンス担当部署等に情報の共有がなされなかったのか、或いは、当事者である中居氏への聞き取りや抗議が成されなかったのかという点である。前の会見では、このような当然の疑問点を隠して、自分達に都合の良いことのみを述べて、恰も、自分達の対応が間違っていないかのように印象操作しようとするから、世論やスポンサー企業から疑惑を抱かれてしまったのではなかろうか。隠すよりも、真実をあからさまにする方が良いという実例だろう。
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想像力の大切さ、開き直ったときの女性の強さ

2025年01月26日 | 日記
 このところ、私は、中居&フジテレビ問題から目が離せなくなっている。それは、単なる好奇心を超えて、この問題からは、日本社会に根強くある前近代的な女性観と、それに対する一部の女性の毅然とした対応ということが見えているような気がするためである。
 人が人である上において、想像力が大切であり、ネアンデルタール人などの類人猿が滅びてもホモサピエンスである人類が生き残って来れたのも、ある意味では、自分や自分の属する集団が行ってきた従来の行いや考え方に疑問を持つことの出来た、一部の想像力や勇気を持った人がいて、冒険に出掛けたり、今までに無かった方法を試したりということがあったからだと推察している。人が想像力を錬磨するについては、まず第一に、自分がやってきた、考えていることに疑問を持つということもあるだろうし、自分と接する人がどう考えているか慮る能力ということも大切だろう。ところが、現実の世の中では、性欲や出世欲、世間の人から良く見られたいなどの様々な欲があり、また、今までやってきた考え方ややり方が正しいという心理的なバイアスもある。それらが人や集団における想像力の欠如ということに繋がっている。
 中居氏は、災害地への多額の寄附やボランティアなどを行ってきて表彰も受けているような人であり、人に対する思いやりが全く無い人ではないと思われるが、今回のトラブルでは、その女性と、より親しくなりたかったということが本心であったとしても、その女性の心のうちなどに思いを致すということが結果として出来ておらず、逆に、女性がPTSDを発症するほどの大きなトラウマを与えてしまった。
 想像力を育むには、大学を出ているとかは重要ではなく、自分自身に対する、また、社会的風習などに対しての疑問を持つことが必要であり、そのようにして想像力を豊にすることが、視野の拡大、他者への寛容・共感などを育てることに資するのではないかと思われる。
 この問題では、フジテレビに代表される組織の、被害女性への対応に問題があったとされている。女性からの相談を受けたフジテレビの上司たちは、自らの組織風土が、このトラブルを招いた原因とは考えず、或いは、女性が中居宅を自ら訪問してトラブルに遭ったことを捉えて、単なる男女間の問題であると敢えて矮小化し、当事者である中居氏に対して問いただすことも無く、事案を収めようとしたとされる。有力タレントや有力者の会食に、社員女性を接待要員として招くことが常態化していても、それを異常であるとは思わない企業の在り方がある。有力な幹部に逆らうことが難しいという強い権力匂配のある中で、会食に招ねかれた社員女性にも拒否する自由があると言い張る企業論理の異常さは、コンプライアンス重視とか、女性活躍社会とかの理想論に、公正中立を旨とする放送局であるフジテレビの企業風土が、全く異なっていたということが明らかになった。
 しかし、この問題での唯一の救いは、トラウマの渦中にあった被害女性が、幾分かの回復を見せて、自らのフォトエッセイを出版しようとしていることで、おそらく、エッセイの中では、このトラブルそのものに触れる事が無いものの、それでも今の自らの気持ちを正直に本の中に記載したことだろう。
 まさに、この時期に、同じような経験を持つ伊藤詩織さん監督のドキュメンタリー映画が、アカデミーショーにノミネートされたというニュースが飛び込んできた。伊藤詩織さんは、安倍元首相と親しかった元テレビ局員から、泥酔状態になったときに性被害を受けたとされ、警察に被害を訴えたものの、警視庁幹部の意向により事件化されなかったと言われており、社会の性暴力に対する無関心や日本の司法制度に問題がある中、6年間かかって自分の経験をこの「Black Box Diaries」という作品にしたとされる。
 重大なPTSDの症状から立ち直って、自らのインスタグラムの中などで、「私は、それでも負けない」と女性としての毅然とした姿を見せている渡邊渚さんといい、世界的に評価される作品の監督をした伊藤詩織さんといい、心無い誹謗中傷をする人も多い中で、開き直った女性が如何に強いかと見せてくれることは、明治期に活躍した、新島八重や津田梅子などの女性たちとは、また違った意味で、格好良く、自らの生き方を大切にしている、現代のハンサムガールが現れたような気がする。

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