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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 最終回

2018年01月24日 | 日記

ここにおられるご両親の皆さん、子どもを思う皆さんの心情も同じではないでしょうか? いくら心配をかけて、いくら反抗したとしても、自分の過ちを悔いて帰ってくる子供を見るなら、そんなことは忘れて、心が愛情であふれてくるのではないでしょうか。熱い心が湧きあがってくるのではないでしょうか。それが子どもに対する親の気持ちでしょう。

 皆さんは、罪と闘うために、傷ついて血を流して疲れていませんか? 自分にはできないと諦めていませんか? 神様にとって赦せない罪人はいません。十字架で亡くなられたイエス様が「早く帰って来なさい」と呼んでおられます。

罪悪感と罪の荷物を下ろして、ためらわずに神様のもとに帰って来ることを願います。神様は愛です!

 お祈りします。

愛である父なる神、 神様は、心が傷つけられた者を引き寄せて下さり、悔い改める者を救ってくださると言われました。

父なる神様、私たちが持っているのは、単に傷と痛悔する心だけです。主よ、私たちはありのままで神様の下に行きます。私たちの心を自分の過ちと傷と苦痛の暗さで振り返って、神様が私たちの周りにたくさん撒いてくださった恵みを眺めることができるようにしてください。私たちへの神様の大きな愛と赦しを、私たちが受け入れることができますように。私たちの心を貧しくしてくださり、罪を悲しむ心をくださって、 神様の慰めを経験できるようにしてください。私たちを赦されるその愛に支えられて、勝利の人生が毎日成し遂げられるようにしてください。私たちを愛してくださり、再び来ると約束されたイエス様のお名前によって、切にお祈りいたします。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第22回

2018年01月23日 | 日記

もう一度質問します。神様には何かを忘れることが可能でしょうか? もちろんです! 神様は全能ですから、忘れることを決心したらその方の記憶から消えてしまいます。神様が罪人を赦される時、その罪人の罪をゆるすとともに、忘れてくださるのです。「忘れてくださる神様!」。これが今日の説教のタイトルです。何でしたか? 「忘れてくださる神様」

私たちが急に怒りがこみ上げてきて、言ってはいけない言葉を出してしまうこともありえます。また、昨日、罪を犯し、今日誘惑に倒れるかもしれません。まだあの人を受け入れることができませんか? 何より自分自身が嫌で、神様に赦しを願うには自分があまりにも厚かましいような気持ちになっているかもしれません。

皆さん、そこにとどまっていないで、神様は私たちを赦すため、そして勝利者以上にしてくださるために、一日中立って待っておられます。その方の所に行くことをためらわないでください。

 

   ≪訴え≫

一つの詩を読んで終わりにします。これは家出した息子を思う親の心を描いたものです。

  

息子よ、戻っておくれ。昨夜は初霜が野菜畑を覆った。

息子よ、戻っておくれ。

お前が持って出た子牛を売ったお金は戻らなくてもいいが、

兵隊で兄を失って、お前は一人だけの大切な私の子。

 

日暮れ時、新道から帰ってくるのは、荷物を積んだ牛車だけ。

今日もお前の部屋を暖かくしておいたけど、

待っているだけの夕方はあまりにも短く、

夜はまた、なぜこんなに早く来るのか・・・

息子よ、戻っておくれ。

 お前が帰るのは森の向こうに三日月が出て、三ツ星が光る頃かもしれない

床下の黒スケが吠えて、お前が中に入らないかもしれないから

北町の新しい家にあげてしまった。

お前が家を出ていったその日から、玄関の戸はいつも開けてある。

息子よ、戻っておくれ。今夜こそ君が戻ってほしい、息子よ!

 

初霜が降って、もう寒くなり始めてきたが、家出した息子はどこで何をしているのだろうか? 子牛を売った金を全部持って出ていったが、お金は有っても無くてもいいから、心配しないで帰ってきなさい。戦争であなたの兄さんが死んで、もう君は一人息子だ。帰って来なさい。

日が暮れるまであの新道まで出て、君がかえってくるのを、今か、今かと待っているが、一日中待っても、見えるのは荷物を負った牛車だけで、君の姿は見えない。いつ帰ってきてもいいように、暖かい部屋で体を休めるように毎晩君の部屋を暖めている。君が家に帰る時、床下にいる黒スケが吠えて、入ってこないかと思って人にあげてしまった。心配しないで帰ってきなさい。君が家を出た日から、毎日玄関の戸は鍵をかけないままにしている。いつでも戻りなさい。今夜は戻りなさい。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第21回

2018年01月22日 | 日記

私がどんなにこのように声が枯れるほど話しても、「私が赦されるめにはこうしなければならない!」。このように考えている人がとても多いのです。「神様は私を赦されるかもしれないが、私は自分を赦せない」。そう思ったりします。これをどうしたらいいですか。私がこの話をする理由は、このような話をあまりにもたくさん聞いたからです。このような相談をたくさん受けました。

   ≪たとえ話≫

ある農夫がウズラの群れを市場に持ってきて、足に紐をつけて棒に縛っておきました。ウズラは、棒の回りを悲しそうにグルグル歩いていました。ある人がかわいそうに思って「私がウズラを全部買うから、さあその鳥たちを全部放してください」。「え?これを全部放すのですか?」。「はい、そうです」。それで農夫は紐を解きました。そして全部放しました。しかし、何が起こったでしょうか。そのウズラは飛んできて、ずっと円形で歩きました。再び放っても、またもとに戻って同じ場所を回っているのです。束縛から脱して自由の身になったのに、まだ縛られているように元の所をずっと回っているのです。

私たちはこの鳥の姿と同じではないでしょうか? 「自由に飛ぶには自分があまりにも厚かましいのではないだろうか?」。「あの人が私を解放してくれるはずがない」。「飛んでも、どうせまた罪を犯して堕落するから。どうせ飛んでもまた落ちるから、このままいた方がましだ」。そんなに思っていませんか?。

私たちが賛美歌を歌う時は「罪重荷をのぞくは血の力」と歌います。「肉の欲をのぞくは血の力」と賛美します。しかしそれは歌詞だけで、私には適用されないと思っていませんか。皆さんのそのような低い自尊心は、サタンが利用する致命的な心理的武器です。そのままだと、結局、審判に対する恐れと罪悪感に苦しめられそのような感情の悪循環を続けるだけです。いくら納得しても、またもとに戻ってぐるぐる回っているのです。クリスチャン生活がなぜそうなのでしょうか? 喜びはなく、満足もなく、平安もなく・・・。誰がそんな姿を見て、イエス様を信じたいと思うのでしょうか? サタンの心理戦に引きこまれてはいけません。皆さん自身についてもう少し寛大になっても大丈夫です。皆さんは、他人のことはすぐ赦してあげる立派なクリスチャンです。そのように、自分自身も赦してください。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第20回

2018年01月21日 | 日記

「けがれのない神のみ子は、その肉体はむち打ちで裂け、しばしば祝福のうちにさし出されたその手は横木に釘づけられ、愛の奉仕に疲れを知らなかったその足は木にうちつけられ、王の頭はいばらの冠で刺され、ふるえる唇は苦悩の叫びにかたどられて、十字架にかかっておられた。しかもイエスがしのばれたすべてのこと―その頭と手と足から流れた血のしたたり、その肉体を苦しめた苦痛、天父のみ顔がかくされた時にその魂を満たした言いようのない苦悩、―それらは人類の子らの1人1人に向かって、神のみ子がこの不義の重荷を負うのを承諾されるのはあなたのためであり、死の支配をたちきって、パラダイスの門を開かれるのはあなたのためであると語っている」(キリストの偉大な生涯790p)

 誰のためですか? あの人のため?違います。私のためだと言われています。そしてあなたのために、私は除外されていますか? いいえ。私のため、あなたのために!

「神のみ子がこの不義の重荷を負うのを承諾されるのはあなたのためであり、死の支配を断ち切って、パラダイスの門を開かれるのはあなたのためであると語っている」のです。

はい、私たちは罪人です。そうです。しかし、キリストは私たちの救い主です。私たちの目を自分から転じてイエス様を眺めましょう。イエス様は義人を呼びに来られたのではなく、罪人を呼んで悔い改めさせるために来られました。私たちを落胆させて勇気をくじくために、サタンが否定的な暗示を心に与えるかもしれません。「お前はダメだよ。お前は資格がないよ。真理を知っていると言いながら、罪を犯したじゃないか。とても厚かましいよ。そんなお前が神の子なの?」そのような思いに屈服しないでください。疑いという悪い客を歓迎しないでください。そんなとき、神様がどれほどの犠牲を払われたのか、すべて私を救うためだったという、その方の犠牲と愛を覚え、心の中からそのような思いを追い払ってください。

イエスは罪人を招いて悔い改めさせるために来られました。今は義人を集めに来ておられるのではありません。今はまだ恩恵の期間です、救いの日です。イエス様は審判台から、「あなたは滅亡、あなたは救い」、このように言っておられません。皆さん、子どもを育ててみてご存じですよね。親は劣っている子ほどもっと愛情を注ぎます。神様も罪人にもっと関心を持たれます。ですから罪の増し加わったところには恵みも増し加わるのです。今はまだ恩恵の時です。大胆に神様の恵みの御座に行かれることを望みます。


赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第19回

2018年01月20日 | 日記

心配しながら、人生を生きることはやめましょう。また、こんな言葉があります。

「憂鬱で不満な思想や感情を追い払うことは、祈ることと同じく、私たちの義務です」。このように教えられています。

 皆さんは避雷針をご存知でしょう。雷が落ちる時の数万ボルトの電圧を全身で受け止めます。それでその下に避ける人たちは安全になります。イエス様が人類の贖いのための避雷針になって、罪の結果である死をその身で代わりに受けて、十字架の下に避けるすべての人に永遠の救いを与えられました。

 皆さん、私たちはこのような話をたくさん聞いてきました。とても慣れてしまったせいなのか分かりませんが、私たちのために十字架が立てられたという事実を日々覚えなければなりません。「信じます。不信仰な私を助けてください」と叫びながら、その方の前に出られることを願います。

次を読んでみます。

「その方は、あなたを受け入れるために待っておられ、あなたが悔い改めて罪から離れたとき赦そうとして待ち構えておられる。あなたは失敗し、また失敗するかもしれない。しかし、神様はあなたが本当に悔い改めるなら赦してくださり、また赦してくださる。そして、ついにあなたを愛して血を流されたイエス様によって、あなたを勝利者以上の者にしてくださるのである」(説教と対話1、402-405)。

神様は私たちを受け入れるためにいつも準備完了しておられる方です。私たちが御前に行くだけで、いつでも私たちを受けいれてくださる方です。十字架は最も凶悪な罪人を殺すために使われた処刑法でした。そしてイエス様はその十字架で亡くなられ、最も凶悪な罪人さえも赦されることを証明されたのです。自分を殺す者たちでさえ赦そうとしておられるのに、赦せない人が誰かいるでしょうか? そして、ついに、私たちが勝利者以上になることを約束されました。しかし、勝利者になるためには、まず赦される経験をしなければなりません。赦されることを恥ずかしがらないでください。